隠しておけることではないけれど・・・
2022年6月27日(月) 溝の口「CD源氏の会」(第18回・通算158回)
ここ数日、照りつける陽射しに35度を超える猛暑続き。「もう梅雨が
明けたんじゃないの?」と冗談っぽく言っていたら、それが今日、
冗談ではなくなってしまいました。この先の長くて暑い夏を思うと、
早くも夏バテ状態(特に気分が)です。
9ヶ月に渡り、月に2回のペースでお届けしてきたCDによる源氏講座も
最終回となりました。無事にオンラインクラスと足並みも揃いましたので、
来月からは会場で2回、オンラインで1回、同じ箇所を読むことになります。
3回あるうちのどこでも、ご都合のつくところでご参加頂けるようになり
ました。
第49帖「宿木」は3年間に渡る内容を持つ巻ですが、今日で第1年目は
終わり、第2年目へと入りました。薫と匂宮それぞれの縁組が語られる
ところから始まったこの巻ですが、第2年目に入るとそれが具体化して
まいります。
匂宮と夕霧の六の君との結婚は8月に決定しました。折から中の君は
匂宮の御子を身籠っており、悪阻で体調もすぐれません。匂宮には
まだ懐妊の話はしてありませんし、匂宮も初めてのことなので、もしや、
とは思いながらも、はっきりとおわかりにはならないのでした。
匂宮と六の君との結婚は正式なもので、世間にも公表されています。
中の君は結婚の日取りを人づてに聞き、皆が周知のことなのに、なぜ
匂宮が自分には隠し立てなさるのか、と情けなく思っておりました。
匂宮も隠しておくつもりはないのですが、いざとなると中の君が可哀想
で面と向かって告げることができなかったのです。このあたりのお互い
の気持ちは理解できますね。
源氏の場合は、女三宮の降嫁が決まった時、他の人から聞かされたら
紫の上がいっそう傷つくであろうと思い、自ら告げました。まさに紫の上
にとっては青天の霹靂でしたが、これがもし他から知らされたとしたら、
夫が自分に隠そうそしている、という苦悩まで加わったに違いないので、
源氏の思い切ったやり方のほうが正解だったのかも知れません。
しかも匂宮は、中の君を二条院へ引き取って以来、一度も夜離れを
していないので、六の君との結婚によって急に二条院で夜を過ごす
ことがなくなってしまっては(当時は、三夜続けて男が女の許に通って
初めて結婚が成立するので、少なくとも三日間は中の君に対しては
夜離れとならざるを得ない)、中の君がどんなに悲しまれようか、と
おいたわしくて、この頃は宮中に宿直と称して、中の君を夜離れ状態
に慣れさせておこう、となさっていました。
いや、それは「ただつらきかたにのみぞ思ひおかれたまふべき」(ただ
中の君からすれば、辛いとばかり思われることだったでしょうに)と、
作者が草子地で付け加えていますが。
隠しておけることではないと百も承知していながら、それでも相手が
ショックを受けるとわかっていることを面と向かっては言い出し難いし、
相手ほうは、なぜわかりきっていることを隠そうとするのか、と思う
この両者の心の動き、普遍的なものでしょうね。
ここ数日、照りつける陽射しに35度を超える猛暑続き。「もう梅雨が
明けたんじゃないの?」と冗談っぽく言っていたら、それが今日、
冗談ではなくなってしまいました。この先の長くて暑い夏を思うと、
早くも夏バテ状態(特に気分が)です。
9ヶ月に渡り、月に2回のペースでお届けしてきたCDによる源氏講座も
最終回となりました。無事にオンラインクラスと足並みも揃いましたので、
来月からは会場で2回、オンラインで1回、同じ箇所を読むことになります。
3回あるうちのどこでも、ご都合のつくところでご参加頂けるようになり
ました。
第49帖「宿木」は3年間に渡る内容を持つ巻ですが、今日で第1年目は
終わり、第2年目へと入りました。薫と匂宮それぞれの縁組が語られる
ところから始まったこの巻ですが、第2年目に入るとそれが具体化して
まいります。
匂宮と夕霧の六の君との結婚は8月に決定しました。折から中の君は
匂宮の御子を身籠っており、悪阻で体調もすぐれません。匂宮には
まだ懐妊の話はしてありませんし、匂宮も初めてのことなので、もしや、
とは思いながらも、はっきりとおわかりにはならないのでした。
匂宮と六の君との結婚は正式なもので、世間にも公表されています。
中の君は結婚の日取りを人づてに聞き、皆が周知のことなのに、なぜ
匂宮が自分には隠し立てなさるのか、と情けなく思っておりました。
匂宮も隠しておくつもりはないのですが、いざとなると中の君が可哀想
で面と向かって告げることができなかったのです。このあたりのお互い
の気持ちは理解できますね。
源氏の場合は、女三宮の降嫁が決まった時、他の人から聞かされたら
紫の上がいっそう傷つくであろうと思い、自ら告げました。まさに紫の上
にとっては青天の霹靂でしたが、これがもし他から知らされたとしたら、
夫が自分に隠そうそしている、という苦悩まで加わったに違いないので、
源氏の思い切ったやり方のほうが正解だったのかも知れません。
しかも匂宮は、中の君を二条院へ引き取って以来、一度も夜離れを
していないので、六の君との結婚によって急に二条院で夜を過ごす
ことがなくなってしまっては(当時は、三夜続けて男が女の許に通って
初めて結婚が成立するので、少なくとも三日間は中の君に対しては
夜離れとならざるを得ない)、中の君がどんなに悲しまれようか、と
おいたわしくて、この頃は宮中に宿直と称して、中の君を夜離れ状態
に慣れさせておこう、となさっていました。
いや、それは「ただつらきかたにのみぞ思ひおかれたまふべき」(ただ
中の君からすれば、辛いとばかり思われることだったでしょうに)と、
作者が草子地で付け加えていますが。
隠しておけることではないと百も承知していながら、それでも相手が
ショックを受けるとわかっていることを面と向かっては言い出し難いし、
相手ほうは、なぜわかりきっていることを隠そうとするのか、と思う
この両者の心の動き、普遍的なものでしょうね。
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源氏の須磨での住居
2022年6月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第23回・通算70回・№2)
第3月曜日のクラスのほうで、第12帖「須磨」の前半の終わりのところ
をご紹介しましたので、本日のこちらのクラスでは、後半に入った源氏
の須磨での住まいに関連したことを取り上げておきたいと思います。
26歳の晩春、3月20日過ぎに船路で須磨へと向かった源氏は、追い風
にも助けられて、翌日まだ明るいうち(午後4時頃)に須磨に着きました。
源氏の須磨での暮らしは、「おはすべき所は、行平の中納言の、藻塩
垂れつつわびける家居近きわたりなりけり」(お住まいになるところは、
行平の中納言が、涙にくれながら侘び住まいをしたと伝えられる住居に
近い辺りでした)、という一文から始まります。
ここに「行平の中納言(在原行平)」という実在の人物を持ってきたことで、
『源氏物語』がフィクションであるにも拘わらず、現実味を帯びてくる効果
が出ております。実際須磨には、源氏の住まいがここにあった、とされる
場所があります。JR「須磨」駅から北東方向へ6~7分歩いた所にある
「現光寺」というお寺です。
「海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」(海からは少し離れ
ており、しみじみと寂しい山中だった)と書かれています。確かに海が見え
る場所ではありませんが、「山中」と言うにはあたらない(おそらく当時も)
と思います。


源氏が「わび住まいをしていたところと古来より語り継がれてきました」
と記されている、この「源氏寺碑」の説明文を読むと、ますます源氏が
物語中の人物とは思えなくなってきますね。
源氏の旅立ちから須磨に落ち着くまでの話、詳しくは先に書きました
「須磨」の全文訳(10)をご覧下さい(⇒こちらから)。
第3月曜日のクラスのほうで、第12帖「須磨」の前半の終わりのところ
をご紹介しましたので、本日のこちらのクラスでは、後半に入った源氏
の須磨での住まいに関連したことを取り上げておきたいと思います。
26歳の晩春、3月20日過ぎに船路で須磨へと向かった源氏は、追い風
にも助けられて、翌日まだ明るいうち(午後4時頃)に須磨に着きました。
源氏の須磨での暮らしは、「おはすべき所は、行平の中納言の、藻塩
垂れつつわびける家居近きわたりなりけり」(お住まいになるところは、
行平の中納言が、涙にくれながら侘び住まいをしたと伝えられる住居に
近い辺りでした)、という一文から始まります。
ここに「行平の中納言(在原行平)」という実在の人物を持ってきたことで、
『源氏物語』がフィクションであるにも拘わらず、現実味を帯びてくる効果
が出ております。実際須磨には、源氏の住まいがここにあった、とされる
場所があります。JR「須磨」駅から北東方向へ6~7分歩いた所にある
「現光寺」というお寺です。
「海づらはやや入りて、あはれにすごげなる山中なり」(海からは少し離れ
ており、しみじみと寂しい山中だった)と書かれています。確かに海が見え
る場所ではありませんが、「山中」と言うにはあたらない(おそらく当時も)
と思います。


源氏が「わび住まいをしていたところと古来より語り継がれてきました」
と記されている、この「源氏寺碑」の説明文を読むと、ますます源氏が
物語中の人物とは思えなくなってきますね。
源氏の旅立ちから須磨に落ち着くまでの話、詳しくは先に書きました
「須磨」の全文訳(10)をご覧下さい(⇒こちらから)。
第12帖「須磨」の全文訳(10)
2022年6月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第23回・通算70回・№1)
今月のオンライン「紫の会」は、221頁・3行目~227頁・1行目迄を読みましたが、
本日の全文訳はその後半部分(223頁・13行目~227頁・1行目)となります。
前半部分は、6/20(月)の全文訳をご覧下さい⇒こちらから。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
出発当日は、紫の上にお話を静かに申し上げてお過ごしになり、例に従って、
早朝まだ暗いうちに出立なさいます。狩衣など、旅のご装束はひどく粗末に
なさって、「月が出ているなぁ。やはり少し端近に出てせめて見送りくらいは
してくださいな。須磨で暮らせば、どんなにはあなたにお話したいことが沢山
積もってしまった、と思うことになるでしょうよ。一日、二日、たまに夜を隔てる
折でさえ、不思議に心の晴れぬ心地がしますのに」と言って、源氏の君が
御簾を巻き上げて、端にお誘い申し上げなさると、紫の上は泣き沈んで
おられたのですが、気分を取り直してにじり出て来られたお姿は、月の光に
映えて、実に美しくていらっしゃいました。自分がこのようにして、無常な世
なのに別れて行ってそれきりになってしまったら、この人はその後どんなふう
に、さまようことになられるのであろうか、と気掛かりで、悲しく思われるけれど、
紫の上が思い詰めておられるのを、いっそう悲しませることになりそうなので、
「生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな(生きて別れると
いうことがあるとは思わず、繰り返し『生きている限りあなたと共に』と
お約束して来たことですよ)頼りないお約束でした」
などと、わざと大したことではないかのようにおっしゃると、
「惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしがな」(あなたと
お別れするくらいなら少しも惜しくはないこの命と引き換えに、この目の前
の別れを今しばらく引き留めたいものでございます)
いかにもそのようにお思いになるであろう、と源氏の君は、とてもこのまま
見捨てて出発し難いけれど、夜が明けてしまったならば、体裁の悪いことに
なるであろうと思って、急ぎお発ちになりました。
道中も紫の上の面影が瞼から離れず、胸もいっぱいになりながら、船に
乗られました。日の長い頃なので、追い風も手伝って、まだ午後四時頃に、
須磨の浦にお着きになりました。お近くへのお出ましでも、こうした船旅の
ご経験はなかったので、心細さも面白さも、通り一遍のものではありません
でした。
昔、「大江殿」と呼んでいたという場所は、ひどく荒れて、松だけがその名残
となっていました。
「唐国に名を残しける人よりもゆくへ知られぬ家居をやせむ」(唐の国に、
後世まで言い伝えられている人よりも、私は行方も知れぬわび住まいを
するのであろうか)
と、歌を詠まれて、渚に波が寄せては返すのをご覧になっては、「うらやましくも」
(恋しい過ぎし方へと返す波が羨ましくもあるよ)と、源氏の君が口ずさみなさる
ご様子は、そうした世間で言い古された歌ではありますが、珍しく聞くような気が
してきて、悲しいとばかり、お供の人たちは思っておりました。
源氏の君が振り返ってご覧になると、通って来た山は霞んで遠ざかり、本当に
三千里の先に旅するような侘しい心地がするので、溢れる涙も堪え難いの
でした。
「故里を峰の霞は隔つれどながむる空はおなじ雲居か」(住み慣れた都を
峰の霞が隔てているので見えないけれど、ここから眺めている空は、都から
も見えている同じ空なのであろうか)
と、源氏の君にとっては、何もかもが辛く感じられました。
お住まいになるところは、行平の中納言が、涙にくれながら侘び住まいをした
という住居に近い辺りでした。海岸からは少し入り込んでいて、しみじみと寂しさ
が身に沁みる山中でありました。垣根の様子より始め、珍しい感じだと、源氏の
君はご覧になります。茅葺の建物とか、葦を葺いた廊下風の建物など、趣深く
造ってあります。場所柄に相応しいお住まいは、風変わりで、このような折で
なければ、面白くも思われることであろうよ、と、昔の気儘な遊び心でのお忍び
歩きを思い出されます。
この近くの荘園の管理者を呼び出して、必要なことのあれこれを、良清の朝臣
が、側近の家司として、源氏の君の指図通りに事を運ぶのも健気でありました。
少しの間に、たいそう見所があるように手入れをさせなさいました。庭の遣水を
もっと深くし、植木なども植えて、いよいよここに、と落ち着きなさるお気持ちは、
夢のようでした。
摂津の国の守も、源氏の君のお邸に親しく出入りしていた家来筋の者なので、
こっそりと心を寄せてお世話申し上げております。このような旅先に似つかわしく
なく、人が大勢出入りしてはおりますが、まともに話し相手に出来る人もいない
ので、見知らぬ国にいるような気がして、ひどく気が滅入り、どうやってこれから
の年月を過ごそうか、と、先々をご案じになっておられるのでした。
今月のオンライン「紫の会」は、221頁・3行目~227頁・1行目迄を読みましたが、
本日の全文訳はその後半部分(223頁・13行目~227頁・1行目)となります。
前半部分は、6/20(月)の全文訳をご覧下さい⇒こちらから。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
出発当日は、紫の上にお話を静かに申し上げてお過ごしになり、例に従って、
早朝まだ暗いうちに出立なさいます。狩衣など、旅のご装束はひどく粗末に
なさって、「月が出ているなぁ。やはり少し端近に出てせめて見送りくらいは
してくださいな。須磨で暮らせば、どんなにはあなたにお話したいことが沢山
積もってしまった、と思うことになるでしょうよ。一日、二日、たまに夜を隔てる
折でさえ、不思議に心の晴れぬ心地がしますのに」と言って、源氏の君が
御簾を巻き上げて、端にお誘い申し上げなさると、紫の上は泣き沈んで
おられたのですが、気分を取り直してにじり出て来られたお姿は、月の光に
映えて、実に美しくていらっしゃいました。自分がこのようにして、無常な世
なのに別れて行ってそれきりになってしまったら、この人はその後どんなふう
に、さまようことになられるのであろうか、と気掛かりで、悲しく思われるけれど、
紫の上が思い詰めておられるのを、いっそう悲しませることになりそうなので、
「生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな(生きて別れると
いうことがあるとは思わず、繰り返し『生きている限りあなたと共に』と
お約束して来たことですよ)頼りないお約束でした」
などと、わざと大したことではないかのようにおっしゃると、
「惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしがな」(あなたと
お別れするくらいなら少しも惜しくはないこの命と引き換えに、この目の前
の別れを今しばらく引き留めたいものでございます)
いかにもそのようにお思いになるであろう、と源氏の君は、とてもこのまま
見捨てて出発し難いけれど、夜が明けてしまったならば、体裁の悪いことに
なるであろうと思って、急ぎお発ちになりました。
道中も紫の上の面影が瞼から離れず、胸もいっぱいになりながら、船に
乗られました。日の長い頃なので、追い風も手伝って、まだ午後四時頃に、
須磨の浦にお着きになりました。お近くへのお出ましでも、こうした船旅の
ご経験はなかったので、心細さも面白さも、通り一遍のものではありません
でした。
昔、「大江殿」と呼んでいたという場所は、ひどく荒れて、松だけがその名残
となっていました。
「唐国に名を残しける人よりもゆくへ知られぬ家居をやせむ」(唐の国に、
後世まで言い伝えられている人よりも、私は行方も知れぬわび住まいを
するのであろうか)
と、歌を詠まれて、渚に波が寄せては返すのをご覧になっては、「うらやましくも」
(恋しい過ぎし方へと返す波が羨ましくもあるよ)と、源氏の君が口ずさみなさる
ご様子は、そうした世間で言い古された歌ではありますが、珍しく聞くような気が
してきて、悲しいとばかり、お供の人たちは思っておりました。
源氏の君が振り返ってご覧になると、通って来た山は霞んで遠ざかり、本当に
三千里の先に旅するような侘しい心地がするので、溢れる涙も堪え難いの
でした。
「故里を峰の霞は隔つれどながむる空はおなじ雲居か」(住み慣れた都を
峰の霞が隔てているので見えないけれど、ここから眺めている空は、都から
も見えている同じ空なのであろうか)
と、源氏の君にとっては、何もかもが辛く感じられました。
お住まいになるところは、行平の中納言が、涙にくれながら侘び住まいをした
という住居に近い辺りでした。海岸からは少し入り込んでいて、しみじみと寂しさ
が身に沁みる山中でありました。垣根の様子より始め、珍しい感じだと、源氏の
君はご覧になります。茅葺の建物とか、葦を葺いた廊下風の建物など、趣深く
造ってあります。場所柄に相応しいお住まいは、風変わりで、このような折で
なければ、面白くも思われることであろうよ、と、昔の気儘な遊び心でのお忍び
歩きを思い出されます。
この近くの荘園の管理者を呼び出して、必要なことのあれこれを、良清の朝臣
が、側近の家司として、源氏の君の指図通りに事を運ぶのも健気でありました。
少しの間に、たいそう見所があるように手入れをさせなさいました。庭の遣水を
もっと深くし、植木なども植えて、いよいよここに、と落ち着きなさるお気持ちは、
夢のようでした。
摂津の国の守も、源氏の君のお邸に親しく出入りしていた家来筋の者なので、
こっそりと心を寄せてお世話申し上げております。このような旅先に似つかわしく
なく、人が大勢出入りしてはおりますが、まともに話し相手に出来る人もいない
ので、見知らぬ国にいるような気がして、ひどく気が滅入り、どうやってこれから
の年月を過ごそうか、と、先々をご案じになっておられるのでした。
保身に走る人々
2022年6月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第23回・通算70回・№2)
只今、オンライン「紫の会」で講読中の第12帖「須磨」は、前半と後半、
大きく二つに分けることが出来ます。
前半は、須磨退去を決意した源氏が、京に残る人たちそれぞれとの
別離を惜しむ内容となっています。後半は、いよいよ須磨での生活が
始まり、そこでの源氏の暮らしぶりと心情が中心に語られています。
今月のオンライン「紫の会」は、ちょうど前半の終わりから後半の初め
にかけて読みましたので、ここでは前半の最後にあたる世間の動静に
ついて記しておきたいと思います。
源氏は、父・桐壺帝から格別の寵愛を受けて、7歳の時からずっとお傍
に侍り、源氏が奏上すれば、聞き届けられないことはなかった、とあり
ます。
公卿はもとより、もっと身分の低い者も、みんな源氏に口添えをして貰い、
恩恵をこうむって来たことは重々承知しているのです。でも差し当たって
の問題として、今源氏に味方すれば、反体制派の烙印を押され、右大臣
一派から酷い仕打ちを受けることになります。ですから、明日は源氏が
須磨へと出発する日となっても、「参り寄るもなし」(訪ねて来る者もいない)
という有様でした。
皆、陰では朝廷を批判し、源氏に同情しているのですが、「身を捨てて
とぶらひ参らむにも、何のかひかは」(我が身を投げ打ってまでして源氏
の許に参上しても、何の甲斐があろう)、と思っているせいか、源氏に
対しては冷たい態度を取り続けたのです。
こうした人が保身に走る姿というのは、千年後の今も変わっていないと
思われますが、源氏には、この試練によって政界の厳しさが分かり、
世間は甘くないと知ることにもなり、それがのちの糧となった、と言えま
しょう。
あの人の心の機微など理解することなく(その必要もなく)、桐壺帝の力を
背景に、驕り高ぶっていた20歳の頃のままの源氏では、その後の生き様
も異なっていたはずです。
今は特にコロナ禍で、挫折感を味わっている若い人も多いのではないか
と思われます。でもそれを乗り越えた時、苦労が成長の糧となっていると
実感出来る日が来る、と信じて生きていって欲しいですね。
本日の講読箇所の前半部分につきましては、詳しくは「須磨」の全文訳(9)
をご覧下さいませ(⇒こちらから)。
只今、オンライン「紫の会」で講読中の第12帖「須磨」は、前半と後半、
大きく二つに分けることが出来ます。
前半は、須磨退去を決意した源氏が、京に残る人たちそれぞれとの
別離を惜しむ内容となっています。後半は、いよいよ須磨での生活が
始まり、そこでの源氏の暮らしぶりと心情が中心に語られています。
今月のオンライン「紫の会」は、ちょうど前半の終わりから後半の初め
にかけて読みましたので、ここでは前半の最後にあたる世間の動静に
ついて記しておきたいと思います。
源氏は、父・桐壺帝から格別の寵愛を受けて、7歳の時からずっとお傍
に侍り、源氏が奏上すれば、聞き届けられないことはなかった、とあり
ます。
公卿はもとより、もっと身分の低い者も、みんな源氏に口添えをして貰い、
恩恵をこうむって来たことは重々承知しているのです。でも差し当たって
の問題として、今源氏に味方すれば、反体制派の烙印を押され、右大臣
一派から酷い仕打ちを受けることになります。ですから、明日は源氏が
須磨へと出発する日となっても、「参り寄るもなし」(訪ねて来る者もいない)
という有様でした。
皆、陰では朝廷を批判し、源氏に同情しているのですが、「身を捨てて
とぶらひ参らむにも、何のかひかは」(我が身を投げ打ってまでして源氏
の許に参上しても、何の甲斐があろう)、と思っているせいか、源氏に
対しては冷たい態度を取り続けたのです。
こうした人が保身に走る姿というのは、千年後の今も変わっていないと
思われますが、源氏には、この試練によって政界の厳しさが分かり、
世間は甘くないと知ることにもなり、それがのちの糧となった、と言えま
しょう。
あの人の心の機微など理解することなく(その必要もなく)、桐壺帝の力を
背景に、驕り高ぶっていた20歳の頃のままの源氏では、その後の生き様
も異なっていたはずです。
今は特にコロナ禍で、挫折感を味わっている若い人も多いのではないか
と思われます。でもそれを乗り越えた時、苦労が成長の糧となっていると
実感出来る日が来る、と信じて生きていって欲しいですね。
本日の講読箇所の前半部分につきましては、詳しくは「須磨」の全文訳(9)
をご覧下さいませ(⇒こちらから)。
第12帖「須磨」の全文訳(9)
2022年6月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第23回・通算70回・№1)
6月も早下旬となりました。いつもこのようなことを書いている気もしますが、
あと10日で、今年も半分が終わってしまうのですね。本当に早いです。
今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、221頁・3行目~227頁・1行目
迄ですが、本日の全文訳はその前半部分(221頁3行目~223頁・12行目)
です。後半部分は、第4木曜日(6/23)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君は、夜がすっかり明ける頃にお帰りになって、東宮にもお便りを
差し上げなさいました。藤壺が、王命婦をご自分の代わりとして東宮に
付き添わせていらっしゃるので、そのお部屋に、と言って、
「今日、都を離れます。今一度参上せぬままになってしまったことが、多く
の嘆きの中でもとりわけ辛く感じられます。すべてをご推察の上、東宮に
言上なさってください。
いつかまた春の都の花を見む時うしなへる山賤にして(いつまた春の都
の花を見ることが出来るのでしょうか。時節に見捨てられた山賤の身で)」
と書いた手紙を、桜の殆ど花の散った枝にお付けになりました。王命婦が、
「このように書かれていますよ」とお目に掛けると、東宮は幼心にも真剣な
ご様子でいらっしゃいます。命婦が「お返事は何といたしましょうか」と申し
上げると、東宮は、「しばらく会わないだけでも恋しいのに、遠く離れてしま
ったら、ましてやどんなに」とおっしゃいます。何とも幼いお返事だこと、と、
命婦は東宮をいじらしく見申し上げておりました。
困った恋に御心を砕かれていた昔のことや、折々のご様子が、あれこれと
思い出されるにつけても、何の物思いもせずに源氏の君も藤壺もお過ごし
になれたはずの境遇を、自ら求めて思い嘆かれることとなったのが残念で、
まるで自分の心がけ一つの結果でもあるかのように、王命婦には思えるの
でした。お返事は、
「咲きてとく散るは憂けれどゆく春は花の都を立ち帰り見よ(桜は咲いたか
と思うと、すぐに散るのが悲しうございますが、過ぎ行く春はまた巡って
まいります。必ず都にお戻りになって、花咲く都をご覧下さいませ)時節が
巡り来れば」
と申し上げて、女房たちはしみじみとしたことを語り合いながら、東宮御所を
あげて、皆声を忍んで泣いておりました。
一目でも源氏の君を見申し上げた人は、このように気が弱くなっておられる
ご様子を、嘆き惜しまない者はおりませんでした。ましてや常日頃、二条院
に参じ慣れていた者は、源氏の君がご存じのはずもない下女やお便器掃除
の者まで、またとないような源氏の君のご庇護の許で過ごしてきたので、
しばらくの間でも、源氏の君を見申し上げぬ月日を送るのかと、思い嘆いて
おりました。
世間一般の人々も、源氏の君の不遇を誰がいい加減にお思い申し上げま
しょうか。七歳にお成りの時から、帝のお傍に夜も昼もお控えになっておられ、
奏上なさったことで聞き届けられないことはなかったので、源氏の君のお骨
折りに預からなかった者はなく、恩恵には誰もが感謝申し上げておりました。
それは身分の高い上達部や弁官などの中にも大勢いました。それよりも身分
の低い者は数知らぬほどいますので、皆その御恩を承知はしておりますが、
現実問題として源氏の君に味方すれば、直ぐに酷い仕打ちを受ける今の
ご時世を憚って、訪ねて来る者もいません。世の中は騒然として源氏の君を
惜しみ申し上げ、陰では朝廷を批判してお恨み申しているのですが、我が身
の安全を投げ打ってお伺いしたところで、何の甲斐があろうと思うからか、
源氏の君の許を訪れる人もなく、このような折は、我ながらみっともない程で、
恨めしく思われる人が多く、世間とは面白くないものだな、とばかり、何に
つけても源氏の君はお思いになっているのでした。
6月も早下旬となりました。いつもこのようなことを書いている気もしますが、
あと10日で、今年も半分が終わってしまうのですね。本当に早いです。
今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、221頁・3行目~227頁・1行目
迄ですが、本日の全文訳はその前半部分(221頁3行目~223頁・12行目)
です。後半部分は、第4木曜日(6/23)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
源氏の君は、夜がすっかり明ける頃にお帰りになって、東宮にもお便りを
差し上げなさいました。藤壺が、王命婦をご自分の代わりとして東宮に
付き添わせていらっしゃるので、そのお部屋に、と言って、
「今日、都を離れます。今一度参上せぬままになってしまったことが、多く
の嘆きの中でもとりわけ辛く感じられます。すべてをご推察の上、東宮に
言上なさってください。
いつかまた春の都の花を見む時うしなへる山賤にして(いつまた春の都
の花を見ることが出来るのでしょうか。時節に見捨てられた山賤の身で)」
と書いた手紙を、桜の殆ど花の散った枝にお付けになりました。王命婦が、
「このように書かれていますよ」とお目に掛けると、東宮は幼心にも真剣な
ご様子でいらっしゃいます。命婦が「お返事は何といたしましょうか」と申し
上げると、東宮は、「しばらく会わないだけでも恋しいのに、遠く離れてしま
ったら、ましてやどんなに」とおっしゃいます。何とも幼いお返事だこと、と、
命婦は東宮をいじらしく見申し上げておりました。
困った恋に御心を砕かれていた昔のことや、折々のご様子が、あれこれと
思い出されるにつけても、何の物思いもせずに源氏の君も藤壺もお過ごし
になれたはずの境遇を、自ら求めて思い嘆かれることとなったのが残念で、
まるで自分の心がけ一つの結果でもあるかのように、王命婦には思えるの
でした。お返事は、
「咲きてとく散るは憂けれどゆく春は花の都を立ち帰り見よ(桜は咲いたか
と思うと、すぐに散るのが悲しうございますが、過ぎ行く春はまた巡って
まいります。必ず都にお戻りになって、花咲く都をご覧下さいませ)時節が
巡り来れば」
と申し上げて、女房たちはしみじみとしたことを語り合いながら、東宮御所を
あげて、皆声を忍んで泣いておりました。
一目でも源氏の君を見申し上げた人は、このように気が弱くなっておられる
ご様子を、嘆き惜しまない者はおりませんでした。ましてや常日頃、二条院
に参じ慣れていた者は、源氏の君がご存じのはずもない下女やお便器掃除
の者まで、またとないような源氏の君のご庇護の許で過ごしてきたので、
しばらくの間でも、源氏の君を見申し上げぬ月日を送るのかと、思い嘆いて
おりました。
世間一般の人々も、源氏の君の不遇を誰がいい加減にお思い申し上げま
しょうか。七歳にお成りの時から、帝のお傍に夜も昼もお控えになっておられ、
奏上なさったことで聞き届けられないことはなかったので、源氏の君のお骨
折りに預からなかった者はなく、恩恵には誰もが感謝申し上げておりました。
それは身分の高い上達部や弁官などの中にも大勢いました。それよりも身分
の低い者は数知らぬほどいますので、皆その御恩を承知はしておりますが、
現実問題として源氏の君に味方すれば、直ぐに酷い仕打ちを受ける今の
ご時世を憚って、訪ねて来る者もいません。世の中は騒然として源氏の君を
惜しみ申し上げ、陰では朝廷を批判してお恨み申しているのですが、我が身
の安全を投げ打ってお伺いしたところで、何の甲斐があろうと思うからか、
源氏の君の許を訪れる人もなく、このような折は、我ながらみっともない程で、
恨めしく思われる人が多く、世間とは面白くないものだな、とばかり、何に
つけても源氏の君はお思いになっているのでした。
お取り寄せ「トマト」と三島の「紫陽花」
2022年6月18日(土)
1月に美味しい埼玉特産のいちご「あまりん」を送ってくださった
方が(その記事は⇒こちらから)、桜の花が満開の頃に、今度は
トマトを送ってくださいました。やはりイチゴと同様、お近くの栽培
農家さん直送の物で、それはそれは美味しくいただきました。
リンゴも、イチゴも、季節が終わり、朝のフルーツに事欠くように
なると、毎年トマトに切り替えているのですが、スーパーで買う
トマトでは、なかなか「これっ!」という味に巡り合えません。
そこで今回、そのトマト農家さんに電話をしてお取り寄せしました。
もう、6月いっぱいで終了とのことでギリギリ間に合いました。
サイズもSのみ、とのことだったので、どんなに小さいのが来るのか、
と思っていましたが、1回に1個食べるにはちょうどいい大きさです。
「完熟桃太郎」と書いてありますが、本当に完熟したものを採って、
その日のうちに発送されているので、やはり旨味が違います。
毎朝のフルーツ代わりとして最高のお味です。
何度でもリピしたいところですが、ただ一つ問題はお支払方法が
現金書留のみ、という点です。今どきそれ?ってちょっとオドロキ!
銀行口座への振込み、もしくは払い込み票でも構いませんので、
ATMが開いている時間であればOK、の方法にして欲しいです。
今回の送金も、来週は日中の予定が詰まっていて、金曜日まで
できません。それとも支払いを簡便な方法にすると、注文が殺到
して困る、と思っておられるのかな?

Sサイズなので、1箱30個入り。全部が赤く熟していて、
一つの傷も無く綺麗に箱に収まって届きました。1箱の
お値段は2,700円。送料が1,310円(2箱までは同じ送料
だそうです)。この鮮度、このお味なら、お高くありません。
昨日、歯の治療を受けに三島まで行きました。最近は訪問先の
ブログでも、綺麗な紫陽花のお写真を拝見することが多いのです
が、この辺りでは散歩しても、写真に撮っておきたい程の紫陽花
を見かけることがこれまでありませんでした。
姉の家の裏手を、三島の観光スポットの一つ「源兵衛川」が流れて
おり、その川沿いに見事に咲いた紫陽花を見つけたので、スマホで
パチリ。相も変わらずピンボケの下手な写真ですが・・・💦


こんなグラデーションも見ることができました。
1月に美味しい埼玉特産のいちご「あまりん」を送ってくださった
方が(その記事は⇒こちらから)、桜の花が満開の頃に、今度は
トマトを送ってくださいました。やはりイチゴと同様、お近くの栽培
農家さん直送の物で、それはそれは美味しくいただきました。
リンゴも、イチゴも、季節が終わり、朝のフルーツに事欠くように
なると、毎年トマトに切り替えているのですが、スーパーで買う
トマトでは、なかなか「これっ!」という味に巡り合えません。
そこで今回、そのトマト農家さんに電話をしてお取り寄せしました。
もう、6月いっぱいで終了とのことでギリギリ間に合いました。
サイズもSのみ、とのことだったので、どんなに小さいのが来るのか、
と思っていましたが、1回に1個食べるにはちょうどいい大きさです。
「完熟桃太郎」と書いてありますが、本当に完熟したものを採って、
その日のうちに発送されているので、やはり旨味が違います。
毎朝のフルーツ代わりとして最高のお味です。
何度でもリピしたいところですが、ただ一つ問題はお支払方法が
現金書留のみ、という点です。今どきそれ?ってちょっとオドロキ!
銀行口座への振込み、もしくは払い込み票でも構いませんので、
ATMが開いている時間であればOK、の方法にして欲しいです。
今回の送金も、来週は日中の予定が詰まっていて、金曜日まで
できません。それとも支払いを簡便な方法にすると、注文が殺到
して困る、と思っておられるのかな?

Sサイズなので、1箱30個入り。全部が赤く熟していて、
一つの傷も無く綺麗に箱に収まって届きました。1箱の
お値段は2,700円。送料が1,310円(2箱までは同じ送料
だそうです)。この鮮度、このお味なら、お高くありません。
昨日、歯の治療を受けに三島まで行きました。最近は訪問先の
ブログでも、綺麗な紫陽花のお写真を拝見することが多いのです
が、この辺りでは散歩しても、写真に撮っておきたい程の紫陽花
を見かけることがこれまでありませんでした。
姉の家の裏手を、三島の観光スポットの一つ「源兵衛川」が流れて
おり、その川沿いに見事に咲いた紫陽花を見つけたので、スマホで
パチリ。相も変わらずピンボケの下手な写真ですが・・・💦


こんなグラデーションも見ることができました。
匂宮、薫を裏切る
2022年6月15日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第231回)
梅雨に入っても気温の変化が大きく、きょうはまた最高気温が
20度に届かず、電車の中でも殆どの人が長袖の上着を着て
いました。明日は一気に10度近く上がり、夏日となるそうです。
体調管理に気をつけて過ごさねばなりませんね。
湘南台クラスは、第51帖「浮舟」に入って2回目。前回読んだ所
で、新年に中の君の許に宇治から届いた手紙を見た匂宮は、
それがあの西の対の西廂で偶然見かけ、言い寄りながら、思い
を遂げることの出来なかった美しい女からのものであるとお察し
になりました。
忽然と姿を消してしまった女のことをずっと気にしていた匂宮は、
薫の家司の娘婿である大内記から、薫が宇治に女を囲っている
ことを聞き出し、大内記に宇治へと案内するよう乞われました。
さすがに匂宮も気が咎め、「かへすがへすあるまじきこと」(何度も
してはならないこと)とお思いではありましたが、一旦口に出して
しまうと、もう後には戻れないのでした。
薫が宇治を訪れる可能性の無い日を見計らって、匂宮は大内記を
はじめ、気心の知れた二、三人だけを伴って宇治へとお出かけに
なりました。
道中、嘗て宇治の中の君の許へと通ったことを思い出し、中の君と
自分の仲を取り持ってくれたのは薫だし、中の君と結ばれた三日目
の夜(当時は三日間男が続けて女の許に通って、はじめて結婚が
成立した)、母・明石中宮に戒められて、出かけるのを躊躇っていた
時、「後の責任は私が取るから」と言って匂宮を励まし、宇治へと
送り出してくれたのも薫でした。その薫を今、裏切ろうとしている、と
思うと、後ろめたさを感じるのでしたが、やがて山深くなるにつれて、
早くあの女に逢いたい、上手く逢えるだろうか、という事へと、匂宮の
関心は移っていったのです。
もし、匂宮と薫の立場が逆だったら? 薫なら、匂宮が遠い宇治に
囲っている氏素性も知れない女の許に、いくら一度興味を抱いたと
しても、匂宮を裏切ってまで、わざわざ出かけはしなかったでしょう。
情熱が傾くと何もかも顧みることなく突き進む匂宮と、何事にも慎重
で悠長に構えてしまう薫。宇治に一人置かれて物寂しく、しかも田舎
育ちの世間知らずな浮舟です。どちらに惹かれていくのか、もうわかる
気がしますね。
梅雨に入っても気温の変化が大きく、きょうはまた最高気温が
20度に届かず、電車の中でも殆どの人が長袖の上着を着て
いました。明日は一気に10度近く上がり、夏日となるそうです。
体調管理に気をつけて過ごさねばなりませんね。
湘南台クラスは、第51帖「浮舟」に入って2回目。前回読んだ所
で、新年に中の君の許に宇治から届いた手紙を見た匂宮は、
それがあの西の対の西廂で偶然見かけ、言い寄りながら、思い
を遂げることの出来なかった美しい女からのものであるとお察し
になりました。
忽然と姿を消してしまった女のことをずっと気にしていた匂宮は、
薫の家司の娘婿である大内記から、薫が宇治に女を囲っている
ことを聞き出し、大内記に宇治へと案内するよう乞われました。
さすがに匂宮も気が咎め、「かへすがへすあるまじきこと」(何度も
してはならないこと)とお思いではありましたが、一旦口に出して
しまうと、もう後には戻れないのでした。
薫が宇治を訪れる可能性の無い日を見計らって、匂宮は大内記を
はじめ、気心の知れた二、三人だけを伴って宇治へとお出かけに
なりました。
道中、嘗て宇治の中の君の許へと通ったことを思い出し、中の君と
自分の仲を取り持ってくれたのは薫だし、中の君と結ばれた三日目
の夜(当時は三日間男が続けて女の許に通って、はじめて結婚が
成立した)、母・明石中宮に戒められて、出かけるのを躊躇っていた
時、「後の責任は私が取るから」と言って匂宮を励まし、宇治へと
送り出してくれたのも薫でした。その薫を今、裏切ろうとしている、と
思うと、後ろめたさを感じるのでしたが、やがて山深くなるにつれて、
早くあの女に逢いたい、上手く逢えるだろうか、という事へと、匂宮の
関心は移っていったのです。
もし、匂宮と薫の立場が逆だったら? 薫なら、匂宮が遠い宇治に
囲っている氏素性も知れない女の許に、いくら一度興味を抱いたと
しても、匂宮を裏切ってまで、わざわざ出かけはしなかったでしょう。
情熱が傾くと何もかも顧みることなく突き進む匂宮と、何事にも慎重
で悠長に構えてしまう薫。宇治に一人置かれて物寂しく、しかも田舎
育ちの世間知らずな浮舟です。どちらに惹かれていくのか、もうわかる
気がしますね。
右大臣家の娘たち
2022年6月13日(月) 溝の口「紫の会」(第56回)
今年は入梅以降、いかにも梅雨らしいお天気が続いていましたが、
今日は久々に日の光が眩しい「梅雨の晴れ間」となりました。
コロナの感染者数も、ここ1ヶ月は減り続けており、東京でも新規
感染者数が約5ヶ月ぶりに1,000人を下回ったと、ニュースで報じて
おりました。この傾向、ずっと続いて欲しいものです。
そうしたこともあって、会場での例会も、抵抗なく行えるようになって
きました。来月には、2年5か月ぶりに会場クラス全面再開予定です。
会場での「紫の会」も、第10帖「賢木」の終盤に入ってまいりました。
次回で、「賢木」の巻を読み終えられると思います。
桐壺院の没後、政界の勢力図は大きく塗り替えられ、朱雀帝の外戚
である右大臣一派が権力を手中に収め、それに嫌気の差した左大臣
は辞職して隠遁。出家した藤壺も、源氏も、左大臣の子息たちも、皆
不遇をかこつようになっていました。
では右大臣家には、どのような人たちがいるのでしょうか。『源氏物語』
には、「登場人物」と呼べる人だけでも460人以上おり、狭い貴族社会
の話なので、人間関係は絡み合っています。一度読んだだけで把握
するのは難しく、丁度よい機会なので、右大臣家の娘たちと、それに
関連する主な登場人物をご紹介しておきましょう。
主要な娘は二人で、そのうちの一人が弘徽殿女御(息子〈朱雀帝〉が
帝位に就いてからは弘徽殿大后と呼ばれています)です。右大臣の
長女で、桐壺院がまだ東宮の頃に入内して、朱雀帝を産んでいます。
もう一人は、六女の朧月夜です。甥にあたる朱雀帝への入内が決ま
っていながら、源氏と出会い、身も心も源氏に惹かれてしまいます。
このクラスでは来月の講読箇所になりますが、源氏との密会の現場
を父・右大臣に押さえられ、源氏の須磨退去の直接的原因を作って
しまうことになる役割を担っています。
おそらく三女と思われるのが、帥の宮(のちの蛍兵部卿の宮・源氏の
異母弟)の正妻です。この方は比較的若くして亡くなっておられます。
四女は三位の中将(元の頭中将・左大臣家の嫡男)の正妻となって
います。このご夫婦仲も今一つ上手くいっておらず、右大臣としては
娘のことをないがしろにしがちな三位の中将を快く思っていません。
でも、このご夫婦には、お子達も多く、長男が柏木、次男が本日の
講読箇所でも美声を披露しているのちの紅梅の大納言で、長女は
冷泉帝(源氏と藤壺の不義の子で現東宮)の女御となり、やはり
弘徽殿の女御と呼ばれています。
源氏が「須磨」「明石」を経て政界に復帰し、「澪標」の巻で朱雀帝が
譲位されて冷泉帝の御世となると、今度は右大臣家の勢力は見る影
も無く後退してしまいます。源氏が京を離れている間に、右大臣自身
も亡くなっています。
こうして見ると、やはり当時は、帝の外戚となることが時の権力者への
近道だったことがわかりますね。歴史上でもそれを実践して、頂点に
立ったのが、再来年の大河ドラマで、紫式部の相手役になるはずの
藤原道長です。
ちょっと話が本題から逸れましたが、『源氏物語』は読み進めながら、
時折人間関係を整理しておくとよいかもしれません。
今年は入梅以降、いかにも梅雨らしいお天気が続いていましたが、
今日は久々に日の光が眩しい「梅雨の晴れ間」となりました。
コロナの感染者数も、ここ1ヶ月は減り続けており、東京でも新規
感染者数が約5ヶ月ぶりに1,000人を下回ったと、ニュースで報じて
おりました。この傾向、ずっと続いて欲しいものです。
そうしたこともあって、会場での例会も、抵抗なく行えるようになって
きました。来月には、2年5か月ぶりに会場クラス全面再開予定です。
会場での「紫の会」も、第10帖「賢木」の終盤に入ってまいりました。
次回で、「賢木」の巻を読み終えられると思います。
桐壺院の没後、政界の勢力図は大きく塗り替えられ、朱雀帝の外戚
である右大臣一派が権力を手中に収め、それに嫌気の差した左大臣
は辞職して隠遁。出家した藤壺も、源氏も、左大臣の子息たちも、皆
不遇をかこつようになっていました。
では右大臣家には、どのような人たちがいるのでしょうか。『源氏物語』
には、「登場人物」と呼べる人だけでも460人以上おり、狭い貴族社会
の話なので、人間関係は絡み合っています。一度読んだだけで把握
するのは難しく、丁度よい機会なので、右大臣家の娘たちと、それに
関連する主な登場人物をご紹介しておきましょう。
主要な娘は二人で、そのうちの一人が弘徽殿女御(息子〈朱雀帝〉が
帝位に就いてからは弘徽殿大后と呼ばれています)です。右大臣の
長女で、桐壺院がまだ東宮の頃に入内して、朱雀帝を産んでいます。
もう一人は、六女の朧月夜です。甥にあたる朱雀帝への入内が決ま
っていながら、源氏と出会い、身も心も源氏に惹かれてしまいます。
このクラスでは来月の講読箇所になりますが、源氏との密会の現場
を父・右大臣に押さえられ、源氏の須磨退去の直接的原因を作って
しまうことになる役割を担っています。
おそらく三女と思われるのが、帥の宮(のちの蛍兵部卿の宮・源氏の
異母弟)の正妻です。この方は比較的若くして亡くなっておられます。
四女は三位の中将(元の頭中将・左大臣家の嫡男)の正妻となって
います。このご夫婦仲も今一つ上手くいっておらず、右大臣としては
娘のことをないがしろにしがちな三位の中将を快く思っていません。
でも、このご夫婦には、お子達も多く、長男が柏木、次男が本日の
講読箇所でも美声を披露しているのちの紅梅の大納言で、長女は
冷泉帝(源氏と藤壺の不義の子で現東宮)の女御となり、やはり
弘徽殿の女御と呼ばれています。
源氏が「須磨」「明石」を経て政界に復帰し、「澪標」の巻で朱雀帝が
譲位されて冷泉帝の御世となると、今度は右大臣家の勢力は見る影
も無く後退してしまいます。源氏が京を離れている間に、右大臣自身
も亡くなっています。
こうして見ると、やはり当時は、帝の外戚となることが時の権力者への
近道だったことがわかりますね。歴史上でもそれを実践して、頂点に
立ったのが、再来年の大河ドラマで、紫式部の相手役になるはずの
藤原道長です。
ちょっと話が本題から逸れましたが、『源氏物語』は読み進めながら、
時折人間関係を整理しておくとよいかもしれません。
時は移りぬ
2022年6月10日(金) 溝の口「オンライン源氏の会」(第24回・通算164回)
オンライン「源氏の会」も24回目。恐る恐る始めたオンライン講座も今では
すっかり慣れ親しんだ感がありますが、2年も経てばそうでしょうね。
このクラスは第49帖「宿木」に入って2回目。薫と匂宮の縁談がいよいよ
纏まってきた、という所までを読みました。次のCDによる最終講座(6/27)
で、ちょうど録音可能な量となりましたので、予定通り、7月からは会場
クラスとオンラインクラス、足並み揃えて読み進めて行けそうです。
匂宮が夕霧の六の君との縁談を渋る一番の理由は、今や右大臣の位に
あって、誰よりも権勢を誇っている夕霧が鬱陶しく思われるからなのです。
夕霧は真面目な性格だけに、匂宮の浮気っぽい勝手気儘な振る舞いを
咎め立てなさるであろう、と思うと、面倒になって、匂宮はこれまで気が
進まないのでした。でも、こうした時の権力者に恨まれたままになるのも、
将来的には拙いことに違いなく、「やうやうおぼし弱りにたるべし」(次第に
心が折れてこられたのであろう)とあります。
あの夕霧が、匂宮をビビらせる最高権力者ねぇ、と思う読者も多いのでは
ないでしょうか。第12帖「須磨」では、挨拶に訪れた父(源氏)と、これが
再会も叶わぬ別れになるやも知れぬ、とは理解できず、無心にはしゃいで
います。この時5歳です。また第28帖「野分」では、偶然垣間見た紫の上の
美しさに胸キュンとなった15歳の夕霧がいました。その夕霧が51歳となって
います。
そしてもう一人、明石中宮。読者にとって印象的なのは、第19帖「薄雲」で、
実母・明石の上と引き裂かれる場面です。お迎えの立派な牛車に無邪気
に喜び、明石の上に向かって「乗りたまへ」(お母様もお乗りになって)と、
片言の可愛い声で言う姫君(後の明石中宮)は、この時僅か3歳でした。
そして44歳となって、今回匂宮に説教をしている明石中宮はといえば・・・。
親王にはしっかりとした外戚が必要だと説き、臣下の者だと本妻を二人持つ
ことは難しいけれど、それだって、あの真面目人間の夕霧でさえ、雲居の雁
と落葉の宮の二人を、怨みっこ無しで、上手く取り捌いているではないか、
ましてや匂宮は次期東宮と目されているのだから、将来帝に即位することに
なれば、何人妃がいても何ら問題は無い、と言い放っています。「乗りたまへ」
から40余年の時が流れた姿です。
夕霧や明石中宮は、誕生の時から「宇治十帖」の終わりまで登場している
人物なので、「時は移りぬ」を体現して見せることが出来るのですよね。
オンライン「源氏の会」も24回目。恐る恐る始めたオンライン講座も今では
すっかり慣れ親しんだ感がありますが、2年も経てばそうでしょうね。
このクラスは第49帖「宿木」に入って2回目。薫と匂宮の縁談がいよいよ
纏まってきた、という所までを読みました。次のCDによる最終講座(6/27)
で、ちょうど録音可能な量となりましたので、予定通り、7月からは会場
クラスとオンラインクラス、足並み揃えて読み進めて行けそうです。
匂宮が夕霧の六の君との縁談を渋る一番の理由は、今や右大臣の位に
あって、誰よりも権勢を誇っている夕霧が鬱陶しく思われるからなのです。
夕霧は真面目な性格だけに、匂宮の浮気っぽい勝手気儘な振る舞いを
咎め立てなさるであろう、と思うと、面倒になって、匂宮はこれまで気が
進まないのでした。でも、こうした時の権力者に恨まれたままになるのも、
将来的には拙いことに違いなく、「やうやうおぼし弱りにたるべし」(次第に
心が折れてこられたのであろう)とあります。
あの夕霧が、匂宮をビビらせる最高権力者ねぇ、と思う読者も多いのでは
ないでしょうか。第12帖「須磨」では、挨拶に訪れた父(源氏)と、これが
再会も叶わぬ別れになるやも知れぬ、とは理解できず、無心にはしゃいで
います。この時5歳です。また第28帖「野分」では、偶然垣間見た紫の上の
美しさに胸キュンとなった15歳の夕霧がいました。その夕霧が51歳となって
います。
そしてもう一人、明石中宮。読者にとって印象的なのは、第19帖「薄雲」で、
実母・明石の上と引き裂かれる場面です。お迎えの立派な牛車に無邪気
に喜び、明石の上に向かって「乗りたまへ」(お母様もお乗りになって)と、
片言の可愛い声で言う姫君(後の明石中宮)は、この時僅か3歳でした。
そして44歳となって、今回匂宮に説教をしている明石中宮はといえば・・・。
親王にはしっかりとした外戚が必要だと説き、臣下の者だと本妻を二人持つ
ことは難しいけれど、それだって、あの真面目人間の夕霧でさえ、雲居の雁
と落葉の宮の二人を、怨みっこ無しで、上手く取り捌いているではないか、
ましてや匂宮は次期東宮と目されているのだから、将来帝に即位することに
なれば、何人妃がいても何ら問題は無い、と言い放っています。「乗りたまへ」
から40余年の時が流れた姿です。
夕霧や明石中宮は、誕生の時から「宇治十帖」の終わりまで登場している
人物なので、「時は移りぬ」を体現して見せることが出来るのですよね。
国宝「源氏物語絵巻」夕霧段
2022年6月7日(火)高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算158回 統合108回)
ここ関東では、昨日、九州や四国に先駆けて、梅雨入りが発表になり
ました。早速の「梅雨寒」といいましょうか、最高気温も20度に届かない
日が続き、外に出る時には長袖の上着が必要です。
コロナの新規感染者数はこのところずっと減少傾向で、会場での例会も、
もう今月は、事前に幹事さんと「どうしますか?」という打ち合わせもなく、
出向きました。
このクラスは、第36段「夕霧」に入って4回目。今日は国宝「源氏物語絵巻」
夕霧段に描かれている場面の所までを読みました。
一夜は共にしたものの、落葉の宮の強い拒絶に、根が真面目な夕霧は、
結局手出しできず退散する羽目となりましたが、明け方に出て行く姿を
御息所の加持祈祷に当たっている僧たちに目撃されたことから、話が
ややこしくなってしまいます。
律師に夕霧の朝帰りを告げられた御息所は、落葉の宮に真偽を質し
たいと、宮にお越しいただきました。でも、落葉の宮は「ものづつみを
いたうしたまふ本性」(ひどく内気なご性分)で、昨夜の出来事をきちん
と弁明できず、ただ恥ずかしいとばかり思っておられるので、母である
御息所も、可哀想に思い、追及することができません。落葉の宮には、
おそらく自分の意見を述べるという経験がなかったのでありましょう。
御息所は、人の口には戸が立てられぬことだから、いずれ世間の噂と
なるであろう。それなら夕霧に愛人扱いされるよりは、きちんと婿として
認めるほうが良策ではないか、と考え始めた矢先に、夕霧からの手紙
が届きます。
当時の結婚は、男が三夜続けて通って来てはじめて成立するものなので、
二日目の今夜、手紙だけ寄越して、本人は来る様子がないし、その手紙に
書かれているのも、昨夜の恨み節のような内容で、誠意が感じられません。
夕霧からすれば、何事もなかったのに二日続けて小野へ出掛けるのも、
却って見っともないと思って、逸る気持ちを抑えての選択だったのですが、
もちろんそんなことが御息所に伝わるはずはありません。
もうちゃんと筆も持てない体調でありながら、御息所は「女郎花しをるる
野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ」(女郎花〈=落葉の宮〉が
嘆き萎れている野辺〈=小野の山荘〉を、一体どこだと思って一夜の宿と
なさったのでしょう)との歌を、直ぐには判読できないような乱れた文字で
書き、そのまま危篤状態に陥ってしまわれました。
御息所の歌は、今宵の訪れのないことを責めると同時に、続けて通って
くれるなら、この結婚を認める、という意思表示にもなっています。
そして、この手紙が夕霧の許に届くのですが、もう夜になっている上、文字
は乱れているとあって、夕霧は灯りを近くに引き寄せて読もうとします。それ
を雲居雁が「いと疾く見つけたまうて、はひ寄りて、御うしろより取りたまうつ」
(目ざとく見つけなさって、そっと近づいて、後ろから手紙を奪い取られました)
と、まさに国宝「源氏物語絵巻」夕霧段の場面となったのです。

室内で女君が立って歩くのは、はしたない行動とされて
いた時代で、雲居雁は慎みを欠いた姿を見せています。
襖を隔てて聞き耳を立てている女房たち。『家政婦は見た』
の世界ですね(古いですけど💦)。
ここ関東では、昨日、九州や四国に先駆けて、梅雨入りが発表になり
ました。早速の「梅雨寒」といいましょうか、最高気温も20度に届かない
日が続き、外に出る時には長袖の上着が必要です。
コロナの新規感染者数はこのところずっと減少傾向で、会場での例会も、
もう今月は、事前に幹事さんと「どうしますか?」という打ち合わせもなく、
出向きました。
このクラスは、第36段「夕霧」に入って4回目。今日は国宝「源氏物語絵巻」
夕霧段に描かれている場面の所までを読みました。
一夜は共にしたものの、落葉の宮の強い拒絶に、根が真面目な夕霧は、
結局手出しできず退散する羽目となりましたが、明け方に出て行く姿を
御息所の加持祈祷に当たっている僧たちに目撃されたことから、話が
ややこしくなってしまいます。
律師に夕霧の朝帰りを告げられた御息所は、落葉の宮に真偽を質し
たいと、宮にお越しいただきました。でも、落葉の宮は「ものづつみを
いたうしたまふ本性」(ひどく内気なご性分)で、昨夜の出来事をきちん
と弁明できず、ただ恥ずかしいとばかり思っておられるので、母である
御息所も、可哀想に思い、追及することができません。落葉の宮には、
おそらく自分の意見を述べるという経験がなかったのでありましょう。
御息所は、人の口には戸が立てられぬことだから、いずれ世間の噂と
なるであろう。それなら夕霧に愛人扱いされるよりは、きちんと婿として
認めるほうが良策ではないか、と考え始めた矢先に、夕霧からの手紙
が届きます。
当時の結婚は、男が三夜続けて通って来てはじめて成立するものなので、
二日目の今夜、手紙だけ寄越して、本人は来る様子がないし、その手紙に
書かれているのも、昨夜の恨み節のような内容で、誠意が感じられません。
夕霧からすれば、何事もなかったのに二日続けて小野へ出掛けるのも、
却って見っともないと思って、逸る気持ちを抑えての選択だったのですが、
もちろんそんなことが御息所に伝わるはずはありません。
もうちゃんと筆も持てない体調でありながら、御息所は「女郎花しをるる
野辺をいづことて一夜ばかりの宿を借りけむ」(女郎花〈=落葉の宮〉が
嘆き萎れている野辺〈=小野の山荘〉を、一体どこだと思って一夜の宿と
なさったのでしょう)との歌を、直ぐには判読できないような乱れた文字で
書き、そのまま危篤状態に陥ってしまわれました。
御息所の歌は、今宵の訪れのないことを責めると同時に、続けて通って
くれるなら、この結婚を認める、という意思表示にもなっています。
そして、この手紙が夕霧の許に届くのですが、もう夜になっている上、文字
は乱れているとあって、夕霧は灯りを近くに引き寄せて読もうとします。それ
を雲居雁が「いと疾く見つけたまうて、はひ寄りて、御うしろより取りたまうつ」
(目ざとく見つけなさって、そっと近づいて、後ろから手紙を奪い取られました)
と、まさに国宝「源氏物語絵巻」夕霧段の場面となったのです。

室内で女君が立って歩くのは、はしたない行動とされて
いた時代で、雲居雁は慎みを欠いた姿を見せています。
襖を隔てて聞き耳を立てている女房たち。『家政婦は見た』
の世界ですね(古いですけど💦)。
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