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4回目のワクチン接種

2022年7月31日(日)

明日から8月。暦の上では秋も近づいておりますが、今は猛暑の真っ只中。
今日も数分歩いただけで、差していた日傘を畳もうとすると、「あっちー!」
と、びっくりするほど、熱くなっていました。

そんな炎暑の中でしたが、12:30に予約していたので、新型コロナ4回目
のワクチン接種に行って来ました。

そもそも4回目の接種には積極的になれずにいました。2回目、3回目の
副反応の辛さや、こんなに頻繁にワクチン接種をすることへの抵抗も
あって、感染状況が落ち着いていたら、4回目は申し込まずに、しばらく
様子を見てからにしよう、と思っていたのですが、このところの急激な
感染拡大に、基礎疾患持ちの高齢者が、そんな呑気なことを言ってる
場合じゃなかろう、という気にさせられました。

接種券を発送しました、という市からのお知らせメールが届いたのは7月
14日でしたが、25日になっても配達されません。去年の1回目の接種の
時のような焦る気持ちは全くありませんでしたが、それでも気になって、
お問い合わせ先に電話をしました。今回発送したのは1万通以上あり、
しかも郵便局でもコロナの感染で配達に支障が生じているとのこと。
それならその旨、再度メールで連絡してくれればいいのに、と思いました
が、「わかりました。でも、このような問い合わせは他にもありませんか?」
と訊いたところ、「沢山あります」という返事に、「お騒がせいたしました」
と言って、電話を切りました。

実際に配達されたのは28日。その日はオンラインがあったり、夜ブログを
書いたりしていたので、翌29日に、先ず、以前肺炎球菌のワクチン接種
を受けたクリニックに電話。ここは持病のために定期的にかかっている人
のみ対象だということで×。次に地元の総合病院に掛けてみましたが、
「もうこれからだと9月になるので、コールセンターやネットで受け付けて
いるところのほうが早く取れると思います」との返事でこれも×。

一番近い徒歩1分で行ける集団接種会場も、接種日は土、日だけで、8月
以降は、土曜日はモデルナ、日曜日はファイザー、とのこと。8日、15日、
22日は仕事があるので、副反応を考えるとその前日は止めておきたい。
ファイザーを選ぶとしたら28日。土曜日のモデルナなら、もう少し早くなる
だろうけど、より副反応が強いとされているモデルナにするのもなぁ(恐らく、
副反応は個人の体質に拠るもので、ワクチンの種類に大差はない、と
思ってはいるのですが)と、躊躇しながら、パソコンの予約画面にアクセス
しました。

すると、軒並み×がついている中で、なんと7/31の12時台に△(残り僅か)
のマークが!「えっ、何で空いてるの?」と不思議でしたが、これはもう「早く
打ちなさい!」ということだな、と思い、即予約を入れました。ちょうどこの
タイミングでキャンセルが出たのでしょうか。

接種後10時間近く経ちましたが、今のところ腕に少し痛みが出ている程度
で、目立った副反応は生じていません。問題は明日でしょうが、今日の内に
出来ることはやっておこうと思い、先程「ズッキーニの甘酢漬け」を作りました。
これは先日、訪問先のブログで拝見しての真似っこです。とても気に入って、
もう二度目です。

       ズッキーニの甘酢漬け
        ズッキーニはこれ迄、「夏野菜の揚げ浸し」や
        「ラタトゥイユ」など、必ず火を通していましたが、
        生でこんなに美味しく食べられるなんて、まさに
        「目から鱗」です。


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京の女君たちの返書

2022年7月28日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第24回・通算71回・№2)

今月のオンライン「紫の会」で読んだのは、第12帖「須磨」の、源氏が
須磨に退居してから2ヶ月ほどが経った五月雨の頃、京の女君たちに
手紙を送り、女君たちがそれに返事を書き送った、という箇所です。

源氏は須磨の暮らしが落ち着くにつれ、長雨の鬱陶しさも加わって、
京のことが懐かしく思い出されるばかりで、女君たちにも、ひたすら
「塩垂る」(涙にくれている)侘しい日々を嘆く歌を贈ったと思われます
(紫の上に贈った歌は具体的には書かれていませんが)。

それに対する、藤壺、朧月夜、紫の上の返歌です。

藤壺:「塩垂るることをやくにて松島に年ふる海士もなげきをぞつむ」
(涙に濡れるのを仕事にして、松島に年を送る尼の私も嘆きを重ねて
おります)

朧月夜:「浦にたく海士だにつつむ恋なればくゆるけぶりよ行くかたぞ
なき」(海辺で塩を焼く海士でさえ、恋は人目をはばかるものですから、
多くの人の目を憚らねばならない私の思いはくすぶり続け、晴らしよう
もありません)

紫の上:「浦人のしほくむ袖にくらべ見よ波路へだつる夜の衣を」(須磨
の浦で潮を汲む人の袖と、私の袖を比べて見てください。波路を隔て
お会い出来ず、夜々涙に濡れている私の衣ですので)

この三人の女君の歌を比べて見ると、藤壺の歌には、女としての源氏
に対する未練は感じられません。出家によって女を捨て、母として生きる
道を選んだ藤壺にとって、源氏不在の京で、東宮の将来に対する不安が
「松島のあまの苫屋もいかならむ須磨の浦人しほたるるころ(尼である
あなたは如何お過ごしでしょうか。須磨の浦にわび住まいする私は、涙に
くれておりますが)と詠んだ源氏と同じ嘆きとなって、共有されている感じ
がします。

朧月夜の場合は、中納言の君という朧月夜の女房との手紙の遣り取り
の中に同封するという形で交わされた秘密の手紙であるだけに、周囲の
厳しい視線の中で、源氏への思いに悶え苦しむ心情が、歌に正直に
吐露されています。これを読んだ源氏が「うち泣かれたまひぬ」(お泣き
になった)というのも、当然でありましょう。

紫の上だけは、純粋な愛に溢れる歌となっています。この三人の中で、
大手を振って妻と名乗れるのは紫の上だけで、涙に濡れる夜の衣、と
いった一人寝の侘しさを堂々と嘆くことが出来るのも、妻たる者の強味
です。それゆえ、源氏にはいっそう紫の上が不憫に思えるのでした。

この女君たちの返書につきましては、詳しくは先に書きました全文訳を
ご覧くださいませ(⇒こちらから)。


第12帖「須磨」の全文訳(12)

2022年7月28日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第24回・通算71回・№1)

コロナの感染者数は、ここへ来てもまだピークアウトの様相を見せず、
今日は東京都で初めて1日の感染者数が4万人を超えました。来月
には5万人を超えるとも言われていますが、このような予想は良い方
に外れてほしいものです。

今月のオンライン「紫の会」は、227頁・2行目~231頁・14行目迄を読み
ましたが、前半部分の全文訳は7/18に書きましたので(⇒こちらから)、
本日は後半部分(229頁・9行目~231頁・14行目)となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


藤壺も、東宮の将来を案じて思い嘆かれるご様子は、言うまでもありません。
源氏の君との前世からの因縁の深さをお思いになると、どうしていい加減な
お気持ちでいられましょうか。今までは、ただ世間の評判などが憚られて、
少し源氏の君に優しい素振りを見せたなら、それにつけて誰かが見咎める
のではないかと、そればかりを恐れて、ひたすら我慢なさり、源氏の君の
お気持ちも見て見ぬふりをなさって、取りつく島もない態度でいらしたけれど、
これほどまでに辛い世間の口にも拘わらず、全く二人の仲については、
誰も言い出すことも無くて済んだほどの源氏の君のなさりようも、思えば
一途な恋慕の情に走るだけではなく、一方では目立たないようにご自分の
心の内を隠しておられたことよ、と、しみじみ恋しく思い出されるのであり
ました。お返事も、少し心を込めて、
 「この頃はいっそう
 塩垂るることをやくにて松島に年ふる海士もなげきをぞつむ(涙に濡れる
 のを仕事にして、松島に年を送る尼の私も嘆きを重ねております)」
 
朧月夜からのお返事には、
 「浦にたく海士だにつつむ恋なればくゆるけぶりよ行くかたぞなき(海辺で
 塩を焼く海士でさえ、恋は人目をはばかるものですから、多くの人の目を
 憚らねばならない私の思いはくすぶり続け、晴らしようもありません)
 今更言っても仕方のないことはとても筆には・・・。」
とだけ、短いお便りで、中納言の君からの返書の中に同封してありました。
中納言の君からのお返事には朧月夜のお嘆きの御様子などが、あれこれ
書かれておりました。源氏の君は、朧月夜のことをいとしいとお思いになる
折々もあるので、お泣きになりました。

紫の上からのお手紙は、源氏の君が特に心を込めてお書きになったお便り
に対するお返事なので、しみじみと心打たれることが多く、
 「浦人のしほくむ袖にくらべ見よ波路へだつる夜の衣を」(須磨の浦で潮を
 汲む人の袖と私の袖を比べて見てください。波路を隔てお会い出来ず夜々
 涙に濡れている私の衣ですので)
と詠まれた歌をはじめ、お送りした品々の仕立て具合など、とてもこざっぱりと
綺麗に仕上がっておりました。紫の上が何事にも巧みでいらっしゃるのが、
思い通りであるにつけ、今は余計なことに気忙しくも無く、他に通わねばならない
女性も無く、落ち着いて紫の上と暮らせるはずだったのに、と、本当に残念で、
夜も昼も紫の上の面影が浮かんで、我慢できない程思い出されてならないので、
やはりこっそりと須磨へ呼び寄せようか、とお思いになります。でも、また思い
直して、どうしてそんなことが出来ようか。このような辛い現世において、せめて
前世からの罪滅ぼしをしようと、そのまま精進して、明け暮れ勤行に励んでおら
れるのでした。左大臣家からの、若君(夕霧)のことなどが書かれたお便りが
あるにつけても、とても悲しいのだけれど、いずれ再会の折もあろう、夕霧には
頼りになる方々がおいでになるので、心配はない、とお思いになるのは、むしろ
「子を思ふ道」に惑われないのでありましょうか。


今月の光琳かるた

2022年7月24日(日)

どうしてこんなにも早く日が過ぎ去って行くのか、と首を傾げたくなる程
で、今月も光琳かるたの更新が出来ないまま、残り1週間となってしまい、
慌てて今日、かるたの入れ替えをしました。

旧暦では7月は秋ですが、いくら何でもこの猛暑の中、秋の歌ではないと
思いますので、恋の歌が続きますが、今月は下記の歌を紹介いたします。

「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」
                       五十一番・藤原実方朝臣
     51番・藤原実方
    (こんなにもあなたに恋していると、どうして口にすることが
    できましょうか。だからあなたは知らないでしょうね。伊吹山
    のもぐさがいぶっているように燃えている私の思いの火を)

この歌は、上の句全体が下の句の「さしも」を起こす序詞となっていて、
とても訳し難い歌です。

作者・藤原実方もまた、美貌と才能に恵まれ、社交界の花形として、
多くの女性と交渉を持ち、もてはやされた平安中期の歌人の一人です。
しかしながら、藤原行成との確執が原因となって辺境・陸奥国に赴任
させられ、長徳4年(998年)その地で客死しました。

実方が陸奥守として左遷されることになった事件は、鎌倉中期の
教訓説話集『十訓抄』に、次のように書かれています。
 
大納言行成卿、いまだ殿上人にておはしける時、実方中将いかなる
憤か有けん、殿上にて参会て、いふ事もなく行成の冠を打落して、
小庭になげ捨てけり。行成少しもさわがずして、とのもり司をめして、
「冠取りて参れ」とて、冠して、守刀よりかうがいぬき取りて、びんかい
つくろひて居直りて、「いかなる事にて候ふやらん、忽ちにかうほどの
乱罰に預るべき事こそ覚え侍らね。その故を承りて後の事にや侍る
べからん」と、ことうるはしくいはれけり。実方はしらけてにげにけり。
折しも小蔀より主上御覧じて、「行成はいみじき者也。かくおとなしき
心あらんとこそ思はざりしか」とて、そのたび蔵人頭あきたりけるに、
多くの人を越えてなされにけり。実方をば中将をめして、「歌枕見て
参れ」とて、陸奥国の守になしてぞつかはされける。やがてかしこにて
失せにけり。(大納言行成卿が、まだ殿上人でいらした時、実方中将は
どのような憤りがあったのか、殿上で顔を合わせ、何も言わずに行成
の冠を打ち落として、小庭に投げ捨ててしまった。行成は少しも騒がず、
殿守司を呼んで、「冠を取って参れ」と命じて、冠を被り直して、守刀から
笄を抜いて鬢のほつれを直し居ずまいを正して、「どういうことでござい
ましょう、出し抜けにこのような乱罰を受けるはずの覚えはございません。
その訳を伺ってこの後のことを考えましょう」と、丁寧に言われた。実方は
しらけて逃げてしまった。折しも小蔀から一条天皇がご覧になっていて、
「行成は立派な奴だ。このように思慮深い心を持っているとは思わなかっ
た」とおっしゃって、その度蔵人頭に欠員が出たのに、多くの人を越えて
行成を任命なさった。実方には中将の職を召し上げて、「歌枕見て参れ」と
言って、陸奥国の守に任命して遣わしなさった。そのままその地で亡くなって
しまった。)

当時の男性貴族は、人前でけっして頭髪をあらわにしてはいけない、と
いう約束事があり、屋外であろうが、室内であろうが、正装時には冠を、
それ以外には烏帽子を着用していました。それを、しかも宮中という最も
神聖な場において、実方は相手に恥をかかせる行為に及んだのですから、
「短気は損気」だということでしょうか。


匂宮と浮舟の恋の始まり

2022年7月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第232回)

コロナの感染者数の急増に歯止めがかからず、今日は東京では2万
人を超え、ここ神奈川でも1万人を超えました。第7波が大波となって
押し寄せて来ています。

また対面講座の難しい状況になってまいりましたが、このクラスは、
4月に会場での再開が出来た時、保険のつもりで、オンラインでも
可能なように一応準備しておきましょう、とお話しました。保険という
ものは、どんな場合でも、使わずに済めばそれに越したことはなく、
湘南台クラスも会場で順調に読み進められれば、それが一番だと
思っていましたが、今月はその保険のオンラインの出番となりました。

本日、オンライン講座にご参加頂けなった方には、レコーディングした
ものを、後日CDに書き込んで、お廻しいたします。

このクラスは第51帖「浮舟」を講読中ですが、いよいよ匂宮と浮舟が
結ばれて、物語が新たな展開を迎えるところに入りました。

薫が宇治に囲っている女が、あの二条院で偶然に見かけ、手に入れ
損ねた女だと知った匂宮は、無理な算段をして宇治に出掛け、格子の
穴の開いている所から中の様子を垣間見て、あの時の女であることを
確認しました。

ここからが恋の道に長けた匂宮の見せどころです。実に巧みに薫に
成りすまし、右近(浮舟の女房)に浮舟の許へと導かせました。

浮舟が最初から匂宮だとわかっていれば、逃れる術もあったでしょうが、
薫ではない別の男だと気づいたのは、時既に遅し、でした。

夜が明けても、また宇治を訪れることの難しさを思うと、「京にはもとめ
騒がるとも、今日ばかりはかくてあらむ、何ごとも生ける限りのためこそ
あれ
」(たとえ京で、匂宮行方不明と探され大騒ぎされようと、今日は
こうして宇治でこの女と過ごそう、何事も、生きている間だけのことなのだ」
と、右近に上手く取り繕うようお命じになったのです。

体面を重んじ、実行に移す前にあれこれと思案する薫と異なり、他事を
顧みること無く、一途に突き進む匂宮に、浮舟は心惹かれ始めます。

前述の「何ごとも生ける限りのためこそあれ」というのには、引き歌があり、
「恋死してしまったら逢いたくても逢えず、生きている間に逢わなくては
何の意味も無い」と、ここではもちろん恋について言っているのですが、
コロナ禍となって2年半、どんなに長くとも、もう何十年も残されてはいない
自分の人生と照らし合わせた時、「そうよね、何事も生きている間のこと
だわ(恋の意味はありません・・・断るまでもない?)」と、これまで読んだ
時には抱くことのなかったしみじみとしたものを感じました。


京の女君たちへ文を書く

2022年7月18日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第24回・通算71回・№2)

源氏が京から須磨へと向かったのは、3月20日過ぎでした。それから
約2ヶ月が経ち、季節は五月雨(今の梅雨)の頃となっています。

暮らしも次第に落ち着いてきて、しかも物思いを誘う雨の日が続くと、
源氏は自然と京を懐かしむようになり、恋しい女君たちに手紙を書いて、
それを使者を出して京へと届けさせたのでした。やはり、源氏にとって
恋しく思われる筆頭は、紫の上と藤壺で、この二人に対しては「書きも
やりたまはず、くらされたまへり」(思いを存分に書き綴ることもできず、
涙にくれておられました)とあります。

藤壺と朧月夜への手紙は本文に記されているのですが、紫の上への
手紙の内容は語られていません。ただ源氏からの文を見て、起き上がる
こともできず、悲しみに沈んで源氏を恋い慕っている紫の上の様子が
書かれているだけです。おそらく、源氏は須磨での一人侘しい暮らしの
日々を嘆き、紫の上をどんなに恋しく思い、逢いたいと思っているかを、
誰に対してよりも訴えていたのでありましょう。他に頼れる人も無く、
一人京に残された紫の上にとっては、その手紙はいっそう孤独感を
増長させるものだったと思えます。そんな紫の上の姿を見て、「ゆゆし」
(不吉だ)と感じた少納言の乳母は北山の僧都に祈祷をお願いした程
でした。

今日読みましたところの後半では、藤壺、朧月夜、紫の上の返歌など
が記されておりますので、それらのことは、第4木曜日(7/28)のクラス
のほうでご紹介したいと思います。

本日の記事につきましては、先に書きました全文訳(⇒こちらから
にて詳細をご覧くださいませ。


第12帖「須磨」の全文訳(11)

2022年7月18日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第24回・通算71回・№1)

先月の今頃は、これくらいの感染者数なら、気をつけながらwithコロナで
行くしかないのかな、と思っておりましたが、今月に入ってからの急増には
また会場での再開も難しくなり始めています。いつまでコロナに振り回され
ねばならないのでしょうか。

本日のオンライン「紫の会」は、227頁・2行目~231頁・14行目迄を読み
ましたが、これはその前半部分(227頁2行目~229頁・8行目)の全文訳
です。後半部分は、第4木曜日(7/28)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


次第に暮らしも落ち着いてくると、五月雨の季節となり、京に思いを馳せ
なさると、恋しい人が多く、紫の上が悲しみに沈んでおられたご様子や、
東宮のこと、夕霧が無心に走り回っておられたことなどをはじめ、あちら
こちらの方々を思い遣りなさっています。

京へ使者をお出しになりました。二条院の紫の上へ差し上げなさるのと、
藤壺へのお手紙は、はかばかしくもお書きになれず、涙にくれておられ
ました。

藤壺には、
「松島のあまの苫屋もいかならむ須磨の浦人しほたるるころ(尼である
あなたは如何お過ごしでしょうか。須磨の浦にわび住まいする私は、涙に
くれておりますが)いつとは限らず、常に嘆いております中にも、この頃は
特に、過去未来のことを思って悲しみにくれ、涙が勝るばかりでございます」
  
朧月夜の許には、例によって中納言の君への私信のようにして、その中に、
「所在無く過ぎ去った昔のことが思い出されるにつけても、
こりずまの浦のみるめのゆかしきを塩焼く海士やいかが思はむ(性懲りも
なく、あなたにお逢いしたいと思いますが、塩焼く海士はどう思うことでしょう)」

様々に心を込めてお書きになったお言葉を、想像してくださいませ。

左大臣家にも宰相の乳母に宛てて、若君(夕霧)のお世話についての留意点
などを書いて送られました。

京では、源氏の君からのお手紙を、それぞれにご覧になって、お心を乱される
方々ばかりが多いのでした。二条院の紫の上は、お便りをご覧になったまま、
起き上がることもなさらず、尽きせぬ悲しみに沈んで、源氏の君を恋い慕って
おられるので、お仕えする女房たちも、お慰め申しかねて、互いに心細く
思っておりました。

源氏の君が日頃お使いになっていたお道具類、いつも弾いておられた御琴、
脱ぎ捨てなさったお召し物の匂いなどにつけても、今はもう源氏の君がお亡く
なりになってしまわれたかのようにお嘆きになるので、一つにはそれが縁起
でもないので、少納言の乳母は、北山の僧都にご祈祷のことなどを依頼申し
上げました。

僧都はお二人のために、御修法などをおさせになります。一つは源氏の君の
ご無事を、もう一つは、紫の上がこのようにお嘆きになる御心を静めなさって、
物思いの無い身の上にして差し上げてください、と、紫の上を不憫に思われる
ままに、仏様にお祈りをなさるのでした。

紫の上は、源氏の君の旅先での夜着などを整えて差し上げなさいます。縑の
直衣や指貫が、これまでとは打って変わった心地がするのも辛いのに、
源氏の君が「去らぬ鏡」とおっしゃったその面影が、本当に身に添うように感じ
られるのも、ご本人はいらっしゃらないので、何の甲斐もないことでした。

源氏の君が出入りなさった辺りや、寄りかかっておられた柱などをご覧になる
につけても、胸が塞がるばかりで、物事をいろんな側面から考え巡らす、世間
の経験を十分に積んだ年齢の人でもそうであるのに、ましてや紫の上は、
源氏の君に慣れ親しみ申し上げ、源氏の君も、父母代わりとなってお育てに
なって来られたので、紫の上がこれ程まで恋しく思いなさるのも無理のない
ことでありました。死別と言った場合なら、仕方のないことで、次第に忘れると
いう事もありましょうが、須磨は耳にする距離としては近いけれど、いつまで
と期限の決まったお別れでもないので、思えば思うほど、悲しみは尽きない
のでした。


清少納言の男性観

2022年7月15日(金) 溝の口「枕草子」(第42回)

『枕草子』も会場での講読会は、2020年の2月を最後にずっと休講
となっていました。その間にオンラインクラスを立ち上げ、こちらは
既に昨年8月に読了しております。

再開が決まった6月頃は、コロナの感染者数も減少していたので、
何も心配はしていなかったのですが、今月に入ってから、あれよ
あれよという間に激増して、東京ではもう一日の感染者数が2万人
に近づいています。それでも中止という話は出なかったので、この
クラスも予定通り、2年5ヶ月ぶりに例会を行いました。 

『枕草子』は『源氏物語』のように話が続いているものではないので、
講読にはすんなりと入ってゆけました。

今日は第245段から第255段までを読みましたが、その中の248段
と250段に、作者の男性観を窺い知ることができます。

248段では、先ず一人の無神経な男の話が紹介されます。

中央官僚の人事にも大きな権限を持っている有力者の家の婿と
なった男が、僅か1ヶ月もろくろく通って来ず、縁が切れてしまった
ので、妻側である権力者の家には恨みが残ることとなりました。
ところが翌年の春の司召で、この薄情な男が蔵人(天皇の側近)に
任命されたので、世間でも「まさかの人事だ。お舅さん、心の広い方
ねぇ」と噂されたのでした。

その後、法華八講の場で、この男が元妻の牛車のすぐ傍に立って
居たので、「つれなくゐたりしものかな」(あの男は、よくまあ平気で
居たものだわね」と、後々までも噂され、作者も「なほ、男は、ものの
いとほしさ、人の思はむことは、知らぬなめり」(やはり、男は、思い
やりとか、人の思惑とかに、気づかないのでしょう)と記しています。

これを受けて250段では、「男ってわからないことをするものだ」として、
美人を捨ててブスな女を妻とする男は理解に苦しむ、と言っています。
特に名家の子息なら、高い理想を持って妻を選ぶべきで、女の目から
見ても、つまらないと思う女に恋をするのは、どうなってるの?と首を
傾げたくなる、と持論を述べています。

傍目には理想的な妻の家には寄り付かず、他の女の所へ通ったりする
男にはむかっ腹が立つ、と不快感を示す作者ですが、248段に書かれた
男もその部類だったのでしょう。


「薄二藍」の色が持つ意味

2022年7月11日(月) 溝の口「紫の会」(第57回)

先月の例会時(6/13)のブログには、「コロナの感染者数も、ここ1ヶ月は
減り続けており、東京でも新規感染者数が約5ヶ月ぶりに1,000人を下回
ったと、ニュースで報じておりました。この傾向、ずっと続いて欲しいもの
です」と記しています。1ヶ月後の今は、急速に増え続けて今週は1万人
を超えると思われます。折角再開できた会場での例会が、また行えない
状態とならないよう、祈っている毎日です。

「紫の会」の会場クラスも、今回で第10帖「賢木」を読み終え、次の「花散里」
のアウトラインのお話までしました。

今日読んだところは、「賢木」の巻の第4のポイント「朧月夜との密会の発覚」
です。ここで弘徽殿の大后の怒りはMaxに達し、源氏は窮地に追い込まれた
のでした。

この場面の内容につきましては、昨年10月にオンラインクラスで読んだ時
に紹介しておりますので(⇒こちらこちら)、今日は、ちょっと余談的では
ありますが、この密会発覚時に源氏が着ていた直衣の色について触れて
おきたいと思います。

右大臣が二人の密会に気づくきっかけとなったのは、朧月夜の着物に源氏
の直衣の帯が絡まっているのが目に留まったからでした。その帯の色が
「薄二藍」となっています。帯と直衣は同色なので、この時源氏が着用して
いたのは薄二藍の直衣、ということになります。

「二藍」というのは、二つの「藍」(蓼藍と呉藍〈紅〉)で染めた色のことで、染料
の配合によって、色は無限といっていいほど様々に存在します。若年程紅の
比率の高いものを着て、年齢や官位が上がるに伴い、蓼藍の比率が上がり、
やがて縹(藍染め)へと色目が移行してゆきます。第33帖「藤裏葉」で、夕霧が
雲居雁との結婚を許され、内大臣家の婿となる際、源氏は二藍の直衣では
重みに欠けると助言して、自分の縹の直衣を夕霧に与えています。この時の
夕霧は18歳、源氏は今25歳で既に右大将の地位にあります。もはや二藍の
直衣を着る若者ではないはずなのですが、敢えて作者がここで薄二藍(薄目
の色合いの二藍)としたのは、この常軌を逸した夜な夜なの密会の結果の
場面には、分別臭い縹色よりも、薄二藍のほうが似合っていると考えたから
でありましょう。


2年5ヶ月ぶりの対面講座

2022年7月8日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第159回)

出かける支度をしている時に、安倍元首相が銃弾に倒れた、とニュース
で知りました。驚きながらも、今日はコロナ禍になってから一度も会場での
対面講座が行えず、ようやく2年5ヶ月ぶりに再開、という溝の口のクラス
の例会日だったので、そのまま出かけましたが、夕方帰宅して間もなく、
安倍氏の死去が報じられました。

人が人の命を奪うことは、決して許されないことです。殺人は人の心を
失ってしまった者のする行為だと思います。白昼の日本で、こんな事件が
起こったことに衝撃を受け、今もまだ気持ちがざわついています。

溝の口での対面講座を行っている間は、とても満たされていました。
2年5ヶ月ぶりでも、どなたも全くお変わりなく、再会を喜び合い、すぐに
以前の感覚に戻って、講読会を進めることができました。オンラインも
悪くありませんが、やはりこの生の空気には替え難いものがありますね。

講読箇所はオンラインクラスと同じで、中の君を匂宮に譲った事を、その
経緯を振り返りながら後悔している薫が、眠れぬ夜を明かし、朝顔の
花開くのを見て、それを手折り、二条院の中の君を訪ねる、という所迄を
読みました。

7/6の記事(⇒こちらから)に続く薫の思いとなりますが、薫は匂宮が
二条院へと中の君を引き取ってまだ半年なのに、夕霧の六の君を正妻
として迎えようとしていることに、腹立たしさを感じています。でもここで
草子地が入ります。「わがまことにあまり一方にしみたる心ならひに、
人はいとこよなくもどかしく見ゆるなるべし」(ご自分が本当にあまりにも
お一人のことに執着する性癖なので、匂宮のことをこの上なく非難したく
なるのでありましょう)と。ここでの「一方(ひとかた)」とは、もちろん大君
を指しています。

今、薫が中の君と結婚しておけば良かった、と思うのも、中の君が大君
の「御ゆかり」(血を分けたお方)だからで、のちに浮舟に心惹かれるのも、
大君によく似ていたからで、浮舟自身に魅力を感じたからではありません。

匂宮は、中の君自身に、浮舟自身に、愛を注ぎます。その違いというもの
をしっかりと掴んで、この先の物語を読んでゆきたい、と思います。


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