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「白彼岸花」と「Y1000」

2022年9月30日(土)

明日からは10月。「おせち料理」の予約案内があちらこちらで目に
付くようになり、もう一気に年末に向かって走り出しそうです。

最近、訪問先のブログでよく見かけるのが「金木犀」と「彼岸花」。
どちらも秋を象徴する植物ですね。

その中で気になったのが、今年の白彼岸花が少し黄味がかって
艶が足りない、と書かれている四国にお住いのブロ友さんの記事
でした。

昨年、ちょっと離れた百均に行こうとして、間違って遠回りをした時、
真っ白な彼岸花が咲いているのに目を奪われました。で、今年も
去年と同じように真っ白に咲いているかしら?と、昨日、そこまで
散歩してみました。

するとどうでしょう、やはり少し黄味がかっているのです。既に一部
が枯れており、盛りを過ぎていたせいもありましょうが、四国でも
同じ現象が見られるということですし、何か今年の気象などが影響
しているのかな?とも思いながら、スマホを向けて、いつもながら
下手な写真を撮ってきました。

        彼岸花①


これも別のブロ友さんが書いておられた記事で知った「Y1000」です。
普段スーパーでもヤクルトの売り場に立ち寄ることはないのですが、
長年不眠症に悩まされ、睡眠導入剤のお世話になっている私としては、
キャッチフレーズの「睡眠の質向上」に引かれ、少しでも効果があれば、
と思って探してみました。案の定、いつ行っても「品切れのおわび」の
札が出ており、その横には「1家族1パックまで」と書き添えてあります。
なるほど、人気商品なのだ、と納得しましたが、先日、台風が接近中
の時間帯に買い物に行ったら、1パックだけ残っていました。さっそく
飲み始めて、もう残り1本です。

    ヤクルト1000
    昨夜飲まなかったら、眠りが浅くて、一度目が覚めて
    しまうと寝付けない状態となりましたので、やはり効果
    があるのかな?いや、薬ではないのだから、1パックで
    そこまでは?でしょうね。


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匂宮と六の君の結婚

2022年9月26日(月) 溝の口「湖月会」(第161回)

昨日、今日と二日続けて秋らしい晴れ渡った青空のお天気と
なりました。外に出した洗濯物がすっきりと乾くのは気持ちの
良いものですね。

オンラインクラスと、第2金曜日のクラスと、この「湖月会」の
3クラスは同じところを読んでおりますので、ブログ記事も
講読箇所の前半、中盤、後半からそれぞれ紹介するように
しています(上手く分散できないこともあるでしょうが)。

今月は第49帖「宿木」で、いよいよ匂宮と夕霧の六の君との
結婚当日の場面を読みました。中の君に対して心苦しさを
覚えながらも、匂宮は六の君の待つ六条院へと出掛けて
行きました。

中の君とは愛で結ばれましたが、六の君とは政略結婚です。
匂宮は「ものものしくあざやぎて、心ばへもたをやかなるかた
はなく、ものほこりかになどやあらむ」(しっかり者で気が強く、
気立てもおっとりとしたところがなく、気位の高い女なのでは
なかろうか)と、危惧しておられましたが、そんなお人柄では
なく、匂宮は六の君にも「御心ざしおろかなるべくもおぼされ
ざりけり」(ご愛着もひとかたならぬ思いがなさったのでした)。

六の君は21、2歳になっています。当時としてはかなり晩婚
ですが、それだけに成熟した女の魅力に溢れていることも、
匂宮を満足させる要因となりました。秋の夜長とはいえ、
中の君のところでグズグズしておられたので、お越しになった
のはもう夜も更けてからでしたが、それにしても「ほどなく
明けぬ」(あっけなく夜が明けた)というのは、何よりも匂宮が
六の君をお気に召した、という証拠でありましょう。

源氏が末摘花と初めて逢った時は、夜深いうちに退散して
しまっています。末摘花があまりにも期待外れで、夜が長く
感じられ、明けて来るまで我慢していられなかったからです。

誰でもそうだと思います。今だって、病院で受診の順番待ちの
ような時間はすごく長く感じられるし、仲良しランチでお喋りに
興じているような楽しい時間は、あっという間に経ってしまう
ではありませんか。

この六の君の生母・藤典侍は、源氏の腹心の家来である惟光
の娘です。匂宮の母は源氏の娘・明石中宮です。源氏と惟光、
孫の代になってもこうして繋がりが保たれているのですね。


今月の光琳かるた

2022年9月24日(土)

このところずっと下旬になっている「光琳かるた」の入れ替えですが、
今月もまたこんなに遅くなってしまいました💦

昨日がお彼岸のお中日で、さすがに猛暑も鳴りを潜め、夜などは
窓を開けていると涼しすぎるくらいになりました。先月はまだ秋の
歌を取り上げること抵抗を感じる暑さでしたが、今月はこの歌に
相応しい季節となっております。

「夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く」
                     七十一番・大納言経信
   光琳かるた・71番経信
   (夕方になると、門田の色付いた稲葉を秋風が訪れて、
   さらさらと音を立てて蘆吹きの小屋に吹き付けている)

『金葉和歌集』では、次のような詞書が書かれています。
「師賢朝臣の梅津の山里に人々まかりて、田家ノ秋風といへること
をよめる」(源師賢の梅津の山荘に人々が集って、「田家ノ秋風」と
いう題で詠んだ歌)

この歌の作者「大納言経信」も、詞書にある「師賢朝臣」も、宇多天皇の
第8皇子・敦実親王を祖とする「宇多源氏」に属します。宇多源氏には
詩歌管弦の道に優れた人が多く、経信も師賢も、その道の第一人者と
して認められておりました。経信は桂に別荘があり、「桂大納言」とも
呼ばれていましたが、師賢の山荘があった梅津とは距離的にも近く、
二人は山荘における風雅な生活を共有していたのだと思われます。

皆さまは「三舟の才」と聞くと、誰を思い浮かべられますか?おそらく、
あの『大鏡』で最も有名な道長の大堰川逍遥の段の、「藤原公任」では
ないでしょうか。でも平安時代には、もう一人「三舟の才」と言われた人
がおりました。それが、この大納言経信です。下記の逸話は『十訓抄』、
『古今著聞集』、『袋草紙』のいずれにも載っていて、当時は公任と
並び称されていたようです。

白河天皇が大堰川に行幸された際、漢詩・和歌・管弦の三つの舟を
川に浮かべ、その道に優れた人をお乗せになりました。ところが、
経信卿が姿を見せなかったので、帝のご機嫌がたいそう悪くなった
ところへ、しばらく遅れて経信卿は参上しました。漢詩でも、和歌でも、
管弦でも、どの道にも通じている経信卿は、岸辺に膝まづいて「おーい、
どの舟でも構わないから漕ぎ寄せてくだされ」と言いました。その場に
於いては、これほど誇らしく、見事な振る舞いはありませんでした。尤も、
そのように言わんがために、わざと遅参したとも言われています。
この時経信卿は、管弦の舟に乗って、漢詩と和歌を献じたのでした。


五節の君との贈答

2022年9月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第26回・通算73回・№2)

オンライン「紫の会」は、第12帖「須磨」の終盤に近づくあたりまで
読み進んでおります。

数人の供人たちと、須磨にて侘しい日々を送っている源氏ですが、
任期を終えた大宰の大弐が、船路にて上京の途次、須磨の浦を
通りかかります。

大弐の娘の一人は、嘗て「五節の舞姫」を務め、おそらくその折に
源氏に見染められたのでありましょう。在京の頃は、源氏の恋人の
一人でした。

「五節の舞姫」というのは、毎年「新嘗祭」(御代替わりがあった年は
「大嘗祭」)の「豊明の節会」で、公卿から二人、殿上人・国司から二人
(「大嘗祭」の年は三人)、召されて舞姫を務める少女のことです。

第11帖「花散里」で、中川の女に歌を贈ったものの、色よい返事が
貰えなかった源氏が、「かやうの際は、筑紫の五節がらうたげなりし
はや(これ位の身分の女としては、筑紫の五節が可愛気があったな」
と、真っ先に思い出しておりました。「かやうの際」とは、受領階級と
いうことになりますね。

父・大弐は、息子の筑前守を使者として、源氏に手紙を遣わしました。
須磨という風情ある海岸で、風に乗って微かに聞こえてくる源氏の
奏でる琴の琴の音。このまま通り過ぎるのは忍び難く、無理な算段を
して、五節は源氏に歌を贈ったのでした。

「琴の音にひきとめらるる綱手縄たゆたふ心君知るらめや」(琴の音に
引き留められている私の、綱手縄のように揺れ動いている心をあなた
はご存じでしょうか)

通常、恋文というのは男性が先に贈るものですので、女性のほうから
このような歌が届き、源氏も悪い気がするはずもありません。しかも
今も好意を持っている相手なのですから。

「心ありて引き手の綱のたゆたはばうち過ぎましや須磨の浦波」(本当
に私を思う気持ちがあって心が揺らぐのでしたら、通り過ぎてしまって
よいのですか、この須磨の浦を)

と、源氏は返事をしたためられました。伊勢の六条御息所との贈答も
そうでしたが、源氏はこうした手紙の遣り取りにおいて、女性のハート
を摑む巧みさが抜群です。作者の紫式部は女性でありながら、男性の
詠む作中歌に長けているなぁ、と思います。

受け取った五節が「落ちとまりぬべくなむおぼえける」(もうここに一人
留まってしまいたい)と思ったのは、当然ですよね。

9月のオンライン「紫の会」の講読箇所の全文訳は、前半は(⇒こちらから)、
後半は(⇒こちらから)どうぞ。


第12帖「須磨」の全文訳(16)

2022年9月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第26回・通算73回・№1)

9月は木曜日から始まったので、第3月曜日と第4木曜日が同じ週に
なりました。全文訳も続いて書いている感じがします。

今月のオンライン「紫の会」は、237頁・12行目~242頁・12行目迄を
読みましたが、その前半部分の全文訳は9/19に書きましたので
(⇒こちらから)、今日は後半部分(240頁・8行目~242頁・12行目)
となります。(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


月がたいそうはなやかにさし昇っているので、今夜は十五夜だったなぁ、
と思い出されて、殿上での管弦の遊びが恋しく、あちらこちらの女君が
この月を見て、物思いに耽っておられるであろうと、都を思い遣りなさる
につけても、源氏の君は月の顔をじっと見つめておられるのでした。

「二千里の外の故人の心」と、口ずさみなさると、家来たちはいつもの
ように涙を禁じえません。藤壺が「霧や隔つる」とおっしゃった時のこと
などがどうしようもなく恋しく、折々のことを思い出しなさって、声を上げ
てお泣きになります。「夜が更けました」と申し上げますが、源氏の君は
そのままお入りにはなりませんでした。
 
「見るほどぞしばしなぐさむめぐりあはむ月の都は遥かなれども」(月を
見ている間は、しばらくでも心が慰められる。再び都に帰れる日は遥か
先ではあるけれども)

その夜、帝がたいそう打ち解けて昔の思い出話などをなさったご様子が、
桐壺院に似ておられたのも恋しく思い出しなさって、「恩賜の御衣は今
ここにあり」と口ずさみながら、奥にお入りになりました。御衣は本当に
肌身離さず、お傍に置いておられました。
「憂しとのみひとへにものは思ほえでひだりみぎにもぬるる袖かな」(帝に
対してただ辛いとばかりは思えなくて、懐かしさと辛さに、左右の袖が
それぞれ涙で濡れることよ)

その頃、大宰の大弐は上京しました。たいそうな勢いで、一族も多く、娘
が沢山いて、陸路は大変だったので、北の方一行は船で向かいました。
浦づたいに遊覧しながら上ってくるのですが、須磨の浦は他よりも風光
明媚な辺りなので、心惹かれる場所ですが、源氏の君がこうしてお暮らし
だと聞くと、無駄なことなのに、洒落っ気のある若い娘たちは、船の中に
いても緊張して、自然と身構えるような気分になっているのでした。

ましてや五節の君は、このまま通り過ぎるのも残念だと思っているところ
へ、琴の琴の音が風に乗って遥かに聞こえてくるので、場所柄、源氏の君
のご境遇、琴の琴の音の心細さなどが一緒になって、情趣を解するものは
皆泣いておりました。大弐は源氏の君にお手紙を差し上げました。
  
 たいそう遥かな地より上京いたしました暁には、何はさておきお伺い 
 申し上げて、都のお話などを承りたいと思っておりましたが、思いの外に、
 かうしてあなた様がお住まいのお宿を素通りいたしますのも、勿体なくも、
 悲しくもございます。旧知の者で、親しい誰それが、迎えに出向いて来て
 大勢おりますので、身動きも取り難くお立ち寄り申し上げるのも遠慮いた
 さねばならぬことでございます。また改めて参上させていただきましょう。

などと申し上げました。息子の筑前守が持参いたしました。この筑前守は、
源氏の君が蔵人に引き立てて目をかけておやりになった者なので、何とも
悲しく思っております。そうは思っても、他に人目も多いので、外聞を憚って、
長居をすることもできません。源氏の君は筑前守に、「都を離れてから、
昔親しかった人たちと会うことも困難になるばかりだが、こうしてわざわざ
立ち寄ってくれたとは」、とおっしゃいます。大弐への返書にもそのように
お書きになりました。

筑前守は泣きながら戻って来て、源氏の君のご様子を父に話しますと、
大弐をはじめ、迎えに来た人々も、皆不吉なほどに激しく泣いたのでした。
五節の君は、手立てを講じて源氏の君にお手紙を差し上げました。
「琴の音にひきとめらるる綱手縄たゆたふ心君知るらめや(琴の音に
引き留められている私の、綱手縄のように揺れ動いている心をあなたは
ご存じでしょうか)出過ぎた真似も、どうぞお咎めにならないで」
と申し上げました。源氏の君はそれをにっこりとほほ笑んでご覧になり
ます。そのお姿は、こちらが恥ずかしくなるほどのお美しさでござい
ました。

源氏の君からのお返事には、
「心ありて引き手の綱のたゆたはばうち過ぎましや須磨の浦波(本当に
私を思う気持ちがあって心が揺らぐのでしたら、このまま通り過ぎて
しまわれるのですか、須磨の浦を)漁師になろうとは思いもしなかった
ことですよ」
と、書かれておりました。昔、宿場の長に、詩句を詠んでお与えになった
人もありましたが、五節の君は、ましてやお手紙を戴いて、ここに一人
とどまってしまいたい、と思うのでした。


二人の奏でる不協和音

2022年9月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第234回)

台風一過の青空が広がり、薄い羽織物が欲しいほど、涼やかな
秋の一日となりました。なるほど、「暑さ寒さも彼岸まで」とは
よく言ったものだと思います。

7月、8月とコロナの第7波が押し寄せて来たため、このクラスは
オンラインでの講読会となりましたが、今は感染者数も減少して
おりますし、今日は3ヶ月ぶりに会場での例会に戻りました。

第51帖「浮舟」の序盤から中盤に掛かるあたりを読んでいます。
何度読んでも、読み応えのある場面の連続となっているところ
です。

薫に成りすまして浮舟と契りを交わした匂宮は、二夜を浮舟と
共にし、二条院に戻られてからも、体調が悪くなるほど、今や
すっかり浮舟の虜になっておられるのでした。

やがて2月になり、新年の行事も一段落したところで、薫が久々に
宇治を訪れました。

浮舟は薫に対して気が引けて恐ろしくさえあるのに、一方では自分
にあれ程情熱を傾けてくださった匂宮の姿が、つい思い出されて
しまうのでした。目の前の薫は折り目正しく、女が末長く頼れるのは
このような方なのだ、とわかるだけに、匂宮に傾く自分の気持ちを、
「いとあるまじく軽きこと」(実にあってはならない軽はずみなこと)と
思い、また、匂宮とのことが知られて、薫にも嫌われてしまったら
どんなに心細い状態になってしまうことか、と様々に思い乱れて
おりました。

そんな浮舟を、薫は「月ごろにこよなうものの心知り、ねびまさりに
けり」(しばらく会わないでいた間に、すっかりものの情趣がわかる
ようになり、女として成長したなぁ)と、嬉しく感じていたのです。

匂宮に靡いてはいけない、と思う傍から匂宮の面影が浮かんでくる
のが、我ながら情けなく泣き出してしまった浮舟を、薫は自分の訪れ
が無いのを恨んで泣いていると誤解して慰めるという、何ともちぐはぐ
な光景が繰り広げられます。二人で夕月夜(月初めの月)を眺め
ながらも、薫は亡き大君のことを偲び、浮舟はこの先二人の男性の
間で苦しむことになるであろう嘆きが加わって、「かたみにもの思はし」
(互いに物思いに沈んでいる)のでした。

二つの音が調和せず、不協和音を聴かされているような場面です。
これからの展開に不安を感じさせる効果は満点ですが・・・。

次回はいよいよ浮舟の巻の(「宇治十帖」全体の、と言うべきかも
しれません)クライマックスを読むことになります。


右近の尉の選択

2022年9月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第26回・通算73回・№2)

『源氏物語』第二部までの主人公は、言うまでもなく光源氏ですが、
その源氏を支える脇役たちも、見逃せない存在です。

只今「紫の会」が講読中の第12帖「須磨」では、源氏の腹心の家来、
と呼べる者だけが、一緒に下向してきています。常に4、5人ほどの
従者が源氏の傍に控えている、とありますが、主だった者は、今回
読んだところで、源氏と唱和している三人かと思われます。

一人は乳母子の惟光。源氏が何かにつけ一番頼りにしているのは、
やはりこの惟光でしょう。次に良清。播磨守の息子で、「若紫」の巻
で、変わり者の明石の入道とその娘の話を源氏にして聞かせたのも
良清でした。この二人が、迷いなく源氏に従い須磨に来ているという
のは、ごく自然な成り行きと受け止めることが出来ます。

三人目の右近の尉、となると、別の選択肢もあったことが、読者にも
知らされます。

「親の、常陸になりて下りしにも誘はれで、参れるなりけり」(父親が
常陸介になって下向した際にも同行せず、源氏の供をして須磨へと
やってきたのでした)。この父親というのは、空蝉の夫です。「帚木」
~「空蝉」の巻で登場した、紀伊守の弟、軒端の荻の兄に当たります。

以前より源氏に心酔しており、あの葵の上と六条御息所の従者同士
が車争いを起こした斎院の御禊の日の行列にも、源氏の随身役で
参加していましたし、須磨へと出立する前の桐壺院の御陵への参拝
でも、源氏に随行しておりました。

今、彼の一族は、世間の例に漏れず右大臣方に遠慮して、源氏と
距離を置いています。そんな中で、右近の尉は官位を剥奪されても
源氏と行動を共にする道を選んだのでした。

のちに源氏が京に戻り、政治の中枢を担うようになった時、右近の尉
は当然引き立てられることとなりました。紀伊守や空蝉の弟の小君は、
不遇時代の源氏に誠意を示さなかった自分を後悔することになりまし
たが、それはあくまで結果論です。

須磨での右近の尉は、「下には思ひくだくべかめれど、ほこりかにもて
なして、つれなきさましありく」(内心では思い悩んでいるようでしたが、
元気よく振舞って、何気ない様子で日々を過ごしている)のでした。
この一文にも、作者の深い人間観察が窺えますね。

本文の詳しい内容は、先に書きました「全文訳(15)」をご覧頂ければ
と存じます(⇒こちらから)。


第12帖「須磨」の全文訳(15)

2022年9月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第26回・通算73回・№1)

台風14号が関東へ最接近するのはこれからですが、もう今朝から時折、
ものすごい雨が降ったり止んだりを繰り返して夜を迎えました。今は風の
音がゴーゴーと鳴っておりります。

今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、237頁・12行目~243頁・12行目
迄ですが、今日の全文訳はその前半部分(237頁12行目~240頁・7行目)と
なります。後半部分は、第4木曜日(9/22)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


ほんに、この者たちはどのように思っていることだろう。私一人のために、親、
兄弟、片時も離れ難く、それぞれにつけて大切に思っている家族を捨てて、
このようにさまよっていることを、とお思いになると、たいそう不憫で、自分が
ひどくこのように思い沈んでいる様子を、この者たちが心細いと感じている
だろうとお思いになるので、昼間は何かと冗談を言って気を紛らわし、退屈
なのに任せて、様々な色の紙を継ぎ合わせて、古歌などのすさび書きをなさり、
珍しい唐の綾織物などに、様々な絵などを気の向くままにお描きになった
屏風の面なども、とても素晴らしく、見所がありました。

かつて人々が語ってお聞かせした海山の様子を遥かに想像しておられました
が、目の当たりになさって、なるほど筆も及ばぬ海辺の風景を、この上なく
上手に沢山お描きになりました。「当節の名人だという千枝や常則をお召しに
なって、彩色させたいものだ」と、口々に残念がっているのでした。源氏の君の
親しみやすくご立派な御様子に、世間の辛さも忘れて、近く馴れ親しんでお仕え
するのを嬉しく思って、四、五人ほどが、常に控えておりました。

庭の植え込みの花が、色とりどりに咲き乱れ、趣深い夕暮れに、海の見える
廊にお出になって佇んでいらっしゃる源氏の君のお姿が、不吉なまでに美しい
ことは、場所が場所だけに、ましてやこの世の者ともお見えになりません。白い
綾織の柔らかい下着に、紫苑色の袿などをお召しになって、縹色の直衣に、
帯を無造作に結んだくつろいだお姿で「釈迦牟尼仏弟子」と名乗って、ゆったり
とお経をお読みになるのが、また世に喩えようもない声に聞こえます。

沖の方を幾艘かの舟が、舟歌を大声で歌いながら漕ぎ行くのなども聞こえて
きます。ほのかに、その舟がただ小さな島が浮かんでいるように遠目には
見えるのも、心細そうなのですが、雁の列を連ねて泣く声が、楫の音にとても
似ているのを、ぼんやりと眺めなさって、涙をかき払いなさる源氏の君の御手が、
黒檀の数珠に映えておられるのは、それを見ると京の愛する女を恋しく思う
供人たちの心が、皆慰められたのでした。

 「初雁は恋しき人のつらなれや旅の空飛ぶ声の悲しき」(初雁は恋しい人の
 仲間なのだろうか、旅の空を渡って行く声が、とても悲しく聞こえる)
と、源氏の君が詠まれると、良清が、
 「かきつらね昔のことぞ思ほゆる雁はその世の友ならねども」(次々と昔のこと
 が思い出されます。雁は昔の友ではないのですが)
 と受け、続いて民部の大輔が、
 「心から常世を捨てて鳴く雁を雲のよそにも思ひけるかな」(自ら進んで故郷
 の常世を捨てて旅の空に鳴く雁を、これまで自分には関わりのないよそごとだ
 と思っていたことよ)
と詠むと、最後に前の右近の尉が、
 「常世出でて旅の空なるかりがねも列に遅れぬほどぞなぐさむ(常世を出て
 旅の空を飛ぶ雁も、仲間と共にいるから慰められているのです)
  友にはぐれたら、どんなに心細いことでしょう」
と、付けました。親が常陸介になって下向したのにも同行せず、源氏のお供を
して須磨に来たのでした。内心では思い悩んでいるようですが元気よく振舞って、
何気ない様子で日々を送っておりました。


レプリカの桜の大木

2022年9月16日(金) 溝の口「枕草子」(第44回)

大型で強い台風14号が、日本に接近しています。明日からの三連休
にも影響を及ぼしそうですが、兎に角、大きな被害が出ないように、と
祈るばかりです。

7月から再開した「枕草子の会」の会場クラス、今月からは『枕草子』の
中で最も長い第260段に入りました。おそらくオンラインクラス同様、3回
かけて読むことになると思います。

この段は、中宮定子の父である関白道隆が、正暦5年(994年)2月20日
(『枕草子』では2月21日となっていますが)に、法興院の積善寺で盛大
に一切経供養を営んだ折のことを、当時まだ出仕後4ヶ月程の新参女房
だった清少納言の目に映った出来事として回顧し、書き綴ったものです。

中の関白家最盛時の一大行事であったこの積善寺供養のことを書き
始めると、その晴れがましい場面があれこれと思い出されて、少しでも
それを書き残しておきたいと筆を運んでいるうちに、こんなに長くなって
しまったのではないか、と考えられます。

中宮定子もこの法会に参加なさるため、宮中から二条宮に退出なさい
ました。ここも道隆が定子の里第として新築したもので、まだ全てが
真新しく、趣深い造りや調度類も、作者にとっては眩いばかりの輝きを
放っていました。

中でも作者の目に留まったのが、きざはしの下の満開の桜でした。2月
の上旬(6日)なので、梅が満開なら分かるけれど、こんなに早くに桜が
咲くなんて、と思ってよく見れば、それは精巧に造られたレプリカだった
のです。「一丈ばかりにて」とありますから、高さが3.3mもある大木という
ことになります。「つゆまことに劣らず」(全く本物に劣らない)花を見て、
これを造る作業の大変さを思い遣り、雨でも降ったらダメになっちゃうよね、
と危惧しているのでした。

清少納言が案じた通り、2、3日も経たない夜、雨が降り、道隆は家来達に
まだ暗い内にその桜の木を片付けるように命じましたが、作業が遅れた為、
清少納言たちに目撃されてしまいました。

根こそぎ姿を消したレプリカの桜を巡っての顛末も、テキストでは数ページ
に渡って記されていますが、道隆は、そもそもなぜこんな無駄なレプリカを
造らせたのでしょう。ものすごく手間暇のかかる割に、こうしてすぐに無惨な
姿になることはわかっていたはずなのに、です。

二条宮は造営されて間もないため、お庭がまだ整っておらず、それをカバー
する必要があったにせよ、ここまで普通は考えないのではないでしょうか。
一つには道隆が関白としての権勢と、経済力を誇示したかったということが
ありましょう。もう一つは、天皇の寵愛を一身に集めている中宮定子に対し
て何をも惜しまない気持ちと、期待があったからだと思います。

僅か一年後、道隆は糖尿病で亡くなってしまいます。中の関白家の栄華が
そんなところで途切れてしまうとは、道隆自身も、中宮定子も、そして作者も、
この積善寺供養の頃には想像だにしておらず、むしろ道隆の脳裏には、
やがて定子が一条天皇の皇子を産み、外戚としてますます繫栄していく
中の関白家の未来が思い浮かんでいたのではないでしょうか。この世は
無常なものです。


父親とはいっそう疎遠に

2022年9月12日(月) 溝の口「紫の会」(第59回)

第49帖「宿木」を読んでいるクラスで、先週(9月7日)、中の君と
紫の上の共通点として、夫以外に頼れる身内のいない女君の
悲哀を取り上げました(その記事は⇒こちらから)。

中の君の場合は父親が既に他界しているので、どうにもならない
のですが、紫の上の場合は、「元々疎遠だったことに加え、源氏
の須磨謫居の頃からいっそう溝が深まり、継母に当たる北の方
から目の敵にされていることもあり、全くあてに出来ない存在と
なっていました」と書きました。今日ちょうど「紫の会」の会場クラス
で、その部分を読みましたので、もう少し詳しく紹介しておきたいと
思います。

紫の上は、父・兵部卿の宮の北の方腹ではなく、愛人の生んだ娘
なので、この北の方が、紫の上のことを快く思っていないという事情
もあり、紫の上が源氏に連れ去られて消息不明になった4年後、源氏
が、二条院で成長していることを知らせたので、手紙は交わすように
なったものの、娘にさほど目をかけてくださることもありませんでした。
もう源氏の妻となっておりましたしね。

それから更に4年。この「須磨」の巻では、源氏は官位を剥奪され、
このままでは遠流の刑に処せられそうだ、というところまで、罪人扱い
されています。世間では皆、天皇の外戚である時の権力者右大臣
一派を敵に回したくないため、源氏の二条院に近づかなくなって
しまいました。いよいよ源氏が紫の上を京に残して須磨に退居する
ことになったのだから、父親ならせめて手紙を出すなり、お見舞いに
来てくださるなりしてもよさそうなのに、全くその気配もありません
でした。

紫の上は、「周囲の女房たちが、このような父娘関係をどう思っている
だろう」と恥ずかしく、「自分が二条院に居ることを、父君に知られない
ままのほうが良かった」と、悔んでおりました。しかも継母の北の方が、
「にはかなりし幸のあわたたしさ。あなゆゆしや、思ふ人、かたがたに
つけて別れたまふ人かな」(突然訪れた幸せの気ぜわしいこと。縁起の
悪い子だわね、あの子を大事に思ってくれる人は、みんなあの子から
別れて行ってしまうことになるんだから)とおっしゃっていると人づてに
耳にして、紫の上もけっして父君にお手紙を差し上げることはすまい、
と心に決めたのでした。

こうして父親は健在ではあるけれども、全く頼ることの出来ないという
状況に置かれた紫の上は、「宿木」での中の君と同じ境遇となって
しまったのです。

夫しか頼ることができない身の女君にとって、その夫がいつまでとも
わからず不在になったり、自分よりも格上の正妻を迎えるとなった時、
どんなに不安だっただろうか、ということは、想像がつきますね。


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