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年の瀬・2022年

2022年12月30日(金)

コロナ禍での年の瀬も三度目となりましたが、今年も余すところ
24時間ちょっと。

昨年も、一昨年も、来年は長いトンネルから抜け出せるのでは、
と希望的観測を書いて、そうならなかったので、今年は書かずに
初詣の時に手を合わせ、密かに祈るようにいたします。

数え日の慌ただしさはコロナとは関係なく、毎年1㎏以上体重が
落ちるほどです。そのままキープできると良いのですが、松が
取れる頃には、ちゃんと元に戻っています(笑)

大掃除と年賀状、この二つが大変さの要因です。特に年賀状が
問題で、新年になって前年末を振り返って反省事項を記す時、
年賀状の出し遅れを挙げない年は殆どありません。にも拘らず、
今年もまだ30枚が出せていません。講読会関係の皆さまへは
昨日投函し終えましたが、友人・知人・親戚関係が1/3程残って
います。それでも昨年は、半分位を年が明けてから書きました
ので、今年は少しマシかな?と思っています。どちらにしても
三が日には届かないですね(;^_^A

明日は一日、おせち料理作りに励みます。黒豆と数の子は
もう出来ていますが、本番は大晦日です。

そんなこんなで、パッとしない年の瀬のご報告となりましたが、
今年もこの拙いブログにお付き合い戴き、有難うございました。
来たる年も引き続きよろしくお願い申し上げます。

どうぞ皆さま、良い御年をお迎えくださいませ。


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今月の光琳かるた

2022年12月26日(月)

今日が今年の仕事納めの予定でしたが、コロナの感染拡大により
休講となり、代わりと言っては何ですが、今月もまた、ここまで遅れ
遅れになっていた光琳かるたの入れ替えをしましたので、12月の
「百人一首」の歌をご紹介しておきます。

「心にもあらで憂き世に長らへば恋しかるべき夜半の月かな」
                        六十八番・三条院
   68番・三条院
(願っているわけでもないのに、もし辛いこの世に生き永らえて
 いたならば、恋しく思い出すであろう、今宵の月であることよ)

『栄花物語』の巻第12「玉の村菊」では、この歌の詠まれた事情が
詳しく語られています。それによると、長和4年(1015年)12月10日
過ぎの月を見て(これが12月の歌として取り上げた理由です)、
三条天皇が中宮妍子(道長次女)に詠み与えられた歌ということ
になっています。ただ、文中にはこの三条天皇からの歌に対し、
「中宮の御返し」と記載されているものの、中宮の返歌自体は
どこにも伝わっていません。『栄花物語』は、ひたすら道長を賛美
する歴史物語なので、この作詠事情を疑問視する向きもあります。

「百人一首」には、平安時代の前期、中期、後期においてそれぞれ
一人ずつ、心ならずも退位に追い込まれてしまった天皇の歌が採ら
れています。前期の陽成天皇(13番)、後期の崇徳天皇(77番)、
そして中期の三条天皇です。陽成天皇の場合は自業自得と言われ
ても仕方のない退位でしたが、三条・崇徳両天皇の場合は、道長・
鳥羽院、という時の権力者に追い詰められた上での譲位でありました。

三条天皇は一条朝の東宮でした。一条天皇はわずか7歳で即位し、
東宮に立った居貞親王(三条天皇)は天皇よりも4歳年長で、以後
一条天皇の御世の25年間を東宮として過ごしました。三条天皇は
36歳にしてようやく天皇の座に就きましたが、いち早く孫の敦成親王
(のちの後一条天皇)を帝位につけ、外祖父として権力をほしいまま
にしたい道長にとっては、我が意のままにならぬ三条天皇は、
鬱陶しい存在だったに違いありません。

それでも道長は、次女の妍子を三条天皇に入内させ、次なる布石を
打ちましたが、三条天皇には寵愛深い娍子という女御がいて、娍子
との間には四男二女の御子がありました。それに対し、妍子はただ
一人皇女(禎子内親王)を産んだだけでした。妍子が中宮に冊立
されると、三条天皇は強引に娍子を皇后にし、これも道長との溝を
深める一因となりました。
 
即位より4年経った長和4年(1015年)頃には、三条天皇の眼病も
いっそう悪化し、道長に官奏を覧ることをお命じになりましたが、
道長はこれを拒否。暗に天皇に対して職務が遂行できないなら
譲位すべきだと促しました。こうした嫌がらせと抵抗の繰り返しの後、
二度の内裏焼失という不幸も重なって、遂に三条天皇は長和5年
(1016年)、9歳の敦成親王に譲位し、その翌年に崩御なさいました。


源氏の運命転換のきっかけ&冬至のかぼちゃ

2022年12月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第29回・通算76回・№2)

オンライン「紫の会」の第3月曜クラスのほうにも書いておりますが、
第13帖「明石」は、前巻「須磨」の最後から繋がった形で始まって
います。連日の未曾有の暴風雨に加えて、ついには屋敷の廊へ
の落雷による炎上まで生じ、命の危険さえ感じる事態に至り、
源氏もこの上なく心細くなっていました。

夜になってようやく荒れ狂った天候も収まりを見せてきたので、
さすがに源氏も疲れ果てており、下々の者たちと同じ場所に居る
不都合さの中でも、うとうととまどろんでおりました。

すると、亡き父・桐壺院が夢枕に立ち、「住吉の神の導きたまふ
ままに、はや、舟出してこの浦を去りね」(住吉の神のお導きの
ままに、早く舟を出して、この浦を立ち去りなさい)、とおっしゃる
のです。源氏は夢の中でも父院に会えたことが嬉しく、「もうこの
渚で命を終えても構わない」と言いますが、父院は「とんでもない
ことだ。そなたの苦しんでいる姿を見るに見かねてここまでやって
来たのだが、こうした機会に、帝にも奏上せねばならぬことがある
ので、これから急ぎ京に上ることにする」とおっしゃり、立ち去られ
ました。この父院の言葉はとても重要な意味を持っているのですが、
それは当該箇所を読んだ時にご紹介いたしましょう。

次回、読むところになりますが、この父院の夢告に符合するかの
ように、やはり夢でお告げがあった、と言って、明石より入道が
源氏をお迎えにやって来ます。

これにより、源氏は危機を脱し、運命は良い方向へと進み始める
ことになりますが、そこには、住吉明神のご加護、という神懸かり
的な仕掛けがあるのは否めません。明石一族には住吉明神が
深く関与しており、このあたりはまだ『源氏物語』が昔物語を伝承
しているところだと思われます。

昨日湘南台クラスで読んだ第51帖「浮舟」になると、こうした昔物語
的な要素は失われ、20世紀以降の近代小説風に変化しています。
一つの作品の中でここまで進化を遂げている点も、注目に値する
のではないでしょうか。

本日の講読箇所の後半部分について、詳しくは「全文訳・第13帖
明石(2)」をご覧下さいませ(⇒こちらから)。

長くなりますが、今日は冬至です。毎年同じ物ではありますが、
「かぼちゃのいとこ煮」を作りました。柚子も用意したので、「柚子湯」
にも入りたいのですが、これは完全に日が替わってしまいそう💦

    かぼちゃのいとこ煮
     昨年、冬至の日には「ん」の付くものを食べると
     運気が上がると教えていただいたので、今年は
     この「なんき」と併せて、「天ど」と「みか
     を食べました。そういえば、「粕汁」の中にも
     「だいこ」と「にんじ」が入っていました。
     五重の運盛りで、運を呼び込めるかしら?


第13帖「明石」の全文訳(2)

2022年12月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第29回・通算76回・№1)

オンラインによる講読会は今日が年内最後となりました。この
「紫の会」のオンラインクラスは、今月より第13帖「明石」に入り、
259頁・1行目~266頁・6行目迄を読みました。

その前半部分の全文訳は、12/19の第3月曜クラスのほうで書き
ましたので(⇒こちらから)、今日は後半部分の263頁・6行目~
266頁・6行目までとなります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


次第に風が収まり、雨脚も衰え星の光も見えるので、源氏の君にとっては、
この御座所はあまりにも粗末で珍しく思えるのも、たいそう恐れ多いので、
寝殿にお戻し申し上げようとすると、焼け残った廊の様子も、気味悪く感じ
られるし、大勢の人が踏み鳴らして右往左往した上に、御簾なども皆吹き
飛んでしまっているのでした。

ここで夜を明かしてからお移し申し上げよう、と皆で思案していますが、
源氏の君は念仏をお唱えになり、いろいろと思い巡らしなさっては、とても
気持ちが落ち着かない状態でいらっしゃいます。月が昇って、高潮が近く
まで打ち寄せて来た跡もはっきりと見え、名残の波が寄せては返す荒々
しさを、柴の戸を開けて眺めておられました。この辺りには、ことの意味を
見抜き、過去未来のことを察して、あれこれと的確にこうした異変を解き
明かせる人もいません。

卑しい漁師たちが、高貴な御方のおられる所だと言って、参集してきて、
源氏の君がお聞きになっても意味不明なことをあれこれと喋っているのも、
たいそう異様ではありますが、供人たちも彼らを追い払うことは出来ません。
「この風が、今しばらく止まなかったならば、高潮が襲って来て、残りなく
さらわれていたでありましょう。神のご加護は並々ならぬものでしたよ」と
言うのをお聞きになるにつけても、源氏の君がたいそう心細く思われた、
といったどころの話ではございませんでした。
 
 「海にます神の助けにかからずは潮の八百会にさすらへなまし」(海に
 鎮座まします神のご加護をこうむることがなかったならば、多くの潮道
 の集まり合う遥か沖に流されていったでありましょう)
 
終日荒れ狂った雷の騒ぎに、さすがに源氏の君は酷くお疲れになった
ので、つい我知らずうとうととなさいました。源氏の君のような勿体ない
お方にとっては仮の御座所なので、ただ物に寄り掛かっておられると、
亡き桐壺院が、ご生前そのままのお姿で夢枕にお立ちになり、「どうして
このようなむさくるしい所に居るのか」と言って、源氏の君の御手を取って
引き立てなさいます。「住吉の神のお導きのままに、早く舟を出して、
この浦を立ち去りなさい」とおっしゃいました。源氏の君は、父院にお目
にかかれたことがとても嬉しくて、「恐れ多い父君のお姿とお別れ申して
以来、あれこれと悲しいことばかりが多うございましたので、今はもう、
この渚に命を終わろうか、と思っております」と、申し上げなさると、
桐壺院は、「とんでもないこと。これはただちょっとした罪の報いに過ぎ
ないことだ。私は帝の位にあった時、失政はなかったのだけれど、知らず
知らずのうちに犯した罪があったので、その償いを終えるまでは余裕が
無くて、この世のことを顧みることがなかったが、そなたが酷い難儀に
苦しんでいるのを見ると、堪え切れなくなり、海を渡り、渚に上がり、
たいそう疲れたけれど、こうした機会に帝にも奏上せねばならぬことが
あるので、これから急ぎ京に上ることにする」と言って、お立ち去りに
なりました。

名残惜しく悲しくて、源氏の君は「私も一緒にお連れ下さい」と、ひたすら
お泣きになって、顔をお上げになると、誰もおらず、月の面だけがきらきら
と輝いて、夢の心地もせず、まだこの辺りにおられるような気がして、空の
雲のたなびく様が、父院の名残のようにしみじみと感じられたのでした。

これまで何年も、夢の中でもお目にかかれず、恋しくお会いしたいと思って
いたお姿を、儚い夢の中であっても、はっきりと拝見したことだけが、
心の中に焼き付いて、自分がこのように悲しみを極め、命も尽きようとして
いたのを、助けようと天翔けて来てくださったのだと、しみじみと思われるに
つけ、よくぞこのような騒ぎもあってくれたものだ、と、夢のあとも頼もしく、
嬉しくお思いになることはこの上ないものでした。胸もいっぱいになって、
夢で父院にお会いしたことで、却ってお気持ちが乱れて、現実のこの
悲しい境遇も忘れてしまって、夢の中にもせよ、なぜもう少しお答えを
申し上げなかったことか、と満たされぬ思いがして、もう一度父院が夢の
中にお見えくださろうかと、わざと眠ろうとなさいますが、全くお眠りに
なれず、明け方になってしまいました。


筋運びの上手さ

2022年12月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第237回)

どのクラスも月に1回の講座ですから、12月に入ると年内最後の
例会ということになります。ようやく会場での講座も総て再開した
中で今年を終えることが出来る、と思っておりましたが、ここへ
来てコロナの感染者数がずっと増加傾向となっており、先月の
記事の冒頭で、案じて書いた神奈川県での1万人超えが続くよう
になってしまいました。幹事さんたちも判断に苦しまれたでしょうが、
このクラスの年内最終講座はオンラインで、ということになりました。
オンラインに参加出来ない方には、録音したものをCDに書き込んで
お送りいたします。

湘南台クラスは第51帖「浮舟」も後半となり、浮舟が孤立して、
追い詰められていく姿が、心憎いまでの巧みな筋運びによって
描かれているのを読み進めているところです。

あの匂宮に抱かれて宇治川を渡り、隠れ家で二日間を過ごした
のちは、浮舟にとって匂宮は掛け替えのない存在となっていました。
自分でも、それはあってはならないことと否定しようとしても、もう
後戻りはできないのでした。

最終的な浮舟の入水決断へと繋ぐためには、①浮舟がこれまで
誰よりも頼りにしてきた母親に相談する機会が得られない、②匂宮
は、薫が浮舟を京へ引き取るために新居を用意していることを知って
先手を打とうとする、③薫は、匂宮と浮舟の密事を知り、激しい憤り
を覚え浮舟を責める手紙を寄越す、そうした過程を無理なく一つずつ
積み上げていく必要があります。

ここで全部を書くことは出来ませんが、例えば今日読んだ所では、薫
が極内密に進めている浮舟を迎えるための新居のことが、なぜ匂宮に
筒抜けになったのか、それは薫が信頼してこの件を任せている家臣の
娘婿が、あの大内記(匂宮の腹心の家来の一人で、最初の宇治行き
の時から匂宮に加担している)だったという設定。浮舟がおそらく母だけ
には打ち明けて相談したいと思い、京の家に赴き、共に石山詣をしたい、
と申し出たのに対しては、あいにく浮舟の異父妹の出産が近づいていて、
母もそうした時間が取れず、宇治に日帰りで顔を出すだけとなってしまう。
しかも、言葉の弾みではあったでしょうが、母の発言が浮舟にはとても
応える一言だった(ここからが次回読む所ですが)等々、読者を物語の
世界に惹き込みながら、ストーリーを巧みに展開させています。

先日最終回を迎えた大河ドラマの「鎌倉殿の13人」(私は最後の5回程度
を観たに過ぎませんが)、三谷幸喜氏の筋運びの上手さに唸らされること
がしばしばでした。千年前の『源氏物語』の宇治十帖も同じことが言えます。
それが才能というものなのでしょうか。


源氏の人生のどん底

2022年12月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第29回・通算76回・№2)

今月から第13帖「明石」に入ったオンライン「紫の会」ですが、
この巻の冒頭は、第12帖「須磨」の巻末をそのまま受けて
います。

「須磨」の巻の最後は、三月一日が巳の日に当たり、浜辺で
上巳の祓へを行っていたところに、突然暴風雨が襲ってきた
場面でした。そして続く「明石」の巻は、「なほ雨風やまず、雷
鳴りしづまらで日ごろになりぬ」(依然として風雨は収まらず、
雷も鳴り止まないまま数日が経った)で、始まっています。

源氏が須磨に退去して間もなく一年。京に戻れる見通しも全く
立たぬままの侘び住まいで、精神的にもかなりまいっていた
ところへこの異常気象までが加わって、源氏は心身ともに弱り
果てておりました。

辛うじてやって来た二条院(紫の上)からの使者の話では、京
でもここ迄は酷くはないけれど、政も滞るほどの風雨が続いて
いるとのことでした。

その翌日の未明、暴風や高潮に加えて、雷鳴がとどろき、遂に
源氏の館の廊に落雷し、炎上しました。源氏や供人たちは、
住吉の神に必死に祈ります。ここが源氏の人生最大の危機と
いえる場面で、下手をすれば命をも落としかねない状況に
陥っています。

でも、これを境に彼の命運は明るい方向へと転じていくことに
なりますから、今がどん底なのですよね。「こんなふうに光源氏
が光を失った姿ばかり見せられるのはイヤ」と言って「須磨返り」
してしまう人もいると聞きますが、現にそう思っておられる方が
いらしたら、どうぞご安心ください。次の、亡き桐壺院の夢告の
のちは、危機的局面からの脱出に向かって話は進んでまいり
ますので。

その亡き父院が夢の中に現れる場面は、今月の講読箇所では
後半になりますので、第4木曜クラス(12/22)のほうで、全文訳
と共に、取り上げることにしたいと思います。

本日の講読箇所の前半部分の全文訳は、先に書きましたもの
をご覧下さいませ(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(1)

2022年12月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第29回・通算76回・№1)

オンライン「紫の会」は、今月から第13帖「明石」に入りました。
その最初の全文訳です。

12月の講読箇所は、259頁・1行目~266頁・6行目迄ですが、
今日の全文訳は、その前半部分259頁・1行目~263頁・5行目
までとなります。。後半部分は、第4木曜日(12/22)のほうで
書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

依然として風雨は収まらず、雷も鳴り止まないで何日も経ちました。
源氏の君が、いっそう心細く思われることは数限りもなく、これ迄の
ことに加えて、この先どうなるかわからない悲しい身の上に、気を
強く持つこともお考えになることが出来ず、どうしよう、こんな災難に
遭ったからといって、都に帰ることも、まだ世間に許されない身で
あってみれば、今よりももっと物笑いの種になるだけのことであろう、
やはりここよりももっと深い山に分け入って、消息を絶ってしまおうか、
とお思いになるものの、波風の騒ぎに山へ逃れて行方不明になった、
などと人の噂になることは、後世まで、たいそう臆病者の名を流し
残すことになるだろう、と、思い乱れておられました。

夢の中にも、いつも同じ様子の怪しい者が現れては、付け回し申して
いる、とご覧になります。雲の晴れ間も無くて、明け暮れる日数が
重なるにつれて、都の事情もますます気掛かりで、このまま流浪の
身で終わることになるのであろうか、と心細くお思いになりますが、
頭をもたげることも出来そうにない雨風に、わざわざ京からやって
来る人もいません。二条院からお話にもならない酷い格好で、使い
の下人がびしょ濡れになって参上しました。道ですれ違っても、
人間か他の動物か見分けることさえ出来そうにもない、見るなり
追い払ってしまいそうな下賤な男が懐かしくしみじみと感じられるに
つけても、我ながら勿体なく思われ、すっかり弱気になってしまって
いる心の有り様が思い知られるのでした。紫の上からのお手紙には、
 「あきれるほど小止みになることもなく、降り続くこの頃の空模様に、
 私の心のみならず、空までもがますます閉じ塞がる心地がして、
 気持ちの晴らしようがございません。
 浦風やいかに吹くらむ思ひやる袖うち濡らし波間なきころ(須磨の
 浦風はどんなに激しく吹いていることかと想像しております。遥かに
 お案じしている私の袖を濡らしながら涙の絶え間もないこの頃は)」
などと、しみじみと悲しいことを書き連ねていらっしゃいます。手紙を
引き開けるやいなや、いっそう涙がこみ上げて来そうで、悲しみに
心も閉ざされる思いがなさいました。

使いの者は、「京でも、この雨風は、とても得体の知れない者の
お告げだということで、仁王会などがおこなわれる予定だとの噂で
ございました。宮中に参内なさる上達部なども、全ての道路が冠水
して通れず、政も途絶えております」などと、はきはきともせず、
たどたどしい話しぶりですが、京のことだとお思いになると、気に
なって、ご自分の前にお呼びになって、事情をお訊かせになります。
使者は、「ただ、この雨が休みなく降り続いて、風は時折吹き出し
ながら、何日も経ちましたのを、ただならぬことと驚いております。
しかし、この地で起こっているような、地の底まで貫くような雹が
降ったり、雷が鳴り静まらないことは、都ではございませんでした」
などと言い、怯え切った表情で、驚き引きつって顔がとても苦しそう
であるにつけ、源氏の君の心細さは募ったのでした。

このまま世が滅びてしまうのであろうか、とお思いになっていたところ、
その翌日の明け方から、風がひどく吹き、潮が高く満ちて、波の音の
荒々しいことは、巌も山も悉く呑み込んでしまいそうな様子でした。雷
が鳴り稲妻の光る様子は、全く言いようもなく、頭上に落ちかかって
来るかと思われるので、その場に居る人は皆生きた心地もしません。
供人の中には、「自分はどんな罪を犯したということで、こんな悲しい
目に遭うのであろう。父母にも会えず、いとしい妻子の顔をも見ること
なくに死なねばならぬとは」と嘆いている者もおります。

源氏の君はお心を静めて、どれ程の過ちを犯したからといってこの
海辺で命を終わるというのか、そのようなはずはない、と、気を強く
お持ちになりますが、余りにも物騒がしいので、様々な幣帛を捧げ
なさって、「住吉神社の神様は、この近辺を鎮護しておられる。御仏
の本地垂迹でいらっしゃる神様ならば、お助け下さい」と、多くの大願
をお立てになりました。

供人たちもそれぞれ、自らの命は二の次として、このようにご立派な
源氏の君が、またとないような悲運のうちに命を落としてしまわれそう
なのがたいそう悲しいので。心を奮い起こして、多少なりとも気の確か
な者は、我が身に代えてこの源氏の君の身一つを救い申し上げよう、
と大声を上げて、一斉に神仏にお祈り申し上げるのでした。

「帝王の宮の奥深くにお育ちになり、いろいろな楽しみに驕った暮らし
をなさっておりましたが、深いお慈しみは、日本国中あまねく行き渡り、
苦境に沈んでいた者たちを沢山救いお上げになりました。なのに今、
何の報いでここまで非道な波風に溺れなさるというのであろうか。
天地の神々よ、理非を明らかになさってください。罪なくて罪に当たり、
官位を剥奪され、家を離れ、都を去って、明け暮れ心の休まる時も無く
お嘆きの上に、このような悲しい目まで見て、命が尽きようとするのは、
前世での罪業の報いなのか、それともこの世での罪ゆえなのか、神仏
がはっきりとご覧になっておられるなら、この難儀をお鎮めください」と、
住吉神社の方に向かって、源氏の君も供人たちと一緒になって、
様々の願をお立てになりました。また、海龍王や様々な神たちに願を
立てさせなさると、いよいよ雷鳴が轟いて、おいでになる寝殿に続く廊
に落雷しました。炎が燃え上がって、廊は焼け落ちました。気も動転
して、そこに居る者は皆慌てふためいております。

後方にある大炊殿と思われる建物に源氏の君をお移し申し上げ、
身分の上下に関わりなく避難した人たちでそこは混み合い、ひどく
騒がしく泣き叫ぶ声は、雷にも劣っていませんでした。空は墨を磨った
ように黒々とした状態で、日も暮れました。


帝のプライベートに触れることのできる喜び

2022年12月16日(金) 溝の口「枕草子」(第47回)

12月も後半に入ってしまい、年末までにしなければならない
ことが一向に進んでいないのに、気が焦るばかりです(毎年
同じことを繰り返していますね💦)。

年賀状も葉書を買っただけで、まだ手付かず状態。今年は
全クラス再開は出来たものの、これ迄のように、新年会だの
何回記念、何年記念だのと言って、会食を楽しむことなどは
まだ無理です。ですから年賀状に使う集合写真がないのです。
コロナ前は、「今年はどのクラスの集合写真にしようかしら?」
と悩みながら選んでいたのですが、今はオンラインクラスの
参加者がパソコンの画面に映っている写真しかなく、それだけ
では代わり映えもしないし、適当なクラスの集合写真を撮りたい
と思っていました。

この「枕草子の会」は、このまま続けていければ、来年の夏に
は読了できる予定です。そうなると、もう今年が集合写真の
ラストチャンスなので、講読を始める前に、ちょうど教室の前
を通りかかった市民館の職員の方にお願いして、シャッターを
押してもらいました。全員マスク着用での写真ですが、これも
一つの思い出になるでしょう。あとは、早く年賀状の作成に
取り掛からなくては、です。

本題の『枕草子』に話を移します。今日は第261段~第273段
までを読みました。先月までは最長の第260段を3ヶ月かけて
読みましたが、その後は殆どが短い類聚章段ですので、段数
としては多いのですが、ボリュームはありません。

宮中での時奏の話は、オンラインクラスで読んだ時に記事に
しましたので(⇒こちらから)、今回はそれに続く第273段の、
作者にとっては最もゆかしさを感じたであろう「音」をご紹介
しておきましょう。

子の時(深夜0時頃)、清少納言は「もうこの時間だから、帝も
お眠りになっておられるのでは」と、思っています。すると帝が
「男ども」(男はおらぬか)とお呼びになっている声が聞こえて
きます。ここでいう「男」とは、帝の身近なお世話をする蔵人の
ことを指しています。そのお声に作者は、「いとめでたけれ」
(とっても素晴らしい)、と感動しています。

さらに、夜中に帝のお吹きになっている笛の音が聞こえて来る
のを、「また、いとめでたし」(これもまた、とっても素晴らしい)
と、感動の称賛を重ねています。

帝(一条天皇)の御声や、笛の音が、そこまで作者を感動させる
のは、御声の良さとか、笛の名手でいらっしゃるというような話
ではなく、自分がこうした帝のプライベートな部分に接している
喜びだったのではないでしょうか。深夜に人をお呼びになることも、
笛をお吹きになることも、公の場ではないはずですから、そこに
触れることの出来る自分の立場に作者が誇りを抱いたとしても、
不思議ではありません。


朱雀帝には中宮がいない

2022年12月12日(月) 溝の口「紫の会」(第62回)

12月もすでに中旬。まだ先週までは、「どうぞ良い御年を」の
挨拶が、ちょっと早過ぎる気がしていましたが、週が替わって
今日はもう自然な感じになりました。

オンラインクラスを追いかける形となっている「紫の会」の
会場クラスですが、来年の前半迄で追いつけるようにもって
いければ、と考えております(予定は未定ではありますが)。

第12帖「須磨」の後半に入っています。源氏との密会が発覚
して、宮中への出仕が停止となっていた朧月夜でしたが、7月
になると許されて、再び朱雀帝のもとに参内しました。帝の
ご寵愛は以前と変わらないのですが、朧月夜の心にあるのは
源氏のことばかり。

さすがにそんな朧月夜に、帝も嫉妬心が湧き、嫌味な言葉を
投げかけられます。「私は長生きしたいとも思っていないが、
もしそうなっても、あなたが程近い須磨との別れよりも悲しん
では下さらないと思われるのがくやしい」とか、涙を流す朧月夜
に、「ほら、誰のために泣くのですか」などとおっしゃいます。

そのあとで「今まで御子たちのなきこそ、さうざうしけれ」(今迄
あなたとの間に御子たちが生まれていないのが残念だ)との
言葉が発せられます。

これはとても大きな意味を持った発言だと思われます。朱雀帝
の御世には、中宮が立つことはありませんでした。在位が僅か
8年だったこともありますが、その間に 承香殿の女御が皇子を
産んでもいます(この皇子が冷泉帝の後の帝となる)。それでも
立后がなかったのには、朧月夜に皇子の誕生を期待するところ
が大きかったからではないでしょうか。

ただ、もし朧月夜に皇子が生まれていたら、弘徽殿の大后や
右大臣は、当然現東宮(源氏と藤壺との間の不義の子)を廃し、
その皇子を東宮にと画策したに違いないので、源氏や藤壺に
とっては、朧月夜が皇子を産まなかったというのは幸いだった
と言えましょう。

『源氏物語』はフィクションですから、こんなことをあれこれ考える
のも馬鹿げているのですが、史実においても、一つの出来事で、
その後の歴史が大きく変わった、というのは数え切れないほど
ありますものね。


「数ならぬ身」

2022年12月9日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第164回)

昨日、今日と青空の広がる好天が続き、日が落ちてしばらく
すると、東の空にくっきりと綺麗なお月様の姿を見ることが
出来ました。今夜は今年最後の満月、コールドムーンと呼ぶ
そうです。

溝の口の第2金曜日クラスは一昨日のオンラインクラスと同じ
所を読んでおりますので、今日のブログ記事は一昨日の続き
にあたるところから話題を選びました。

第49帖「宿木」の前半の終わり近くです。

夕霧の六の君と結婚した匂宮は、六の君のことがすっかり気に
入り、生活の基盤が今は六条院に移っています。二条院に居る
中の君は待ち遠しい思いをさせられ、こうなることと覚悟はして
いたものの、いざ直面してみると、「いとかくやは名残なかるべき。
げに心あらむ人は、数ならぬ身を知らで、まじらふべき世にも
あらざりけり」(ほんとに、ここまで手の平を返したようなお扱いが
あってよいものだろうか。なるほど思慮深い人なら、取るに足りない
ようなしがない身の上もわきまえず、宇治を捨てて、のこのこと出て
来るような世間ではなかったのだ)と、つくづくと後悔の念が湧いて
くるのでした。

この「数ならぬ身」という言葉は、相手との身分差を考えた時、
「取るに足りない身」という意味で使われるのですが、『源氏物語』
の中では20例あります。そのうち、心内語として用いられている
のは、明石の上の2例と、この中の君の場合だけです。

明石の上の1例目は、あの俵屋宗達の「源氏物語澪標図屛風」に
描かれている場面です。源氏の住吉詣を知らずに船でやってきた
明石の上が、ここで源氏との身分差を嫌と言う程思い知らされます。
「立ち交じり、数ならぬ身の、いささかのことせむに、神も見入れ、
数まへたまふべきにもあらず」(源氏の君ご一行の中に立ち交じり、
こんな取るに足りない身の者が、少々のことをしたところで、神様も
お喜びになって人並みに思し召されることもあるまい)と考え、その
場を立ち去りました。

もう1例は、第18帖「松風」で、源氏は、女児を出産した明石の上に
度々上京を促すのですが、住吉詣の際に懲りている明石の上は、
京で身分の高い女君たちの間に受領の娘の自分が仲間入りする
ことに気が引け、「この若君の御面伏せに、数ならぬ身のほどこそ
あらはれめ。たまさかにはひわたりたまふついでを待つことにて、
人笑へにはしたなきこといかにあらむ」(この若君〈明石の姫君〉の
名誉を汚す形で、私の取るに足りない低い身分が人に知られる
ことになろう。源氏の君が、たまにお立ち寄りになるのを待つことに
なって、物笑いの種になるようなみっともないことが、どんなに多い
ことであろう)と、思い乱れているのでした。

歌に詠み込まれている場合など、口に出してならば、謙遜の気持ち
を大袈裟に言っていることもありましょう。でも「心内語」となると、
心の中で思っているのですから、その気持ちに嘘偽りも誇張表現も
ないはずです。

権勢家(夕霧)の姫君に夫を奪われた中の君。没落宮家の後見を
持たない身の社会的立場の弱さが、この「数ならぬ身」と、心の内で
嘆いていることからしてもよくわかりますね。


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