fc2ブログ

落葉の宮の女心

2023年1月31日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算166回 統合116回)

このクラスが会場として使用している学習センターが、抽選を
申し込む段階で申込不可、になっていることは珍しいのですが、
2月の第1火曜日はその「申込不可」になっていたため、一週間
早めて本日、2月の例会を行いました。

第39帖「夕霧」も、次回読了予定です。

小野山荘から一条宮に戻った落葉の宮を待っていたのは、外堀
を埋める形で、すっかり結婚の準備を整えている夕霧でした。
落葉の宮は塗籠に籠り、最後まで抵抗しましたが、もうここまで
来れば時間の問題です。三日目の夜、遂に二人は結ばれました。

『源氏物語』には男女が結ばれる場面が多くありますが、濡れ場
を露骨に描いている箇所は一つもありません。ここでも、「うちは
暗きここちすれど、朝日さし出でたるけはひ漏り来たるに」(中は
暗い心地がするけれど、朝日が差し込んでいる気配が漏れ来る
ので)と、時間の経過を記すことで、二人が結ばれたことを暗示
しています。

夕霧は、落葉の宮の顔を僅かに見て、「いとあてに女しう、なま
めいたるけはひ」(たいそう上品で女らしく、優雅な感じの様子)
だと思います。一方しどけない姿の夕霧は、「限りもなうきよげ
なり」(この上もなく美しい)と、落葉の宮の目に映ります。

ここからが落葉の宮の心内語になります。「故君の異なること
なかりしだに、心の限り思ひあがり、御容貌まほにおはせずと、
ことのをりに思へりしけしきをおぼし出づれば、ましてかういみじう
おとろへにたるありさまを、しばしにても見忍びなむや」(亡柏木
は格別の美男というわけでもなかったけれど、それでさえ、ひどく
お高くとまっていて、私の容貌が美しくないと何かにつけて思って
いた様子を思い出すと、ましてやこんなにも衰えてしまった自分
を、この夕霧がしばらくでも我慢できるだろうか)と、思っている
のです。

柏木は別にお高くとまっていたわけではなく、女三宮のことしか
関心がなかったので、落葉の宮にはそう思えたのでありましょう。

あれだけ夕霧のことを嫌って拒絶していたのですから、夕霧が
すぐに落葉の宮に愛想を尽かしたとしても、構わないのでは
ないかと思われるのですが(もちろん、世間体の悪さはこの上
ないことでありましょうが)、こうして結ばれてみると、やはり夕霧
に嫌われたくない、という気持ちが働くようになっているのですね。
繊細な女心を伝える巧みな描写に、ここでも唸らされました。


スポンサーサイト



今月の光琳かるた

2023年1月28日(土)

厳しい寒さが続いていますが、今夕は、ちらちらと雪が舞い散って
おりました。

残り3枚となった「光琳かるた」ですが、以前は月初めにしていた
更新がどんどん遅れるようになり、1月もあと数日となっての更新
です(;^_^A

今月は久々に女流歌人の恋の歌となります。

「恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」
                          六十五番・相模
   65番・相模
 (恨み嘆き、流す涙の乾く間とてない袖が朽ちてしまうだけ
  でも口惜しいのに、その上私の名までもが、実らぬ恋の
  ために朽ちてしまうのが残念でならない)

作者・相模は、『後拾遺和歌集』に和泉式部の67首に次いで40首
入集している優れた王朝女流歌人ですが、彼女もまた和泉式部
同様に、恋多き女性として知られています。
 
まだ10代の頃、橘則長(清少納言が最初の夫である橘則光との
間に設けた子)の妻となりましたが離別し、後に相模守大江公資
の妻となって、夫の任地相模国に随行したものの、結婚生活は
万寿2年(1025年)頃に破綻しました。この頃、藤原定頼(64番の
歌)との恋愛も知られています。また、『更級日記』の中で、作者
の菅原孝標女が淡い恋心を抱いた源資通も相模の恋人でした。
和泉式部も相模も、恋によって名を朽ちさせるどころか、数々の
恋の歌で歌人としての名声を上げましたが、またその陰では幾度
となく涙に袖を濡らすこともあったに違いありません。

この歌が詠まれたのは、『後拾遺和歌集』の詞書に「永承六年
内裏歌合に」とありますので、後冷泉天皇の永承6年(1051年)
5月5日に行われた「内裏根合」の場で開催された「歌合」に於いて
だったことがわかります。「根合」とは、「物合」の一つで、5月5日の
端午の節句に、左右に分かれて菖蒲の根の長さを競い合うという
ものでした。

王朝文化が隆盛期を迎えようとしている時に開かれたのが「天徳
四年内裏歌合」(960年)なら、こちらは王朝文化が衰退期に向かう
最後の輝きとも言える歌合でした。
 
「恨みわび~」の歌は、「恋」という題で、左方から出され「勝」となり
ました。右方は源経俊という人の歌で、「下もゆる歎きをだにも知らせ
ばや焼火神のしるしばかりに」(人知れぬあなたへの辛い恋心を知ら
せたいものだ。焼く火の神に祈る効験として)でした。これはもう相模の
楽勝といったところでしょう。相模の歌が女としての経験に裏打ちされた
ドキリとするほどの艶めかしさを漂わせているのに対し、「下もゆる~」
のほうは、表現も単純で面白味に欠けています。永承6年には、当時と
しては立派な老人の50代半ば過ぎだったと考えられる相模ですが、
そんな年齢を少しも感じさせない妖艶な恋の歌に脱帽です。


明石の入道の人物像

2023年1月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第30回・通算77回・№2)

この辺りはまだ雪にはなっていませんが、最強寒波の影響で、
昨日、今日、最低気温がマイナスとなっています。明日は夕方
から雪が降るとの予報も出ています。立春まであと十日足らず。
ここを乗り越えれば、春の兆しも見えて来ることでしょう。

オンライン「紫の会」は、第13帖「明石」に入って2回目。いよいよ
源氏の新天地での生活が始まりました。須磨から着の身着のまま
で明石に移って来た源氏を100%支えているのが明石の入道です。
一人娘を源氏と結婚させたいがため、どう源氏に話を切り出せば
良いのか、苦慮しています。入道の話の端々にそれを感じる源氏
も、「ゆかしうおぼされぬしもあらず」(逢いたいお気持ちが湧かない
わけでもない)という状態でしたが、今の自分の境遇、京に居る
紫の上のことなどを思うと、気のある素振りをお見せになることは
ありませんでした。

この入道、歳は60歳位で、周囲からも変わり者、という目で見られ
ていますが、単なる奇人変人ではなく、品格があり、教養も豊かな
人物でした。入道の父親は大臣で、源氏の母・桐壺の更衣の父親
である按察使の大納言とは兄弟、つまり入道と桐壺の更衣は、
従兄妹の間柄ということになります。故事来歴にも精通しており、
源氏がこれまで知らなかった「世の古事」(世間での様々な古い
出来事)を、入道が少しずつお話して差し上げるのでした。次回
読むところになりますが、入道は楽器の演奏にも抜きん出ており、
娘がそれを受け継いでいることがわかります。

明石の浦の景色も、入道との出会いも、源氏に「見ざらましかば
さうざうしくや」(知ることがなかったなら、物足りない思いがした
ことであろう)との感慨を抱かせるほどの興あることでした。

京を離れて約1年。源氏はここで初めて対等に語り合える人物と
出会えた、ということになりましょう。

のちに「明石の上」と呼ばれる入道の娘と、源氏はどのような形で
結ばれるのか、明石の物語はここからです。

明石の入道の人物像、源氏の明石での暮らしぶり等につきまして
詳しくは、先に記しました「全文訳(4)」をご覧下さい(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(4)

2023年1月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第30回・通算77回・№1)

第13帖「明石」に入って2回目のオンライン「紫の会」ですが、
今月は266頁・7行目~274頁・3行目迄を読みました。

前半部分の全文訳は、1/16(第3月曜クラス時)に書きました
ので(⇒こちらから)、今日は後半部分の270頁・10行目~
274頁・3行目までとなります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

少し気持ちが落ち着かれてから、京のあの方この方へのお便りを
お書きになります。二条院から須磨へとやって来た使者は、「この度
は大変な使いの旅に出て、酷い目に遭ったものだ」と、泣き沈んで、
あの須磨に留まっていたのを呼び寄せて、分不相応な立派な褒美の
品々をお与えになって京へとお帰しになります。

親しい祈禱僧や、然るべき方々には、この間の出来事を詳しく報告な
さるお手紙をお持たせになったようでした。中でも藤壺だけには、
不思議な巡り合わせで命をとりとめた事情などを申し上げなさいました。

紫の上の、あのしみじみと心打たれたお手紙のお返事は、すらすらと
お書きになることも出来ず、筆を休め休めして、涙を押し拭いながら
お書きになっているご様子は、やはり格別でございました。

「重ね重ね辛い目の限りを見尽くしてしまった私なので、今はこれまで、
 と俗世を離れ出家したい気持ちばかりが強くなっておりますが、
 あなたが「鏡を見ても」とおっしゃった時の面影が、浮かんで離れる
 ことがありませんので、こうして気掛かりなまま出家してしまうのか、
 と思うと、このところの悲しい様々な出来事の辛さは、二の次だという
 気がして、
 遥かにも思ひやるかな知らざりし浦よりをちに浦伝ひして(遥かに
 あなたのことを思い遣っていることです。知りもしなかった須磨の浦
 から更に遠いこの明石の浦に移って来て)
 まるで夢を見ているような心地がして、まだその夢から覚め切っていない 
 ところですから、どんなにかおかしなこともたくさん書いたことでしょう」

と、本当に何となく取り乱したお書きぶりであるのが、いっそう傍から手紙
を覗いて見たいほどのご様子なのを、全くこの上ないご愛情の深さだと、
供人たちは拝見しておりました。供人たちもそれぞれ、京に心細そうな
伝言をするようでした。

小降りになることもなかった空模様は、その名残も無く晴れ渡って、漁を
する漁師たちも、元気いっぱいの様子です。須磨はとても心細く、漁師の
岩陰の小屋も少なかったのですが、人の多い点がお嫌だと思われたものの、
ここ明石はまた、須磨とは異なった風情に富んでいて、何かとお気持ちも
慰められるのでした。

主の入道の勤行ぶりは、すっかり俗念を捨て去っているのですが、ただ
この娘一人をどうしたものかと悩んでいる様子は、はた目にも見苦しい程で、
時折源氏の君にも愚痴を漏らし申し上げておりました。源氏の君のお気持ち
としても、美しいとお聞きになった人なので、こうして思い掛けず巡り巡って
明石までやって来たのも、この娘との間にしかるべき前世からの因縁がある
からだろうか、とお思いになるものの、やはりこうした流浪の身である間は、
勤行以外のことは考えまい、京に居る紫の上も、一緒に居る場合よりも、
愛を誓った言葉に偽りがあった、とお思いになろうことにも、気が引ける
感じがして、入道の娘に関心がある素振りはお見せになりません。
何かにつけて、この娘の気立てや、暮らしぶりは、並々ではなさそうだな、
と逢いたい気持ちが湧かない訳でもありませんでした。

源氏の君の御座所には、遠慮して、入道自身も滅多に参上せず、かなり
離れた下の屋に控えておりました。その実、朝夕源氏の君を娘の婿君と
してお世話したいと、物足りなく思い申して、なんとかして願いを叶えようと、
神仏にいっそう熱心にお祈り申し上げているのでした。
 
入道は六十歳位になっていますが、とてもすっきりと理想的な様子で、
勤行のため瘦せ細っていて、人柄にも品格が備わっているからでありま
しょうか、偏屈者で、耄碌しているところもありますが、古いこともいろいろ
と知っていて、見苦しいところはなく、教養のあるところも交っているので、
昔話などをさせて、お聞きになっていると、少し所在無さも紛れる思いが
なさいます。長年、公私に渡り、お暇がなくて、そんなにもお聞きになる
ことがなかった世間の様々な古い出来事を、少しずつお話して、この
明石の浦も入道も、知らずに終わっていたら物足りない思いがしたことで
あろう、とお思いになる程、興あることが交っておりました。

入道はこれほどお近づきになったものの、たいそう気高くご立派な源氏の
君のご様子に、あのようなことを言いはしたけれど、気後れがしてきて、
自分の思いを率直に源氏の君に申し上げることが出来ないのを、じれっ
たく残念だと、妻と話しては嘆いているのでした。

娘自身は、普通の身分の者でも、無難な男は見つからないこんな田舎で、
世の中にはこのような方もおいでになったのだ、と拝見したにつけても、
我が身の分際が思い知られて、とても及びもつかないお方だと、思い
申し上げておりました。親たちがこのようにやきもきしているのを聞くと、
分不相応な縁談だと思うと、何事もなかったこれ迄よりも、ものを思うこと
も多くなっているのでした。


薫と柏木の違い

2023年1月23日(月) 溝の口「湖月会」(第164回)

今日はまだそれほどの寒さにはなりませんでしたが、明日からは
10年に一度の最強寒波が到来するとの予報です。各地で大雪に
見舞われることになりそうですが、被害の出ないことを祈ります。

『源氏物語』は約75年に渡る大河ドラマです。このクラスが講読中
の第49帖「宿木」までくると、既に70年以上が経っていますので、
ふとした記述の中に、過去の出来事を蘇らせてくれる場面も多々
出てまいります。

中の君を匂宮に譲ったことを後悔し続けている薫でしたが、廂の
間まで招じ入れられての対面中に、遂に堪え切れなくなった薫は、
中の君の着物の袖を捉え、御簾の中へと入り込み、中の君に
添い伏すような形となりました。結局薫は何も手出し出来ずに
終わり、自邸に戻ってから、あれこれと思い出し苦悩するばかり
でした。

薫が中の君に迫り切れなかった最大の要因は、「腰のしるし」
(懐妊の印の腹帯)に気付いたからですが、「情なからむことは、
なほいと本意なかるべし」(思い遣りなく無理強いすることは、
やはり自分の意に反することだ)という、理性によって感情を
制御することのできる人だったことも、大きく作用していたはず
です。

この辺りを読んでいると、薫の実父・柏木が、女三宮との密会を
果たした場面を思い出さずにいられません。欲望に打ち勝てず、
恋の刹那に溺れ、その結果身を亡ぼすことになったのが柏木です。

でもこれは、男性側だけの問題ではありませんね。薫は中の君
が、「さばかりあさましくわりなしとは思ひたまへりつるものから、
ひたぶるにいぶせくなどはあらで、いとらうらうじくはづかしげなる
けしきも添ひて、さすがになつかしく言ひこしらへなどして」(あれ程
気も動転して堪らなく辛いと思っていらっしゃったものの、無言で
押し通すというわけでもなく、いかにも聡明で、こちらの気が引ける
ような態度も加わって、困りながらもやさしく言いなだめなどして)、
無事に自分をお帰しになった利口さなどを思い出してもおりました。

柏木は、女三宮が皇女としての品格を備え、毅然としたところが
あると想像し、最初は「あはれ」(お気の毒に。あなたの気持ちに
応えてあげられなくてごめんなさい)という言葉をかけてもらうだけ
で良い、と思っていました。ところが実際の女三宮は、ただもう
おっとりとした少女のようで、それが柏木の理性を失わせたことを
考えると、ここでの中の君とは対照的です。

第39帖「夕霧」の中で、作者は紫の上の述懐という形で、女性の
生き方を問うています。主体性を持って生きていくのを理想とした
作者の思いが、こうしたところにも表れている気がいたします。


「清少納言の月に対する思い」&イチゴ「あまりん」

2023年1月20日(金) 溝の口「枕草子」(第48回)

今日は『枕草子』の講読会の日でしたが、もう一つ記事にしたい
出来事がありました。一昨年、昨年に続いて、今年もまた頂戴
したのです。埼玉特産のイチゴ「あまりん」を。で、こんな表題に
なってしまいました(-_-;)

溝の口の「枕草子の会」も48回目を迎えた、ということは、4年分
の回数を重ねた、ということになりますね。2016年10月にスタート
したのですが、コロナで2年4ヶ月の休講期間がありましたので、
あと半年位お付き合い頂くことになります。

今日は少し長めの第274段を読みました。清少納言は物事の好き、
嫌いが実にはっきりとしている人で、この段でも「雨」は嫌い、「雪」
や「月」は好き、と明確です。特に、「月の明かき」(明るい月)の
もとでの逢瀬は、いつまで経っても忘れられない思い出となる、と
言っています。

この段は次のような一文で締め括られています。「月のいみじう
明かき夜、紙のまた、いみじう赤きに、ただ『あらずとも』と書きたる
を、廂にさし入りたる月に当てて、人の見しこそ、をかしかりしか。
雨降らむをりは、さはありなむや」(月がとっても明るい夜、綺麗な
赤い紙に「恋しい思いは同じではなくても、あなたも今宵の月を
きっと見ているでしょう」と書かれた恋文を、廂の間に差し込む
月明かりに当てて読んでいる女性の姿は、風情がありましたよ。
でも雨が降っている時は、そんなこと無理でしょ?)。

一本(別本)の二十五では、「月影(月光)のあはれ(情趣)」に
ついて記していますし(オンラインクラスで読んだ時に、ブログ
で紹介しました⇒こちらから)、月明かりは、清少納言の豊かな
感性を打ち震わせる魅力を持っていたことを物語っています。

清少納言でなくても、今の我々だって、綺麗なお月様には感動
しますものね。ましてや、月夜でなければ、外は真っ暗だった
時代、なおさらだったと思います。


続いてイチゴ「あまりん」のお話です。今やイチゴの品種も増えて、
スーパーにもあれこれと並んでいますが、この三年、埼玉在住の
方が贈ってくださる「あまりん」が、私の中では間違いなく一番です。

9:30頃に届いたので、写真だけ撮って、早速お味見しました。
「う~ん、最高!」。一つのつもりが二つになり、さらにもう一つ。
もうお味見ではありませんね。この後ブランチを食べたので、
その時にまた二つ。計五つをいただいてしまいました。

毎年戴くばかりで恐縮なのですが、おそらく今季私の口に入る
イチゴの中で、これ以上美味しいものはないと思われるので、
有難く、感謝しながら、しばらくこの贅沢なイチゴを味あわせて
いただくことにします。

  あまりん
  

    

薫、匂宮と浮舟の密事を知る

2023年1月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第238回)

昨日の寒さが和らいで、今日は比較的過ごし易い一日と
なりましたが、明日以降は大寒波が近づいて来るとのこと。
そう言えば明後日は「大寒」ですものね。一段と厳しい寒さ
を覚悟する必要がありそうです。

12月はオンラインでの講読会となったこのクラスも、年も
改まって、今月は会場での例会を行うことになりました。

先月のブログにも記しましたが、第51帖「浮舟」の巻は、
最後に死を決意した浮舟の孤絶した姿を映して幕を閉じる
まで、実に巧みなストーリー展開で物語が綴られています
(先月の記事は⇒こちらから)。


本日の講読箇所でのポイントは、薫が匂宮と浮舟の密事を
知る件かと思われます。

ストーリー展開を順に追ってみると、
①浮舟のもとに手紙を届ける薫と匂宮のそれぞれの使者が
宇治で鉢合わせする(匂宮からの使者は匂宮の家来である
時方の従者なので、浮舟方でも右近と侍従以外には、それ
が匂宮の使者であることを知らない)。
②匂宮の使者の言動に不審を抱いた薫の使者が、連れて
来ていた童に尾行させ、浮舟からの返事が、匂宮邸に届け
られたのを確認した。
③六条院に里下がり中の明石中宮が体調不良とのことで、
皆が六条院に見舞いに訪れる。そこで薫が、紅に染めた
薄様(主として恋文に使用される鳥の子紙)の手紙を、脇目
も振らず熱心に読んでいる匂宮の姿を目撃する。
④薫が使者から事の次第の報告を受ける。そこで浮舟から
の返事の手紙の色が紅の薄様だったことを知る。
⑤薫は、これまでの出来事を考え合わせ、匂宮と浮舟が
ただならぬ関係であることに気付き、激しい怒りを覚える。
という過程を辿っています。

けっして不自然ではない、まるでドラマを見ているかのような
設定です。③と④の順序が逆ではないところにも、絶妙な旨さ
を感じますね。

薫の屈辱感と、打ち砕かれた自尊心が向かったのは、直接
匂宮にではありません。匂宮に告げることは、自分のプライド
が更に傷つくことになりますので、薫は、浮舟に詰問の手紙
を送ります。この行為が浮舟をいっそう追い詰めることになり
ますが、そこは次回読むところとなりますので、また来月続き
のような形で取り上げることにしたいと思います。


苦い思いを反芻する夕霧

2023年1月17日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算165回 統合115回)

今週は月、火、水、金、と講読会がありますので、ブログの更新も
昨日、今日、明日、三日連続となる予定です。

今日の高座渋谷クラスは、第39帖「夕霧」も終盤に入って来ており、
次回、ようやく夕霧は落葉の宮と結ばれることになります。でも
本日の講読箇所では、まだそこにまで辿り着きませんでした。

前夜、小野山荘から一条宮へと帰邸した落葉の宮でしたが、夕霧を
避けて、塗籠(寝殿造りの建物において、唯一四方を壁に囲まれた
空間で、納戸的な使われ方をしていたと思われる部屋)に閉じ籠り、
夕霧を寄せ付けようとしませんでした。

あきれ果てた酷いやり方、とは思うものの、夕霧もここで慌てることも
ない、と思い、この夜は諦めて一条宮を後にしました。

三条殿に帰ると、妻の雲居雁は嫉妬心丸出しで、不快感をぶつけて
来ます。必死になだめながらも、今の夕霧にとって気掛かりなのは
落葉の宮のこと。日が暮れる頃になると、拗ねている雲居雁を適当
にかわして、夕霧は一条宮へと急ぐのでした。

一条の宮へ着くと、落葉の宮はまだ塗籠に閉じ籠ったままです。今夜
もこのまま引き返したのでは、自分は世間の物笑いの種となろうかと、
夕霧は意を決して、女房に導かせ、塗籠に忍び込みました。信頼して
いた女房にまで裏切られたと、「かへすがへす悲しうおぼす」(つくづく
悲しくお思いになる)落葉の宮を、夕霧は何とか説得しようとしますが、
声を上げて泣く落葉の宮に手出しできず、いささか後悔の念も湧いて
きます。

ずっと昔から、何の疑いも持たず、愛し合い続けて、無邪気に自分を
信じて安心しきっていた雲居雁が、この一件でどんなに悲しんでいる
ことか、と、「わが心もて、いとあぢきなう思ひ続けらるれば、あながち
にもこしらへきこえたまはず、嘆き明かしたまうつ」(自分のせいで、
こんなにもつまらないことになったのだ、とあれこれと思い続けられる
ので、無理に落葉の宮をおなだめしようともせず、夕霧は嘆き明かし
ておられました)と、同じ塗籠の中に居ながら、この夜も何事もなく
終わったのです。この辺りは、如何にも「まめ人」(真面目人間)らしい
振舞いですね。

こんなことになるのなら、最初から止めておけば良かった、と苦い思い
をすることって、今の世でもよくあるのではないでしょうか。


物語の舞台は「明石」へ

2023年1月16日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第30回・通算77回・№2)

年末から雨知らずのお天気が続き、空気もカラカラに乾いて
いましたが、二日前から南関東でも雨が降り始めました。
火災のニュースが相次いで報じられていましたので、この程度
の雨でも、乾燥状態の改善には少し役だったかと思われます。
気温も今日は最高気温が10度に届かない、寒い一日でした。
明日はお天気は回復するようですが、寒さは続きそうです。

オンライン「紫の会」は第13帖「明石」に入って2回目。

源氏の「須磨」での侘び住まいも、間もなく一年になろうとして
いる時、未曽有の暴風雨が襲って来て、数日たっても収まる
ことなく、遂には源氏の館に落雷して、廊が炎上するという
事態まで生じました。それまでの苦しみは精神的なものだけ
でしたが、ここで身体的危機までもが加わったのでした。

折しも、夢枕に立った父・桐壺院から、「住吉の神のお導きの
ままに、早く舟を出して、この浦を立ち去りなさい」とのお告げ
があり、それに符合するかのように明石から入道のお迎えの
舟がやってきます。今回の講読はここからです。

慎重に考慮する源氏でしたが、住吉明神のお告げに従って
須磨へとやって来たという入道の言葉は、「夢の中にも、父帝
の御教へありつれば、また何ごとをか疑はむ」(夢の中にも、
父帝のご教示があったのだから、また何を疑うことがあろうか)
と、明石へと移り住む決心をしたのでした。

明石は須磨よりも人も多く、入道が趣向を凝らした住まいは、
「げに、都のやむごとなき所々に異ならず、艶にまばゆきさまは、
まさりざまにぞ見ゆる」(なるほど、都の高貴な方々の邸宅と
変わらず、趣向を凝らしたきらびやかさでは、一段上かとも
思われる)ほどで、源氏の人生に明るい兆しの見えて来始めた
ことが伝わってまいります。

さてこの先は、どのような展開になってゆくのか、早くは第5帖「若紫」
で、また前巻「須磨」でも語られて来た「入道の娘」が、明石で暮らし
始めた源氏に関わってくるのは当然予測がつくことで、次回からは
そちらに向かって話が進んで行くことになります。源氏の生涯の中で
唯一女っ気のなかった須磨時代が終わったことで、そうした意味での
源氏らしさも取り戻せそうですね。

この記事でご紹介した話の詳しい内容は、本日の講読箇所の前半部分
の「全文訳・明石(3)」にてご覧いただければと存じます(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(3)

2023年1月16日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第30回・通算77回・№1)

先月から第13帖「明石」に入ったオンライン「紫の会」ですが、
今月は266頁・7行目~274頁・3行目迄を読みました。本日の
全文訳は、その前半部分266頁・7行目~270頁・9行目までと
なります。。後半部分は、第4木曜日(1/26)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

渚に小舟を寄せて、人が二、三人ほど、源氏の君の仮のお住まいを
目指してやって来ます。「お前たちは何者だ」と源氏の君の家来が
問うと、「明石の浦より、前の播磨守で新発意の者が、お迎えの舟を
ご用意して参っております。源少納言(良清)がお側におられるならば、
お目にかかって事情をご説明申しましょう」と言います。

良清は驚いて、「入道は播磨の国の知人で、長年親しく付き合って
おりましたが、私事で少々気まずいことがございまして、これといった
手紙の遣り取りもせずに、長くなりましたのに、波風の騒がしい折に、
どういうことでありましょう」と、訝しく思っておりました。

源氏の君は、夢のことなど思い合わせなさることもあって、「直ぐに会え」
とおっしゃるので、良清は舟へと出向き、入道に会いました。あれほど
激しかった波風なのに、いつの間に船出をしたのであろうか、と良清は
理解しがたい思いがしておりました。

入道は、「去る三月一日の日の夢に、異形の者が現れて、告げ知らせる
ことがございましたので、信じがたいこととは存じましたが、『十三日に
新たかな霊験を示そう。予め舟を用意して、必ず風雨が止んだら須磨の
浦に舟を寄せよ』と、前もっての示唆がございましたので、試しに舟を準備
して待っておりましたところ、猛烈な風雨、雷がそれと思い当たらせてくれ
ましたので、異朝でも夢を信じて国を救うといった類の話は多うございます
ので、源氏の君がお取り上げにならないまでも、夢お諭しにあったこの
十三日を過ぐすことなく、この旨を源氏の君にお知らせ申し上げようと、
舟を出しましたところ、不思議な風が一筋だけ吹いて、この浦に着きました
ことは、本当に神のお導きに間違いのないことでした。こちらでも、もしや
お心当たりのことがおありではなかったかと存じまして、お尋ねする次第で
ございます。とても恐れ多いことではございますが、源氏の君にこの旨を
申し上げてくださいませ」と言いました。

良清は源氏の君に、極内密に入道の話をお伝えしました。
 
源氏の君が思案を巡らされるに、あれこれと穏やかではなく、神仏のお諭し
のような出来事を、過去未来に渡って考え合わされて、「世間の人がこの
ことを聞き伝えて、後々非難するのもただならぬものがあろうと憚って、
この入道の迎えが、本当に神の助けであるかもしれないのに、それに
背いたら、また今まで以上に、物笑いの種になる目を見るかもしれない。
現世の人の気持ちでさえ背き難いもの、些細な事にも身を慎んで、自分
よりも年長の、あるいは位の高い、今の世の信望が一際優る人には、
従って、その人の意向をよくよく考えてみるべきものなのだ、謙虚にして
いれば間違いない、と、昔の賢人も言い残していることだ、実際、命も
尽きるかと思われるほどの、世間にまたとない辛い目の限りを見尽くした
ことだし、今更入道の申し出を断ってここに残っても、どれほどのことも
あるまい。夢の中にも、父帝のご教示があったのだから、また何を疑う
ことがあろうか」と、お思いになって、お返事をなさいました。

「不案内な土地で、世にも稀な辛い限りの目に遭いましたが、都のほう
からだと言って、便りをくれる人もいません。ただ遥か彼方の空の月日の
光だけを、都に居た時の友と思い物思いに耽って眺めておりましたが、
嬉しいお迎えの舟を戴きました。明石の浦で、静かに身を隠せる物陰は
ございましょうか」とおっしゃったのでした。入道はこの上なく喜び、御礼を
言上します。

何はともあれ、夜が明け切らぬうちに舟にお乗りください」、ということで、
いつもの親しくお仕えしている者だけ四、五人をお供に連れて、舟に
お乗りになりました。例によって不思議な風が吹いて、飛ぶようにして
明石にお着きになりました。須磨から明石まではほんの僅かな距離なの
で、さして時間もかからぬとは言え、やはり不思議に思われる風の様子
でごさいました。

明石の浜の様子は、本当に格別の風情があります。人が多いと見える
ことだけが、源氏の君のご希望にそぐわない点でした。入道のあちらこちら
の所有地は、海岸にも山陰にもあって、四季に応じて興を起こさせるように
しつらえた海辺の家、勤行をして後世のことを静かに思うに相応しい山川
のほとりに、立派なお堂を立てて念仏三昧の仏道修行、現世の暮らしの
用意には、秋の田の稲を収穫して納め、余生を豊かに過ごせる稲倉の
一画があるなど、四季折々につけて土地柄相応しい趣向を凝らした
建造物が揃っていました。高潮に恐れをなして、この頃、娘などは岡辺り
の家に移して住まわせているので、源氏の君は、この海辺の館で気楽に
お過ごしになります。
 
船から降りて牛車に乗り移られる頃に、日か次第に差し昇ってきて、入道
は源氏の君のお姿をかすかに拝見するやいなや、老いを忘れ、寿命も
延びる気がして、にこにことして、何よりも先に住吉の神様をともかくも
拝み申し上げるのでした。

月と日の光を手に入れた心地がして、源氏の君のお世話に余念がない
のも無理からぬことでありました。明石の浦の景色は言うまでもなく、
入道が邸宅に凝らした趣向の木立や立石や庭の植え込みなどの様子、
素晴らしい入り江の水なども、絵に描いたならば、修行の浅い絵師では
とても描き切れまいと思われるのでした。これまでの須磨の住まいよりは、
この上なく明るくて、好ましく感じられます。源氏の君のお部屋の調度類
なども立派で、そうした入道の暮らしぶりなどは、なるほど都の高貴な
方々の邸宅と変わらず、趣向を凝らしたきらびやかさでは、一段上か
とも思われました。


訪問者カウンター