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匂宮と薫の気遣いの違い

2023年3月10日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第166回)

今日も最高気温は20度を超え、季節を2ヶ月程先取りしている
陽気となりました。先月の10日、雪のために休講にせざるを
得なかったことを思うと、たった1ヶ月で余りにも差があり過ぎ
ではないでしょうか。

「宇治十帖」の中で最も長い第49帖「宿木」。次回、初めて浮舟
の話が出てまいりますが、今回のところでは、まだ薫のうじうじ
とした中の君への恋が続いています。

先月の講読箇所で、薫は、中の君への思いを封印して、自分
は後見役に徹すべきだと、母・女三宮の所にあるあり合わせの
衣料を、中の君の女房の許に届けさせましたが、今回読んだ
ところでは、更に特別に用意した衣料を贈っています。

本来は、こうした妻となった女性の頼れる実家が無い場合、
後見を引き受けるのは夫の役割でした。紫の上や落葉の宮を
見てもわかりますよね。

ですから、中の君の身の回りを整える役目を担うのは匂宮の
はずなのですが、匂宮は今上帝と中宮を両親とし、次期東宮
にも目されている超お坊ちゃま。物質面での不自由とは無縁
で過ごして来ているので、生活面での認識の欠如は仕方なく、
中の君自身への気配りはあっても、仕えている下々の者たち
の装束などにまでは当然気が回らないのでした。

「この君しもぞ、宮にも劣りきこえたまはず」(薫にしても、匂宮
に劣り申し上げなさることはなく)と、薫だって物質面での苦労
などしたことはないはずだと断った上で、薫がこのような行き
届いた配慮が出来るようになったのは、宇治での八の宮の
わびしいお暮らしぶりを目の当たりにしたからだと、その理由
が述べてあります。

匂宮が時の権力者である夕霧家の婿になったことで、匂宮の
従者たちの目にもこちらは見劣りがするであろう、と思われる
ようになった今、中の君にとっては、薫の援助は欠かせません。

中の君が薫の恋慕に苦悩しながらも、薫との縁を断ち切る訳
にゆかない理由が、説得性のある書きぶりで示されており、
それが、浮舟の登場にも不自然さを感じさせない形で繋がる
所以かと思われます。


薫の取った措置

2023年3月8日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第240回)

日中は気温が20度まで上がり、もう春を飛び越えた初夏の陽気と
なりました。見上げれば一面の青空。これで花粉症が無ければ
言うことなし、なのですが・・・。

湘南台クラスは、第51帖「浮舟」もいよいよ終わりが近づいています。
次回この巻を読了予定です。

匂宮と浮舟の密事は薫の知るところとなり、薫は浮舟に詰問の手紙
を送りました。浮舟はそれを、「宛先違いでございましょう」と言って、
薫に返したのですが、その後、薫からは音沙汰のないまま数日が
経ちました。

浮舟の住まい(旧八の宮邸)に突然現れたのは、薫からこの辺りの
管理を一任されている内舎人でした。薫は、浮舟に仕えている女房
の許に素性の知れない男が通って来ているというのは、警護にあた
っている者の職務怠慢だと内舎人を厳しく叱り、警護強化をするよう
命じたのでした。

「女房の許に素性の知れない男が通って来ている」などと、わざと薫
が誤魔化して言っているのが何を指しているのか、浮舟や右近には
すぐにピンと来たはずです。

薫とすれば、匂宮が浮舟に近づくのを阻止し、浮舟を4月10日に京
へと移し終える迄の措置のつもりだったのでしょう。でもこれが更に
浮舟を追い詰めることとなりました。

もう匂宮に逢うことは難しい。その悲しみもさることながら、そうなると
匂宮が「いかなることをし出でたまはむとするにか」(どのようなことを
しでかすおつもりなのか)と、気になるし、強引に自分を連れ出そうと
して警護の者たちに襲われ、命を落とされることにもなりかねない、
という恐怖にも似た気持ちも持たざるを得ません。現にこの後、匂宮
は宇治を訪ねて、かなりスリリングな体験をすることになります。

どちらを選んだとしても、スキャンダルの種となり、二人の貴公子を
巻き込んで世間に恥を晒すこととなってしまう。自分がこの世から
いなくなることでしか解決の道は無い、それが、処世術の全く身に
ついていない浮舟の思案の限界でした。


今月の光琳かるた(最終回)

2023年3月5日(日)

2015年3月にブログを開始した当時、溝の口と湘南台で「百人一首」
の講座を持っていましたので、その日に取り上げた四首の中から、
「今日の一首」として、ブログでもその一部を紹介しておりました。

2016年に「百人一首」講座が終わってからは、残った歌を毎月一首
ずつ「今月の光琳かるた」としてブログ記事に書いてきました(何ヶ月
か更新できない時もありましたが)。それも今月が最後の一首です。

昨年後半あたりから、遅れ遅れになっていましたが、やはり最終回が
月末では様にならないので、本日更新いたしました。

「百敷や古き軒端のしのぶにもなほ余りある昔なりけり」 
                         百番・順徳院
 100番・順徳院
 (宮中の古い軒端に生えているしのぶ草、その「しのぶ」
 ではないが、いくら偲んでも偲び切れない昔であることよ)

「百人一首」の最後の百首目は、父・後鳥羽院と共に「承久の乱」を
起こし、敗れて佐渡に流され、父院と同じように配流先で生涯を終えた
順徳院の歌です。この歌は承久の乱(1221年)の5年ほど前、順徳院
20歳頃に詠まれた「二百首和歌」の中の一首です。

順徳院は建久8年(1197年)、後鳥羽天皇の第3皇子として誕生。翌9年、
後鳥羽天皇は、わずか4歳の第1皇子・土御門天皇に譲位して院政を
開始。更に承元4年(1210年)、後鳥羽上皇は、まだ16歳の土御門天皇
を譲位させ、14歳の守成親王を天皇にしました。これが順徳天皇です。

後鳥羽上皇による院政は継続され、直接政務に与らない順徳天皇は、
王朝時代の有職故実の研究に傾倒し、鎌倉幕府に対抗して朝廷の
威厳を示す目的もあったのでしょう、それを『禁秘抄』にまとめました。
また、父院の影響を受け和歌にも熱心で、藤原定家に師事して歌才を
磨きました。歌論書の『八雲御抄』は、当時の歌論を集大成したものと
して知られています。

父・後鳥羽院の討幕計画に賛同した順徳天皇は、それに備えるため、
承久3年(1221年)4月に子の懐成親王(仲恭天皇)に譲位しました。
同年5月の「承久の乱」は、幕府軍に完敗。佐渡へ配流となった順徳院
は同地で21年の歳月を過ごし、仁治3年(1242年)46歳で崩御されました。

「承久の乱」から10年後に土御門院が、13年後に仲恭天皇が、18年後
には後鳥羽院も亡くなられ、順徳院は生きる望みも失ったのか、最後は
食を絶っての自死だったと伝えられています。

定家は文暦2年(1235年)、単独撰で第9番目の勅撰集『新勅撰和歌集』
を撰進しましたが、罪人として配流中の後鳥羽院、順徳院の歌の入集は
憚られたのでしょう、一首も採られていません。同じ年の5月、息子・為家
の岳父である宇都宮頼綱(蓮生)が、定家に、嵯峨中院にあった山荘の
襖に貼る色紙形の和歌の揮毫を求めてきました。定家がそれに応じて
送り届けたことが「明月記」の5月27日の条に記されています。これが
「百人一首」の原型であろうと考えられており、よって今、5月27日は
「百人一首の日」とされています。ただ、宇都宮頼綱が幕府方の人で
あることを思うと、文暦2年の時点で、「後鳥羽院」・「順徳院」の歌が
色紙に書かれていたとは考え難いことです。

ではなぜ後になって、定家はこの二首を加えたのでしょうか。それは、
1番・2番を「天智天皇」・「持統天皇」という、天皇を中心とする律令国家
の礎を築いた天皇親子で始めた以上、その終焉を招いた「後鳥羽院」・
「順徳院」という親子を最後に置くべきだと考えたからではないでしょうか。

そうして見た時、順徳院がまだ20歳の青年天皇であった頃に詠まれた
この歌も、「承久の乱」後の悲しみに満ちた順徳院の姿を思い起こさせる
ものがあります。

最後だと思うと長くなってしまいましたが、これで「今月の光琳かるた」は
お終いです。毎月楽しみにしている、とおっしゃってくださる方もあり、励み
になりました。有難うございます。

カテゴリとしての「百人一首」はありますが、歌の順番が前後してわかり
難くなっていますので、近いうちに(と言っても、かなり先になるかもしれま
せんが)索引を作ってUPしたいと思っています。


「ひな祭り」

2023年3月3日(金)

今日は「ひな祭り」。

お雛様を飾って、女の子の健やかな成長を願う今のような
「ひな祭り」が始まったのは、江戸時代からのようですね。

我が家は、子どもも孫も男ばかりなので、「ひな祭り」とは
無縁なのですが、私はお雛様を観るのが大好きです。

今年は「佐野美術館」で雛人形と雛飾りを観ましたが、この
時季は、あちらこちらでお雛様の展示が行われています。
「毎年どこかへお雛様を観に行く」、それを目標の一つとして、
出来るだけ元気でいたいと思っています。

 20230303お雛様
  昨年、友人がプレゼントしてくれた手作りの雛人形。
  今年も飾りました。

 20230303ちらし寿司
    3月3日の夕食は、「ちらし寿司」が定番です。
 

國學院大學博物館・「物語絵『源氏物語』嫁入本」

2023年3月2日(木)

一日の気温変化が大きくて、昼間は春のポカポカ陽気でしたが、
日が落ちる頃になると、風が冷たく、季節が冬に戻ったかのよう
でした。

コロナ禍以降、すっかり遠のいていた渋谷に、先日のオペラに
続き、今日も出掛けることになりました。國學院大學博物館で
公開中の「物語絵『源氏物語』嫁入本」を観るためです。

友人2人と3人で、先ずは渋谷ヒカリエ6Fの「宮崎料理 万作」
でランチをしました。

オペラ鑑賞前とは異なり、今回はお手軽ランチ。3人とも選んだ
のは同じ「宮崎名物チキン南蛮定食 」(税込1,300円)。柔らかな
鶏肉にサクッとした衣。タルタルソースがたっぷりと添えてあり、
とっても美味しい!プラス「よかもよか卵」という、黄身がこんもり
とした特産の卵が「卵かけご飯」用にセットされており、これがまた
goodでした。食後のコーヒーも付けて1,500円。申し訳ないくらい
のお値段でした。また渋谷でランチの時には利用したいお店です。
写真を撮り忘れてしまって、UP出来ないのが残念。

ボリュームも満点で、お腹いっぱいになったところで、渋谷駅東口
からバスに乗って、本日の目的地である「國學院大學博物館」へ
と向いました。

久我家の姫君のお嫁入り道具の一つと考えられている『源氏物語』
全54帖の写本ですが、各帖の冒頭に彩色された美しい絵が付けら
れていて、今回公開されたのは、その物語絵です。色紙大の枡形本
なので、一つひとつの絵は大きくはないのですが、それぞれの巻の
中から場面を抽出して、丁寧に描かれた絵は美しく、江戸時代初期
の作品とも思えない程、保存状態も良好でした。

装飾箱には、本文だけではなく、『源氏物語』の理解に役立つ「年立」
「系図」「引歌」等の巻子装の注釈書も収められており、お嫁入り道具
としての『源氏物語』への深い思い入れが伝わってきました。

『源氏物語』の第17帖「絵合」には、「物語絵」という言葉も使われ、
そこに登場する『竹取物語』や『伊勢物語』の物語絵も、いくつか展示
されていました。

1/28~2/26迄が前期、3/1~3/26迄が後期で、前期の展示を見逃して
しまったのが惜しまれる、充実した展覧会でした。

    国学院・源氏絵②
     博物館入口。ここは何と入館無料なのです。でも
     とても空いていて、ゆっくりじっくり鑑賞出来ました。 
     溝の口の金曜クラスの方が3人いらしているのに
     お会いしました。

         国学院・源氏絵③
      図録は重いので、出来るだけ買わないようにして
      いるのですが、これは薄くて軽く、今後の講座でも
      この物語絵をご紹介できるかな、と思い購入しました。
      
    国学院・源氏絵④
     各帖のあらすじと、物語絵に描かれた場面説明が
     書き添えてあります。

ランチをしている頃から痒くなり始めていた目が、帰宅後、ますます
酷くなり、擦ってはいけないと思うのですが、擦らずにはいられない
状態です。処方してもらった目薬も点してしますが、こうなるとあまり
効果もありません。都会のほうが花粉が多いわけではないはずです
が、やはり排気ガスなどの影響を受けるのでしょうか?ここ数年の
中で、今年の花粉症が一番辛いです( ;∀;)

  
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