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今年の桜

2023年3月28日(火)

東京での開花宣言があった3月14日頃、眼下の公園の桜は
まだまだでした。でも他ではもう咲いてるかも、と思い、一度
ウロウロと歩き回りましたが、一分咲きにもなっていません
でした。数日後から、「菜種梅雨」と言うのでしょうか、雨の
日が続き、その間に桜は一気に満開となりました。

昨日は全国的には好天だったようですが、関東だけどんより
と雲の多いお天気で、今日も同じような予報でしたが、午後に
なると青空も顔を覗かせるようになったので、急ぎ出掛けて
見ました。

     2023桜①
      眼下の公園の桜。やはり近くで見ると、
      春がここに、といった感じがします。

     2023桜③
     溢れんばかりの花をつけた梢に近づいて。

     2023桜②
      満開と思われる桜も、足元を見ると
      もうこんなに花びらが・・・。先週末は
      雨だったので、せめてこの週末まで
      散らずにいて欲しいですね。

もう一箇所、昨年は満開時を見逃してしまった気になる
枝垂れ桜のある公園、週末までに足を延ばしてみたいと
思っています。

「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
                          (在原業平)


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中の君にとっての最大の課題

2023年3月27日(月) 溝の口「湖月会」(第166回)

ここ数日雨模様の日が続きましたが、今日は青空こそ
見えないものの、雨の心配はなく過ごせました。明日も
関東だけがすっきりしないお天気のようです。桜の花が
満開になってから、どうもお花見日和に恵まれません。

第2金曜クラス同様、このクラスも第49帖「宿木」の後半
に入っています。

夕霧の六の君との結婚によって匂宮の夜離れが続き、
自分の置かれた立場の弱さを思い知らされた中の君は、
薫に直接話がしたいと手紙を送り、至近距離で、薫に
宇治行きを懇願しました。言うなれば、中の君のほうに
薫をつけ入らせる隙があった、ということになりますが、
実際薫に迫られ、それを回避していかねばならなくなった
時、中の君にとっては、夫の夜離れよりも更に辛い課題
を突き付けられる格好となりました。

これが全く面識のない相手なら、きっぱりと突き放すことも
出来るのですが、昔から身内でもないのに、親身に世話を
してもらって来た恩義は、中の君もしっかりと認識しています。
だからと言って、薫を受け入れているような応対をするのも
憚られ、「いかがはすべからむと、よろづに思ひ乱れたまふ」
(どうしたらよいものであろうかと、あれこれと思い乱れなさる)
のでした。

今の中の君には、相談できる人が誰もいないというのも、
辛さを増幅していました。若い気の利いた女房は、新参者
ばかりだし、昔から見知っている女房は、皆年老いていて、
こうした事情を語り合うには不向きでした。となると、恋しく
思い出されるのはいつも亡き大君なのですが、そもそも、
大君がご存命なら、薫が中の君を恋慕するようなことも
なかったはずなので、中の君には何とも悲しくやりきれない
思いが募っておりました。

ただ、この苦悩があって、一人で解決策を見つけ出さねば
ならない状況に置かれたからこそ、中の君は薫に浮舟の
存在を告げる決心がついたのだと思います。本来薫には
知られたくないはずの父親の秘密(認知しなかった隠し子
がいる)を告げざるを得なかった中の君の言動を正当化
するには、くどいまでの過程が必要で、「明石」の巻での
入道の登場のような神の力を借りた手ではない、読者が
現実的に感じられる手を用いるところまで、『源氏物語』
自体が深化していた証しではないでしょうか。


源氏と入道の娘の「心くらべ」

2023年3月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第32回・通算79回・№2)

朝から雨が降り止まず、肌寒さを感じる一日となりましたが、
明日はまた最高気温が23度と、5月並みの陽気になるとの
予報です。開花した桜もこの日々乱高下する気温に驚いて
いるのではないでしょうか。

昨日の茶話会に続けて、オンラインが二日続いた方も何人
かおられましたが、今日は講読会で、第3月曜日のクラスと
同じ、第13帖「明石」の真ん中あたりを読み進めました。

入道の話から、その娘との宿縁を感じた源氏は、入道の娘
との結婚を承知し(それについては⇒こちらから)、早速翌日、
娘に求婚の手紙を遣わしました。

源氏に心惹かれながらも、身分の違いを思うと、近づくだけ
みじめな目を見ることになる、と考えている入道の娘は、返事
を書こうともしません。入道の代筆という、常識外れな返事を
受け取った源氏は、さらにその翌日、「私は代筆の手紙など
まだ貰ったことがありません」と言って、再度手紙を贈りました。

娘も父親に無理にせっつかれて、仕方なく筆を取りましたが、
それは都の高貴な女性にも引けをとらないものでした。

源氏も文通相手として満足し、その後は手紙の遣り取りをする
ようになったものの、二人は「心くらべ」(意地の張り合い)の
状態のまま、事はなかなか進展しません。それぞれに、思う
ところがあったからです。

源氏は、腹心の家来の一人・良清が、長年入道の娘に思いを
かけてきたことも知っているので、娘の許に通うようになったら、
自分が横取りした格好になるし、出来ればそれは避けたい、
「人進み参らば、さるかたにてもまぎらはしてむ」(女の方から
進んで仕えるように参上してくれたら、召人にして、うやむや
のうちに事を運んでしまおう)と、相手の出方を窺っているの
でした。

娘は娘で、「なずらひならぬ身のほどの、いみじうかひなけれ
ば」(肩を並べることのできない自分の身分を思うと、何もかも
甲斐の無い気がして)、自分は源氏の今だけの慰め者、言う
なれば「現地妻」で終わってしまう可能性が大で、軽々しく源氏
に靡くようなことは決してするまい、という気位の高さを保って
おりました。

さあこの根競べ、どのような形で決着するのでしょう。それは
来月読むことになります。

本日の記事の全文訳は(⇒こちらから)ご覧くださいませ。


第13帖「明石」の全文訳(8)

2023年3月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第32回・通算79回・№1)

オンライン「紫の会」は第3月曜日(3/20)に続き、第4木曜日の
今日、同じ個所を講読しました(278頁・13行目~285頁・8行目)。
前半部分の全文訳は3/20に書きましたので(⇒こちらから)、
本日の全文訳は後半部分(282頁・3行目~285頁・8行目)と
なります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


入道は、自分の願いがどうやら叶ったという気がして、さっぱりした気分
でいたところ、翌日の昼頃、源氏の君は岡辺に住む入道の娘にお手紙
を遣わされました。娘がこちらが気恥ずかしくなるほどの様子らしい、と
思われるにつけても、却ってこのような人知れぬ所に、意外にも素晴ら
しい女性が住んでいることもありそうだ、と、気をお遣いになって、高麗
の胡桃色の紙に、並々ではなく念を入れて、
 「をちこちも知らぬ雲居にながめわびかすめし宿の梢をぞとふ(どこを
 目指して良いかもわからず、遥かに噂を聞くばかりなのに思い悩み、
 道が少しだけ見えている家の梢を頼りにお手紙を差し上げるのです)
 あなたを恋しく思う気持ちに堪えかねまして」
とだけ書いてありましたでしょうか。

入道も、人知れず源氏の君からのお手紙を待ち申し上げて、岡辺の家
に来ていたところ、期待通りだったので、お使いの者がとてもきまり悪く
思う程、歓待して酔わせたのでした。

娘のお返事はとても遅く、入道が娘の部屋に入って急き立てるけれど、
娘は全く聞き入れようとしません。とても素晴らしい源氏の君のお手紙に
お返事を書くのも気が引けて、臆してしまい、源氏の君と自分の身分の
違いを思うと、比較にもならないという気がして、気分が悪い、と言って
横になってしまいました。

説得に困り果てて、入道が返事を書きました。
 「まことに恐れ多いことでございますが、田舎者の娘には嬉しさが身に
 余るのでございましょう。まだ一度も経験したことの無い恐れ多い
 お手紙を頂戴いたしまして。とは言え、
 ながむらむ同じ雲居をながむるは思ひもおなじ思ひなるらむ(物思い
 に耽って眺めておられるというその同じ空を、娘も同じ思いで眺めて
 いるのでありましょう)
 と、私には思われます。まことに色めいた申しようで」
と、申し上げました。陸奥紙に、たいそう古風であるけれども、書きぶり
は洒落ていました。本当に色めかしいことだ、と、呆れてご覧になります。
入道は、御使いに格別の美しい裳などを禄として与えたのでした。

翌日、源氏の君は、「代筆の手紙は貰ったことがありません」と言って、
 「いぶせくも心にものをなやむかなやよやいかにと問ふ人もなみ(胸も
 塞がる思いで悩んでいることよ。いかがですか、と問うてくれる人も
 いませんので)まだ見たこともないあなたには、恋しいとも言いかねる
 ので」
と、この度は、たいそうひどく優美な薄様に、とても美しくお書きになりました。
この手紙を若い女が素晴らしいと思わないとしたら、それは余りにも内気
過ぎるというものでありましょう。

娘は素晴らしいとは思うものの、比べようもないわが身の程を思うと、全て
が無駄な気がして、却って、こんな娘がいると源氏の君が自分の存在を
お知りになったことを思うにつけて、涙がこみ上げて来て、前日同様に、
全く筆を取ろうとしないのを、入道に無理にせっつかれて、十分に香を
焚きしめた紫の紙に墨付きを濃くしたり薄くしたりしながら書き紛らわせて、
 「思ふらむ心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きかなやまむ(私を
 恋しく思ってくださるというあなた様の御心の深さは、さてどの程度なの
 でございましょう。まだ逢ったこともない人が、噂だけで、悩むということ
 があるのでしょうか)」
筆跡の具合や、歌の出来ばえなどは、高貴な女性にもさほど引けを取り
そうになく、貴婦人風の書きざまです。京でこうした恋文の遣り取りをして
いたことが思い出されて、楽しくお思いになりましたが、続け様に恋文を
お遣わしになるのも、人目が憚られるので、二、三日間を空けて、所在
無い夕暮れとか、或いはしみじみとした夜明け方に、それとなく紛らわせ、
その折々、相手も同じように情趣を感じるであろう頃合いを見計らって、
お手紙の遣り取りをなさると、娘はその相手として相応しいのでした。

思慮深く、気位の高い様子を知るにつけても、逢わずに終わりたくない、
とお思いになるものの、良清が嘗てまるで自分のものであるかのように
話していたのも心外であるし、長年心にかけていたであろうに、と思うと、
良清を目の前で落胆させるのも可哀想だとあれこれ思案をなさって、
女のほうから進んで仕える形を取ってくれれば、召人にして、うやむや
のうちに事を運んでしまおう、とお思いになりますが、女は女で、却って
高貴な身分の女性よりも酷く気位が高くて、いまいましく思われるような
態度なので、お互いに意地の張り合いで日が過ぎてゆきました。
 
京に残した紫の上のことを、こうして須磨の関を隔てて一段と遠くなって
みると、いっそう気掛かりにお思いになって、どうしたものであろうか、
冗談ではなく、心底恋しくてたまらない、こっそりとここにお呼び寄せ
しようか、と、気弱になられる折々もありますが、いくら何でも、このまま
こうして年月を重ねることにはなるまい、今更そのような人聞きの悪い
ことをするなんて、と、じっと我慢をなさっているのでした。


オンライン茶話会

2023年3月22日(水) 溝の口「オンライン源氏の会」(臨時)

昨年の7月から、会場クラスとオンラインクラスの足並みが揃った
ところで、どちらのクラスにも振替自由で行き来ができるように
したのですが、夏にはコロナのために、そして先月は雪のために
会場の2クラスがそれぞれ中止になることがありました。今後も
こうした事態はあり得ることなので、会場クラスが中止になった際、
オンラインクラスに振り替えられるようにしたいと、第1水曜日に
例会を設けているオンラインクラスを後に廻すため、3月の例会を
一度抜き、4月の第1水曜日に、会場クラスの3月分を読む形に
しました。でもそれでは3月何もなくて寂しい、という声もあって、
本日臨時の会として、「オンライン茶話会」を設けました。

自由参加ですので、ご欠席の方も普段の講読会よりも多かった
のですが、オンラインではお互いになかなか話をする機会もない
ので、とても有意義な交流会となったのでは、と思っています。

先ず、3分以内で自己紹介をお願いします、と、招待メールに
書き添えておきましたので、8名の皆さまが、それぞれに
『源氏物語』を読むきっかけとなった出来事をはじめとして、趣味
の話や、東京マラソンに参加して完走した話、ドイツ等の外国の
方々との交流の話、などを、語ってくださいました。
また、ご自宅で飾っておられる手作りの可愛い端午の節句用
(男の子用)の吊るし雛を、お願いして近くに持って来て見せて
いただいたりもしました。

私からの話題としては、たまたま昨夜遅くに、ネットで来年の
NHKの大河ドラマ『光る君へ』のキャスト24人の相関図公開、と
いう記事を見つけたので、それを提供させていただきました。

こうした雑談で盛り上がると、時間はあっという間に過ぎてしまい
ます。講読会時には入れている休憩時間も忘れて取らなかった
のですが、気がつけば予定時間を超えていました。たまには
本に向かうことなく雑談オンリーも悪くないなぁ、と、思いました。

今はコロナも収束してきているし、そのうち一度会場クラスに振替
て、リアルに顔を合わせましょう、と約束を交わしている方々もあり
ました。うんうん、それもぜひ実現してください。

   オンライン茶話会
     最後に「またねー」と手を振り合ってお開きです。
     笑顔がとってもいいですね。写真教室で写真の
     加工について勉強中、という方もありましたが、
     私の写真は常に自動的ピンボケ加工が施されて
     います(笑)


源氏、入道の娘との結婚に同意

2023年3月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第32回・通算79回・№2)

今日はオンラインでの講読会が終わってから、白内障の術後
一年の検診に行ってまいりました。視力も、眼底検査も、問題
なく、これで右目の白内障手術に関しては、術後観察も終了と
いうことになりました。

オンライン「紫の会」は、第13帖「明石」の中盤を読んでいます。

源氏の弾く琴の琴の音に惹かれやって来た入道は、合奏をし、
娘が箏の琴や琵琶の名手で、ぜひ源氏にもお聴かせしたいと
語り、源氏も興味を持ちました。

夜が更けてからも、源氏と入道の話は弾み、ついに入道が、
「この娘のありさま、問はず語りに聞こゆ」(自分の娘のことを
尋ねられもしないのに、自ら語り始めた)のでした。

入道は、源氏がこのような田舎にかりそめにも移って来られた
のは、自分が長年祈願し続けて来たことを、神仏が不憫に
お思いになったからではないか、と言い、この18年間、住吉の
神を頼って毎年春と秋に欠かさず住吉神社にお参りしてきた
ことや、何よりも娘に関して抱いている高い望みを叶えて欲しい
と、勤行の際もそれを第一に祈っていることなどを、源氏に告げ
ました。それは、娘が生まれた時から期待するところがあるから
で(その訳が明かされるのは、第34帖「若菜上」まで待たねば
なりませんが)、何とか都の高貴な方に縁づかせたい、と願って
いることを、切々と訴えるのでした。

この入道のどこか神がかった話に、源氏は、自分がこのように
都を離れ、須磨から明石へと流離って来たことに、「浅からぬ前
の世の契り」(計り知れない前世からの因縁)を感じ、「さらば導き
たまふべきにこそあなれ」(そういうお話なら、私をお引き合わせ
くださるということなのですね)、と入道の申し入れ(娘との結婚)
に同意したのです。

なぜ源氏と入道の娘が結ばれる話を、ここまで神がかりなもの
にしなければならなかったのか。それはいくら大臣家の出身では
あっても、現に受領階級に身を落としている入道が、娘を源氏の
ような高貴な方と結びつけようとすること自体、いかに非現実的な
不自然な話だったかを意味しているからだと思われます。

父の見た瑞夢のことなど知らない娘は、この常識ではありえない
身分違いの結婚を、素直に受け入れることが出来ないというのも
当然だったと言えましょう。

この場面について詳しくは、先に記した全文訳をご覧頂ければ、と
存じます(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(7)

2023年3月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第32回・通算79回・№1)

日本各地での桜の開花宣言が相次ぐ今日この頃ですが、これから
週末にかけて、雨の日が続くようで、気掛かりですね。

今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、第13帖「明石」の丁度
真ん中辺り(278頁・13行目~285頁・8行目まで)となります。今日
の全文訳は、その前半部分(278頁・13行目~282頁・2行目)です。
後半部分は、第4木曜日(3/23)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


夜がすっかり更けてゆくと共に、浜風が涼しくて、月も西のほうに
傾くにつれて一段と澄み切って、しめやかな雰囲気に、入道は
源氏の君に打ち明け話をすっかり申し上げて、この浦に住み
始めた頃の心づもりや、来世の極楽浄土を願う仏道修行の様子
などを、少しずつお話して、この娘のことを尋ねられもしないのに
自分から話し出すのでした。源氏の君は面白く思われるものの、
さすがにしみじみとお感じになるところもありました。

入道は、「まことに申し上げ難いことではございますが、あなた様
がこのような田舎にかりそめにも移っておいでになりましたのは、
長年この老法師のお祈り申し上げている神仏が、私を不憫に思召
して、しばらくの間、あなた様にご心労をおかけ申しているのでは
ないかと思われるのでございます。その訳は、私が住吉の神様を
お頼り申し上げるようになって、今年で十八年になります。娘が極
幼少でございました時から、思うところがございまして、毎年春と
秋には必ず住吉神社に参詣いたしております。昼夜の六時の勤行
でも、自らの極楽往生の願いは、それはそれとして、ただ娘のこと
について、高い望みをお叶え下さい、と祈っております。前世の
因縁が拙くて、私自身はこのように残念な下賤の身となったので
ありましょうが、私の親は、大臣の位を保っておられました。私は
自分から進んでこのような田舎の民となり果てました。子孫が次々
と、そのように落ちぶれていったならば、末はどのような身の上に
なりますことやら、と悲しく思っておりますが、この娘は、生まれた
時から期待するところがございます。どうにかして都の高貴な方
に縁付け申そう、と深く願っておりますので、こうした身分なりに、
多くの人の恨みを買い、私としても辛い目に遭うことも多々ござい
ますが、決して苦しみとは思っておりません。私の生きております
限りは、及ばずながらも、大事に育ててやりましょう。このまま私が
先立ちましたならば、海に身を投げて死んでまえ、と遺言しており
ます」などと、全てをそのままここに伝えるのも憚られるようなこと
をあれこれと、泣きながら源氏の君に申し上げました。源氏の君も、
いろいろと辛い思いをし続けておられる折でもあるので、涙ぐみ
ながらお聞きになっていました。

源氏の君が、「無実の罪を着せられて、思い掛けない世界に
さすらうのも、どうした罪の報いかと、不審に思っておりましたが、
今宵のお話と照合してみると、本当に深い前世からの因縁が
あったのだと、しみじみと感じられることです。どうして、こんな
にもはっきりとおわかりになっていたことを、今までおっしゃって
くださらなかったのでしょう。都を離れた時から、この世の無常さ
にも嫌気がさし、勤行以外のことには目もくれずに月日を過ごし
て来て、すっかり気力も萎えてしまいました。こういう人がおられる
ということは、ちらりと耳にしながら、こんな落ちぶれた私を縁起
でもない、と、相手にもしてくださるまいと、自信を無くしていました
が、そういうことでしたら、私を娘御にお引き合わせ下さるという
ことなのですね。心細い独り寝の慰めにもなりましょう」とおっしゃ
るのを、入道はこの上なく嬉しいと思っておりました。
 
「ひとり寝は君も知りぬやつれづれと思ひあかしの浦さびしさを
(独り寝とおっしゃいますが、あなた様もおわかりでしょうか。所在
無く物思いに夜を明かす明石の浦に住む娘の寂しさを)ましてや
長の,年月、娘の事を案じて胸もつぶれる思いをしてまいりました
私の気持ちをお察しくださいませ」

と、申し上げる入道の様子は、身を震わせているものの、さすがに
品格は失われていませんでした。源氏の君が「それでも、浦住まい
に慣れておられる方は私ほどではありますまい」とおっしゃって、
 
「旅衣うらがなしさにあかしかね草のまくらは夢もむすばず」(明石
の浦での旅寝の悲しさに夜を明かしかねて、夢を結ぶこともありま
せん)

と、打ち解けてお気持ちをお伝えになるご様子は、実に魅力があり、
言いようもないお美しさでございました。入道は数え切れないほど
あれこれと源氏の君にお話しましたが、煩わしいので、ここまでに
いたします。

入道の言葉もわざと誇張表現をして書きましたので、いっそう愚か
で偏屈な入道の性格も、顕著になったことでありましょう。


こんなサロンの女主人になりたい

2023年3月17日(金) 溝の口「枕草子」(第50回)

今日は雲が厚くどんよりとした一日でしたが、帰宅するまで
雨も降らず、気温も昨日までに比べると幾分低かったものの、
寒さを感じる程ではありませんでした。明日は朝から雨で、
最高気温が10度に届かない真冬の寒さになるとのこと、
気をつけて過ごしたいですね。

「枕草子の会」の会場クラスも、再開後は順調に読み進んで、
今月は第283段~第291段までを読みました。

第284段の内容は、実際の状況を伝えた話ではなく、自分が
このようなサロンの女主人として君臨するのは楽しかろう、と
作者が想像をして書いている段です。

それがどのようなサロンかというと、それぞれが高貴な方の
もとに出仕している女房たちの宿下がり先となっていて、
その女房たちが、「おのが君々の御事、賞できこえ、宮のうち・
殿ばらの事ども、かたみに語り合わせたるを、その家主にて
きくこそ、をかしけれ」(各自の仕えているご主人のことを自慢
し、宮家の内幕や大臣家の出来事などをお互いに話し合って
いるのを、その家の女主人として耳にするのは、きっと楽しい
ことだわ)、というものです。

直接話をするか、手紙以外に、情報伝達手段のなかった時代
にあって、女房という存在は貴重な情報源で、こうした交流の
場で、情報交換をしていたのだと思われます。

他人の噂話は楽しい、と明言している清少納言。この架空の
随想は彼女らしくもありますね。さすがに、最後にはいい訳を
付け加えています。「よき人のおはしますありさまなどの、いと
ゆかしきこそ、けしからぬ心にや」(高貴なお方のお暮らしぶり
などが、知りたくてたまらない、なんていうのは、不届きな考え
ですよね)。

  国宝「源氏物語絵巻」夕霧段
 これは「国宝・源氏物語絵巻」夕霧段ですが、夫・夕霧の
 読む手紙を背後から奪おうとしている妻・雲居雁。ご主人
 夫婦の間にこれから起こるであろう騒動を聞き漏らさじ、
 と襖にピタッと身体をつけて、耳を澄ましている女房二人。
 こうして仕入れた情報を、女房同士で交換していたので
 しょう。「家政婦は見た!」(古過ぎ?)の世界です。


雲居雁の憎めない人柄

2023年3月14日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算167回 統合117回)

昨日から個人の判断に委ねられることになったマスクの着用。
昨日も今日も電車に乗って出掛けましたが、殆どの人がまだ
マスクは着用していますね。ちょっと安心しました。今は花粉症
対策の意味もありますし、マスクを着用し続ける人は多いと思い
ますが、段々と暑くなってきた時、どうなるでしょうか?コロナ前
からマスク派の私は、もちろん着け続けますが。

高座渋谷のクラスは今回で第39帖「夕霧」を読み終え、第40帖
「御法」に少し入りました。

結婚して10年余り、「まめ人」(真面目人間)のお手本のような
夕霧が、落葉の宮と夫婦気取りでいると聞いた妻の雲居雁は、
怒りを顕わにして実家(致仕大臣邸)に帰るという騒動にまで
発展しました。

夕霧には、正妻の雲居雁の他に、ただ一人藤典侍(惟光の娘)
という公認の愛人がいますが、身分差もあり、雲居雁もそれで
どうこうということなく過ごしてきました。藤典侍とすれば、妻の
一人として認めてももらえない立場を、声をあげることも出来ず
にいましたが、一対一では太刀打ちできなかったところに、
落葉の宮という共通の敵が現れたことで、日頃の鬱憤を晴らす
チャンスと思えたのか、雲居雁に次のような歌を贈りました。

「数ならば身に知られまし世の憂さを人のためにも濡らす袖かな」
(私も妻の数に入る身でしたら、自分のこととして思い知ることに
なったであろう夫婦の仲ですが、今はあなた様のために、涙で
袖を濡らしていることでございます)

受け取った雲居雁の返歌は、
「人の世の憂きをあはれと見しかども身にかへむとは思はざりしを」
(他人の夫婦仲の不幸をお気の毒に、と思ったことはありましたが、
わが身のこととなるとは思いも寄りませんでしたのに)
というものでした。

あまりにも率直で、自分の思いを何ら取り繕おうともしていません。
これでは藤典侍も、肩透かしに遭ったような気分がしたことでしょう。

素直で、まったく表裏のない雲居雁の人柄がそのまま出ている歌
ですが、どこか可愛くて、これでは憎めませんね。だからこそ、
致仕大臣の正妻(雲居雁にとっては継母)から継子いじめを受けた
形跡も見られないし、異母姉の弘徽殿の女御とも仲良しでいられた
のでしょう。

第44帖「竹河」で、息子の少将が、玉鬘の娘の大君に熱心に求婚
しますが、大君は冷泉院に院参して、振られてしまいます。雲居雁
は恨めしくもありましたが、そのおかげで、長年疎遠になっていた
姉・玉鬘と、頻繁に手紙の遣り取りをすることも出来るようになった
のだし、と思い、お祝いに立派な女装束を沢山贈りました。こうした
ところにも好感が持てますね。


「いささかなるものの報い」とは?

2023年3月13日(月) 溝の口「紫の会」(第65回)

今日は久々の雨となりました。講読会が終わる頃には
すっかり止んでいましたが、それでも飛散している花粉
を雨が落としてくれたのか、帰宅後の花粉症が、さほど
酷くはありません。

この会場クラスは、6月迄でオンラインクラスと足並みが
揃うように、時間も30分延長し、最後に現代語訳を読み
上げて、皆さまにその日の講読箇所を確認していただく
作業も、今年に入ってからは、カットする状態が続いて
いますが、あと3回、何とか目標達成の目途も立ってきた
ところです。

今回は第12帖「須磨」を読み終え、第13帖「明石」に入り
ましたが、話としてはちょうど一まとまりの、源氏が須磨
に謫居してまもなく一年になろうとする3月1日、海辺で
「上巳の祓(じょうしのはらえ)」を行っている最中に、
突然暴風雨に襲われ、雷まで加わり、それが3月13日
まで続いた、という箇所に当たります。

「明石」の巻の冒頭文は、「なほ雨風やまず、雷しづまら
で日ごろになりぬ」(依然として風雨は止まず、雷も鳴り
静まらず、幾日も経った)で、「須磨」の巻末をそのまま
受けています。

源氏も、もうこのまま自分の人生も終わるのであろうか、
と弱気になっていますが、3月13日の夜、亡き父・桐壺院
が夢枕に立ったことから、新たな道が開け始めます。
それについては、12月にオンラインクラスで読んだ際に
書きましたので(⇒こちらから)、今日はちょっと細かい
その中の父院の発言に触れておきたいと思います。

夢の中で、もうこの地で命を終わろうかと思う、と弱気な
事を言う源氏に、父院は、「いとあるまじきこと。これは
ただいささかなるものの報いなり」(それはあってはならない
事である。このような目に遭うのは、ただちょっとした罪の
報いにすぎないのだ」とおっしゃいました。「ちょっとした罪」
とは、桐壺院は何を思って言われたのか。

源氏が犯した罪、となれば、読者も一番に思い浮かべる
のは、藤壺との密事です。勿論それを意味しているという
説もあるのですが、いくら何でも桐壺院が「いささかなる」と
口になさるほど軽い問題とは考え難いのですが、如何で
しょう?

真意のほどはわかりませんが、作者もおそらくここは言葉
の流れのような感覚で、「人が誰も無意識の内に犯している
罪」程度の意味で書いたのではないか、と思われます。

ただ、この父・桐壺院が源氏と朱雀帝の夢枕に立たれた
こと自体の持つ意味は大きく、桐壺院がどこまでも源氏を
慈しみ、護ろうなさっていたかがよくわかります。


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