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ご近所さんとのランチ

2023年6月28日(水)

昨日、今日と湿度が90%を超え、しかも気温も30度超え。
この上ない不快指数の高さです。でもご近所さんとの
楽しいランチタイムが持てて、気分は上々の一日となり
ました。

同じマンションで同じエレベーターを利用する私たちです
が、稀に二日続けて偶然お目にかかることもあれば、
数ヶ月の間、「〇〇さん、どうしていらっしゃるかしら?」と
思うほど、お会いしないこともあります。それでも、顔を
合わせれば立ち話に興じるお付き合いをしている4人で、
前回がいつだったか、もうコロナ禍のだいぶ前ということ
しか思い出せないほど久しぶりに、ランチをご一緒し、
美味しく食べて、楽しくおしゃべりして、の時間を過ごして
まいりました。

関東一円から集まる、ということになると、郊外のこの辺り
からは、1時間程度は電車に揺られて、が普通になります
が、今日はご近所さん同士、電車で10分の田園都市線・
青葉台駅から徒歩3分ほどの「グリーン・ハウス」という
イタリアンに行きました。お一人の方がご存知のお店で、
「どこにする?」と言っていた時に、ここを候補に挙げて
くださったので、即全員賛同となりました。

ビルの8Fですが、店内に入ると、奥が広くて、テーブルの
数も20位はあったと思います。でも予約してくださっていた
から直ぐに席に案内されましたが、どのテーブルにも既に
人が座っている状態でした。男性客の姿は無し。女性の
お友達同士と思われる人ばかり。それも、幼い子供を持つ
ママ友さん世代ではなく、我々と同じような世代(大きな声
では言いたくないのですが、ババ世代)が圧倒的に多い
のでした。

お二人は、メインのパスタに、オシャレな前菜とスペシャル
デザート付きのBランチ。もう一人と私は、シンプルな前菜と、
デザートがぶどうのムースのAランチ。どちらもドリンクバー
付き。

お味も良く、ボリュームも満点。何よりコスパの良さに感動!
Aランチ1,450円、Bランチ1,950円。都心のお店なら、
倍以上のお値段がついていると思います。

お食事と共に、女同士で気の置けないお喋りに花を咲かす
のがまた楽しいのですよね。2時間なんてあっという間。

コロナの第9波が始まっていると言われていますが、再び
大波が押し寄せて、こうした日常の中のささやかな楽しみ
を奪わないでほしいものです。

 グリーンハウス・パスタ
 メインは選べるパスタで、全員「小エビと茄子の辛口
 トマトソース」。私は唐辛子が強いと口の中がヒリヒリ
 して赤くなるので、辛味を抜いていただきました。


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薫の昇進

2023年6月26日(月) 溝の口「湖月会」(第169回)

薫の中の君への断ち切れない思い、匂宮が夕霧の六の君と
結婚したことで、匂宮の子を身籠りながらも、不安定な立場に
置かれた中の君。第49帖「宿木」の第2年は、ずっとその状態
を引きずって来ましたが、第3年を迎えると、次のステージに
向かって、話が次々と進展して行くようになります。長かった
「宿木」も終わりが見えてまいりました。

「宿木」の第3年目(薫26歳)は、1月の末、中の君の出産が
間近となったところから語られ始めます。今上帝の女二の宮
の裳着(女性の成人式)の準備も進み、薫との結婚も近づい
ていますが、薫は、「そなたざまには心も入らで、この御こと
のみいとほしく嘆かる」(ご婚儀のことには気乗りもせず、
中の君のことばかりが案じられて嘆かれる)有り様でした。
帝の肝煎りで進められている結婚ですが、このような薫と
結婚する女二の宮はお気の毒ですよね。

月が替わり、2月の初めに、薫は権大納言兼右大将に昇進
します。これ迄の「中納言殿」という呼称もここからは「大将殿」
となります。

主な登場人物の大納言昇進時を見ると、源氏は明石からの
帰還時に28歳で、頭中将は「薄雲」の巻で36歳以上、柏木は
「柏木」の巻で32、3歳(これは帝の温情による昇進)、夕霧は
「若菜下」で25歳、となっています。

夕霧の場合は、父・源氏が准太政天皇という地位にあります
から、この若さでの大納言となったのでありましょうが、薫の
ような父親もいない身でのこの昇進は、やはり女二の宮の
降嫁が控えていたことによるかと考えられます。

今月の溝の口の第2金曜クラス、湖月会、オンラインクラスの
講読箇所は、続く中の君の出産と「産養(うぶやしない)の儀」
までとなりますが、そこはオンラインクラス(7/5)で取り上げたい
と思います。


一部のカテゴリを古い順に並べ替え(追記)

2023年6月25日(日)

昨日の記事の追記です。

姉から再度アドバイスがまいりまして、今「紫の会」で講読中の
「明石」は新しい順のままにして、「須磨」までの記事は古い順に
並べ替えたらどう?というものでした。それは良い考え、と思い、
「桐壺」~「須磨」までの12帖分を、「紫の会」①というカテゴリに
して、『源氏物語』の記事も、最初から読んでいただけるように
いたしました。

ついでに「全文訳」も同様に、「明石」だけはそのままにして、
「桐壺」~「須磨」までは、最初から順に読めるよう、これも
「源氏物語の全文訳」①というカテゴリを作って、そちらに移し、
古い順に並べ替えをしました。『源氏物語』の記事と併せて
ご利用頂ければと思います。


一部のカテゴリを古い順に並べ替え

2023年6月24日(土)

一昨日の記事で頂戴したコメントの返信に、私が「拙ブログは、
講読するクラスによって、物語が前後してしまい、わかり難くて
すみません。カテゴリのクラス別にアクセスしていただくほうが、
話が続いて読み易いかもしれません。それでも後で書いたもの
のほうが、先に出て来てしまいますけど・・・🙇」と書いたのを、
姉が読んで、「ホント、後で書いたものが先に出て来て、初回を
見たいと思っても、遥か彼方だったりして、辿り着けなかったり」
と、LINEのメッセージが送られてきました。

これまであまり考えなかったことですが、カテゴリの項目ごとに
古いものから順に表示できるのなら、と「カテゴリの管理」の画面
を開けてみたら、「なぁ~んだ、簡単に出来るじゃないの」でした。

ただ現在進行形のクラスもそうしてしまうと、最近の記事が遥か
彼方になってしまい、それはそれで不都合なので、既に読了と
なった項目の所だけを、古い順に表示されるようにしました。

カテゴリの「枕草子の講読会」を開けて頂くと、「春はあけぼの」
の記事から出てくるようになりました(『枕草子』は、『源氏物語』
のような続いた話ではありませんので、あまり意味はないかも
しれませんが)。

本当は『源氏物語』の最初から書いている「溝の口(紫の会)」を
古い順にしたいのですが、現在月に3回新しい記事になって行く
ので、難しいところですね(こちらは従来のまま新しい順となって
います)。同じ意味で、全文訳も古い順に出来ずにいますが、
全文訳を要約した「源氏物語のかなり詳しいあらすじ」のほうは
古い順に並べ替えようか、とも思います。

そういえば、この『源氏物語』のあらすじ版、「明石」に入ってから
一度も更新していません💦間もなく「明石」を読み終えるところ
まで来てしまっているのに、急がねば・・・。次の「澪標」に入る前
にUPするようにいたします。その時に古い順にするか、今のまま
新しい順にしておくか、決めることにします。

6月2日にご紹介したコミック『神作家 紫式部のありえない日々』
(その記事は⇒こちらから)の3巻が昨日発売となり、予約購入を
したので、もう届きました。まだ出たばかりなのに、ネタバレは良く
ないですよね、止めておきます(*´∀`)

        神作家紫式部のありえない日々③
      4巻は2024年初春発売予定!!となっています。
      ちょうど紫式部の大河ドラマが始まる頃ですね。


箏の琴の名手ここに在り

2023年6月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第35回・通算82回・№2)

源氏と入道の娘が結ばれて約1年。源氏28歳の7月20日過ぎ、
京への召還の宣旨が下されました。8月に入り、いよいよ源氏
の出立が明後日となった日、源氏は入道の娘と最後の逢瀬の
時を持ち、初めて娘の弾く箏の琴の音を聴きます。

入道が自慢して、源氏もそれが聴きたいから娘に逢いたいと
望んだにも拘らず、娘はこれまで源氏の前で琴を演奏していま
せんでした。

源氏は箏の琴の一番の名手は藤壺だと思ってきました。当世風
で、聞く人誰もが「ああ素晴らしい」と満足する演奏でしたが、
入道の娘の琴の音は、「あくまで弾き澄まし」(どこまでも音が
澄み切っており)、「心にくくねたき音ぞまされる」(奥ゆかしく、
癪に障るほど、音色が優れている)のでした。

「ねたし」(癪に障る)というのは、この場合最大の褒め言葉として
使われています。源氏はどうして何ヶ月物もの間、無理強いを
しても聴かなかったのだろう、と悔やまれ、いっそう入道の娘に
心惹かれます。再会の約束をなさり、京から持ってきた自身の
琴の琴を「また搔き合はせするまでの形見に」(また一緒に合奏
する時までの形見に)と、明石に残して行くことにしたのでした。

初めて声に出して歌を詠み交わした時の入道の娘の印象は、
その雰囲気が六条御息所にとてもよく似ている、というものでした。
そして今、箏の琴の音が藤壺にも優ると源氏に思わせたのです。
六条御息所や藤壺は、貴婦人中の貴婦人。その二人に劣らない
入道の娘は、すぐさま都の上流貴族社会で通用する、つまり
源氏の妻として何ら不足のない女性だということがわかります。
ただ一つ、彼女に不足していたのは、出自が受領階級という、
本人の力ではどうすることもできない身分だったのです。


第13帖「明石」の全文訳(14)

2023年6月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第35回・通算82回・№1)

今月のオンライン「紫の会」は、295頁・4行目~300頁・7行目までを
読みました。これで会場クラスと、オンラインの2クラス、すべての
足並みが揃いましたので、来月からは、この全文訳も、3回に分けて
書くようにいたします。今回は、6/19に書きました前半部分(⇒こちらから
に続く後半部分の(297頁・10行目~300頁・7行目)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


いよいよ源氏の君の出発が明後日となった夜、これまでは夜がすっかり
更けてからでしたが、此の夜ばかりはさほど遅くならないうちに岡辺の宿
へとお出かけになりました。

これまではっきりとご覧になったことの無い入道の娘の容貌などが、とても
優雅で奥ゆかしく気高い様子で、驚くほど素晴らしい女だったのだなぁ、と、
このまま見捨て難く、残念にお思いになります。しかるべき扱いにして都に
迎えよう、というお気持ちになられました。そのように約束してお慰めに
なります。

源氏の君のご容貌やお姿は、また改めて言うまでもありません。何年もの
勤行でひどく面窶れしておられるのが、却って言いようもない程素晴らしい
お姿で、辛そうなご様子で、涙ぐみながら、しみじみと先々迄の愛をお約束
なさるのは、ただこの程度のはかない幸せで終わったとしても良いのでは
ないか、とまで思われるのですが、源氏の君の素晴らしさにつけても、自分
の身の程を思うと悲しみは尽きません。波の音が、秋の風に響き合うのは、
やはり格別のものがあります。塩焼く煙がかすかにたなびいて、何もかもが
物悲しく感じられるこの明石の浦の景色でした。
 
「このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じかたになびかむ」(この度は別れ
別れになっても、藻塩を焼く煙が同じ方にたなびくように、やがてはあなたを
都にお迎えしましょう)と源氏の君がおっしゃると、
「かきつめて海士のたく藻の思ひにも今はかひなきうらみだにせじ」(かき
集めて海士が焚く藻のように、私の心は悲しみの物思いでいっぱいですが、
今は甲斐も無いこととて、お恨みも申しますまい)
と返歌をして、入道の娘はしみじみと泣き、言葉は少ないものの、しかるべき
お返事などは心を込めて申し上げます。

いつも聴きたがっておられた琴の音などを、どうしてもお聞かせ申し上げ
なかったことを、源氏の君はたいそうお恨みになります。「それでは、あなた
に対する形見の思い出となるよう、一曲だけでも私が弾きましょう」とおっしゃ
って、京より持って来られた琴の琴を、取りに使いをお遣りになって、格別に
風情ある曲をほのかに掻き鳴らしなさると、深夜の澄んだ音色は、たとえよう
もない程素晴らしいものでした。

入道は我慢しきれなくなって、箏の琴を手に取って御簾の内に差し入れたの
でした。娘自身も、ひとしお涙を誘われて止めようもないので、自然とその気
になったのでありましょう、忍びやかに箏の琴を弾く様子は、とても高貴な
気品を湛えていました。

藤壺の御琴の音色を、当代に比類のないものと思い申し上げておりましたが、
それは当世風で、ああ素晴らしい、と聴く人が満足して、容貌までが想像される
点で、本当にこの上ない御琴の音色でした。入道の娘のは、どこまでも音色が
澄み切っていて、奥ゆかしく、癪に障るほど、音色が優れておりました。

源氏の君のような音楽に精通した方のお心にも、初めて聴くしみじみと親しみ
を感じさせる、物珍しい曲などを、心残りに感じられる程度に途中までで弾き
さして、残念だとお思いになるにつけても、この何ヶ月もの間、どうして無理強い
をしてもいつも聴かなかったのだろうと、残念にお思いになりました。

心を込めて、再会のお約束ばかりをなさるのでした。「琴の琴はまた一緒に
合奏する時までの形見にここへ置いてゆこう」とおっしゃいます。娘が、
「なほざりに頼め置くめる一ことを尽きせぬ音にやかけてしのばむ」(いい加減な
お気持ちでおっしゃっている頼りに出来るような一言を、私はいつ迄泣きながら
思い出すことになるのでしょうか)
と、言うともなく口ずさんだのを源氏の君はお恨みになって、
「逢ふまでのかたみに契る中の緒の調べはことに変わらざらなむ」(再び逢う迄
の形見とお約束するこの琴の中の緒の調子と同じように、お互いの愛も特に
変わることがないようにと願っております)
と返歌され、この琴の音が狂わないうちに必ず再会しよう、と頼りにさせなさる
ようでした。けれど娘の身になれば、ただこの別れの辛さに胸が詰まってしまって
いるのも、本当に無理のないことなのでした。


薫と匂宮の心理戦

2023年6月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第243回)

ここ数日、梅雨の晴れ間で心地良く過ごせたのですが、それも
今日までのようで、明日からはまた雨の日が続くことになりそう
です。

浮舟の失踪に騒然とする宇治の様子から始まった第52帖「蜻蛉」
ですが、薫が登場するのは、亡骸もないまま浮舟の葬儀が既に
終わってしまってからになります。

薫は浮舟の失踪時、母・女三宮の病平癒の祈願のため、石山寺
に参籠中でした。本来なら真っ先に弔問のお使いがあってしかる
べき薫から何の連絡もないのを、宇治の人々が世間体も情けなく
思っていると、宇治にある薫の荘園の人が石山寺に知らせに行き、
初めて知った、という事情があったからなのです。

なぜ自分に相談もなく、急いで簡略な葬儀をしてしまったのか、と
薫は悔やまれますが、今更言ったところで甲斐もないことでした。

匂宮は、突然の浮舟の死がショックで、体調を崩してしまわれ
ました。薫もお見舞いに参上します。そこから薫と匂宮の複雑な
心理戦が絶妙な筆致で描かれています。

匂宮は涙をこらえることが出来ず、流れ落ちるのをきまり悪く感じ
ながらも、「薫が自分の涙を浮舟を思ってのものだとは気づくまい」
とお思いでした。薫は当然わかっています。世間話をしているうちに
「いと籠めてしもはあらじ」(そんなにも黙っていることはあるまい)
と薫は思い、浮舟のことを匂宮に皮肉を交えて語り始めます。

①「昔御覧ぜし山里」(匂宮も昔お通いになったことのある宇治の
山里)に、大君に血の繋がりのある女性を住まわせていたですが、
彼女には②「なにがし一人をあひ頼む心もことになくやありけむ」
(私一人を頼りにする気持ちも特にはなかったのではないか)と
思っています。③「聞しめすやうもはべらむかし」(お耳になさった
こともおありでしょうね)と、立て続けに皮肉の言葉を投げかけ
ました。

薫としては、①は「最近もいらしたはずの宇治の山里に」、②は、
「あなたのことも頼る気持ちがあったようですね」、③は「お耳に
なさるという程度ではなかったのでしょうが」と言いたいところを、
それとなく皮肉で伝えた、ということになりましよう。

ここで初めて薫は泣きます。一度泣き出すと、涙というものは
止まらないものです。さすがに匂宮も、薫が自分と浮舟の密事
を知っているのでは、と気づいたものの、「昨日、その女性の事
はちょっと聞きました。あなたが公にしていない女性のことで、
お悔やみを申し上げるのも憚られて」と、何食わぬ顔でお答えに
なります。

薫はさらに、「あなたにはご紹介したいとも思っていた人でした。
でも二条院にもお出入りする縁故もございましたから、自然と
お目に留まったこともあったかもしれませんね」と、当てこすって、
帰って行ったのでした。

このような心理戦の場面が、千年も昔の物語上で描かれている
ことにも、『源氏物語』が出色の作品であることを感じますね。


源氏の京への帰還決定

2023年6月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第35回・通算82回・№2)

「紫の会」で講読中の第13帖「明石」ですが、今日は源氏
にとって、運命の転換点となる「召還の宣旨」が出るところ
から読み始めました。

明石で入道の娘と結ばれ、娘に心惹かれながらも、京で
一人寂しく暮らしている紫の上に対する後ろめたさから、
積極的に通うこともなく、月日は流れて行きました。

翌年(源氏はここで28歳)、都では朱雀帝が、ご自身の
御目の病、相次ぐ神仏のお告げめいた不穏な出来事、
母・弘徽殿の大后の体調不良、などが重なって、譲位を
お考えになっていました。そうなった時、現東宮の後見役
を務められるのは源氏唯一人なので、帝は源氏の召還
を決心なさったのでした。これまで帝が源氏の召還を口
になさる度、弘徽殿の大后に反対され、実現しなかった
のですが、ついに帝は、母の諫言に背いて宣旨を下され
たのです。7月20日過ぎのことでした。

京から須磨へと下向したのが26歳の3月20日過ぎ。翌年
の3月13日に入道の迎えに従い、明石へと移り住みました。
入道の娘と結ばれたのが、同年8月13日でした。それから
約1年、京を離れてからですと、2年4ヶ月後ということに
なります。

必ず帰京できると信じてはいても、それがいつかも分からず、
不安な中で日々を送ってきた源氏にとって、安堵と喜びは
この上ないものであったに違いありません。一方で、それは
入道の娘との別れを意味するものでもありました。折から
娘には懐妊の兆候が現れています。ここへ来て、源氏は
毎夜娘の所へ通い続けていますが、娘の悲しみがそれで
癒されるはずもなく、嘆きは増すばかりです。

それでも、我が子を身籠っているにも拘らず、入道の娘を
伴って帰京しようという考えは、源氏にはありません。後に
この母娘は京に迎え取られますが、このまま捨てられても
文句の言えない立場だったのです。またそれを責める人も
いない時代だったことは、「宇治十帖」の浮舟が、父・八の宮
に認知してもらえなかったことからもわかります。今の世では
凡そ許されるはずもない身分差別が当たり前の、平安貴族
社会の一面も映し出していると思われます。

この辺りの本文は、先に書きました「明石の全文訳(13)」で
ご確認いただければ、と存じます(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(13)

2023年6月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第35回・通算82回・№1)

今月のオンライン「紫の会」は、いよいよ源氏に京への召還の宣旨
が下った所から、出立前に入道の娘との最後の逢瀬を惜しむ所迄
を読みました(295頁・4行目~300頁・7行目)。今日の全文訳は、
その前半部分(295頁・4行目~297頁・9行目)です。後半部分は、
6/22(木)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


年が改まりました。帝のご病悩のことがあって、世の中では様々に
それについて取り沙汰されていました。朱雀帝の御子は、右大臣の
娘である承香殿の女御が男御子をお生みになっていましたが、2歳
におなりになったところで、まだとてもご幼少です。ここは東宮に譲位
なさることになります。その場合、新帝の後見をして政治を執り行う
べき人物を帝が思い巡らされると、この源氏の君がこうして不遇で
おられることは、とても惜しく不都合なことなので、遂に母・弘徽殿の
大后のご諫言にも背いて、源氏の君をご赦免になるという評定が
なされました。

去年から、弘徽殿の大后も物の怪にお悩みになり、様々な神仏の
お告げがしきりにあって、不穏である上に、帝はたいそうあれこれと
ご謹慎をなさった甲斐があってか、多少快方に向かっておられた御目
のご病気までもがこの頃悪化してこられて、何となく心細くお思いに
なったので、7月20日過ぎに、また重ねて源氏の君を京へ召還すると
いう宣旨が下ったのでした。

いつかはこうなることと思っていたけれど、この世の無常を考えるに
つけても、一体どうなってしまうのか、源氏の君はお嘆きになっており
ましたが、こうして急に帰京が決まったので、またこの明石の浦を、
これを最後と立ち去ることを思い嘆いておられると、明石の入道は、
当然のこととは思うものの、この話を聞くやいなや胸も塞がる気が
しますが、思い通りに源氏の君がお栄になってこそ、自分の願いも
叶うことになるのだ、と、思い直しておりました。

その頃は、源氏の君は途絶えることなく入道の娘の許にお通いに
なっておられました。6月頃から、娘には懐妊の兆候である悪阻の
様子が見られ、気分がすぐれませんでした。こうしてお別れせねば
ならない時なので、生憎にも源氏の君は愛情がお増しになるので
しょうか、入道の娘を以前よりもいとしくお思いになって、不思議にも
物思いの絶えることの無い身の上であることよ、と思い乱れておられ
ます。ましてや女の方は改めて言うまでも無く、悲しみにうち沈んで
いるのは本当に無理もないことでございました。

思い掛けず、須磨への悲しい旅立ちをなさいましたが、いつかは
きっと都へ帰ってくることが出来ようと、一方では希望を持って気持ち
を慰めておられました。この度はその時とは逆に嬉しい京への旅立ち
ではありますが、またこの明石の浦を訪れることがあろうか、とお考え
になると、しみじみとした思いがなさるのでした。

お仕えしている家来たちも、それぞれの身に応じて、帰京できることを
喜んでいました。京からもお迎えに人々が参上し、陽気にはしゃいで
おりますが、主の入道は涙に暮れたまま、月が替わり8月となりました。

仲秋のしみじみとした空の佇まいに、源氏の君は、どうして自分から
求めて、今も昔も、心の赴くままの恋の道にわが身を打ち捨ててしまう
のであろう、と、様々に思い乱れていらっしゃるのを、その事情がわか
っている家来たちは、「ああ困ったお方だ。またいつもの悪い御癖だ」と、
見申し上げては不快そうにしておりました。この幾月も、少しも人には
そのような素振りをお見せになることなく、時折、こっそりとお通いになる
程度の冷淡さだったのに、近頃はまたあいにくとご熱心なことで、却って
女の嘆きの種となるばかりだ、と突き合っているのでした。良清は、
源氏の君に入道の娘の存在を知らせることとなった北山での噂話の
ことなどを、他の家来たちがひそひそと話しているのを、面白くなく
思っていました。


『枕草子』の「枕」って何?

2023年6月16日(金) 溝の口「枕草子」(第53回・最終回)

今日は出掛ける30分位前に、俄かに空がかき曇り、雷鳴と
共に物凄い雨が降ってきました。「えーっ、嫌だなぁ」と思い
ながら身支度をしていたら、10分程度で雨は止み、その後
は真夏の日差しが照り付けて、家を出る時には、紫外線が
気がかりなお天気となっていました。

2016年の10月から溝の口で読み始めた『枕草子』は、途中
コロナ禍で、2年4ヶ月の中断を余儀なくされましたが、本日
無事に読了となりました。完読にたどり着けた喜びと同時に、
名残惜しさのような一抹の寂しさも感じているところです。

『枕草子』の最後は「跋文」(あとがき)で締めくくられています。
この「跋文」の中に、『枕草子』の「枕」が意味するもののヒント
も書かれているのですが、これが未だに何であるのか決め手
がありません。

中宮定子の許に、内大臣(定子の兄・伊周)が、献上なさった
という紙を、中宮さまが清少納言にお見せになって、

「これに、何を書かまし。主上の御前には『史記』といふ書を
なむ、書かせたまへる」(これに何を書いたらいいかしら。帝は
『史記』という漢籍をお書きになったわ)

と、おっしゃったので、

「まくらにこそは、はべらめ」(それならまくらでございましょう)

と申し上げたところ、中宮さまは、

「さば、得てよ」(それなら、お前にあげよう)

と言ってお与え下さった、というのです。

「一条天皇は『史記』を書き写された」→「中宮さまならまくらでしょう」
→「それならお前にこの紙はあげよう」

中宮さまと清少納言のこの会話から「まくら」の謎解きをしなければ
なりません。いろんな人がいろんな説を出していますが、決定打
となるものがないのです。

「まくら」が、何かしら中宮さまのおっしゃった『史記』から連想される
ものであることは確かでしょう。

「しきたへの」が「まくら」に掛かる「枕詞」であっても、具体的に
「まくら」が何を指しているのかはこれだけではわかりません。

「まくら」を、「枕許に置いておくメモ帳」、「人目には触れさせない
大切なもの」、「枕詞を集めたもの」などとして、二人の間での
ダジャレ感覚で、『史記』=「敷」。だから「敷」の上に置く「枕」。
或いは馬具の「鞍褥」(しき)の上に置く「馬鞍」(まくら)とする
説は、言葉としての繋がりは良いのですが、冗談にもせよ、
帝を下に敷くなどという不敬な発言はあり得ないのではないか、
とも考えられています。

『史記』=「四季」。こちらは、「春はあけぼの」に始まる四季の
風情から『枕草子』の筆が起こされているのを鑑みても、とても
良さそうなのですが、「まくら」が今一つ上手く「四季」に呼応しま
せん。

そんなこんなで、「枕」の意味するところは、タイムマシンにでも
乗り、清少納言に会いに行って「どうして中宮さまのおっしゃった
『史記』に反応して、あなたは「まくら」って言ったの?」と訊くしか
正解はないのかな、と思ったりしています( ´艸`)

でも、中宮定子と清少納言の間では、『史記』→「まくら」で、
ピピっと通じ合うものがあったのですよね。

結論の出ない話を長々と書いてしまいましたが、『枕草子』の
最終回ということで、ご勘弁ください。

今後は『源氏物語』一本になりますが、引き続きよろしくお願い
いたします。


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