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「源氏物語のあらすじ」・・・第13帖「明石」(その2)

2023年7月29日(土)

猛暑が一休みとなる気配を見せません。8月5日迄の
週間予報でも、全部35度以上の表示。下手をすると
猛暑日が続く中で立秋を迎える、なんてことになるので
しょうか。

溝の口の「紫の会」は、会場クラスもオンラインクラスも
今月で第13帖「明石」を読み終えました。「かなり詳しい
あらすじ」が、「明石」の1回目で更新がストップしていま
すので、今日2回目をUPし、残りは8/14の会場クラスが
第14帖「澪標」を読み始める前に、更新しておきたいと
思っております。

全文訳では、2023年3月20日の「明石」(7)、3月23日の
「明石」(8)、4月17日の「明石」(9)、4月27日の「明石」(10)
5月15日の「明石」(11)、5月25日の「明石」(12)に該当
する部分となります。

「源氏物語のあらすじ」・・・第13帖「明石」(その2)は⇨⇨こちらから


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自ら身を引く五節の君

2023年7月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第36回・通算83回・№2)

この猛暑、いつまで途切れることなく続くのでしょうか。
天気予報を見ても、8月3日迄のこの先の一週間、
ずっと☀マークが並び、35度以上の猛暑日となって
います。すでに7月の猛暑日の回数は、最多記録を
更新し続けています。まさに「記録的猛暑」ですね。

このクラスも今回で第13帖「明石」を読み終えました。

明石の巻の最後は、京へと戻った源氏の動向が記され
ています。

紫の上との再会の喜び、政界への復帰(権大納言への
昇進)、朱雀帝との再会、東宮、藤壺とも再会(具体的
なことは書かれていない)しています。

明石へと戻る人に手紙を託すため、紫の上には隠れて
こまごまと思いを込め、お書きになります。

ここで再度登場するのが、大宰の大弐の娘・五節の君
です。まだ源氏の若かりし頃、五節の舞姫に選ばれ、
源氏と結ばれて、逢わなくなってからも(おそらく父の
任地の大宰府に同行したため)、源氏に好印象を残した
女性として描かれています。

父親の任期が果て、京へと向かう途中、須磨に流謫中
の源氏と歌の贈答を交わしました。そして今、源氏に
対して諦めの意思表示をする歌を贈ります。

「須磨の浦に心を寄せし舟人のやがて朽たせる袖を見せ
ばや」(須磨の浦で心をお寄せした舟人が、そのまま涙で
朽ちさせてしまった袖をお見せしたいものです)

五節の君は、権勢に返り咲いた源氏が、自分の届かない
所に行ってしまったと感じて諦める決意をし、せめて源氏
にその悲しい思いを知って欲しいというのが、この歌と
なったのでありましょう。

今の源氏は、あれほど逢いたかった紫の上との生活を
大事にして、浮気沙汰を慎んでおられるので、五節の君
のことも愛しく思い出されるものの、お逢いになることは
ありませんでした。

花散里にもお手紙だけで、実際にお出向きにはならなか
ったのです。

次の「澪標」の巻で、これらの女性たちのことが再び書か
れていますが、源氏を諦めた五節の君は親の勧める縁談
にも耳を貸さず、独身を貫こうとしています。源氏は二条の
東の院が完成した暁には彼女も愛人の一人として住まわ
せたい意向をお持ちでしたが、それは叶わなかったようです。

お互いに好意を抱き合いながらも、こうした形で終わった
だけに、後々、源氏も「五節」の折には、この五節の君を
思い出し、懐かしむことになったのではないか、と思われ
ます。

この辺りの詳しい話の流れは、先に書きました「全文訳・明石
(17)」で、お読みいただければ、と存じます(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(17)

2023年7月27日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第36回・通算83回・№1)

「紫の会」は、第2月曜日の会場クラス、オンラインの第3月曜日クラス
に続いて、この第4木曜日クラスも、今日の例会で第13帖「明石」を
読み終えました。今月講読の300頁・8行目~309頁・1行目までの、
最後の部分の全文訳となります。今回は短くて、307頁・14行目~
309頁・1行目までです(7/10の全文訳は⇒こちらから 7/17の全文訳
は⇒こちらから)。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


そうそう、そういえば、あの明石には、源氏の君を見送って来て明石
へ帰る人に託けて、お手紙を遣わします。紫の上に隠れてこまごまと
お書きになったようです。
「波の打ち寄せる夜をいかがお過ごしでしょうか。
嘆きつつあかしの浦に朝霧の立つやと人を思ひやるかな(あなたが
嘆きながら夜を明かす明石の浦に、ため息が朝霧となって立っている
のではないかと、あなたのことを思い遣っていることですよ)」

あの大宰の大弐の娘の五節は、どうにもならないものではあるけれど、
人知れず須磨で贈答を交わした源氏の君への思いも、冷めてしまった
心地がして、ただ目配せだけをさせて、源氏の許に手紙を置いて来さ
せました。
「須磨の浦に心を寄せし舟人のやがて朽たせる袖を見せばや」(須磨の
浦で心を寄せた舟人が、そのまま涙で朽ちさせてしまった袖をお見せ
したいものです)
筆跡など、すっかり上達したものだと、源氏の君は、この手紙を寄越した
人物をお見抜きになって、返事を遣わされました。
「かへりてはかことやせまし寄せたりし名残に袖の干がたかりしを」(返事
にはこちらから苦情を申し上げたいくらいです。あの時お手紙を頂いた
その名残の涙で、袖がなかなか乾かなかったのですから)
とても可愛いとお思いになった女なので、思い掛けない手紙を受け取り
なさって、いっそう思い出されますが、近ごろはそのような色恋沙汰を
完全に慎んでおられるようです。

花散里などにも、ただお便りをなさるだけなので、全く音沙汰がないより
も、心もとなく、却って怨めしいご様子でした。

                               第13帖「明石」(了)

新婚の薫の思うところ

2023年7月24日(月) 溝の口「湖月会」(第170回)

天気予報の通り、週明けと共に「猛暑日」が復活しました。
この先1週間、強い日差しが照りつけ、35度を超える日が
続くかと思うとうんざりですが、唯一、洗濯物が気持ちよく
乾くことには期待できますね。

第2金曜日のクラスと同じ、第49帖「宿木」の終盤に入った
ところを読みました。

今上帝の女二宮の裳着(女性の成人式)の翌日から、薫は
婿として、女二宮の住まいである宮中の藤壺(飛香舎)に
通うこととなりました。三日目の夜には露顕(ところあらわし/
結婚披露宴)も行われ、薫も正式に独身生活にピリオドを
打ちました。

ところが、薫に新婚の喜びは皆無です。「心のうちには、
なほ忘れがたきいにしへざまのみおぼえて」(心の中では
いまだ忘れ難い亡き大君のことばかりが思われて)、毎夜
宮中の女二宮の許に通わねばならないのが、「いともの憂く
苦しくて」(とても億劫でつらくて)という状態でした。

女二宮が藤壺に居る限り、帝の手前もあり、薫に夜離れは
許されません。そこで薫が考えたのは女二宮を自邸である
三条宮に引き取ることでした。そうすれば多少の不都合が
あっても、自邸内のことであればカモフラージュできよう、と
いうのが、薫の意図するところだったのだと思います。

薫の母・女三宮と、女二宮の父・今上帝は、朱雀院を父と
する異母兄妹で、朱雀院が取り分け女三宮のことを帝には
頼み置かれたので、兄妹仲も良好で、女三宮は息子の妻と
なった姪の女二宮との同居を「いとうれしきことにおぼしたり」
(とても嬉しいことにお思いでした)とあります。女三宮は、
自分が居室として使っている寝殿(邸内のメインの場所)を、
女二宮に譲る提案までなさる喜びようです。

一方、帝は結婚早々に、女二宮が住み慣れた藤壺を離れ、
婿の邸に移ることに不安も覚えておられましたが、異母妹
である女三宮に「よろしく頼む」とのお手紙を遣わされるの
でした。

帝も女三宮も、女二宮を三条の宮に引き取りたい薫の真意
にまではお気づきではなかったのでありましょう。

三条の宮は、焼失後に新築された邸ですから、そのままでも
申し分ないところを、薫は「いよいよ磨き添へつつ、こまかに
しつらはせたまふ」(更に磨き立てて、念入りにお部屋の調度
も整えさせなさった)のでした。

こうして表向きは誰からも大切にされて、幸せそうに見える
女二宮ですが、今薫の心を占めているのは宇治の八の宮邸
を解体して、山寺の御堂として移築することでした。

源氏に降嫁した女三宮、柏木に降嫁した朱雀院の女二宮、
薫に降嫁した今上帝の女二宮、皇女の降嫁は、いずれも
幸せとは言い難い結婚となっていますね。


梅雨明け

2023年7月22日(土)

今週初めに三日間連続で、最高気温が体温よりも高い猛暑日
となっても梅雨の明けなかった関東ですが、やっと今日、北陸
と共に梅雨明けとなりました。

昨日、今日はエアコンを点けずに過ごせましたが、来週はまた
猛暑日が続くようです。これからが夏本番なのですよね。

夏になると食卓に上る頻度の高くなるのが、冷たい麺類です。
特に素麺と冷し中華は、それぞれ週1回位作る夏の定番料理
です。今夜は冷し中華にしました。

  冷やし中華
   具材は上から時計回りに、生ワカメ、蒸し鶏手羽肉、
   椎茸の甘辛煮(これは3回分を一度に煮て冷凍して
   おきます)、カニカマ、千切りきゅうり、錦糸卵、刻み
   紅ショウガ


後期高齢者も近い歳になると、増える一方の病気と薬ですが、
今度は緑内障を発症していると診断されました。

4月に眼科で視野検査を受け、左目に1箇所視野の欠ける所が
あるので、念のため3ヶ月後にもう一度検査しましょう、と言われ、
先日受診しました。やはり同じ所が欠けているとのことで点眼薬
が処方されました。左目だけで見ても、自分では視野が欠けて
いる自覚は全くありません。この段階で治療を始めれば、失明
にまで至らないのではないかと思っています。

薬の点眼も一日一回だけなので、白内障の手術前後の点眼に
比べれば、たいして負担ではないのですが、目薬を点した後、
顔を洗わねばならないのが面倒です。瞼などに薬が残っている
と色素が付着して黒くなるとのこと。左の目が🐼に?いやいや
それは困ります。今日で四日目、夜の洗顔前に点すことにして、
今のところ失敗なくやっております。


薫の孤独

2023年7月19日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第244回)

日、月、火と、三日間続いた、最高気温が体温を上回る猛暑も
今日は少し落ち着きましたが、それでも、出掛ける頃の気温は
34度まで上がっていました。夜になっても31度。厳しい暑さに
変わりありません。

湘南台クラスが読んでいるのは、第52帖「蜻蛉」の前半で、浮舟
の死を知らされた匂宮と薫の動向が、細かに記されているところ
です。

薫が浮舟を京へ迎え取る予定だった4月10日、季節は夏になって
います。懐旧の情を誘う橘の香りが漂う中、ホトトギスが忍び音を
漏らし鳴き渡りました。薫は二条院に滞在中の匂宮に歌を贈ります。

「忍び音や君もなくらむかひもなき死出の田長に心かよはば」
(ホトトギスが忍び音を漏らすように、あなたも声を忍んで泣いて
おられるのでしょうか。今はもう甲斐もない亡き人に心をお寄せに
なっておられるならば)

「君も」の「も」には、言外に「私も」を響かせ、匂宮に対して浮舟の
ことを当て擦っています。

受け取った匂宮は、「けしきある文かな」(意味ありげな手紙だなぁ)
とご覧になって、

「橘のかをるあたりはほととぎす心してこそなくべかりけれ(橘の花
の香りのするところでは、ホトトギスも気を付けて鳴くべきですね)
わづらはし(迷惑なことです)」

とお書きになりました。「橘のかをるあたり」は「懐旧の情の深まって
いる薫の所」を指し、薫の「も」に対し、こちらは「は」を用いて、「薫
の所だけでは、冥途からの使いのホトトギスは軽々しく鳴くべきでは
なかったね」と、とぼけて返歌をしたことになります。

その後匂宮は中の君に、浮舟とのことを少し取り繕って打ち明けられ、
気の置ける舅の夕霧がいる六条院とは異なり、二条院は気楽で
くつろげる所だとお思いになっているのでした。

大君を喪った時、薫は匂宮に話すことで心慰められました。でも浮舟
に関しては二人はライバルとなってしまったので、薫は悲しみの持って
行き場がどこにもなく、孤独です。一方の匂宮には、浮舟を失っても、
その悲しみを埋めてくれる中の君が傍に居ます。薫の孤独をいっそう
際立たせていますね。薫の嫌味な歌にも、その辺りのことを加味して、
匂宮が返歌をしてくださればよかったのに、と思ってしまいます。


紫の上の嫉妬の物語の始まり

2023年7月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第36回・通算83回・№2)

先週の月曜日に、「この夏一番の暑さ」と書きましたが、
今週はそれをさらに超えた体温以上の暑さとなりました。
明日迄この猛暑は続くようです。今日がオンラインの日で
本当に助かりました。

源氏28歳の秋、ついに京へと戻ってまいりました。紫の上
と別れてから、2年4ヶ月余り。一人京で待ち続けていた
紫の上にとっては、どんなに辛い日々だったことでしょう。
うるさいほど多かった髪が、少し落ちて細くなっているのが、
物思いに耐えてきた証でありました。

20歳になった紫の上は、大人の女性として理想的な容姿に
成長しています。源氏は、もうこれからはずっと一緒に暮ら
せる、と安心なさると、あの明石で、別れの悲しさに沈んで
いた入道の娘のことが、痛々しく心に浮かぶのでした。

「なほ世とともに、かかるかたにて御心の暇ぞなきや」
(やはりいつになっても、こうした恋の道で、お心の休まる
時はないのでしょうか)と、作者も草子地で、源氏を批判
しています。

「おぼし出でたる御けしき浅からず見ゆるを」(源氏が入道
の娘を思い出されているご様子が並々ではなく見えるのを)、
紫の上は「ただならずや見たてまつりたまふらむ」(穏やか
ならぬ思いでご覧になるのであろうか)、「身をば思はず」と、
ちらりと嫌味を言われるのでした。

「身をば思はず」は、「百人一首」にも採られている右近の
「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」
(あなたに忘れられた私はどうなっても構わないけど、「君の
ことは生涯愛し続けるよ」と、神仏にかけて誓ったあなたの
命が心配でならないわ)を引き歌としており、紫の上に愛を
誓った(この気持ちに嘘偽りはありませんが)源氏への皮肉、
入道の娘への嫉妬が見え隠れしている一言です。

紫の上は嫉妬もします。ここでも源氏が「をかしうらうたく」
(面白く可愛い)と感じているように、とても程よい嫉妬なの
です。嫉妬は愛情の裏返しでもあります。「雨夜の品定め」
で左馬頭の語った「指食いの女」(嫉妬のあまり男の指に
嚙みついた女)のような激しい嫉妬は論外ですが、全く嫉妬
しないというのも、男にとっては張り合いが無くなるのでしょう。

ここから始まる紫の上の嫉妬の物語も、今後注目してまいり
ましょう。

この場面を含む、京に帰還した当座の源氏の詳しい様子は、
先に書きました「明石の全文訳(16)」をご覧いただければ、
と存じます(⇒こちらから)。


第13帖「明石」の全文訳(16)

2023年7月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第36回・通算83回・№1)

今月から、第2月曜日の会場クラスと、第3月曜日・第4木曜日の
オンライン2クラスが同じところを講読することになりましたので、
全文訳も3回に分けて記すことにしました。

第13帖「明石」の最後(300頁・8行目~309頁・1行目)を読みました
が、1回目の(300頁・8行目~304頁・10行目)の全文訳は、7/10
に書きました(⇒こちらから)。今日は2回目です(304頁4・11行目
~307頁・14行目まで)。残りは少ないのですが、7/27に書くことに
いたします。


源氏の君は、難波の方に渡ってお祓いをなさって、住吉明神にも
無事に帰京できることとなり、いろいろな願を立てたその御礼参り
を改めてする旨、使者を遣わして申し上げさせなさいました。急に
身辺が混み合って動きが取れず、ご自身はこの度はお参りになれ
ず、格別のご遊覧などもなくて、急ぎ京にお入りになりました。
 
二条院にお着きになって、都の人も、お供の人も、夢心地で再会し、
嬉し泣きも縁起でもないほど大騒ぎをしておりました。

紫の上も、生きていても甲斐もないと思い、何の未練もお持ちで
なかった命でしたが、生き永らえて再会が叶い、嬉しくお思いに
なったことでしょうよ。

紫の上はたいそう愛らし気に、大人びて容姿も整い、離れ離れに
なっていた間の物思いで、うるさいほど多かった御髪が、少し落ち
細ったのが、却ってとても素晴らしいのを、もうこれからはこうして
一緒に暮らせるのだと、ご安心なさるにつけては、またあの明石で
辛い思いをして別れてきた人の悲しんでいた様子が、心苦しく思い
遣られなさるのでした。やはりいつまでも、こうした恋の道において
お心の休まる時のないお方なのですね。

明石の入道の娘のことなども、紫の上にお話申し上げなさいました。
思い出しておられるご様子が並々ではなく見えるので、紫の上は
穏やかではない気持ちでご覧になっていたのでしょうか、さり気なく、
「身をば思はず」(私自身はどうなっても構わないのだけれど)など
と、ちらりと嫉妬をほのめかしておっしゃるのを、源氏の君は面白く
可愛いとお思いなのでした。

こうして逢っていてもいつまでも見飽きないと思われる紫の上の
ご様子を、どうして逢わずに長の年月を過ごせたことか、と信じら
れないような思いがなさるにつけ、今更ながら、あの頃の世情が
たいそう恨めしいことでした。

間もなく源氏の君は元の官職から昇進して、定員外の権大納言
になられました。源氏の君に連座して罷免された家来たちも、
しかるべき者たちは元の官職に復して世間に許されたのは、一旦
枯れた木が春に巡り合えた気がして、たいそう素晴らし気であり
ました。

朱雀帝からのお召しがあって、源氏の君は宮中に参内なさい
ました。帝の御前に控えておられるお姿は、いよいよご立派に
なられて、こんな素晴らしいお方が、どうしてあのような辺鄙な
田舎で何年もお過ごしになったのであろう、と、人々は見申し
上げておりました。女房たちの中で、桐壺院の御在位中から
お仕えしていて、老いぼれてしまった者たちは、源氏の君が
愛しくて、今更のように泣き騒いでお褒め申し上げております。

帝も、源氏の君に対して、気が引けるようなお気持ちまでなさ
って、お召し物なども念入りにお整えになって、お出ましになり
ました。帝は体調を崩されて、もう何日もお経ちになるので、
とてもお弱りになっておられましたが、昨日今日は、少し気分
も良いようにお感じになっていました。

お話をしみじみとなさって、夜になりました。八月十五夜の月が
美しく静かなので、帝は昔のことを少しずつ思い出しなさって、
涙をお流しになります。気も弱くなっておられるのでありましょう。
「管弦の遊びなどもせず、昔聞いたあなたの演奏なども聴かない
で、久しくなってしまったことよ」とおっしゃるので、
「わたつ海にしなえうらぶれ蛭の児の脚立たざりし年は経にけり」
(海辺に落ちぶれて、つらい思いで、三年を過ごして来たことです)
と申し上げなさると、帝はたいそうしみじみと顔向けできない
思いがなさって、
「宮柱めぐりあひける時しあれば別れし春のうらみ残すな」
(こうしてまた巡り会える時が来たのだから別れた春の恨みは
残さないでおくれ)
とても優雅な帝のご様子でありました。
 
桐壺院のために法華八講を行うべきことを、源氏の君は先ず
ご準備なさいます。東宮をご覧になると、すっかり成長なさって
おられ、再会を珍しく思ってお喜びになるのを、源氏の君は
この上なく愛しく見申し上げておられました。東宮は学問も
非常によく習得なさって、即位して天下をお治めになるのに
何の差し障りもないであろうと、ご立派にお見えになります。

藤壺にも、気持ちが少し落ち着いてからご対面になりましたが、
しみじみとしたお話があったことでしょうね。


人生ってわからないもの

2023年7月14日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第170回)

三日間続いた猛暑日の後、昨日から少し落ち着きましたが、
また連休中には猛暑が復活し、体温を超える暑さになるとの
こと。覚悟が必要ですね。

「宿木」の巻の第3年、2月の初旬に薫は権大納言兼右大将に
昇進し、中の君は匂宮の若君を出産。そして20日過ぎに、
今上帝の女二宮の裳着(女性の成人式)の儀式が行われ、
翌日の夜から、薫が婿として通うことになりました。

在位中の帝が、内親王に婿を迎えるというのは極めて稀な事
で、多くは帝の譲位後、または崩御後だったので、こうして帝の
直々の采配によって、皇女の夫となった薫には、夕霧も「めづら
しかりける人の御おぼえ宿世なり」(めったにない薫への帝の
ご信望、薫の強運だ)と、羨望の眼差しを持って語っていますが、
この語っている相手が落葉の宮なのです。

続けて、「あの源氏でさえ、女三宮との結婚は朱雀院が晩年に
出家なさった時だったし、私(夕霧)に至っては、誰も承知しない
あなた(落葉の宮)をどうにか手に入れたのですからね」と言う
ので、落葉の宮は「げにとおぼすに、はずかしくて御いらへも
えしたまはず」(本当にそうだった、とお思いになると、恥ずかし
くて、お返事もお出来にならない)という様子を見せていました。

前年の8月に養女の六の君(実母は藤典侍)が匂宮と結婚し、
後朝の文が届いた折、六の君に代わって返事を書いていました
(その記事は⇒こちらから)。この時も、落葉の宮は嫌々ながら
夕霧と結婚したけれど、結果としては良かったのではないか、
と思いましたが、ここを読むと、改めて慣れ親しんだ熟年夫婦
として二人がほほえましく感じられるほどです。

落葉の宮が夕霧との結婚を拒絶し通せていたとしても、母を
亡くし、後見してくれる人のいない状況で、落ちぶれて行くしか
なかったであろうことを思うと、再婚から20年余。「人生って
わからないものだなぁ」、と思います。

ここでもう一人、「人生ってわからないものだなぁ」として挙げて
おきたいのが、薫の母・女三宮。

柏木との密通は、女三宮にとっては事故に遭ったようなもので、
しかも柏木の子を身籠ってしまい、それが源氏に知られた時に
は、いくら子供っぽい思慮の足りない女三宮でも苦しくてたまら
なかったはずです。薫が生まれても源氏に疎まれ、出家の道に
逃れたのでした。

でも大人になった薫はしっかりとした孝行息子。その息子は、
女三宮にとっては姪にあたる女二宮と結婚し、女二宮を
三条の宮(女三宮と薫の住まい)に住まわせる提案をして、
母を喜ばせます。薫が生まれる前後の頃を思うと、女三宮は
なんと安らいだ日々を送っていることでしょう。

今日は本文から外れて、こんな余談ばかりをしていたせいか、
進みが悪くなってしまいました。来月で「宿木」の巻を読み終える
つもりでしたが、再来月になりますね🙇


先行き不透明な不安

2023年7月10日(月) 溝の口「紫の会」(第69回・№2)

ここ数日、蒸し暑い日が続いていましたが、今日は36度を
超えるこの夏一番の暑さとなりました。明日も猛暑日の
予報が出ています。豪雨で被害が出ているところのことを
思えば、これ位で文句を言うのは罰当たりな気もしますが、
まだ梅雨も明けていないのですよね?梅雨が明けたら
どんな暑さになるのでしょう?

溝の口の「紫の会」は、先月でようやくオンラインクラスに
追い付き、3人の方がオンラインクラスから会場クラスへと
移行され、時間も2時間に戻して、会場↔オンラインの振替
も自由にしていただけるようになりました。

本当は「明石」の巻を読み終えた状態でそうしたかったの
ですが、1回分だけ残ってしまい、本日で第13帖「明石」を
読了、来月から次の「澪標」に入ります。テキストも第3巻
となります。

「明石」の巻の終盤、いよいよ源氏が明石を出立し、京へと
帰還する日がやって来ました。

源氏は必ず入道の娘を京へ迎え取る、と約束してくれました
が、その保証はどこにもありません。このまま源氏に捨てられ、
入道の娘はシングルマザーとして生きて行かねばならない
可能性も大なのです。

娘自身はもとより、入道も、母君(入道の妻)も、この先行きの
不透明な不安は、どうしようもありません。プライドの高い娘は、
「かうしも人に見えじと思ひしづむれど」(こんなふうに悲しみに
くれている様子を女房にも見せまいと、堪えているけれど)、
「うち捨てたまへる恨みのやるかたなきに、おもかげ添ひて
忘れがたきに」(源氏が自分をお捨てになった恨みのやり場が
ない上に、面影が浮かび忘れようもないので)、両親の前では
ただもう泣いてばかりいるのでした。

父の入道は呆け状態、母君は、娘にこのような身分差のある
無理な結婚をさせた夫への愚痴を言い募り、共に娘が可哀想
でなりません。

でも、この場面を読んで思うのです。入道の娘には限りなく
慈しんでくれる両親がいて、その両親の前だけでは、娘も
自分をさらけ出すことが出来ています。こうした振る舞いが
許される環境に居られることは、娘はある意味幸せなのでは
ないかと。

紫の上の場合はどうでしょう。源氏が初めて垣間見た時は、
やはり慈しんで育ててくれている祖母がいて、若紫時代の
紫の上は思いっきり自分をさらけ出せていました。でも大人に
なってからの紫の上は、どんなことがあっても、他人の思惑を
優先せざるを得ない状況にありました。甘えることが許される
環境って、恵まれたことの一つなのでは、と考えさせられたの
でした。

詳しい内容は、先に書きました全文訳の「明石」(15)をご覧
頂ければ、と存じます(⇒こちらから)。


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