薫、浮舟の死の全貌を知る
2023年8月30日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第245回)
湘南台クラスの例会日は、第3水曜日なのですが、そのままだと
今月は8月16日。お盆休みとぶつかって、お孫さんたちが見える
方もおられるし、まだ猛暑が収まっていない可能性もあるので、
第5水曜日の今日に変更しました。
でも、1ヶ月前になっての変更だったため、数人の方が、既に他の
予定が入ってしまっているとのことだったので、コロナの感染拡大
時に利用していたオンラインでの例会に切り替えました。参加が
出来ない方にはオンライン例会を録音して、それをCDに書き込み
聴いていただくので、どなたも、今月の講読箇所が抜けることなく
済みます。
今日も最高気温は35℃の猛暑日でした。偶々いろんな事が重な
って、オンラインとなったのですが、この猛暑の中、会場まで足を
運ぶことを考えると、今月の例会はオンラインで正解でした。
このクラスは第52帖「蜻蛉」を講読中ですが、半分位の所まで
まいりました。
突然姿を消してしまった浮舟。右近と侍従は、浮舟が宇治川に
入水して自ら命を絶ったと判断し、薫や匂宮をはじめ、世間には
病死ということにして、亡骸も無いまま、火葬を執り行いました。
薫も匂宮も、浮舟が病で急死した、というのには納得がゆかず、
匂宮は、京へと連れて来させた侍従から事の真相をお聞きに
なりました。
本日読んだのは、それに続く場面で、宇治へと出向いた薫が、
右近を問い質し、やはりこの件には匂宮が絡んでいたことを
知るところです。
右近は先ず、浮舟が病死ではなく、入水であったことを打ち明け
ます。薫には浮舟の入水が俄かには信じ難く、匂宮がどこかに
隠したのではないかと疑い、右近を追求しますが、右近は浮舟
が薫からの詰問の手紙を受け取り(それに関しては⇒こちらから)、
山荘の警備が強化され、薫がその後長らく便りを寄越さなかった
ことで、薫に捨てられて世間の物笑いになるのを悩んだ結果だと、
言います。
これでは埒が明かないので、薫はついに自分から「宮の御ことよ」
(匂宮のことだよ)と言って、「われには、さらにな隠しそ」(私には、
決して隠し立てをせぬように)と、右近に迫ります。
そこで右近は、二条院で偶然匂宮が浮舟を見つけられ、迫られた
けれど、その時は自分たちが浮舟を守ったこと。その後はどうして
匂宮が浮舟の居所をお知りになったのかわからないのだが、この
2月頃からお手紙が届くようになり、浮舟が無視し続けているのを、
匂宮に失礼にならないよう、自分が浮舟に返事を書くよう勧めた。
それ以上のことは何も無い、と語りました。
右近の話には虚実が入り混じっていますが、薫はもうこれで全て
を悟ったのでした。その理由を考えてみましょう。
①右近の立場からすれば、主人である浮舟を庇って、匂宮との仲
の事実を告げることはあるまい。
②匂宮が浮舟を知って、手紙だけで満足するはずもないし、手紙
の遣り取り程度で、浮舟が自死を選ぶというのも不自然である。
③浮舟と匂宮が結ばれたのは、右近たち女房の落ち度でもあり、
それを隠すのは当然であろう。
こうして薫は、浮舟が、匂宮と自分との板挟みに苦しんだ挙句に、
入水したのだ、という事の全貌をようやく知り得たのでした。
湘南台クラスの例会日は、第3水曜日なのですが、そのままだと
今月は8月16日。お盆休みとぶつかって、お孫さんたちが見える
方もおられるし、まだ猛暑が収まっていない可能性もあるので、
第5水曜日の今日に変更しました。
でも、1ヶ月前になっての変更だったため、数人の方が、既に他の
予定が入ってしまっているとのことだったので、コロナの感染拡大
時に利用していたオンラインでの例会に切り替えました。参加が
出来ない方にはオンライン例会を録音して、それをCDに書き込み
聴いていただくので、どなたも、今月の講読箇所が抜けることなく
済みます。
今日も最高気温は35℃の猛暑日でした。偶々いろんな事が重な
って、オンラインとなったのですが、この猛暑の中、会場まで足を
運ぶことを考えると、今月の例会はオンラインで正解でした。
このクラスは第52帖「蜻蛉」を講読中ですが、半分位の所まで
まいりました。
突然姿を消してしまった浮舟。右近と侍従は、浮舟が宇治川に
入水して自ら命を絶ったと判断し、薫や匂宮をはじめ、世間には
病死ということにして、亡骸も無いまま、火葬を執り行いました。
薫も匂宮も、浮舟が病で急死した、というのには納得がゆかず、
匂宮は、京へと連れて来させた侍従から事の真相をお聞きに
なりました。
本日読んだのは、それに続く場面で、宇治へと出向いた薫が、
右近を問い質し、やはりこの件には匂宮が絡んでいたことを
知るところです。
右近は先ず、浮舟が病死ではなく、入水であったことを打ち明け
ます。薫には浮舟の入水が俄かには信じ難く、匂宮がどこかに
隠したのではないかと疑い、右近を追求しますが、右近は浮舟
が薫からの詰問の手紙を受け取り(それに関しては⇒こちらから)、
山荘の警備が強化され、薫がその後長らく便りを寄越さなかった
ことで、薫に捨てられて世間の物笑いになるのを悩んだ結果だと、
言います。
これでは埒が明かないので、薫はついに自分から「宮の御ことよ」
(匂宮のことだよ)と言って、「われには、さらにな隠しそ」(私には、
決して隠し立てをせぬように)と、右近に迫ります。
そこで右近は、二条院で偶然匂宮が浮舟を見つけられ、迫られた
けれど、その時は自分たちが浮舟を守ったこと。その後はどうして
匂宮が浮舟の居所をお知りになったのかわからないのだが、この
2月頃からお手紙が届くようになり、浮舟が無視し続けているのを、
匂宮に失礼にならないよう、自分が浮舟に返事を書くよう勧めた。
それ以上のことは何も無い、と語りました。
右近の話には虚実が入り混じっていますが、薫はもうこれで全て
を悟ったのでした。その理由を考えてみましょう。
①右近の立場からすれば、主人である浮舟を庇って、匂宮との仲
の事実を告げることはあるまい。
②匂宮が浮舟を知って、手紙だけで満足するはずもないし、手紙
の遣り取り程度で、浮舟が自死を選ぶというのも不自然である。
③浮舟と匂宮が結ばれたのは、右近たち女房の落ち度でもあり、
それを隠すのは当然であろう。
こうして薫は、浮舟が、匂宮と自分との板挟みに苦しんだ挙句に、
入水したのだ、という事の全貌をようやく知り得たのでした。
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上辺だけの空しさ
2023年8月28日(月) 溝の口「湖月会」(第171回)
8月も余すところ3日となりました。今年も1年の2/3が終わって
しまうと思うと、いくら猛暑とは言え、まるでコロナ禍の最初の
夏と同じように過ごしてしまった自分が、ちょっと情けなくもあり
ます。
今月、電車に乗ったのは、今日で3回目。いずれも仕事で片道
30分以上の所はありません。車の運転は出来ないので、徒歩
以外の移動は電車のみです。ということは、残りの日々は近所
のスーパーに買い物に行くか、クリニックを受診するかだけで、
あとはずっとお籠りしていたことになりますね( ;∀;)
外食(お茶も含めて)も、ゼロ。来月はもう少し、積極的な行動を
心掛けたいと思います。
と、また講読会とは関係のない私事から書き始めてしまいました
が、このクラスは、第2金曜日クラスと同じ、第49帖「宿木」の終盤
近く、夫・薫の自邸に移ることになった女二宮のために、帝が「藤
の花の宴」を催された場面と、女二宮が三条の宮に移られた場面
を読みました。
帝主催の宴となると、「公わざ」(公的行事)となるので、宴の規模
もこの上ないものとなりました。
途中、参会者たちは歌を詠んで献上し、帝もお詠みになりましたが、
作者は「例の、いかにあやしげに古めきたりけむ」(こうした盛儀の
折に詠まれる歌は、お決まりのこととて、どんなにか面白くもない、
古くさい歌だったことでしょう)と、ことわった上で、それでもこの宴
の中心的存在だった薫、帝、夕霧、按察使大納言の4人の歌を
順に紹介しています。
薫:「すべらぎのかざしに折ると藤の花およばぬえだに袖かけて
けり」(天下をお治めになっている帝の冠に挿していただこうと、
藤の花の手の届かない枝に袖をかけました)
帝:「よろづ世をかけてにほはむ花なれば今日をもあかぬ色と
こそみれ」(いついつまでも美しく咲き匂う花なので、今日も
見飽きることのない美しい色に見える)
夕霧:「君がため折れるかざしは紫の雲におとらぬ花のけしきか」
(帝の為に手折った插頭の藤の花は、紫雲にも劣らぬ美しさで
あることよ)
按察使大納言:「世の常の色とも見えず雲居までたちのぼりける
藤波の花」(ありふれた色とも見えません。宮中にまで立ち昇った
藤波の花は)
確かに、草子地で「面白くもない、古めかしい歌」と書いてある通り、
薫と夕霧は女二宮を、帝と按察使大納言は薫を賛美する歌では
ありますが、いずれも表面上の賛美の言葉が取り交わされている
だけで、心が籠っていません。作者はこんなところにも、薫と女二宮
の結婚が、いかに愛のない空疎なものであるかを映し出そうとした
のでしょうか。
次回は、余談は極力控え、「宿木」の巻を読み終えるつもりです。
8月も余すところ3日となりました。今年も1年の2/3が終わって
しまうと思うと、いくら猛暑とは言え、まるでコロナ禍の最初の
夏と同じように過ごしてしまった自分が、ちょっと情けなくもあり
ます。
今月、電車に乗ったのは、今日で3回目。いずれも仕事で片道
30分以上の所はありません。車の運転は出来ないので、徒歩
以外の移動は電車のみです。ということは、残りの日々は近所
のスーパーに買い物に行くか、クリニックを受診するかだけで、
あとはずっとお籠りしていたことになりますね( ;∀;)
外食(お茶も含めて)も、ゼロ。来月はもう少し、積極的な行動を
心掛けたいと思います。
と、また講読会とは関係のない私事から書き始めてしまいました
が、このクラスは、第2金曜日クラスと同じ、第49帖「宿木」の終盤
近く、夫・薫の自邸に移ることになった女二宮のために、帝が「藤
の花の宴」を催された場面と、女二宮が三条の宮に移られた場面
を読みました。
帝主催の宴となると、「公わざ」(公的行事)となるので、宴の規模
もこの上ないものとなりました。
途中、参会者たちは歌を詠んで献上し、帝もお詠みになりましたが、
作者は「例の、いかにあやしげに古めきたりけむ」(こうした盛儀の
折に詠まれる歌は、お決まりのこととて、どんなにか面白くもない、
古くさい歌だったことでしょう)と、ことわった上で、それでもこの宴
の中心的存在だった薫、帝、夕霧、按察使大納言の4人の歌を
順に紹介しています。
薫:「すべらぎのかざしに折ると藤の花およばぬえだに袖かけて
けり」(天下をお治めになっている帝の冠に挿していただこうと、
藤の花の手の届かない枝に袖をかけました)
帝:「よろづ世をかけてにほはむ花なれば今日をもあかぬ色と
こそみれ」(いついつまでも美しく咲き匂う花なので、今日も
見飽きることのない美しい色に見える)
夕霧:「君がため折れるかざしは紫の雲におとらぬ花のけしきか」
(帝の為に手折った插頭の藤の花は、紫雲にも劣らぬ美しさで
あることよ)
按察使大納言:「世の常の色とも見えず雲居までたちのぼりける
藤波の花」(ありふれた色とも見えません。宮中にまで立ち昇った
藤波の花は)
確かに、草子地で「面白くもない、古めかしい歌」と書いてある通り、
薫と夕霧は女二宮を、帝と按察使大納言は薫を賛美する歌では
ありますが、いずれも表面上の賛美の言葉が取り交わされている
だけで、心が籠っていません。作者はこんなところにも、薫と女二宮
の結婚が、いかに愛のない空疎なものであるかを映し出そうとした
のでしょうか。
次回は、余談は極力控え、「宿木」の巻を読み終えるつもりです。
「内大臣」という地位
2023年8月24日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第37回・通算84回・№2)
昨日が二十四節気の「処暑」でした。毎年この頃になると、
「処暑とはよく言ったもので、さすがに暑さも落ち着いて
来たなぁ」と感じるのですが、今年は未だ猛暑が衰える
気配を見せません。あと1週間で9月です。酷暑の日々は
どこまで続けば気が済むのでしょうか。
このクラスも、今日から第14帖「澪標」に入りました。
京に召還され政界に復帰した源氏は、ここからは出世街道
をまっしぐらに進み始めます。
源氏が京に戻った翌年(源氏29歳)の2月20日過ぎ、朱雀帝
は譲位、東宮が新たな帝(冷泉帝)として即位なさいました。
新帝の後見をするのは源氏です。前年に権大納言に昇進
したばかりの源氏でしたが、早くもここで内大臣という地位を
得ます。
内大臣は令外の官(律令で規定した大臣ではなく、定員外
の大臣)で、必要に応じて就任するのですが、この頃からは、
単に左右大臣に次ぐ地位というだけではなく、摂政(幼帝の
権限を全面的に代行)・関白(成人した天皇を補佐)に直通
する特別な地位として任ぜられるようになっていました。
醍醐天皇の外戚として内大臣に昇進した藤原高藤、円融天皇
の関白として権中納言から内大臣に昇進した藤原兼道。一条
天皇の頃には、内大臣には実権を握る外戚が就くようになり、
関白となった道隆、道兼と続き、伊周(道隆の嫡男)に至っては、
21歳で内大臣となっています。父の道隆が、一条朝の外戚と
しての地位を中の関白家で固めるためだったと考えられます。
しかしながら、伊周が内大臣に就任した翌年、道隆は死去。
中の関白家の夢は道半ばで潰えました。
話が逸れてしまいました🙇『源氏物語』に戻します。
内大臣となった源氏は、そのまま摂政として政務に携わるべき
ところを、致仕大臣(もとの左大臣)に譲ります。
朱雀帝の御代に、右大臣一派が権勢を欲しいままにしている
のが面白くなく、病気を理由に辞任した致仕大臣でしたが、
源氏をはじめ、周囲に強く押されて、摂政太政大臣として政界
復帰を果たしたのでした。源氏としても自分一人ではなく、
致仕大臣も引き込んで、冷泉帝の後ろ盾を盤石なものにしよう
という意図があったのだと思われます。
東宮の即位から、源氏一門で政権を握るに至るまでの話の
詳細は、先に書きました全文訳「澪標」(2)をご覧頂ければ
と存じます(⇒こちらから)。
昨日が二十四節気の「処暑」でした。毎年この頃になると、
「処暑とはよく言ったもので、さすがに暑さも落ち着いて
来たなぁ」と感じるのですが、今年は未だ猛暑が衰える
気配を見せません。あと1週間で9月です。酷暑の日々は
どこまで続けば気が済むのでしょうか。
このクラスも、今日から第14帖「澪標」に入りました。
京に召還され政界に復帰した源氏は、ここからは出世街道
をまっしぐらに進み始めます。
源氏が京に戻った翌年(源氏29歳)の2月20日過ぎ、朱雀帝
は譲位、東宮が新たな帝(冷泉帝)として即位なさいました。
新帝の後見をするのは源氏です。前年に権大納言に昇進
したばかりの源氏でしたが、早くもここで内大臣という地位を
得ます。
内大臣は令外の官(律令で規定した大臣ではなく、定員外
の大臣)で、必要に応じて就任するのですが、この頃からは、
単に左右大臣に次ぐ地位というだけではなく、摂政(幼帝の
権限を全面的に代行)・関白(成人した天皇を補佐)に直通
する特別な地位として任ぜられるようになっていました。
醍醐天皇の外戚として内大臣に昇進した藤原高藤、円融天皇
の関白として権中納言から内大臣に昇進した藤原兼道。一条
天皇の頃には、内大臣には実権を握る外戚が就くようになり、
関白となった道隆、道兼と続き、伊周(道隆の嫡男)に至っては、
21歳で内大臣となっています。父の道隆が、一条朝の外戚と
しての地位を中の関白家で固めるためだったと考えられます。
しかしながら、伊周が内大臣に就任した翌年、道隆は死去。
中の関白家の夢は道半ばで潰えました。
話が逸れてしまいました🙇『源氏物語』に戻します。
内大臣となった源氏は、そのまま摂政として政務に携わるべき
ところを、致仕大臣(もとの左大臣)に譲ります。
朱雀帝の御代に、右大臣一派が権勢を欲しいままにしている
のが面白くなく、病気を理由に辞任した致仕大臣でしたが、
源氏をはじめ、周囲に強く押されて、摂政太政大臣として政界
復帰を果たしたのでした。源氏としても自分一人ではなく、
致仕大臣も引き込んで、冷泉帝の後ろ盾を盤石なものにしよう
という意図があったのだと思われます。
東宮の即位から、源氏一門で政権を握るに至るまでの話の
詳細は、先に書きました全文訳「澪標」(2)をご覧頂ければ
と存じます(⇒こちらから)。
第14帖「澪標」の全文訳(2)
2023年8月24日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第37回・通算84回・№1)
8月は会場クラスが休講となったため、全文訳はオンラインクラス
のみで、こちらが、今月講読箇所(11頁・1行目~16頁・11行目)の
後半部分(14頁・3行目~16頁・11行目)となります。前半部分は
⇒こちらから。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)
同じ2月の20日過ぎ、ご譲位があり、急な事だったので、弘徽殿の大后
は狼狽なさいました。朱雀院は、「もう帝位にはないので、何の栄えも
ない身ではありますが、ゆっくりとお目にかかれると思っております」と
言って、母・大后をお慰めになるのでした。
東宮には、承香殿の女御のお産みになった皇子がおつきになりました。
世の中は一新して、前代とは打って変わって華やかなことが多うござい
ました。
源氏の大納言は内大臣になられました。大臣の欠員がなかったので、
定員外としてお加わりになりました。そのまま摂政となられて、天下の
政治をおとりになるべきでしたが、「そのような繁忙な役職には力不足
です」と言って、致仕大臣(もとの左大臣)を摂政になさるべきであると、
お譲りになるのでした。
致仕大臣は、「病を理由に官職もご辞退申し上げたのに、いよいよ
老いぼれてしまって、賢政も出来ますまい」と、ご承諾なさいません。
「異国でも、事変が起こり世の中が乱れている時には、政界を退き、
深山に籠っていた人でさえ、太平の世になれば、白髪の身も恥じず、
天子にお仕えするのを、真の聖賢としたものです」と説き、病のため
に辞退なさった官職であっても、政情が変わってもう一度改めて出仕
なさるのに何の支障もあるまいと、公私共に決められました。そうした
前例もあったので、致仕大臣も断り切れず、太政大臣に就任なさい
ました。
お歳も63になっておられます。右大臣一派が権勢を振るい、面白く
なかったので、そのために隠居なさっておられたのですが、また昔の
ようにお華やぎになって、お子様方も、不遇な様子でいらっしゃいま
したが、皆出世なさいました。
とりわけ、宰相中将は、権中納言になられました。正妻の右大臣家の
四の君腹の姫君で12歳になっておられるお方を、入内させようと大切
にお育てになっておられました。あの「高砂」を歌った若君も元服させて、
思い通りのご繁栄ぶりです。権中納言には、ご夫人方にお子様が次々
に生まれ成長して賑やかなのを、源氏の君は羨ましくお思いになって
おられました。
太政大臣家の葵上腹の夕霧は、他の人よりも特に可愛らしくて、宮中
と東宮御所の殿上童をなさっています。葵上が亡くなられたのを嘆いて
こられた大宮や太政大臣は、夕霧の成長を見ると、改めて娘の早世が
惜しまれお嘆きになっておりました。けれども、葵上が亡くなられた後
でも、ただこの源氏の君のご威光で、万事結構な扱いをお受けになって、
長年不遇をかこっておられた跡形もないほどまでに、太政大臣家は
お栄えになりました。
源氏の君は、やはり昔と変わらないお心遣いで、太政大臣邸に事ある
ごとにお出向きになっては、夕霧の乳母たちや、その他の女房たちも、
源氏の君がご不在の間に出て行かなかった者に対しては、適当な機会
があるごとに、頼もしい身の上になれるようご配慮下さるので、幸せに
なれる人が多いようでございました。
二条院でも、同じように源氏の君の帰京を待ち申し上げていた女房を、
殊勝な者たちだとお思いになって、源氏の君は、長年の物思いが晴れ
るようにと、中将とか中務といった女房には、その身分身分に応じて
情けをお掛けになるので、お暇がなくて、他所の女君に通うこともなさ
いません。二条院の東にある、桐壺院からの遺産として相続なさった
邸宅を、この上なく立派に改築なさいます。花散里のような気の毒な
境遇の方々を、住まわせようと、お心積もりをなさって手入れをさせ
なさっているのでした。
8月は会場クラスが休講となったため、全文訳はオンラインクラス
のみで、こちらが、今月講読箇所(11頁・1行目~16頁・11行目)の
後半部分(14頁・3行目~16頁・11行目)となります。前半部分は
⇒こちらから。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)
同じ2月の20日過ぎ、ご譲位があり、急な事だったので、弘徽殿の大后
は狼狽なさいました。朱雀院は、「もう帝位にはないので、何の栄えも
ない身ではありますが、ゆっくりとお目にかかれると思っております」と
言って、母・大后をお慰めになるのでした。
東宮には、承香殿の女御のお産みになった皇子がおつきになりました。
世の中は一新して、前代とは打って変わって華やかなことが多うござい
ました。
源氏の大納言は内大臣になられました。大臣の欠員がなかったので、
定員外としてお加わりになりました。そのまま摂政となられて、天下の
政治をおとりになるべきでしたが、「そのような繁忙な役職には力不足
です」と言って、致仕大臣(もとの左大臣)を摂政になさるべきであると、
お譲りになるのでした。
致仕大臣は、「病を理由に官職もご辞退申し上げたのに、いよいよ
老いぼれてしまって、賢政も出来ますまい」と、ご承諾なさいません。
「異国でも、事変が起こり世の中が乱れている時には、政界を退き、
深山に籠っていた人でさえ、太平の世になれば、白髪の身も恥じず、
天子にお仕えするのを、真の聖賢としたものです」と説き、病のため
に辞退なさった官職であっても、政情が変わってもう一度改めて出仕
なさるのに何の支障もあるまいと、公私共に決められました。そうした
前例もあったので、致仕大臣も断り切れず、太政大臣に就任なさい
ました。
お歳も63になっておられます。右大臣一派が権勢を振るい、面白く
なかったので、そのために隠居なさっておられたのですが、また昔の
ようにお華やぎになって、お子様方も、不遇な様子でいらっしゃいま
したが、皆出世なさいました。
とりわけ、宰相中将は、権中納言になられました。正妻の右大臣家の
四の君腹の姫君で12歳になっておられるお方を、入内させようと大切
にお育てになっておられました。あの「高砂」を歌った若君も元服させて、
思い通りのご繁栄ぶりです。権中納言には、ご夫人方にお子様が次々
に生まれ成長して賑やかなのを、源氏の君は羨ましくお思いになって
おられました。
太政大臣家の葵上腹の夕霧は、他の人よりも特に可愛らしくて、宮中
と東宮御所の殿上童をなさっています。葵上が亡くなられたのを嘆いて
こられた大宮や太政大臣は、夕霧の成長を見ると、改めて娘の早世が
惜しまれお嘆きになっておりました。けれども、葵上が亡くなられた後
でも、ただこの源氏の君のご威光で、万事結構な扱いをお受けになって、
長年不遇をかこっておられた跡形もないほどまでに、太政大臣家は
お栄えになりました。
源氏の君は、やはり昔と変わらないお心遣いで、太政大臣邸に事ある
ごとにお出向きになっては、夕霧の乳母たちや、その他の女房たちも、
源氏の君がご不在の間に出て行かなかった者に対しては、適当な機会
があるごとに、頼もしい身の上になれるようご配慮下さるので、幸せに
なれる人が多いようでございました。
二条院でも、同じように源氏の君の帰京を待ち申し上げていた女房を、
殊勝な者たちだとお思いになって、源氏の君は、長年の物思いが晴れ
るようにと、中将とか中務といった女房には、その身分身分に応じて
情けをお掛けになるので、お暇がなくて、他所の女君に通うこともなさ
いません。二条院の東にある、桐壺院からの遺産として相続なさった
邸宅を、この上なく立派に改築なさいます。花散里のような気の毒な
境遇の方々を、住まわせようと、お心積もりをなさって手入れをさせ
なさっているのでした。
朱雀帝の無念
2023年8月21日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第377回・通算84回・№2)
先ずは、皆さまにご心配をおかけした目の状態について
ご報告申し上げておきます。
今朝は、昨日までに比べると赤味が薄れてきており、目薬
のことがなければ、しばらく様子見でもいいのかな、という
位にまで回復して来ていましたが、やはり目薬を点すべきか
どうか、受診しなければわからないので、午前中に予約無し
でもOKの確認を取って、オンライン講座を終えてから、夕方
眼科を受診しました。
今回の目が真っ赤になったのは「結膜下出血」で、緑内障
の目薬の副作用ではないとのこと。段々と回復するので、
心配はいらない、目薬は今日からまた毎日点すように、と
言われました。
すみません、本題のほうが後になりましたが、オンラインの
「紫の会」は、今月から第14帖「澪標」に入りました。
「澪標」は、「須磨」・「明石」で人生のどん底を味わった源氏
が、栄光への階段を駆け上る物語の始まりとなる巻です。
源氏を召還し、権大納言に昇進させた朱雀帝は、ようやく
父・桐壺院の遺言を果たすことができ、気持ちも晴れて、
眼病も良くなって来られましたが、既に譲位の決心をして
おられ、翌年(源氏29歳)の2月に御代替わりとなりました。
それに先立ち、朱雀帝は朧月夜と語られます。帝は朧月夜
が源氏のことを忘れられずにいるのを承知の上で、それでも
朧月夜に対する愛は、自分のほうが源氏に優っているはずだ、
とおっしゃいます。顔を赤く染めて涙をこぼす朧月夜を「よろづ
の罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる」(源氏との全ての
罪を忘れて、しみじみと可愛らしいとご覧になっておられる)
朱雀帝でした。
続けて口になさったのが、「などか御子をだに持たまへるまじき」
(どうしてあなたはせめて御子だけでもお産みくださらなかった
のでしょうか)という言葉です。
これはとても深い意味を持つ発言だと思われます。朱雀帝は
譲位するにあたって、朧月夜の産んだ皇子を東宮に立てた
かったのでしょう。もちろん愛する朧月夜腹の皇子だから、と
いうこともありましょうが、もう一つ、自身の母方(右大臣家)の
血筋を皇統の中に残しておきたい気持ちもあったのではないか、
と考えられます。朱雀帝の無念さは、右大臣家の敗退をも意味
するものだったと言えましょう。
ここへ来て朧月夜も、朱雀帝の深い愛と、源氏の愛を比べ、若く
分別のないまま、あのような騒動まで引き起こしてしまった我が
身を情けなく思っているのでした。
この場面、詳しくは先に書きました、全文訳「澪標」(1)でお読み
いただければ、と存じます(⇒こちらから)。
先ずは、皆さまにご心配をおかけした目の状態について
ご報告申し上げておきます。
今朝は、昨日までに比べると赤味が薄れてきており、目薬
のことがなければ、しばらく様子見でもいいのかな、という
位にまで回復して来ていましたが、やはり目薬を点すべきか
どうか、受診しなければわからないので、午前中に予約無し
でもOKの確認を取って、オンライン講座を終えてから、夕方
眼科を受診しました。
今回の目が真っ赤になったのは「結膜下出血」で、緑内障
の目薬の副作用ではないとのこと。段々と回復するので、
心配はいらない、目薬は今日からまた毎日点すように、と
言われました。
すみません、本題のほうが後になりましたが、オンラインの
「紫の会」は、今月から第14帖「澪標」に入りました。
「澪標」は、「須磨」・「明石」で人生のどん底を味わった源氏
が、栄光への階段を駆け上る物語の始まりとなる巻です。
源氏を召還し、権大納言に昇進させた朱雀帝は、ようやく
父・桐壺院の遺言を果たすことができ、気持ちも晴れて、
眼病も良くなって来られましたが、既に譲位の決心をして
おられ、翌年(源氏29歳)の2月に御代替わりとなりました。
それに先立ち、朱雀帝は朧月夜と語られます。帝は朧月夜
が源氏のことを忘れられずにいるのを承知の上で、それでも
朧月夜に対する愛は、自分のほうが源氏に優っているはずだ、
とおっしゃいます。顔を赤く染めて涙をこぼす朧月夜を「よろづ
の罪忘れて、あはれにらうたしと御覧ぜらる」(源氏との全ての
罪を忘れて、しみじみと可愛らしいとご覧になっておられる)
朱雀帝でした。
続けて口になさったのが、「などか御子をだに持たまへるまじき」
(どうしてあなたはせめて御子だけでもお産みくださらなかった
のでしょうか)という言葉です。
これはとても深い意味を持つ発言だと思われます。朱雀帝は
譲位するにあたって、朧月夜の産んだ皇子を東宮に立てた
かったのでしょう。もちろん愛する朧月夜腹の皇子だから、と
いうこともありましょうが、もう一つ、自身の母方(右大臣家)の
血筋を皇統の中に残しておきたい気持ちもあったのではないか、
と考えられます。朱雀帝の無念さは、右大臣家の敗退をも意味
するものだったと言えましょう。
ここへ来て朧月夜も、朱雀帝の深い愛と、源氏の愛を比べ、若く
分別のないまま、あのような騒動まで引き起こしてしまった我が
身を情けなく思っているのでした。
この場面、詳しくは先に書きました、全文訳「澪標」(1)でお読み
いただければ、と存じます(⇒こちらから)。
第14帖「澪標」の全文訳(1)
2023年8月21日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第37回・通算84回・№1)
7月から会場クラスとオンラインクラスの足並みが揃い、3クラス間
での振替受講も自由にしていただけるようになって、やれやれ、と
思ったのですが、先週(7/14)の会場クラスが台風の影響で中止と
なり、再びオンラインクラスが先行する形となってしまいました。
来月から、会場クラスをまた30分延長して、出来れば10月迄の
2ヶ月でオンラインクラスに追いつくようにしたいと考えております。
ですから、今月の全文訳は、オンラインクラスのみで、前半、後半
に分けて書くことにしました。講読したのは第14帖「澪標」の最初の
部分(11頁・1行目~16頁・11行目迄)ですので、今回はその前半
(11頁・1行目~14頁・2行目迄)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)
まざまざと夢の中に現れなさってからは、源氏の君は父・桐壺院の
ことを心に掛けておられて、何とかして、あの時、院がおっしゃった、
苦しんでおられるという罪からお救い申し上げたい、と、お嘆きに
なっておられましたが、こうしてご帰京あそばしてからは、その準備
をなさっておいでです。十月に法華八講をなさいました。世間の誰も
が心を寄せてご奉仕申し上げるのは、昔のようでございました。
弘徽殿大后は、やはりお具合がひどくすぐれない時でも、遂に源氏
の君を政界から抹殺し切れなかったことだと無念にお思いでしたが、
朱雀帝は父・桐壺院の御遺言をお心にかけておられました。父院の
御遺言に背いて何か報いがあるに違いない、と思っていらっしゃい
ましたが、こうしてきちんと源氏の君を復位させなさって、ご気分も
すっきりとなさったのでした。
時折病に苦しんでおられた御目も回復なさいましたが、そもそも
長生き出来そうにもなく、心細いばかりだ、と、ご在位も長からぬ
ことをお考えになっては、常にお召しがあるので、源氏の君は参内
なさるのでした。帝は世のまつりごとなども、すべて源氏の君に
ご相談なさってはご満足のご様子なので、世間一般の人も、事情
はわからないものの、源氏の君の政界復帰を嬉しいことと、喜び
申し上げておりました。
朱雀帝は、ご退位なさろうというお心積りが近づくにつれても、尚侍
(朧月夜)が心細そうに身の上を思い嘆いておられるご様子を、
とても不憫にお思いになっておられました。「あなたの父・大臣亡く
なられ、大后も頼りがいもなく病気が重くなられる上に、私も余命
幾ばくも無い気がするにつけ、たいそうおいたわしいことに、あなた
はこれまでとは打って変わった境遇で、一人この世にお残りになる
こととなりましょう。あなたは昔から私のことをあの人(源氏の君)
よりも軽んじて来られましたが、私はあなたへの誰にも劣らぬ深い
愛が身についてしまい、ただあなたのことばかりが愛しく思われる
のです。あなたにとって私以上のあの人と、再び望み通り結ばれる
ことがあっても、並々ならぬ愛情という点では、私以上ではあるまい
と思われることも、たまらなくつらいのです」と言って、お泣きになり
ます。
朧月夜は、顔をたいそう赤らめて、こぼれるほどの魅力で、涙をこぼす
のを、帝はすべての罪を忘れて、朧月夜のことをしみじみと可愛らしい
とご覧になっておられました。「どうしてあなたはせめて御子だけでも
お産みくださらなかったのでしょうか。本当に残念なことだなぁ。宿縁の
深いあの人のためになら、今すぐにでもお子を儲けなさるであろう、と
思われるのも口惜しいことよ。でもそうなっても、身分は越えられない
ものだから、その子は臣下としてお育ちになるのですよね」と、帝が
先々のことまでもおっしゃるにつけ、朧月夜は、とても恥ずかしくも
悲しくもお思いでした。
帝のご容貌などは、優雅でお美しくて、朧月夜へのこの上ないご愛情
が、年月に添えて深まるように大切にお扱いになりますが、一方の
源氏の君は、素晴らしい方ではあるけれど、そんなにも自分を愛して
くださってはいなかったご様子やお気持ちなどが、いろいろと物事が
お分かりになって来た今は、「どうして、自分の心の至らなくて無知な
ままに、あのような騒動までも引き起こして、自身の評判を落とした
ことはもとより、源氏の君にまでもご迷惑をおかけしてしまった」など
と思い出されるにつけ、たいそう我が身が厭わしくなるのでした。
翌年の2月に、東宮の元服の儀が執り行われました。東宮は11歳に
おなりですが、お年の割に大きくて、大人びてお綺麗で、ただもう
源氏の大納言のお顔をもう一つそっくり写し取ったようにお見えに
なります。お二人がとても眩しいほどにお互いに光輝いておられる
のを、世間の人は、素晴らしいことだと申し上げますが、藤壺は、
ひどくいたたまれない思いで、どうにもならないことにお心を痛めて
おられました。
朱雀帝も東宮を立派だとご覧になって、まつりごとをお譲り申し上げ
ようとお考えになっていることなどを、やさしく東宮にお聞かせなさる
のでした。
7月から会場クラスとオンラインクラスの足並みが揃い、3クラス間
での振替受講も自由にしていただけるようになって、やれやれ、と
思ったのですが、先週(7/14)の会場クラスが台風の影響で中止と
なり、再びオンラインクラスが先行する形となってしまいました。
来月から、会場クラスをまた30分延長して、出来れば10月迄の
2ヶ月でオンラインクラスに追いつくようにしたいと考えております。
ですから、今月の全文訳は、オンラインクラスのみで、前半、後半
に分けて書くことにしました。講読したのは第14帖「澪標」の最初の
部分(11頁・1行目~16頁・11行目迄)ですので、今回はその前半
(11頁・1行目~14頁・2行目迄)の全文訳となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)
まざまざと夢の中に現れなさってからは、源氏の君は父・桐壺院の
ことを心に掛けておられて、何とかして、あの時、院がおっしゃった、
苦しんでおられるという罪からお救い申し上げたい、と、お嘆きに
なっておられましたが、こうしてご帰京あそばしてからは、その準備
をなさっておいでです。十月に法華八講をなさいました。世間の誰も
が心を寄せてご奉仕申し上げるのは、昔のようでございました。
弘徽殿大后は、やはりお具合がひどくすぐれない時でも、遂に源氏
の君を政界から抹殺し切れなかったことだと無念にお思いでしたが、
朱雀帝は父・桐壺院の御遺言をお心にかけておられました。父院の
御遺言に背いて何か報いがあるに違いない、と思っていらっしゃい
ましたが、こうしてきちんと源氏の君を復位させなさって、ご気分も
すっきりとなさったのでした。
時折病に苦しんでおられた御目も回復なさいましたが、そもそも
長生き出来そうにもなく、心細いばかりだ、と、ご在位も長からぬ
ことをお考えになっては、常にお召しがあるので、源氏の君は参内
なさるのでした。帝は世のまつりごとなども、すべて源氏の君に
ご相談なさってはご満足のご様子なので、世間一般の人も、事情
はわからないものの、源氏の君の政界復帰を嬉しいことと、喜び
申し上げておりました。
朱雀帝は、ご退位なさろうというお心積りが近づくにつれても、尚侍
(朧月夜)が心細そうに身の上を思い嘆いておられるご様子を、
とても不憫にお思いになっておられました。「あなたの父・大臣亡く
なられ、大后も頼りがいもなく病気が重くなられる上に、私も余命
幾ばくも無い気がするにつけ、たいそうおいたわしいことに、あなた
はこれまでとは打って変わった境遇で、一人この世にお残りになる
こととなりましょう。あなたは昔から私のことをあの人(源氏の君)
よりも軽んじて来られましたが、私はあなたへの誰にも劣らぬ深い
愛が身についてしまい、ただあなたのことばかりが愛しく思われる
のです。あなたにとって私以上のあの人と、再び望み通り結ばれる
ことがあっても、並々ならぬ愛情という点では、私以上ではあるまい
と思われることも、たまらなくつらいのです」と言って、お泣きになり
ます。
朧月夜は、顔をたいそう赤らめて、こぼれるほどの魅力で、涙をこぼす
のを、帝はすべての罪を忘れて、朧月夜のことをしみじみと可愛らしい
とご覧になっておられました。「どうしてあなたはせめて御子だけでも
お産みくださらなかったのでしょうか。本当に残念なことだなぁ。宿縁の
深いあの人のためになら、今すぐにでもお子を儲けなさるであろう、と
思われるのも口惜しいことよ。でもそうなっても、身分は越えられない
ものだから、その子は臣下としてお育ちになるのですよね」と、帝が
先々のことまでもおっしゃるにつけ、朧月夜は、とても恥ずかしくも
悲しくもお思いでした。
帝のご容貌などは、優雅でお美しくて、朧月夜へのこの上ないご愛情
が、年月に添えて深まるように大切にお扱いになりますが、一方の
源氏の君は、素晴らしい方ではあるけれど、そんなにも自分を愛して
くださってはいなかったご様子やお気持ちなどが、いろいろと物事が
お分かりになって来た今は、「どうして、自分の心の至らなくて無知な
ままに、あのような騒動までも引き起こして、自身の評判を落とした
ことはもとより、源氏の君にまでもご迷惑をおかけしてしまった」など
と思い出されるにつけ、たいそう我が身が厭わしくなるのでした。
翌年の2月に、東宮の元服の儀が執り行われました。東宮は11歳に
おなりですが、お年の割に大きくて、大人びてお綺麗で、ただもう
源氏の大納言のお顔をもう一つそっくり写し取ったようにお見えに
なります。お二人がとても眩しいほどにお互いに光輝いておられる
のを、世間の人は、素晴らしいことだと申し上げますが、藤壺は、
ひどくいたたまれない思いで、どうにもならないことにお心を痛めて
おられました。
朱雀帝も東宮を立派だとご覧になって、まつりごとをお譲り申し上げ
ようとお考えになっていることなどを、やさしく東宮にお聞かせなさる
のでした。
目が真っ赤に
2023年8月19日(土)
今日も、明日も、明後日も、予想最高気温は35℃となって
います。昨日も35℃でしたし、ずっと猛暑日が途切れなく
続くということですよね。
これがいわゆる「夏バテ」と言うのでしょうか、身体のあちら
こちらに困った症状が出て来ております。
一つは口角炎。これは3年前のコロナ禍の初めの頃に出て、
皮膚科に何ヶ月か通い、その後は治まっていましたが、
ここへ来て又、口角の周りが赤くなり、口を大きく開けると
裂けるような痛みを感じるようになりました。残っていた薬を
塗って、だいぶ治ってきましたが、まだ完治はしていません。
そして、木曜日(17日)の夜。いつものように、緑内障の目薬
を点して顔を洗おうとして、洗面所の鏡の前に立つと、左目
の黒目を境に目頭側の白目が赤くなっているのに気づきま
した。それでもまだ、真っ赤という程でもなかったので、目薬
を一滴点し、顔を洗って寝ました。
翌朝(昨日18日)、洗面所の鏡に映った自分にギャァァ~。
まるで妖怪の目なのです。左目の目頭は単に充血というの
では済まされないほど赤くなっていて、黒目との境も見えない
程。かかりつけの眼科は確か今週中はお休みだったと思い
ましたが、念のため、ネットで調べてみてもやはりそうでした。
来週中の予約も、もう空きがありません。
こんな状態で、緑内障の目薬を点すべきか否か、困って、
いつもお世話になっている調剤薬局の薬剤師さんに相談
しました。「私の立場では判断はできませんが、一応目薬の
副作用として充血というのもありますので、日曜日までは
一旦止めて、月曜日に眼科に相談されるのが良いのでは」
とのことだったので、そうすることにしました。
月曜日はオンラインでの講読会があるので、午前中に眼科
に電話して、夕方予約無しでも診察してもらえるか確認しよう
と思っています。多分、受診はさせてもらえると思いますが、
どれほど待つことになるかは、覚悟が要りそうです。
こんな話はあまり書きたくないのですが、今週は源氏講座も
ありませんし、自分自身の覚書として残しておくことにしました。
なので、この記事はコメント欄も閉じさせていただきます🙇
今日も、明日も、明後日も、予想最高気温は35℃となって
います。昨日も35℃でしたし、ずっと猛暑日が途切れなく
続くということですよね。
これがいわゆる「夏バテ」と言うのでしょうか、身体のあちら
こちらに困った症状が出て来ております。
一つは口角炎。これは3年前のコロナ禍の初めの頃に出て、
皮膚科に何ヶ月か通い、その後は治まっていましたが、
ここへ来て又、口角の周りが赤くなり、口を大きく開けると
裂けるような痛みを感じるようになりました。残っていた薬を
塗って、だいぶ治ってきましたが、まだ完治はしていません。
そして、木曜日(17日)の夜。いつものように、緑内障の目薬
を点して顔を洗おうとして、洗面所の鏡の前に立つと、左目
の黒目を境に目頭側の白目が赤くなっているのに気づきま
した。それでもまだ、真っ赤という程でもなかったので、目薬
を一滴点し、顔を洗って寝ました。
翌朝(昨日18日)、洗面所の鏡に映った自分にギャァァ~。
まるで妖怪の目なのです。左目の目頭は単に充血というの
では済まされないほど赤くなっていて、黒目との境も見えない
程。かかりつけの眼科は確か今週中はお休みだったと思い
ましたが、念のため、ネットで調べてみてもやはりそうでした。
来週中の予約も、もう空きがありません。
こんな状態で、緑内障の目薬を点すべきか否か、困って、
いつもお世話になっている調剤薬局の薬剤師さんに相談
しました。「私の立場では判断はできませんが、一応目薬の
副作用として充血というのもありますので、日曜日までは
一旦止めて、月曜日に眼科に相談されるのが良いのでは」
とのことだったので、そうすることにしました。
月曜日はオンラインでの講読会があるので、午前中に眼科
に電話して、夕方予約無しでも診察してもらえるか確認しよう
と思っています。多分、受診はさせてもらえると思いますが、
どれほど待つことになるかは、覚悟が要りそうです。
こんな話はあまり書きたくないのですが、今週は源氏講座も
ありませんし、自分自身の覚書として残しておくことにしました。
なので、この記事はコメント欄も閉じさせていただきます🙇
「Y1000」のその後
2023年8月14日(月)
先週の金曜日の時点では、関東にも台風7号の接近が
予想され、今日(14日)の「紫の会」の講読会は中止と
なりましたが、台風は当初よりもずっと西寄りのコースを
取ったため、時折急にザァーッと、物凄い雨が降って来る
こともありますが、この辺りは何事もなく済みそうです。
でも、西の方にお住まいの方は、これからが大変ですね。
どうぞ被害が出ないように、と祈っております。
今週は、水曜日の湘南台クラスも30日にずらしましたし、
意図したわけではないのですが、私もお盆休みの形と
なりましたので、『源氏物語』関係の記事もお休みです。
それで、今日行ったスーパーで、最近ちょくちょく「Y1000」
が買えるようになったご報告をしておきたいと思います。
昨年9月末、この時も台風が接近していて、珍しく「Y1000」
が買えたことをブログ記事にしました(⇒こちらから)。
その後は、行く度にヤクルトの棚を覗いてみますが、ずっと
「品切れのおわび」の札が出ています。「入荷していること
ってあるのかしら?」と思うほどです。
2ヶ月余り前に、美容室でも「Y1000」の話になり、私も「1回
買えたっきり」と、ぼやいたその帰り、美容室のすぐそばの
スーパーに寄ったら、何と「Y1000」が山積みになっていて
びっくり( ゚Д゚)
前回購入したスーパーのような「1家族1パック」というような
制限もないので、その時は2パック買ってきました。それから
は、なかなか買えませんでしたが、売り場で商品チェックを
していた店員さんに訊くと、「今はパックはなく、毎日39本
ずつ入荷して、売り切れたらお終い」とのことで、偶に買える
日も出てきました。ただ、最近はここも「お一人様2点迄」と
なったので、続けて飲もうと思うと、頻繁に足を運ばねば
なりません。
このスーパーも徒歩5分程度なのですが、猛暑の折から、
どうしても徒歩1分の最寄りのスーパーで買い物は済ませ
がちです。今日はその近くの和菓子屋さんにも寄りたかった
ので、「Y1000」の買える可能性のあるスーパーに行きました
が、まだ20本以上残っていました。でも「お一人様2点迄」
ですから、仕方ないですよね。2本買ってまいりました。
「Y1000」を飲めば、睡眠導入剤を使わずに済むか、と
言えば、そこまでは無理ですが、確かにぐっすり眠れて
いる感じはあるので、これからも買える時には買いたい、
と思っています。

今日買ってきた2本。これから1本飲みます。
最寄りのスーパーでも早く買えるように
なって欲しいです。
先週の金曜日の時点では、関東にも台風7号の接近が
予想され、今日(14日)の「紫の会」の講読会は中止と
なりましたが、台風は当初よりもずっと西寄りのコースを
取ったため、時折急にザァーッと、物凄い雨が降って来る
こともありますが、この辺りは何事もなく済みそうです。
でも、西の方にお住まいの方は、これからが大変ですね。
どうぞ被害が出ないように、と祈っております。
今週は、水曜日の湘南台クラスも30日にずらしましたし、
意図したわけではないのですが、私もお盆休みの形と
なりましたので、『源氏物語』関係の記事もお休みです。
それで、今日行ったスーパーで、最近ちょくちょく「Y1000」
が買えるようになったご報告をしておきたいと思います。
昨年9月末、この時も台風が接近していて、珍しく「Y1000」
が買えたことをブログ記事にしました(⇒こちらから)。
その後は、行く度にヤクルトの棚を覗いてみますが、ずっと
「品切れのおわび」の札が出ています。「入荷していること
ってあるのかしら?」と思うほどです。
2ヶ月余り前に、美容室でも「Y1000」の話になり、私も「1回
買えたっきり」と、ぼやいたその帰り、美容室のすぐそばの
スーパーに寄ったら、何と「Y1000」が山積みになっていて
びっくり( ゚Д゚)
前回購入したスーパーのような「1家族1パック」というような
制限もないので、その時は2パック買ってきました。それから
は、なかなか買えませんでしたが、売り場で商品チェックを
していた店員さんに訊くと、「今はパックはなく、毎日39本
ずつ入荷して、売り切れたらお終い」とのことで、偶に買える
日も出てきました。ただ、最近はここも「お一人様2点迄」と
なったので、続けて飲もうと思うと、頻繁に足を運ばねば
なりません。
このスーパーも徒歩5分程度なのですが、猛暑の折から、
どうしても徒歩1分の最寄りのスーパーで買い物は済ませ
がちです。今日はその近くの和菓子屋さんにも寄りたかった
ので、「Y1000」の買える可能性のあるスーパーに行きました
が、まだ20本以上残っていました。でも「お一人様2点迄」
ですから、仕方ないですよね。2本買ってまいりました。
「Y1000」を飲めば、睡眠導入剤を使わずに済むか、と
言えば、そこまでは無理ですが、確かにぐっすり眠れて
いる感じはあるので、これからも買える時には買いたい、
と思っています。

今日買ってきた2本。これから1本飲みます。
最寄りのスーパーでも早く買えるように
なって欲しいです。
高らかに響き渡る笛の音
2023年8月11日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第171回)
立秋を過ぎても、相変わらずの猛暑の毎日です。加えて
台風7号が、週明けには接近の予報が出ており、14日の
会場での「紫の会」は中止ということになりました。
今月の第2金曜クラス、第4月曜クラス、9月の第1水曜の
オンラインクラスの3クラスの講読箇所は、第49帖「宿木」
の、帝主催の藤の花の宴と、続く女二宮が三条の宮に
移る場面までです。
立夏になると、三条の宮が宮中から見て方塞りになるとの
ことで、薫はその前に女二の宮を宮中の藤壺(飛香舎)から
自邸(三条の宮)に移すことにしました。
その前日、女二の宮の住まいとなっている藤壺で、帝が
藤の花の宴を催されました。親王たちや、夕霧をはじめと
する上達部、殿上人たちも集う華やかな宴となりました。
日が暮れる頃から管弦の遊びが始まります。読者も嘗ての
出来事のあれこれを辿りながら読むことのできる場面です。
先ずは、源氏が自身で書いて女三宮にお与えになったと
いう琴の琴の譜二巻が、帝に献上されました。
そういえば、朱雀院の五十の御賀で、女三宮が父院の前で
琴の琴の演奏を披露すべく、源氏が女三宮を特訓していた
ことがあったなぁ、と読者は思い出します。源氏との結婚生活
において、唯一、女三宮にとって幸せだったのはこの時では
ないかと思います。
次いで、本日のタイトルにも書いた横笛の話です。これを吹く
のは薫です。「笛は、かの夢に伝へしいにしへの形見」(笛は、
あの夕霧の夢の中で伝えた、亡き柏木の形見の品」と説明
されています。
夕霧が柏木の未亡人の落葉の宮を弔問した帰り際、落葉の宮
の母・一条御息所が、柏木の遺愛の横笛をお土産として下さい
ました。その夜夕霧の夢枕に立った柏木が、「この笛は他に伝え
たい人がいる」と言ったので、薫の本当の父親は柏木ではないか、
との疑念を抱いていた夕霧は、横笛を持って、父・源氏を訪ね
ましたね。もちろん源氏は夕霧に事実を打ち明けることなどせず、
その笛を預かったのでした。それが夕霧28歳の秋のこと、そして
今夕霧は52歳。24年の歳月を経て、あの時の横笛がここに再び
登場したのです。柏木が望んだ人(我が子の薫)に伝わり、そして
「大将の御笛は、今日ぞ世になき音の限りは吹き立てたまひける」
(薫の吹く横笛は、今日のこの晴れの場で、世にまたとない程の
音色の限りを高らかにお吹きになった)とあります。
柏木の逝去からちょうど四半世紀。薫の吹く横笛の音に、あの世
の柏木も喜んでいたのではないでしょうか。
立秋を過ぎても、相変わらずの猛暑の毎日です。加えて
台風7号が、週明けには接近の予報が出ており、14日の
会場での「紫の会」は中止ということになりました。
今月の第2金曜クラス、第4月曜クラス、9月の第1水曜の
オンラインクラスの3クラスの講読箇所は、第49帖「宿木」
の、帝主催の藤の花の宴と、続く女二宮が三条の宮に
移る場面までです。
立夏になると、三条の宮が宮中から見て方塞りになるとの
ことで、薫はその前に女二の宮を宮中の藤壺(飛香舎)から
自邸(三条の宮)に移すことにしました。
その前日、女二の宮の住まいとなっている藤壺で、帝が
藤の花の宴を催されました。親王たちや、夕霧をはじめと
する上達部、殿上人たちも集う華やかな宴となりました。
日が暮れる頃から管弦の遊びが始まります。読者も嘗ての
出来事のあれこれを辿りながら読むことのできる場面です。
先ずは、源氏が自身で書いて女三宮にお与えになったと
いう琴の琴の譜二巻が、帝に献上されました。
そういえば、朱雀院の五十の御賀で、女三宮が父院の前で
琴の琴の演奏を披露すべく、源氏が女三宮を特訓していた
ことがあったなぁ、と読者は思い出します。源氏との結婚生活
において、唯一、女三宮にとって幸せだったのはこの時では
ないかと思います。
次いで、本日のタイトルにも書いた横笛の話です。これを吹く
のは薫です。「笛は、かの夢に伝へしいにしへの形見」(笛は、
あの夕霧の夢の中で伝えた、亡き柏木の形見の品」と説明
されています。
夕霧が柏木の未亡人の落葉の宮を弔問した帰り際、落葉の宮
の母・一条御息所が、柏木の遺愛の横笛をお土産として下さい
ました。その夜夕霧の夢枕に立った柏木が、「この笛は他に伝え
たい人がいる」と言ったので、薫の本当の父親は柏木ではないか、
との疑念を抱いていた夕霧は、横笛を持って、父・源氏を訪ね
ましたね。もちろん源氏は夕霧に事実を打ち明けることなどせず、
その笛を預かったのでした。それが夕霧28歳の秋のこと、そして
今夕霧は52歳。24年の歳月を経て、あの時の横笛がここに再び
登場したのです。柏木が望んだ人(我が子の薫)に伝わり、そして
「大将の御笛は、今日ぞ世になき音の限りは吹き立てたまひける」
(薫の吹く横笛は、今日のこの晴れの場で、世にまたとない程の
音色の限りを高らかにお吹きになった)とあります。
柏木の逝去からちょうど四半世紀。薫の吹く横笛の音に、あの世
の柏木も喜んでいたのではないでしょうか。
「源氏物語のあらすじ」・・・第13帖「明石」(その3)
2023年8月8日(火)
今日は立秋。でもこの辺りの最高気温は36℃でした。
猛暑日の中で秋を迎えるなんて、いやはや、ですね。
今週はもう猛暑日から解放されると期待していたのに、
当てが外れました😞
「紫の会」は、今月から第14帖「澪標」に入りますので、
それまでにと思っていた第13帖「明石」の「かなり詳しい
あらすじ」の残りを、本日UPしておきます。
全文訳では、2023年6月19日の「明石」(13)、6月22日の
「明石」(14)、7月10日の「明石」(15)、7月17日の「明石」(16)、
7月27日の「明石」(17)に該当する部分となります。
「源氏物語のあらすじ」・・・第13帖「明石」(その3)は⇨⇨こちらから
今日は立秋。でもこの辺りの最高気温は36℃でした。
猛暑日の中で秋を迎えるなんて、いやはや、ですね。
今週はもう猛暑日から解放されると期待していたのに、
当てが外れました😞
「紫の会」は、今月から第14帖「澪標」に入りますので、
それまでにと思っていた第13帖「明石」の「かなり詳しい
あらすじ」の残りを、本日UPしておきます。
全文訳では、2023年6月19日の「明石」(13)、6月22日の
「明石」(14)、7月10日の「明石」(15)、7月17日の「明石」(16)、
7月27日の「明石」(17)に該当する部分となります。
「源氏物語のあらすじ」・・・第13帖「明石」(その3)は⇨⇨こちらから
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