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十三夜

2023年10月27日(金)

今夜は「十三夜」でした。

今年の「中秋の名月」は、雲が多く、危ぶまれながらも、運良く
見ることができましたが(その記事は⇒こちらから)、「十三夜」
の月は、綺麗に晴れ渡った空に上ってまいりました。

「十三夜」の月を愛でるのは、我が国独自の風習とのこと。少し
欠けているところに情趣を感じる日本人の美意識に合っている、
と言われています。

今年は、「中秋の名月」に続けて、「十三夜」の月も見ることが
出来たので、「片月見」にならずに済みました。

     十三夜2023j
     最近は日没が早くなっているので、まだ18時
     少し前ですが、もうすっかり夜空です。

     
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明石の姫君の五十日(いか)の祝い

2023年10月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第39回・通算86回・№2)

10月のオンライン「紫の会」は、第14帖「澪標」の第2ポイント
「明石の姫君の誕生」にまつわる話の後半を読みました。

明石で入道の娘が女の子を産んだことは、紫の上に打ち明け
ましたが、まだ大っぴらにはできず、源氏は秘かに日数を数え、
「五十日(いか)」に当たる五月五日に、明石に着くよう、使者
を差し向けました。

「五十日(いか)」というのは、生まれてから五十日目を迎えた
赤子に餅を含ませて祝う儀式を行う日で、今の「お食い初め」
にあたるものです。

乳母の派遣に続く、源氏の心遣いに、明石の入道は泣いて
喜びます。

乳母は、出自からすれば格下の入道の娘の幸運を羨み、
我が身を嘆いておりましたが、源氏からの手紙に、乳母は
どうしているか、などと細やかに案じてくださっているのを
見て、何もかもが慰められるのでした。この辺りの源氏の
気配りは、心憎いまでですね。

源氏が娘として我が子を認知してくれたことに安堵するもの
の、やはり、身分の低い母をもつこの子の将来に、不安も
抱かざるを得ません。そうした思いを綴った入道の娘からの
手紙を、嘆息しつつ繰り返しご覧になっている源氏の姿に、
紫の上は、「私は除け者なのですね」とつぶやいて、物思わ
しげな様子なので、源氏は、隠し事をするつもりはない意思
表示として、宛名の記された手紙の上包(うわづつみ)を
紫の上に見せます。その筆跡の見事さは、高貴な女性も
たじろぎそうで、紫の上は、「こんなふうだから、源氏の君が
心惹かれるのだわ」と、思っているのでした。

紫の上は、度々嫉妬していますが、確かにどこか可愛気が
ありますね。「朝顔」以降の深刻さとは、まだ隔たりが感じ
られます。入道の娘は身分が低いので、妻としての座が
揺らぐ不安がない、ということも、関係しているのかもしれ
ません。

「明石の姫君の五十日の祝い」関連の場面、詳しくは先に
書きました「澪標の全文訳(8)」でお読みいただければ、と
思います(⇒こちらから)。


第14帖「澪標」の全文訳(8)

2023年10月26日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第39回・通算86回・№1)

10月の「紫の会」は、第14帖「澪標」の22頁・7行目~28頁・1行目迄
を読みましたが、会場クラス、オンライン月曜クラス・木曜クラスの
3回に分けて書きましたので、これが今月最後の全文訳となります。
(1回目は⇒こちら、2回目は⇒こちら)。ブログ記事に合わせた
区切りとしましたので、今回(25頁・2行目~28頁・1行目まで)が
一番長くなります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


五月五日は、明石の姫君の五十日(いか)に当たると、源氏の君は
人知れず日数をお数えになって、姫君の様子が知りたく、しみじみと
思いを馳せておられました。

都で生まれていれば、万事思う存分世話をしてやれて、嬉しいことで
あろうに残念なことだ、明石のような田舎で、不憫な境遇で生まれて
きたことよ、とお思いになっておられます。男の子だったら、これ程
お心に掛けられるはずもないのに、もったいなくも、おいたわしくも
思われ、ご自分の運勢も、この方のご誕生のために、一時欠ける
ことがあったのだなぁ、とお思いでした。

お祝いのために明石へと使者を遣わされます。「必ず五月五日を
違えることなく到着せよ」とおっしゃったので、使者は五日に到着し
ました。お心遣いの品々も、滅多には無いほど結構な有様で、
こまごまとした日用品の贈り物までありました。

「海松や時ぞともなき蔭にゐて何のあやめもいかにわくらむ(姫君が
いつも侘しい田舎住まいをしていて、今日がどうしてあやめの節句だ
とわかるであろうか)私の魂も身から抜け出で明石まで行ってしまい
そうです。やはりこのままでは我慢できそうにもないので、上京を
ご決心下さい。ともかくも、心配するような事は決してありませんから」
と、お書きになりました。

入道は例によって、嬉し泣きをしておりました。このような折には、
生きていた甲斐があった、と泣き顔になっているのも、無理のない
ことだと思われました。

入道のところでも、姫君の五十日の祝いの品々を所狭しと思われる
ほど沢山用意していていましたが、源氏からのお使いがなかったなら、
闇夜の錦となってこの日が暮れてしまったことでありましょう。

乳母も、この入道の娘がしみじみと理想的な人柄なので、話し相手と
して田舎住まいの慰めにしておりました。この乳母に少しも劣らない
出自の女房も、縁故を通して京から迎え入れて置いていますが、
すっかり落ちぶれた宮仕えの女房などで、山の中にでも隠れ住みたい
と思っていた者が、たまたまここに身を寄せているといった具合なので、
この乳母は、この上なくおっとりとしていて気位が高うございました。

乳母は聞き甲斐のある都の話などをして、源氏の君のご様子や、世間
からあがめていらっしゃるご評判のことなども、女らしい憧れから、際限
もなく話すので、入道の娘は、本当に源氏の君ほどの方が、このように
お心に留めて下さっている姫君を産んだ我が身も、とても大したものだ
と次第に思うようになっておりました。

源氏の君からのお手紙も、乳母も一緒に見て、「ああ、こんなにも思い
掛けない素晴らしい幸運もあるものなのだ、情けない身の上というのは
我が身のことだ」と、思い続けていましたが、「乳母はどうしているか」
などど、源氏の君がこまごまと案じてくださっているのも勿体なくて、
乳母は何もかもが慰められるのでした。

入道の娘はお返事に、
「数ならぬみ島がくれに鳴く鶴をけふもいかにととふ人ぞなき(人数にも
入らない私の許で育つ娘を、五十日の今日も、どうしているかと訪ねて
くれる人はいないのでした)何かにつけて物思いに塞いでおります有様で、
このように、たまさかのお慰めにおすがりして生きる私の命もいつまでの
ことかと、心細くてなりません。おっしゃるように、娘の身の上が安心
できるようになって欲しいと存じます」
と、心からの思いを申し上げるのでした。

源氏の君は繰り返しご覧になっては、「ああ」と、長々と嘆息なさるので、
紫の上は横目でそれを見て、「私は除け者なのですね」と、そっと独り言
をおっしゃって物思わしげなご様子なのを、源氏の君は「何とまぁ、そこ
まで気を回されることですね。これはただ、この場限りの感慨に過ぎま
せんよ。あの明石の地の景色などを思い出す折々、過ぎ去った昔が
忘れられずに漏らす独り言を、よくもまぁ、お聞き逃しにならないこと
ですね」などとお恨みになって、手紙の上包だけを、紫の上にお見せ
になります。入道の娘の筆跡などがたいそう立派で、高貴な女君も
たじろぎそうなのを、こんな風だから、源氏の君もお惹かれになったの
だろうと、紫の上はお思いになっておられました。


受領の生き様

2023年10月23日(月) 溝の口「湖月会」(第173回)

このクラスも、第2金曜日クラスに続いて、第50帖「東屋」に
入りました。

これ迄の『源氏物語』は、当時の社会のピラミッドの頂点に
当たる上流貴族社会の中でのみ、物語が展開し、受領と
いった中流貴族の生き様に、焦点が当てられることはあり
ませんでした。

「東屋」の巻では、前巻「宿木」の巻末を受けて、冒頭に薫と、
浮舟の母の思いが、短く語られた後、娘の婚活に励む母親
の姿を映し出すところから、新たな「浮舟の物語」がスタート
することになります。

それに先立ち、浮舟を取り巻く環境が、詳細に語られていく
のですが、受領階級である、浮舟の今の父親・常陸介の
人柄、生活ぶりが、実にリアルに描き出されています。

常陸介も、元はといえば上達部の家柄で、素性の卑しい
出自ではないのですが、若い時から東国で育ったので、
東国訛りが滲みつき、管弦の道には疎く、弓が得意という
武骨な男です。

でも、財力に物を言わせて、若く美しい女房を集め、贅沢な
装束を纏わせ、遊びごとに興じさせているので、若い男たち
の中には、この家の娘目当てに、恋文を寄越すものが大勢
いるのでした。

ではなぜ、この常陸介がそこまで豊かな暮らしができるのか、
というと、国司は、中央政府に納める物以外の農地経営も
認められており、富を築くには一番のポストだったからなの
です。

常陸介が赴任した陸奥国は、金を算出し、良馬も多く、絹の
生産なども盛んだったので、ここで十分な貯えをして、任期が
果てて京に戻った時、権勢家に追従し、その見返りとして次
の常陸介のポストを手に入れたのであろうと考えられます。
常陸国もまた、広大な農地があり、絹や麻、海産物、染料等
を産出する、蓄財にはうってつけの赴任国でした。

そして、この常陸介の財産目当てに娘に熱心に求婚してくる
男がいて、母君がその男を浮舟の婿に、と選んだことから、
次なる話へと進んでまいります。この辺りのことは、11月8日
のオンラインクラスで読んだ時に書きたいと思います。


コスモスを摘みに

2023年10月21日(土)

6月の終わり頃にランチをご一緒したご近所さんのお一人から、
「毎年オープンするコスモス狩りが始まりました」と、昨日LINE
で情報を頂きました。「小さいハサミがあると便利です」、とも
書き添えてありました。

今日も心地良い秋晴れのお散歩日和です。ハサミを持って、
コスモス畑を目指しました。

徒歩10分余りで行ける場所ですが、普段、こちらのほうへは
滅多に来ないので、コスモスのことも教えて頂かなかったら、
知らないまま、今年も済んでしまっていたと思います。

今日は土曜日ということもあって、コスモス畑には、何組かの
家族連れの姿もあり、皆コスモスを摘んだり、写真を撮ったり、
楽しそうでした。

       コスモス③
      入り口にはこの表示が。おかげで安心して
      摘めます。

       コスモス④
      昨日の強風でかなりなぎ倒されてしまった
      様子のコスモスですが、花の向うに点在
      して見えるのは摘んでいる人たちです。

       コスモス①
      12、3本摘んできて、早速玄関に飾りました。
      季節のお花が家にあるのっていいですね。


妻にコスプレ?

2023年10月18日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第247回)

このところ秋晴れの爽やかな日が続いています。今日も見上げ
ると、青く澄み切った空が広がっていました。もうしばらくこうした
過ごし易い秋が続いて欲しいですね。

湘南台クラスは第52帖「蜻蛉」の後半に入っています。前回迄
のところで、一旦浮舟の話は終わり、今回読んだところは、薫が
高嶺の花である女一宮への叶わぬ恋に、思いを馳せる話となり
ます。

蓮の花の盛りの頃に、明石中宮が、父・光源氏と養母・紫の上
の追善法要の法華八講を、六条院で営まれました。

法会が終了し、御堂となっていた寝殿を片付けるため、一時的
に西の渡殿にお移りになっていた女一宮を、薫は垣間見ました。

とても暑い日だったので、「白き薄物の御衣」をお召しになり、
手に氷を持ちながら、周りの女房や女童が騒いでいるのを、
にこやかにご覧になっているお顔や、少し靡かせておられる
豊かな髪などは、「たとへむものなし」(たとえようもなく美しい)
と、薫の目に映ったのでした。

その翌朝、薫は妻の女二宮を見て、やはり女一宮は別格だ、
と思うものの、もしかしたら、自分の思い込みとか、あのような
垣間見だったからではないか、とも考えて、「いと暑しや。これ
より薄き御衣たてまつれ。女は例ならぬもの着たるこそ、時々
につけてをかしけれ」(とても暑いですね。もっと薄いお召し物
になさいませ。女はいつもと違った着物を着ているのが、その
時々によって風情があるものです」と言って、母・女三宮の女房
に用意させるよう、命じました。

朝の勤行を終えて、お昼頃に薫が再び女二宮の許を訪れると、
着物は既に届いており、薫は自らの手でそれを女二宮に着せ
ました。袴の色も昨日の女一宮と同じ、髪の多さや長さも変わら
ない。でも、「似るべくもあらず」(まったく似てもいない)のでした。

おまけに氷まで持って来させて女房に割らせ、薫はその一つを
女二宮に持たせながら、「昨日、女一宮とこんなことができたら
良かったのに」と、思わずため息をついておりました。

憧れの女性の腹違いの妹にあたる妻に、コスプレをさせてみる
夫。知らぬ事とはいえ、あまりにも女二宮がお気の毒ではあり
ませんか。

もう一つ、ここで気になるのは、薫が簡単に氷を手に入れている
ということです。

冷蔵庫など無い時代。「氷室」という貯蔵庫に、冬場の天然の氷
を保存しておいて、夏にそれを取り出して使っていたのですから、
氷が手に入るのは、天皇をはじめとした、上級貴族に限られて
いました。そんな時代に、薫は欲しいと思った時に、すぐに持って
来させることのできる、言わば権力者の一人だったのがわかる
場面でもあります。


可愛気のある嫉妬

2023年10月16日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第39回・通算86回・№2)

8月に台風の影響で、会場クラスが中止になったため、
オンラインクラスとの間にズレが生じていましたが、
9月、10月と会場クラスの時間を延長して調整した結果、
今月で再び足並みを揃えることができました。

オンラインクラスの10月は、第14帖「澪標」で、源氏が
紫の上に、明石で入道の娘が源氏の子どもを出産した
ことを打ち明ける場面から読み始めました。

事実を告げた後、源氏は話の焦点をずらして、ショックを
受けているはずの紫の上の気持ちを落ち着かせ、その後、
明石の入道の娘が、それなりに魅力的だったことを語り
ます。

帰京が決まり、明石で最後に入道の娘の許を訪ねた時の、
しみじみと胸に迫った夕方の塩焼く煙のこと、詠み交わした
歌のこと、はっきりとではないがその容貌を見たこと、箏の
琴の音が優艶だったこと、などを、「すべて御心とまれるさま
に」(すべて心を惹かれたご様子で)源氏は話します。

まあ、紫の上を信頼しているからこそ、とも言えるでしょうが、
紫の上にとっては、強烈な打撃であって、「われはまたなく
こそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても心を分けたまひけむよ」
(私は一人京で、この上もなく悲しいと思い嘆いていたのに、
この人は戯れにせよ、他の女に心を分けておられたのだわ)
と、恨めしく思い、「われはわれ」(あなたはあなた、私は私。
お互いに別々の心なのですね)、と背を向けてしまいます。

拗ねてしまった紫の上を、宥めようとして、箏の琴を弾くよう
に勧める源氏ですが、明石の女が上手だったと聞かされた
紫の上が、琴に手を触れようともしないのは、当然ですよね。

でも、その嫉妬している紫の上に、源氏は魅力も感じている
のでした。

第2帖「帚木」の「雨夜の品定め」で、左馬頭が、嫉妬の余り
指に噛みついてきた女がいたことから、女性の嫉妬のあり
ようを論じます。勿論ここまで嫉妬深い女は論外ですが、
かと言って、繋いでない舟のように、「お好きになさって」と、
まったく嫉妬する様子が見えない女も物足りない、と言って
います。「嫉妬は愛情の裏返し」でもありますから、それも
わかりますね。

程よく可愛気のある嫉妬をする女が一番。これは全くもって
男の身勝手な論理で、女性側からすると腹立たしくもあり
ますが、紫の上の嫉妬は、まさしく理想的な嫉妬だった、と
言えましょう。

本日ご紹介したこの場面、詳しくは先に書きました「全文訳
(7)」で、お読みいただければと存じます(⇒こちらから)。


第14帖「澪標」の全文訳(7)

2023年10月16日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第39回・通算86回・№1)

今月の「紫の会」のオンラインクラスは、先週の会場クラスが
読み終わったところまでを読んで、これでまた足並みが揃い、
来月から、会場クラスとオンラインクラスの振替受講も可能と
なりました。

本日の講読箇所は、22頁・7行目~28頁・1行目迄ですが、
22頁・7行目~23頁・7行目までの全文訳は、10/9の会場
クラスで読んだ時に書いておりますので(⇒こちらから)、
今日の全文訳は、23頁・8行目~25頁・1行目となります。
残りは10/26(木)のクラスで読んだ時に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


源氏の君は、「この人のことを、ここまで心に掛けて安否を尋ねる
のには、実は考えるところがあってのことなのです。今からそれを
申し上げると、またあなたは誤解なさるでしょうから」と、途中で話を
お止めになって、「明石の女の人柄が優れていたのも、あのような
田舎だったせいか、目新しく感じられたものでしたよ」などとお話に
なります。しみじみと胸に迫った夕方の塩焼く煙のことや、入道の
娘が詠んだ歌のことなど、またはっきりとではないけれど、その夜
彼女の容貌をちらりと見たこと、琴の音が優艶であったことなども、
すべて心惹かれたふうに源氏の君が話し出されるにつけても、
紫の上は、「私は一人でこの上もなく悲しいと思い嘆いていたのに、
この人は、戯れにせよ、他の女に心を分けておられたのだ」と、
ただならず恨めしくお思いになって、「あなたはあなた、私は私。
お互いに別々の心なのですね」と、背を向けて物思わし気な様子で
「昔はしみじみと心が通った私たちだったのに」と、独り言のように
ため息をついて、

「思ふどちなびくかたにはあらずともわれぞ煙にさきだちなまし」
(心を通わせておわれるお二人が共に靡くとおっしゃる方角では
なくても、私は煙となって先に死にとうございます)

と歌を詠まれると、源氏の君は、

「何をおっしゃいますか。情けないこと。
誰により世をうみやまに行きめぐり絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ(誰の
ために辛い境涯を海山にさすらって、絶えぬ涙に浮き沈む私なの
でしょう)いやもう、何とかして私の本心をお見せ申し上げたい。
でも寿命というものは思うに任せないもののようです。だからつまら
ないことで他人の恨みを受けたくない、と思うのも、ただあなたの
ためなのですよ」

と言って、箏の琴を引き寄せて、搔き合せを軽くお弾きになって、
紫の上に弾くようにお勧めになりますが、明石の女が上手だった
というのも面白くないのか、手もお触れになりませんでした。

とてもおっとりとして可愛らしく、しとやかでいらっしゃるものの、
やはり執念深いところがあって、嫉妬なさるのが、却って魅力的
で、腹をお立てになっているのを、源氏の君は風情があって見所
がある、と御覧になっておりました。


「早矢仕ライス」

2023年10月15日(日)

少し前にブロ友さんがご紹介になっていた「早矢仕」。このルー
を使えば、きっと「ハヤシライス」の祖、丸善の「早矢仕ライス」の
味を楽しめるんだわ、と思い、ネットで検索。すぐに見つかり、
注文しました。

        ハヤシ①

そして今日、早速我が家なりの「早矢仕ライス」を作りました。

   ハヤシ②
  
この「早矢仕」、普通スーパーで売っている箱入りのルーに
比べると、3倍ほどのお値段で、勿体ないかなぁ、という気も
しましたが、今は日本橋まで食べに行くこともまず無いし、
まぁ、この程度の贅沢は許されるのでは、と思い購入しました。

因みに丸善で最後に「早矢仕ライス」を食べたのは、2012年
の5月です。なぜ覚えているかというと、金環日食が近くて、
丸善の売り場には、金環日食関連の物が山積みになって
いたからなのです。偶々、今日はアメリカで金環日食だった
そうですね。

話が脱線しましたが、この「早矢仕」、今後「ハヤシライス」を
作る時には、これを使うことになると思います。食べている時
の美味しさもさることながら(どちらかと言うと、昭和のレトロな
味かな?)、後口がすごくいいのです。口の中にべたっとした
感じが一切残りません。

「早矢仕ライス」のお皿は、昨年、別のブロ友さんのご縁で
出会った北欧ヴィンテージ食器ですが、こちらも使用頻度は
高いです。

ブログを通して、色んな方と繋がりが出来、様々な情報が
戴けるのは有難いことですね。


第50帖「東屋」に入る

2023年10月13日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第173回)

このクラスは、先月で「宇治十帖」の半分迄を読み終え、今月
から後半の第50帖「東屋」に入りました。

第49帖「宿木」の最後で、宇治に出掛けた薫は、偶然浮舟と
邂逅。大君にそっくりなその姿を垣間見て、弁の尼に仲介を
依頼し、「貌鳥の声も聞きしにかよふやとしげみをわけて
今日ぞ尋ぬる」(美しい大君に声も似ているのではないかと、
草の茂みを分けて今日尋ねて来たことだよ)と、独り言の
ようにつぶやきました。

それを弁の尼が、「入りて語りにけり」(奥に入って、浮舟に
この歌を伝えたのでした)というところまでが「宿木」で、
弁の尼の話を聞いた浮舟が、どのように感じたか、どのよう
に返事をしたか、などは書かれないまま、「東屋」では、薫の
心境を伝えるところから始まっています。

大君の面影を宿す浮舟に逢ってみたい、と思う気持ちはある
ものの、常陸介の継娘程度の女に熱心に言い寄るのも世間
の知るところとなれば、身分にふさわしからぬ軽々しい振舞い
だと思われそうなので、手紙を遣わすことも出来ずにいる、と
あります。

一方、薫から仲立ちを頼まれた弁の尼は、浮舟の母に度々
手紙を書いて、薫の気持ちをそれとなく伝えていましたが、
浮舟の母は、薫が本気で娘に情けをかけてくれるとも思えず、
その身分差が口惜しくてならないのでした。

ここまでが、「宿木」の最後の場面に続く「東屋」のプロローグ
となります。

次の、浮舟の母の「娘の婚活」が語られる場面からが、「東屋」
の本格的なストーリー展開となるのですが、この巻では、まだ
浮舟の心情は殆ど語られることがありません。常に受け身で、
母や乳母に庇われる存在として描かれています。

「東屋」は、「浮舟の物語」のクライマックスとなる第51帖「浮舟」
への布石的役割を果たしている巻とも言えますが、この巻では
これまでの『源氏物語』では見ることのなかった、「受領階級」の
生き様や、その受領の財産目当てに結婚しようとする男の考え
などにも焦点が当てられています。

そうした新たな視点にも注目しながら、「東屋」の巻を読み進め
ていきたいと思います。


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