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新講読会の開始に向けて

2024年1月31日(水) 中央林間「宇治十帖の会」

止むを得ない事情で例会の継続が難しくなり、『源氏物語』
の第二部の読了を区切りとして、高座渋谷クラスの解散を
決めたのが、昨年の9月でした(その記事は⇒こちらから)。

ただ中には、折角ここまで読んできたのだから、出来れば
「宇治十帖」まで続けて読みたい、とおっしゃる方もあり、
溝の口の「紫の会」で初めて講読会に参加なさった方々に
(このクラスの発足については⇒こちらから)、「私の年齢
からして、『紫の会』が宇治十帖まで辿り着ける可能性は
少ないので、高座渋谷と溝の口の中間地点の中央林間
で「宇治十帖」を読む会をスタートさせるとしたら、ご参加
頂ける方はありますか?」と伺ったところ、3人の方が手を
挙げて下さいました。

でも、6人ではとても心もとなく、高座渋谷クラスのお二人が
いろいろと手を尽くして、市の文化センターに会員募集の
チラシの掲示を頼んで下さったり、広報掲載の為に市役所
に足を運んで下さったりしているうちに、これまで溝の口で
『源氏物語』の講読(私とは全く関係のない)をしておられた
会の講師の方が体調を崩され、お辞めになってしまわれた
ので、私に講師として来てもらえないか、という話が飛び込
んできました。

訊けば「宇治十帖」を読んでおられるとのこと。今の私はもう
手いっぱいの状況で、お引き受けは出来ませんが、こういう
事情で、新クラスの開講を検討中だとのお話をいたしました。
そして4人の方がご参加下さることに。このような不思議な
ご縁に巡り会えて、とても有難く思っております。

他にも、今日はご都合でご出席になれませんでしたが、
溝の口クラスの方のご紹介で、お二人が来月からの講読会
にはご参加予定です。

また、幹事さんのご尽力も無駄にならず、会場でのチラシを
見てのご参加も3人と、目標の10名を超え、会場で14名、
オンラインで3名(新しい施設なので、教室内でWi-Fiが使え、
Zoomで同時参加も可能)と、計17名の皆さまで、来月より
「宇治十帖」に先立つ「匂宮三帖」から読み始めることになり
ました。

今日は講読会を始めるに当たっての、顔合わせと打ち合わせ
を行いましたが、これも幹事さんが、きめ細かに進行内容を
決めておいて下さったので、滞りなく時間内に運び、オンライン
も全く問題なく接続できることがわかりました。

お天気も良く、気温も15度まで上がり、会場での暖房はOFF
のまま。とても幸先の良い打ち合わせ会となり、来月からは、
このブログにも、ちょっとこれまでとは違う形で、講読内容を
ご紹介していこうかな、と考えているところです。


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「65歳からのアートライフ」

2024年1月28日(日)

表題の演奏会は、拙ブログでも何度か紹介してまいり
ましたが、今日はその「20周年記念特別演奏会」を、
高校同期の仲間4人と一緒に聴きに行ってきました。

このコンサートには、今回で7回目となる高校同期の
方が出演なさるので、どうしても外せない用事が入って
いない限り、足を運ぶことにしています。

先ずは5人で会場の最寄り駅、田園都市線の青葉台
駅に集合して、「青葉台食堂george青葉台店」という
イタリアンでランチをしました。男性2人、女性3人でした
が、高校同期の気の置けない者同士、おしゃべりに
夢中になっていて、お料理の写真を撮ることをすっかり
忘れておりました。最初にスマホをテーブルの上に
出しておかないとダメですね。コスパの良さが抜群の
お店だったので、1枚写真もUPしたかったのですが・・・。

会場の「フィリアホール」は、駅前の東急スクエアの
5Fにあり、レストランとは目と鼻の先で、楽々移動。

今回は「20周年記念特別演奏会」ということもあって、
ソロの声楽の他に、サクソフォーンの4重奏、オペラ
アンサンブル、尺八と箏の演奏といった、いつもとは
異なった企画も多く楽しめました。

高校同期の方は「大トリ」で出演。先ずは「リゴレット」の
有名なアリア「女心の歌」を熱唱、その後アンサンブル
で、「美しい恋の乙女よ」を披露してくださいました。

昨年、フジコ・ヘミングさんのピアノコンサートの時にも
感じたのですが、人生が音楽と重なり合った時に、人を
感動させる力を生むものだということを、今日も強く感じ
ました。大病を克服して、「大トリ」を務めるに相応しい
歌声を聴かせてくれた同期生はもとより、80代、90代に
なっても、凛とした姿でお歌いになる人生の先輩たちに、
今回もまた、生きる希望と勇気を戴きました。

来場者が選ぶ賞に、見事「リゴレット」のアンサンブルが
選ばれました👏

     65歳からのアートライフ
          本日のプログラム


六条御息所の生涯

2024年1月25日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第42回・通算89回・№2)

さほど長い巻ではありませんが、第14帖「澪標」も終わりが
近づいてきました。来月で読み終える予定です。

娘・斎宮の退下に伴い帰京した六条御息所でしたが、今更
源氏との復縁を望む気持ちはさらさらなく、そんな御息所に
源氏も積極的にはなれないまま半年が経ち、重病を患った
御息所は出家。慌てて見舞いに駆け付けた源氏に、御息所
は、斎宮の後見を依頼し、その際、娘を決して色恋の対象に
しないで欲しい、と手厳しい遺言を残したのでした。

それから7、8日後、御息所は亡くなりました。享年36。

六条御息所は、『源氏物語』の前半において、心に残る女君
の一人です。ここでその生涯を振り返っておきましょう。

六条御息所は大臣家の娘で、16歳で東宮(桐壺帝の弟)の
妃となり、翌年には姫君(ここでの斎宮、のちの秋好中宮)も
生まれましたが、御息所20歳の時に東宮は死去。将来は
中宮の座も夢ではなかったはずの人生が、ここから大きく
狂い始めました。

父の大臣も、娘が国母となり、自分が外戚として権力を手中
にすることに期待して入内させたのでありましょうね。今年の
大河ドラマ「光る君へ」を見ていても、その辺りのことはわかる
と思います。

東宮の兄である桐壺帝は、六条御息所に宮中に留まるように
勧めますが、御息所はその誘いを断り、帝の息子である源氏と
浮名を流すようになりました。奥ゆかしさ、豊かな教養、センス
の良さにかけては右に出る者はいないと評判の御息所に、若い
源氏が熱心に言い寄り、二人は恋に落ちたのですが、その後
源氏は、次第に御息所が重荷に感じられるようになり、気持ち
が冷めていきます。

源氏が若紫を引き取り、その養育に力を注ぐようになってから
は、いっそう源氏のお通いは間遠となり、御息所は娘が斎宮に
卜定されたのに伴い、いっそのこと一緒に伊勢に下ってしまおう
か、と思い悩みます。

そして第9帖「葵」の最大の見せ場である、「車争い」で、葵の上
の従者たちは、六条御息所の牛車を押し退ける狼藉を働いた上、
「愛人風情のくせに」と御息所のプライドをずたずたに引き裂く
侮辱の言葉を投げかけました。この御息所の受けた屈辱は、
やがて生霊となって、葵上に憑りつくこととなります。

生霊の正体が御息所と知った源氏は、御息所を疎ましく思い、
すべてを悟った御息所は、未練を断ち切るべく、伊勢下向を
決心したのでした。時に御息所は30歳。あの「景情一致」の
名場面として知られる野宮での別れを経て、御息所は伊勢
へと旅立ち、6年の歳月を娘の斎宮と共に伊勢で過ごしました。
その間、源氏にも須磨・明石での流謫の日々がありました。

そしてこの第14帖「澪標」で、最期を迎えようとする時、源氏と
再会し、重い遺言を残して他界したのでした。

でも、これで終わりではありません。第二部に入って、今度は
死霊となって登場します。ここはまだだいぶ先のことですし、
またそこを読む時に取り上げたいと思います。

第9帖「葵」、第10帖「賢木」通して、女として苦悩する姿が丹念
に、切なく描かれていることで、私たちは「六条御息所」という
女君に心惹かれるのでありましょう。

御息所の死と、その後の様子は、先に書きました全文訳「澪標
(16)」からどうぞ(⇒こちらから)。


第14帖「澪標」の全文訳(16)

2024年1月25日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第42回・通算89回・№1)

今月の「紫の会」は、3クラス共、第14帖「澪標」の第4のポイント、
「六条御息所の死と娘斎宮の処遇を源氏が考える」の前半部分
を読みました。(39頁・2行目~44頁・11行目)。全文訳は3回に
分けて書きましたので、今回が最後となります(43頁・11行目~
44頁・11行目)。区切りの都合上、3回目の今日は短いです。
1回目は(⇒こちらから)。2回目は(⇒こちらから)。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


七日、八日の後に、御息所はお亡くなりになりました。源氏の君が
どうしようもなくお思いになるにつけ、世の無常も感じられ、何となく
心細く思われて、宮中へも参内なさらず、ご葬送の事などについて
ご指示なさるのでした。源氏の君の他に、頼れる人もおいでになら
なかったのです。元の斎宮寮の役人などで、以前よりお出入りして
いる者が、何とか事を取り仕切りました。

源氏の君ご自身もご弔問になりました。斎宮にご挨拶をお伝えに
なります。斎宮は、「何の分別もつかない状態で取り乱しておりま
して」と、女別当を通してお返事になりました。源氏の君は「私から
母君に申し上げ、また母君もご遺言なさったこともございますので、
今は気の置けない相談相手と思って下されば、嬉しく存じます」と
おっしゃり、女房たちを呼び出されて、ご用をあれこれと仰せになり
ました。とても頼もしい感じで、数年来の素っ気ないお扱いも、これ
からは取り返せそうに見えるのでした。御息所のご葬儀はたいそう
盛大で、源氏の君の家来衆を数知れずご奉仕させなさいました。

源氏の君はしみじみと物思いに耽りながら、ご精進なさって、御簾
を垂れこめて僧に勤行をおさせになっておりました。斎宮には、常
にお見舞いのお便りを差し上げなさいます。斎宮は次第にお心が
落ち着きなさってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさいま
した。直接お返事を差し上げるのは、斎宮にとっては気恥ずかしく
感じられましたが、乳母などが、「代筆では恐れ多いことです」と、
お勧め申すのでした。


浮舟の母の意識の変化

2024年1月22日(月) 溝の口「湖月会」(第176回)

今日は幾分寒さも和らぎましたが、明後日からはこの冬一番の
寒波がやってくるとのこと。被災地の寒さは如何ばかりかと思わ
れます。「災害関連死」なとどいう言葉を聞くと、せっかく助かった
命なのに、と、つらいですね。

このクラスは第2金曜日クラスと同じで、第50帖「東屋」の半ばに
差し掛かっています。左近少将が浮舟の異父妹の許に婿として
通ってくるようになると、これまで浮舟の住んでいた西の対が
占領され、母の中将の君は、そんな浮舟を憐み、中の君に懇願
して、浮舟をしばらく二条院に預かってもらうことにしました。

母君も二、三日、二条院に滞在し、折から中の君の許へとやって
来られた匂宮を覗き見します。

その目に映った匂宮は「いときよらに、桜を折りたるさましたまひて」
(とても美しく、桜を手折ったような姿でいらして)と表現されています。

『源氏物語』の中で、男君が花に譬えられているのは、この匂宮のみ
です。女君で「桜」に譬えられたのは言うまでもなく紫の上で、ここで
匂宮を桜に譬えたのには、二条院の桜を紫の上に託された繋がりを
意識してのことでしょうが、四位、五位の殿上人たちに傅かれ、この
上なく高貴で優雅な様子の匂宮に、母君は、「あはれこは何人ぞ」
(ああ、このお方の素晴らしさは一体何と言えばいいの)と、感嘆を
禁じ得ないのでした。

母君はこれ迄、貴人と結ばれても、他に正妻がいて、辛い思いをさせ
られては、幸せではあるまいと、中の君のことも想像していたのでした
が、この匂宮のご様子容貌を見て、「織女のようにたとえ年に一度の
逢瀬であっても構わない」と、日頃の心情を忽ちのうちに崩してしまい
ました。

そして、「わが娘も、かやうにてさし並べたらむには、かたはならじかし」
(私の娘〈浮舟〉も、このようなお方の傍に置いても、おかしくはあるまい)
と、これから浮舟の結婚には高い理想を持とうと、一晩中考え続けて
いたのです。

我が身の悲しい体験から、頑なに抱き続けて来た貴人に対する不信
と敬遠の気持ち。それが賛美と羨望へと変化しています。この母君の
揺れ動く心が、これからの浮舟の運命を暗示しているかのようでもあり
ます。


幸福の木の花

2024年1月20日(土)

今日は二十四節気の「大寒」。その名に相応しい寒さと
なりました。ここ南関東でも今にも雪になりそうな空模様
です。

我が家の「幸福の木」が花を咲かせました。3回目です。
最初に花が咲いた日は正確に憶えています。なぜなら、
その日に、初孫が誕生したからです。2回目は咲いたと
いうことしか記憶にありません(^_^;) でも、おそらく8年
位前のことだと思います。1回目が2007年5月、3回目が
2024年1月ですから。

この「幸福の木」は、ここへ引っ越してきて間もない頃、
友人がお土産に持って来てくれたものです。人が小脇
に抱えられる大きさだったのですが、その後どんどん
大きくなったので、私が植え替えたところ、ますます背
を伸ばし、天井近くになったところで、開花しました。
1993年から2007年までの14年間で、30㎝から2m程
に成長したことになります。人間よりもすごいですね。

     幸福の木の花①
  1回目は右側の太い幹から2本の枝が出ている
  うちの、今また新たに緑の葉を伸ばしているほう
  の枝に咲きました。その後天井に届くようになり、
  枝を切り落としたら、また脇から緑の芽が出て来
  たのです。2回目はもう一方の枝。こちらも花が
  咲いた後、枝を切りました。そして今回は、元々
  細い幹だったものから伸びた葉の間から花が
  出て来て咲きました。高さもこれまでの半分位
  です。

     幸福の木の花②
   花の部分をアップにするとこんな感じです。
   熱帯植物なので夜、花が開くと、むせ返る
   ような香りに包まれます。明るくなると花は
   閉じ、匂いもしません。それを枯れるまで
   繰り返します。茎を伝って甘い蜜がポタポタ
   と落ちてきます。

この花が幸福をもたらしてくれることを願いつつ、過ごして
いますが、さぁ、何かいいことあるでしょうか?


4年ぶりの新年会

2024年1月17日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第250回)

寒さも和らぎ、風も無く、晴れ渡った青空の下、今日は
4年ぶりの新年会ということで、講読会は30分遅らせて
14:00開始とし、11:30に湘南台駅西口から徒歩3分程
の所にあるフレンチレストラン「プチ・パピヨン」に集合と
なりました。

このクラスは既に第53帖「手習」に入っており、順調に
読み進められれば、年内に読了予定、というところまで
来ておりますので、今年は新年会を、と幹事さんたちが
企画して下さいました。

入り口には「本日は予約のみ」という案内板が出ており、
我々10人の席は、奥まった所に用意されておりました。

オードブルに始まり、スープ、魚料理、肉料理と続き、
デザート、コーヒーが供されましたが、パンも焼き立て
のホカホカフワフワで美味しく、おかわりまでしてしまい
ました。

落ち着いた、でもあまり気取った感じはなく、お料理は、
見た目もお味も文句なし、のお店なので、コロナ禍前も、
新年会や講読会の200回記念ランチなどで何度か利用
してきたレストランです。

今日もお料理が出てくる度に、皆で「美味しいわね」と
言いながらいただきました。写真も全部撮りましたが、
一番可愛らしかったデザートの写真をUPしておきます。

     湘南台新年会②
  3種の一口シャーベットとチョコレートケーキ。
  春の感じられるアレンジメントがオシャレです。

久々の新年会とあって、話も大いに弾み、気がつくと、
13:30を廻っておりました。ご都合で新年会には参加
できず、直接14:00開始に合わせて会場にいらっしゃる
方もあるので、急ぎ集合写真を撮って、小田急線の線路
を挟んで反対側にある湘南台文化センターの公民館へ
と向かいました。

 湘南台新年会①
いつも通り「顔のはっきりしない距離で」とお願いして
お店の方にシャッターを押していただきました(笑)


講読会では、横川の僧都によって浮舟(まだこの若い女
が浮舟であることは読者には告げられていませんが)が
助けられる場面を読みましたが、それを続けて書くと、
長くなってしまいますし、まだこの先、溝の口のクラスで
読む時にご紹介する機会が残っていますので、今日は
コロナ禍以降初めてとなった新年会の記事のみにいたし
ます。


六条御息所の遺言

2024年1月15日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第42回・通算89回・№2)

一昨日はこの辺りでも雪が降り、急に寒中らしい厳しい寒さ
がやって来ました。明日は最高気温が4度、最低気温が-4
度の予報です。南関東では滅多にない寒い一日となりそう
です。

今日は、先週の月曜日の会場クラスと同じ、第14帖「澪標」
の第4ポイント、「六条御息所の死と娘斎宮の処遇を源氏が
考える」の前半部分を読みました。

朱雀帝の譲位に伴い斎宮も退下し、母・六条御息所と共に
京へと戻ってまいりました。源氏がお手紙を差し上げても、
御息所は昔のように源氏と縒りを戻そうともせず、源氏も
また、そんな御息所をわざわざ訪ねようと思わないまま、
半年が過ぎ、御息所は病に倒れ出家してしまわれました。

驚いてお見舞いに訪れた源氏に、御息所は斎宮の後見を
依頼します。源氏に異存はありません。「自分の心の及ぶ
限り、何事につけても後見いたしますので、斎宮のことは
ご心配なさいますな」と言って、御息所を安心させようと
します。それに対して御息所は、「いえ、それは難しいこと
です。父親がいても、母親を亡くした娘は哀れなもの。
ましてや父親でもないあなたが、娘を愛人として扱うような
後見の仕方をなさったなら、嫉妬の渦に娘は巻き込まれて
しまうことになりましょう」と言い、「うたてある思ひやりごと
なれど、かけてさやうの世づいたる筋におぼし寄るな」(嫌な
気の廻しようですけれども、どうぞ決してそのような色めいた
事はお考えになりませぬように)、と、源氏の心を見透かした
かのような、鋭い釘を刺したのでした。

「あいなくものたまふかな」(バツの悪いことをおっしゃるもの
だな)と思いながらも、辺りが暗くなり、大殿油の薄明りの下、
斎宮の姿が見えるかもしれないと、几帳のほころびから、
そっと覗いてみた源氏の目に映った斎宮は、上品で気高く、
魅力的で、源氏の好き心をそそるには十分でしたが、一方で
たった今、御息所から斎宮に対しての処し方には、厳しい注文
が付けられたばかりで、それを無視することは出来ません。

心惹かれても一線を越えることができない新たな源氏の男女
関係における悩ましさがここに始まったと言えるかと思います。

この場面につきまして詳しくは、先に書きました「澪標・全文訳
(15)」をご覧頂ければ、と存じます(⇒こちらから)。


第14帖「澪標」の全文訳(15)

2024年1月15日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第42回・通算89回・№1)

今月の「紫の会」は会場クラスもオンラインクラスも、第14帖「澪標」
の第4ポイント、「六条御息所の死と娘斎宮の処遇を源氏が考える」
場面の前半部分です(39頁・2行目~44頁・11行目)。全文訳は3回
に分けて書きますが、今日はその2回目、40頁・9行目~43頁・10行目
迄となります。1回目は(⇒こちらから)。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


ここまでお心にかけて下さっていたのを、御息所もすべてがしみじみと
胸に迫る思いがなさって、斎宮のことを源氏の君にご依頼なさいます。
「斎宮が一人であとにお残りになりますのを、必ず、何かにつけて人数
に入れてご処遇下さいませ。他に世話を頼める人もなく、この上もなく
気の毒な有様でございます。何の力にもなれない私ですが、いま暫くは
生き延びようかとのんびりと考えていた間は、斎宮が何かにつけ分別が
おつきになるまで、お世話しようと思っておりました」と言いながらも、
息も絶え絶えにお泣きになります。

源氏の君が、「そのようなお言葉がなくても、斎宮のことを心におかけ
申さぬはずもございませんのに、ましてやこのようなご依頼を戴いた上
は、私が思いつく限りは何ごとも後見して差し上げようと存じます。
斎宮のことについては、決してご心配申されますな」などとおっしゃると、
御息所は、「それがとても難しいことなのです。本当に頼りになる父親
など後を任せられる人がある場合ですら、母親に先立たれた娘は、
とても可哀想なものでございましょう。ましてや親兄弟でもないあなたが、
娘を恋人のようなお扱いをなさったなら、面白くないことも起こったりして、
斎宮が他の方に憎まれなどなさることもありましょう。嫌な気の廻しよう
ですけれども、どうぞ決してそのような色めいた事はお考えになりませぬ
ように。つらい我が身に引き比べてみましても、女というものは、不本意
なことで、物思いを重ねるものでございますから、斎宮にはどうかそうした
事には縁のない境遇でいらして頂きたいと思っているのです」とおっしゃる
ので、源氏の君は、「バツの悪いことをおっしゃるものだな」とお思いに
なりますが、「この数年の間に、何事にも分別がつくようになりましたのに、
昔の色恋を好む気持ちが残っているかのようにおっしゃるのも不本意です。
まあ、いいでしょう。自然とお分かり頂けましょうから」と言って、外は暗く
なり、室内は大殿油の灯りがほのかに物の隙間から見えるので、もしや
斎宮の姿を見ることが出来るかもしれない、とお思いになって、そっと
几帳のほころびからご覧になると、ほの暗い火影に、髪もたいそう美し気
にすっきりと切り揃えて、脇息にもたれかかっておられる御息所のお姿は、
絵に描いたような様子で、とてもしみじみと感じられました。

御帳台の東側に寄り添って横になっておられるのが、斎宮でありましょう。
御几帳が無造作に押しやられているその隙間から、目を凝らして見通し
なさると、頬杖をついて、たいそう物悲しいと思っておられるご様子です。
少ししか見えませんが、とても可愛気のある方のように見えました。髪の
掛かり具合や、頭の形、全体の雰囲気が上品で気高いものの、小柄で
魅力的なご様子がはっきりとお見えになるので、気になって心惹かれる
けれど、御息所がああまでおっしゃったのに、と、思い直されるのでした。

「とてもつらくなってまいりました。見苦しく失礼でございますので、早く
お引き取り下さいませ」と言って、御息所は女房に介助されて横になられ
ました。「私がお側近くに伺った甲斐があって、いくらかご気分が良くなら
れたのなら、嬉しく存じますのに、おいたわしいことです。どんなお具合
ですか」と言って、源氏の君が几帳の中をお覗きになる様子なので、
御息所は、「とても酷い姿でおります。体調を崩して、ちょうどこのように
最期かと思える折にお出でくださいましたのは、前世からの契りも浅くは
ないと思われます。気になっておりましたことを、少しでもお話出来ました
ので、きっとお心にかけてくださることと、心強うございます」と申し上げ
なさいます。

源氏の君は、「このようなご遺言を承るべき方々と同列にお考え下さった
のも、ひとしお感無量です。亡き桐壺院のお子様方は大勢おいでになり
ますが、私を親しく思ってくださる方もほとんどございません。ですが、
父院が斎宮をご自身の皇女たちと同じようにお考えでしたので、私もその
つもりで、兄妹としてお頼りいたしましょう。どうにか一人前と言える歳に
なりながら、私には養育する姫君もおりませんので、物足りなく思って
いますから」などと申し上げて、お帰りになりました。

その後はお見舞いを前よりも多く、頻繁に申し上げなさるのでした。


浮舟の母の出自

2024年1月12日(金) 溝の口「源氏物語を読む会」(第176回)

暖冬とは言え、さすがに寒中です。明日は関東の平地でも
雪になるかもしれないとの天気予報。能登半島の復旧作業
の妨げとなるような荒天にはならないように、と祈ります。

お正月で、第1水曜日のオンラインクラスを2週目に持って
来たため、今月も第2金曜日の例会の講読箇所が一昨日の
続きとなりますが、舞台はこれまでの常陸介邸から二条院へ
と移ります。

少将が浮舟の異父妹(常陸介の実子)の許へと通いはじめ、
母君は、浮舟をしばらく二条院に住まわせて欲しいと中の君
に懇願しました。その結果、二条院の西の対(中の君の居所)
の西廂の人目につかない所に浮舟の部屋が設けられ、浮舟
は母君に伴われて、二条院へと参上したのでした。

中の君と母君はこれまで疎遠ではありましたが、初対面でも
なく、また二人は縁続きでもあるので、中の君も几帳で隔てた
りすることもなく、若君をあやしながら、母君と対面なさいます。

母君の目には、その中の君の姿は理想的なものとして映り、
羨ましくも思われ、「われも故北の方には離れたてまつるべき
人かは、つかうまつるといひしばかりに、かずまへられたてま
つらず、くちをしくてかく人にはあなづらるる」(私だって、亡き
八の宮の北の方に繋がりのある者なのに。女房としてお仕え
していたというだけで、八の宮に人並みに扱ってもらえず、情
ないことにこうして世間からは見下されるのだ」と、自分のほう
から押しかけて来て、中の君に親しくしていただこうとしている
のが、惨めに感じられるのでした。

浮舟の母・中将の君の出自を系図にしてみました。
  050「東屋」系図
浮舟の母・中将の君は、大君、中の君の母である「八の宮の
北の方」の姪に当たることがわかります。おそらく親を早くに
亡くして、後見をしてくれる人がいなかったのでしょう。それで
縁者の八の宮の北の方を頼って、八の宮家に女房として仕え
るようになったのだと思われます。

従妹の中の君の匂宮夫人としての暮らしぶりを目にした時、
中将の君に羨やむ気持ちが湧いて来るのも無理のないこと
だったでしょうね。


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