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「GALLERY.BOOK.CAFE DEN」

2024年2月28日(水)

今年は閏年なので、明日まで2月ですが、もう一年の1/6が
終わってしまうのですね。「もう少しゆっくりとお願いします」
と、月日の流れに向かって手を合わせたい気分です( ´艸`)

一昨年叔母の米寿のお祝いを一緒にした親戚の人たちと
(その記事は⇒こちらから)、次にランチを楽しめる機会には
ぜひここで、と、姉が提案してくれていた「「 GALLERY.BOOK.
CAFE DEN」(ギャラリー・ブック・カフェ デン)に、ちょうど今日
4人共都合がついて、行ってまいりました。

昨日までの強風も収まり、雲一つない快晴のお出掛け日和。
新幹線に乗っている時から、綺麗な富士山が見えていました
ので、三島駅のホームに降り立った時、写真を撮りました。

      富士山①

目指すレストランは、三島駅から箱根のほうへ車で10分ほど
行った所。閑静な住宅街の中にあり、知らなければそのまま
通り過ぎてしまいそうな、まさに「隠れ家」と言うにふさわしい
お店でした。

三島市出身の児童文学者・小出正吾氏ゆかりのカフェとの
ことで、広々としたお部屋には本棚やグランドピアノが置かれ、
ゆっくりと絵本のページをめくりながら、ティータイムを楽しむ
ことも出来そうな、落ち着いた、いい感じの古民家カフェです。

      デン③
  ランチメニューは二つだけで、こちらは「酵素玄米
  のサラダちらしすし」。お皿から溢れんばかりの
  野菜サラダの下に味の付いたご飯が隠れています。
  もう一つはご飯がドライカレー。ひと口分けていただ
  きましたが、どちらもお味もいいし、身体にも優しそう。

      デン①
  姉がここで特に「推し」なのが、この「アップルパイ」。
  注文を受けてから焼くので、最初に頼んでおきます。
  とんがり帽子のサクサクパイの下はアイスクリーム。
  その下が焼き立てのアップルパイなので、アイス
  クリームが少し溶け出して滲んでいます。さすがに
  姉のイチオシ、他では味わえないアップルパイでした。
  「こうやって食べるのよ」と、姉がとんがり帽子にアイス
  クリームを載せて見せています。

これにコーヒーが付き、メインの食事も併せて2,000円丁度と、
お値段的にも申し分のないお店です。都心のお店なら、2倍
以上のお値段になるでしょう。

再従兄の車に乗せてもらって、姉の家に向かう途中でも、
目の前に美しい富士山が姿を見せておりました。

せっかく三島まで行ったので、前回受けてから半年余り経った
歯のメンテナンスも受け、3月下旬に神戸に行く際の新幹線の
指定席券を姉と一緒に三島駅で買い、16:54発の「こだま」号
に乗って帰途につきました。新横浜駅に着いた時も、まだ辺り
は明るく、いつの間にか日も長くなったものだなぁ、と思いました。


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中将の君が垣間見た薫の印象

2024年2月26日(月) 溝の口「湖月会」(第177回)

昨日の冷たい雨の降る厳しい寒さから、今日は一転して
青空が広がり、気温も最高気温が10度を超えてホッとした
のですが、如何せん風が強くて、花粉が飛びに飛んだの
でしょうか。帰宅後の目の痒み、クシャミ、鼻水が堪らなく、
今季一番のつらさとなりました( ;∀;)

このクラスも第2金曜クラスと同じ、浮舟の母・中将の君が、
中の君にこれ迄の不遇を嘆いていたところへ、薫が訪れた
場面を読みました。

以前に宇治で薫の姿をちらっと見かけた浮舟の乳母が、
「いみじきもの」(とても素晴らしいお方)と絶賛していたけれ
ど、先刻垣間見た匂宮ほどではあるまいと、中将の君は
思っておりました。

第一印象は「げに、あなめでた、をかしげとも見えず」(確か
に、ああ素晴らしい、風情があるというようにも見えない)と
あり、匂宮が桜の花の枝のようなあでやかな印象だったの
に比べ、いささか地味に感じられたのでしょう。

そして、「なまめかしうあてにきよげなる」(優美で気品があり、
こざっぱりとしている」と続き、その後に、自分が見られては
いない、ということがわかっていても、思わず髪の乱れを気に
して直してしまうほど、「心はづかしげに用意多く、際もなきさま
ぞしたまへる」(こちらが緊張してしまうくらい、たしなみ深く、
この上もない素晴らしさでいらっしゃる)となっています。

薫の外見には、匂宮のようなパッと見の華やかさはなく、内面
から滲み出るものに素晴らしさが感じられる、といったところで
しょうか。しかも薫には、前世での功徳が知りたくなる程、身体
に具わる芳香もあります。

最終的には「いとめでたく、思ふやうなる御さまかな」(何と立派
で、理想的なお姿ですこと)と、中将の君は薫を絶賛して、匂宮
を垣間見た時に「織女ばかりにても」(織姫のようであっても)と
思ったのと同様に、薫に対しても「かかる彦星の光をこそ待ち
つけさせめ」(このような彦星の光を待ち受けさせたいものだ)と、
たとえたまさかの訪れであっても、やはり浮舟は高貴なお方に
縁づかせたいとの思いを強くしたのでした。


藤壺の変貌

2024年2月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第43回・通算90回・№2)

天気予報通りの寒い一日となりましたが、明日はもっと
寒くなり、最高気温が5度止まりだそうです。一昨日は
23度を超えていたのですよ。数日のうちに20度近くも
気温が変化するのには、身体も気持ちもついて行くの
が大変です。5度と聞いた時、一瞬最低気温だと思って
しまいましたから。

このクラスも今回で第14帖「澪標」を読み終えました。

朱雀院が斎宮をご所望だと知った源氏は、帝の母である
藤壺に相談します。朱雀院の気持ちを知りながら、それを
無視して、冷泉帝の許に入内させることには、やはり後ろ
めたさを覚え、藤壺の後押しを得て、自分を肯定する方向
に持って行きたかったのでしょう。こうした巧みな心理描写
は、『源氏物語』(作者・紫式部の筆力)ならでは、ですね。

藤壺は、そうした源氏の心境をしっかりと見抜いていたの
だと思います。「院にもおぼさむことは、げにかたじけなう、
いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて知らず顔に
参らせたてまつりたまへかし」(朱雀院におかれましても、
がっかりなさいますことは、本当に恐れ多く、お気の毒で
はありますが、御息所のご遺言を口実にして、素知らぬ
振りで帝に入内申し上げなさいませ)と答えたのでした。

「ええっ、これがあの藤壺?!」と、読者を驚かせる発言
です。これまでの藤壺は、御簾の向こう側で息を潜めて
いるような印象がありましたが、もうここでは「国母」(天皇
の母)としての強さ、逞しさが前面に打ち出され、嘗ての
面影はありません。

源氏が須磨に謫居し、朱雀帝の外戚として右大臣一派が
全盛を誇っていた時から、ひたすら東宮(今の冷泉帝)を
守り、無事に帝位に就けることを願い続けて来た藤壺です。
ようやくそれが叶った今、源氏と共に冷泉帝の御代を支え
るのが新たな使命となっているのも感じられます。

藤壺に背中を押され、安堵を得た源氏は、斎宮を冷泉帝に
入内させることにしました。

藤壺は、もはや源氏の恋の対象ではなく、政治的パートナー
へと変貌を遂げた、と言っても過言ではないでしょう。

この場面、詳しくは先に書きました「全文訳・澪標(19)」で
お読みいただければ、と存じます(⇒こちらから)。


第14帖「澪標」の全文訳(19)

2024年2月22日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第43回・通算90回・№1)

会場クラス、第3月曜クラスに続き、今日の第4木曜クラスも
第14帖「澪標」を読み終えました。3回に分けて書きました
「澪標」の巻の第4ポイント、「六条御息所の死と娘斎宮の
処遇を源氏が考える」の場面の後半(44頁・12行目~51頁
・10行目)の最終回(48頁・12行目~51頁・10行目迄)となり
ます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


源氏の君はこのことをお聞きになって、朱雀院からご意向が伝えられて
いるのに、そのお気持ちに背いて冷泉帝が横取りなさっては、恐れ多い
こととお思いになりますが、斎宮のご様子がたいそう愛らし気で、手放す
のはこれもまた残念で、藤壺にご相談なさったのでした。

「しかじかのことで思い悩んでおりますが、母の御息所は、とても重々しく
思慮深いお方でいらっしゃいましたのに、私のよからぬ好き心のせいで、
あってはならない浮名までも流し、私を恨めしい男だと思われたままに
なってしまったことを、実にお気の毒に思っております。この世では、その
恨みが解けないままお亡くなりになってしまいましたが、臨終の際に、この
斎宮の後見をご遺言なさいましたので、私を、後事を託せる者と予てより
聞き置いて、何事も心に残さず打ち明けようと、これまでの恨みを水に流し、
私を認めて下さった、と思いますにつけても、堪えきれず、たいして関わり
のない人のことでも、気の毒なことは放ってはおけないものでございますが、
なんとかして、お亡くなりになった後ではあっても、生前の恨みを忘れる程
のことをして差し上げたい、と、考えておりますが、帝におかれても、随分
大人らしくおなりにはなりましたが、まだ頑是ないお年頃でいらっしゃいます
ので、少し分別のある方がお側にいらしても良いのでは、と存じますが、
ご決定の程を」など源氏の君が申し上げなさると、「たいそうよくお考え下
さったことですね。院におかれましてもがっかりなさいますことは、本当に
恐れ多く、お気の毒ではありますが、御息所のご遺言を口実にして、素知
らぬ振りで帝に入内申し上げなさいませ。院は、今はもう、そのようなこと
には特にご執心でもなく、仏道修行がちでいらして、あなたが院に御息所
のご遺言だと申し上げるのを、それほど深くもお気にはなさるまいと存じ
ます」と、藤壺がお答えになったので、「それでは、あなた様に斎宮を帝の
妃としてお認め下さるお気持ちがおありならば、私は形ばかりのお口添え
をするということにいたしましょう。あれこれと十分に考え尽くしましたし、
ここまで打ち割って私の考えもそっくりお話いたしましたが、世間の人が
何と言うか、それが心配です」などと源氏の君は申し上げて、後日、藤壺
の言葉通り、知らぬふりをして、斎宮を二条院にお移し申し上げよう、と
お考えになっておりました。

紫の上にも、「こういうつもりです。お話し相手としてお過ごしなさるのに、
ちょうど良いお年頃のお二人でしょう。と、教えて差し上げなさると、紫の上
は嬉しいこととお思いになって、斎宮のお移りのことを準備なさるのでした。

藤壺は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいと、お世話に大騒ぎをして
おられるご様子なのを、源氏の君が、兵部卿の宮とはしっくりしない間柄で、
この件に対してどのような態度をお取りになるかと気を揉んでいらっしゃい
ました。

権中納言の姫君は弘徽殿の女御と申し上げます。太政大臣が養女として
物々しくお世話なさっております。帝もこの女御をよき遊び相手と思って
おられました。

「兵部卿の宮の中の君も同じお年頃なので、情けないままごと遊びのような
感じがいたしましょうから、大人びたお世話役が出来るのは、とてもうれしい
ことでございます」とおっしゃって、帝にもそのようなご意向を申し上げなさっ
ては、源氏の君が万事行き届かないことが無く、公事の補佐は言うまでも
なく、日々の帝に対するこまやかなお心遣いが、いかにも情愛深くお見えに
なるのを、藤壺は頼りになることとお思いになって、いつも病がちでいらっ
しゃるため、宮中に参内などなさっても、気楽に帝のお側に居られることも
難しいので、少し大人びたご年長の、帝のお側でお世話役の出来る方が、
必要なことなのでありました。
                               
                              第14帖「澪標」(了)


蘇った浮舟

2024年2月21日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第251回)

昨日は最高気温が夏日に迫る23度超え。まだ2月です。
そして今日の日中は10度にも届かず、真冬へと逆戻り。
たった一日の気温変化が大き過ぎて、おかしくなりそう
です。

このクラスは第53帖「手習」を読んでいますので、次第に
『源氏物語』のゴールが近づいてきております。

宇治の院の大木の根元で倒れていたところを、横川僧都
によって救われた浮舟は、僧都の母尼や妹尼の住まいの
ある小野へと伴われ、そこで妹尼の献身的な看護を受け
ながら日を送ることになりましたが、2ヶ月余りが経っても、
意識も朦朧とした状態が続き、回復の兆しが見えません。
そこで、妹尼は、横川僧都に懇願して修法をしてもらった
結果、物の怪は退散、浮舟は意識を取り戻しました。

ここから浮舟の物語が再始動することになります。

直接体験を示す過去の助動詞の「き」が多用されて、浮舟
が失踪当夜からのことを心の中で回想する形で記されて
いきます。

入水を決意したものの、やはりすぐには実行できず、簀子
の端に座って、「鬼も何も食ひて失ひてよ」(鬼でも何でも
よいから、私を食べて殺して欲しい)と思い詰めていた時に、
匂宮と思われる男が姿を現し、抱き上げられたと思った辺り
から訳が分からなくなり、見知らぬ所に座らされて、そこで
男は消え失せた。自分はとうとう目的の入水を果たすことが
出来なかったと思って泣いていたところから、記憶が途絶え
てしまっている、という経緯になっています。

現実として考えるなら、匂宮の姿を幻視して、あの抱かれて
宇治川を渡った時のような錯覚の中で、浮舟はふらふらと
一人宇治橋を渡り、対岸の宇治の院に辿り着いて気を失った、
というようなことかと思われます。

さて、第51帖「浮舟」の巻末と話が繋がったところで、次なる
話がどのように展開して行くことになるのか、結末を知って
いるのって、何だかつまらない気がしますね。


三つ目の選択肢

2024年2月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第43回・通算90回・№2)

2月で20度超え、という異常な暖かさも明日の昼間迄で、
夜は一気に気温が下がり、その後はまた冬に逆戻りと
なるようです。こうした時の体調管理は難しいですよね。

「紫の会」は、会場クラスもオンラインクラスも、今月で
第14帖「澪標」は読了です。この巻の最後は六条御息所
の死後、残された一人娘の斎宮の処遇を巡って、源氏が
あれこれと考えて、最終的には冷泉帝に入内させよう、と
決心するところまでが描かれているのですが、会場クラス
の記事で紹介した時(2/12)には、選択肢は二つでした。
源氏の「好き心」と「親心」。即ち、斎宮の後見者となった
源氏が、斎宮を自分の妻の一人とするか、養父の立場で
斎宮を帝に入内させるか、たっだのですが(⇒こちらから)、
今日はその選択肢が三つになったことをご紹介します。

それは、6年前の「発遣の儀」(大極殿で、帝が斎宮の髪に
黄楊の小櫛を挿し、「京(みやこ)の方(かた)に赴きたまふ
な」と斎宮に告げ、伊勢へと送り出す儀式)の際、朱雀院が、
斎宮の「ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を、忘れがたう
おぼし置きければ」(不吉な予感を抱かせるほど美しく見え
なさった斎宮のご容貌を、忘れ難く心に留めておいでだった
ので)、ぜひ院参させて欲しい、と、まだ御息所がご存命
だった頃に、お申し入れがあったのでした。でも、気乗りが
せずにお返事を控えておられた御息所が亡くなってしまわれ、
周囲の者たちも、この話は無かったものと思っていましたが、
朱雀院からは懇ろにお申し越しがあったのです。

こうして、この先の斎宮の処遇に関する選択肢がもう一つ
加わりましたが、それを知った源氏はどのような行動を
取ったでしょうか。そこからは、22日に読んだ時にお伝え
いたします。

勿体ぶった書き方をしているようですが、話の先を知らずに
読んでいた当時の読者は、あれこれと想像をして楽しんで
いたのではないでしょうか。そして、「早く続きが読みたい」
という気持ちを募らせていたのではないかと思うのです。

この場面、短いのですが詳しくは、全文訳で通してお読み
いただければ、と存じます(⇒こちらから)。


第14帖「澪標」の全文訳(18)

2024年2月19日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第43回・通算90回・№1)

今月の「紫の会」3クラスは、第14帖「澪標」最後の第4ポイント
「六条御息所の死と娘斎宮の処遇を源氏が考える」の場面の
後半を読みます(44頁・12行目~51頁・10行目)。その全文訳
を、3回に分けて書きますが、今日はその2回目です(47頁・
13行目~48頁・11行目迄)。話の内容によって区切るため、
今回の全文訳は、とても短くなっております。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


斎宮にお仕えする女房たちは、身分の高い者も低い者も大勢
おりました。でも源氏の君が、「たとえ乳母たちであっても、勝手
なことをしてはならぬぞ」と、父親代わりとしておっしゃると、その
ご様子が気が引けるほどご立派なので、「不都合なことが源氏
の君のお耳に入るようなことはするまい」、と、斎宮にお仕えして
いる者たちは、言いもし、思いもし、ほんのちょっとした懸想も
取り持つようなことはしませんでした。

朱雀院も、あの伊勢下向の日の、大極殿での荘厳な発遣の儀
の折に、不吉な予感を抱かせるほど美しく見えなさった斎宮の
ご容貌を、忘れ難く心に留めておいでだったので、「院参なさっ
て、斎院など、私の妹の女宮たちがいらっしゃるのと同じように、
お側にいらして下さい」と、生前の御息所にもお申し入れをなさ
いました。けれども、御息所は、れっきとしたお妃方がお仕えして
おられる中に、多くの後見も持たない状態ではいかがなもので
あろうか、とご心配なさり、また朱雀院はたいそうご病気がちで
あるのも恐ろしく、院のご逝去といったことで、自分と同じような
物思いを加えることになるのではないか、と遠慮しておられたの
ですが、御息所亡き今、ましてや誰が斎宮の後見を務められよう
か、と、女房たちは思っておりましたが、院からは懇ろにお申し越し
があったのでした。


講読会の開始・第42帖「匂兵部卿」(1)

2024年24年2月14日(水) 中央林間「宇治十帖の会」(第1回)

2週間前の事前打ち合わせの時も、寒中とは思えない暖かな
日でしたが、今日も最高気温が18度迄上がり、春本番の陽気
の中で、中央林間「宇治十帖の会」はスタートしました。

ブログ記事も何か新しい形で、と考え、このクラスは、従来の
講読箇所から一つテーマを取り上げて記事にするのではなく、
第三部の最初からとなるのを機に、内容の要点を把握出来る
形にして、その日に読んだ本文を粗筋に纏めてご紹介しようと
思います。今「源氏物語のかなり詳しいあらすじ」というカテゴリ
で、第14帖「澪標」の途中迄を書いていますが、リンクさせる形
にしているので、読み難いとのお声もあり、本日の「匂兵部卿」
の巻からは、直接お読みいただけるようにいたします。

第42帖「匂兵部卿」は、光源氏というスーパースターを失った
後の、「宇治十帖」(第45帖「橋姫」~第54帖「夢浮橋」迄)の
プロローグ的な役割をしている巻です。

「匂兵部卿」(1)
光源氏が亡くなられてからは、その美しさを受け継ぐ方は、大勢の
御子孫の中にも、そうそうはいらっしゃらず、それでも、今上帝の
三の宮(匂宮)と、女三の宮腹の若君(薫)が、美しいとの評判を
お取りになっていました。三の宮は紫の上が特に可愛がっておら
れたので、そのご遺言に従い、二条院をお住まいとなさっています。
東宮は別として、帝も明石中宮もこの三の宮をとても大切に扱って、
宮中に住まいをお与えになっているけれども、三の宮(匂宮)自身
は気楽な二条院のほうを好んでおられました。元服の後は「兵部卿」
と申し上げています。

紫の上が養育なさった女一の宮は、そのまま六条院の春(東南)の
町にお住いになっています。二の宮(東宮の弟、匂宮の兄)も同じ春の
町の寝殿を別邸となさり、宮中の梅壺を住まいとして、夕霧の次女を
妻に迎えておられます。次期東宮候補で、重々しいお人柄です。

夕霧には大勢の姫君がおいでになり、長女は東宮妃になっておられ
ます。三女以下も、同じように親王の北の方にと、明石中宮なども
お望みになっていますが、三の宮(匂宮)は自分が気の乗らない縁談
はお断りだと思っておられました。夕霧は、三の宮に同調しながらも、
「機会があらば」と、姫君たちを大切に養育なさっています。六の君が
美人との評判で、貴公子たちの心を悩ましていました。

六条院の御夫人方は、それぞれの終の棲家へとお移りになりました。
花散里は二条東の院を遺産として相続なさり、そちらへお移りになり
ました。女三の宮は、父朱雀院から伝領された三条の宮に移られ、
明石中宮はずっと宮中にお住まいであります。夕霧は、六条院を
荒廃させたくない、との意向で、落葉の宮を六条院の夏(東北)の町
に迎え、雲居雁の居る三条殿と落葉の宮の居る六条院とを、律儀に
一日交替で毎月十五日づつ、通い住んでいらっしゃいました。

二条院も、六条院も、総ては明石の上の子孫の為だったと思われて、
明石の上は大勢の宮たちのお世話をしてお暮らしであります。夕霧は
どなたのことも、公平に面倒をみておられますが、紫の上が生きて
おられたら、どんなに心を尽くしてお世話して差し上げたであろう、と、
自分がお寄せしている好意にも気づかず亡くなってしまわれたのが、
残念なことに思われるのでした。。世の中の誰もが、源氏の君と紫の上
が亡くなってしまわれたことを惜しんでおりました。 

冷泉院は、源氏の君のご遺言を守って薫を猶子とし、子どものいない
秋好中宮と共に全面的に後見をし、元服も冷泉院にて挙げさせなさい
ました。薫は14歳で、右近の中将にまで昇進し、冷泉院に用意された
この上ない環境の中に身を置いていました。致仕大臣(昔の頭中将)も
既にこの世になく、長女で冷泉院の女御となった弘徽殿女御は、女宮
をお産みになっていました。


せめぎ合う「好き心」と「親心」

2024年2月12日(月) 溝の口「紫の会」(第75回・№2)

風は冷たいものの、日差しの中に春の訪れが感じられる
一日となりました。

今月で、「紫の会」は第14帖「澪標」を読了です。「澪標」の
巻の最後は、源氏が藤壺と図って、斎宮を帝に入内させる
こととする迄が書かれていますが、そこに至るには、源氏
自身も、斎宮に対する思いを封印しなければなりません。

「下りたまひしほどより、なほあらずおぼしたりしを、今は
心にかけてともかくも聞こえ寄りぬべきぞかしとおぼすには、
例の、引き返し、いとほしくこそ」(斎宮が伊勢に下向された
頃から、ただでは済まされないと思っておられたのに、今は
始終心に掛けて、どのようにも言い寄ることが出来そうだ、
とお思いになる一方で、いつものように、思い直しては、
それはお気の毒な事であろうよ)というのが、源氏の心境
でした。

伊勢に下向なさる頃から、斎宮に対して「好き心」を抱いて
いた源氏です。それから6年が経ち、退下して帰京後、母の
御息所が亡くなり、源氏が斎宮の庇護者となりました。源氏
の一存で、斎宮をどのように処遇するのも可能となった今、
やはり無視できないのが、「私の娘を色恋の対象としないで」
という御息所の遺言です。世間も、源氏が斎宮に手を出すの
ではないかと考えるに違いないと思うと、ここは下心なしに、
親代わりとして斎宮のお世話をし、帝に入内させて、自分は
後見役に徹するのが良かろうとの考えに至ったのでした。

それでも、「いかでさやかに御容貌を見てしがな、とおぼす」
(なんとかしてはっきりとお顔を見たいものだ、とお思いになる)
源氏を、「うちとくべき御親心にはあらずやありけむ」(安心
できる親心とはちょっと違っていたのではないでしょうか)と、
作者も草子地で皮肉っています。

斎宮への好き心がいつ歯止めを失って、入内させるのを取り
止めようという気持ちになるやもしれぬ、と、自分に自信が
持てない源氏は、この段階では、斎宮を娘分として帝へ入内
させる意向を誰にも話さずにいるのでした。

まさに「好き心」と「親心」の狭間で揺れている複雑な源氏の
思いが巧みに描写されている場面です。詳しくは先に書いた
「全文訳・澪標(17)」でご覧下さいませ(⇒こちらから)。


第14帖「澪標」の全文訳(17)

2024年2月12日(月) 溝の口「紫の会」(第75回・№1)

先月の「全文訳・澪標(14)」のところで、「来月は余談は
後回しにして、何はさて置き、「澪標」の巻の読了を最優先
します。こうして宣言しておくと、実行できそうですので」と
書きましたが、ハイ、実行しました。多少は横道に逸れる
話もしましたが、ちょうど時間内で第14帖「澪標」を読み終え
ることが出来ました。

「澪標」の最後は、第4ポイント「六条御息所の死と娘斎宮の
処遇を源氏が考える」場面の後半となります(44頁・12行目
~51頁・10行目)。今月は、その全文訳を、3回に分けて書き
ますので、今日はその1回目、44頁・12行目~47頁・12行目
迄となります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語三」による)


雪や霙が降り荒れる日、どんなにか斎宮のご様子は儚げで物思い
に耽っておられることだろう、とご想像なさって、源氏の君はお使いを
差し向けなさいました。
「悲しみに搔き暮れているような只今の空をどのようにご覧になって
おられましょうか
 降り乱れひまなき空に亡き人の天翔るらむ宿ぞかなしき(雪、霙が
 降り乱れ、止む間もない空を、亡き母君の魂がお邸の上の大空を
 翔っておられるであろうと悲しく思われます)」
と、薄縹色の紙で、くすんだ色のものにお書きになっておりました。
うら若い斎宮のお目を惹くように丹精込めて美しくお書きになった
のは、実に目も眩むほどでありました。

斎宮はたいそうお返事をしづらいご様子でしたが、何人かの女房が、
「代筆では、とても失礼に当たります」と、きつく申し上げるので、
薄鈍色の紙で、とても香ばしく優美に香を薫きしめたものにお書きに
なった斎宮のお返事は、墨の濃淡などが美しく紛らわせてあって、
「消えがてにふるぞ悲しきかきくらしわが身それとも思ほえぬ世に」
(消えることも難しくて日を送っているのが悲しうございます。涙に
くれてわが身がわが身とも思えないこの世に)
と、遠慮がちな書きぶりが、たいそうおっとりとしていて、筆跡は達筆
というわけではありませんが、可愛らし気で上品な書風と見受けられ
ました。

斎宮が伊勢に下向された頃から、ただでは済まされないと思って
おられたのに、今は始終心に掛けてどのようにも言い寄ることが
きっと出来そうだ、とお思いになる一方で、いつものように思い直し
て、それはお気の毒な事であろうよ。亡き御息所が、とても心配そう
に気にしておられたことを、御息所が自分をそのようにご覧になる
のは無理のない事だけれど、世間の人も、同じような邪推をするに
違いないから、それをひっくり返して、下心なくお世話申し上げよう、
帝が今少し世間のことがおわかりになるお歳になられたら、斎宮を
入内させ申して、自分には年頃の娘もいないことだし、大切にお世話
しよう、とお考えになるのでした。
 
源氏の君はこまごまと懇ろにお便りをなさって、しかるべきことがある
折々は、ご自身でお訪ねにもなっておられました。「勿体ないことです
が、私を亡き母君の代わりとお考え下さって、気の置けないお付き合い
を頂けるのでしたら、満足に思えることでしょう」などと、源氏の君は
おっしゃいますが、斎宮はむやみに恥ずかしがられる内気なお人柄で、
ほんの少しでもお声などをお聞かせするのは、全くもって思いも寄ら
ないとんでもないことだと、お思いなので、女房たちもお取りなしに手を
焼いて、こうした斎宮のご性分を皆で嘆いておりました。

女別当、内侍などという女房や、またある者は同じ皇族の血筋を引いて
いる者などで、たしなみのある女房たちが多いことであろう、今自分が
秘かに考えている入内に際して、他の女御に引けをお取りになることは
あるまい、なんとかしてはっきりとお顔を見たいものだ、とお思いになる
のも、安心できる親心とはちょっと違っていたのではないでしょうか。

ご自身でも自分のお気持ちをお決めになり難いので、斎宮を娘分として
入内させるお積りも、誰にもおっしゃることはありませんでした。七日毎の
法要などもお世話も、格別にさせなさるので、世にも稀なご厚意を、斎宮
のお側の人々も喜び合っておりました。
 
空しく過ぎる月日につけて、斎宮はいっそう寂しく、心細さばかりが増さる
のに、お仕えする人々も、次第にお暇を取って散り散りになって行きなど
して、下京極の辺りなので、人家も少なく、山寺の鐘の音が聞こえて来る
につけても、声を上げて泣きがちに日を送っておられました。同じ母娘と
申し上げる中でも、片時も母君の傍らをお離れになることが無く、それに
慣れてしまっておられて、斎宮に母親が付き添って伊勢に下りなさるのは、
前例のないことでありましたが、無理に母君をお誘いなさったお気持ち
なので、死出の道にはお供出来なかったことを、涙の乾く間とて無く、
お嘆きになっているのでした。


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