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女性に関する源氏の姿勢

2021年11月13日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第17回・通算64回)

オンライン「紫の会」で、先月から始めた第11帖「花散里」を変体仮名で
読む試み、今月は2回目です。前回に比べると、変体仮名を読む速度も
上がってきたので、本文も少し多く進めました。こちらが何も言わなくても、
もうすんなりと読んでおられる声が、パソコンを通して聞こえてくるように
なり、慣れてこられたことがはっきりと伝わってまいりました。それでも文字
を一字ずつ追っていますので、さほど読み進められるわけではありません。
全文訳も2回に分ける程の量もないので、これは木曜クラス(23日)のほう
で書くことにして、今日は講読した所の内容に触れるだけにしておきたい
と思います。

25歳の夏、源氏は梅雨の晴れ間に、ふと思い出した麗景殿の女御の妹
の三の君(花散里)を訪ねようと、お出かけになりました。

その途中、中川(中川は現在は無くなっており、当時は今の京都御苑の
東側に沿って流れていた)の辺りを通り過ぎる時、琴の音に惹かれ、牛車
の中から少し身を乗り出してご覧になると、そこが嘗て一度だけ通った女
の家だと思い出されたのでした。

惟光を介して歌を詠みかけた源氏に対して女は「ことさらにたどる」(わざと
誰だかわからないふりをする)歌を返して来たので、惟光はそのまま引き
下がって出て行きました。内心では源氏が今頃になって訪ねて来たのを、
「ねたうもあはれにも思ひけり」(恨めしくもしみじみとも思っていた)のでした
が、源氏が再び訪れることもない間に、別の男が通うようになっていたところ
で無理はない、と、源氏も惟光も察しておりました。

この程度の身分の女なら「筑紫の五節」が可愛かったなぁ、と思い出したりも
しています。そもそも花散里だって、いつも通っている女君ではありません。

このように、源氏は「見しあたり、情け過ぐしたまはぬにしも、なかなかあまた
の人のもの思ひぐさなり」(昔の女のことを、お忘れにならないが為に、却って
多くの女たちの物思いの種となっていた)ということなのです。

どんな女性に対しても、決して捨ててしまうことはしない、という源氏の姿勢、
如何なものでしょうか?女の立場からすれば「蛇の生殺し」のような状態で、
すっきりと決着がつかないまま長い間放っておかれるというのも、そりゃぁ、
物思いの種になるでしょう、と思いますよね。


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コメント

No title

態度をはっきりしてくれたほうが、そのときは辛くても、今後のことを考える良い機会になりますよね。
蛇の生殺しといえば、娘の大学入試の合格発表を2週間も待ったときは、そのような心境でした(^^;;

No title

utokyoさま

コメントを戴き、有難うございます。

そう、ずっと待たされる状態というのは、何事につけても気を揉まされますよね。

入試をはじめとして、結果が発表になる迄の期間も、落ち着かず、胃が痛くなったりもするものです。お嬢様は、大学入試も、入社試験も見事にクリアーで、喜びもひとしおだったことと存じます。

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