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11年目も同じ第2金曜日

2022年3月11日(金) 溝の口「CD源氏の会」(第11回・通算151回)

あれから11年が経ちました。今日は第2金曜日ですので、コロナ禍で
なければ、溝の口で皆さまと『源氏物語』を読んでいたはずです。
今はその日を使って私一人で録音をし、翌日それをCDに書き込んで
送付する形となっていますが、今日は録音をしながら、11年前と同じ
第2金曜日だわ、と思っておりました。

毎年3月11日の午後2:46には、市役所からの有線放送で「黙祷」の
時間が知らされます。在宅していれば、合わせて黙祷を捧げることに
しています。今日はちょうど録音の前半を終えて、後半に入る前の
時間に黙祷が出来ました。

「東日本大震災」が起こった時も、講座開始から1時間余りを経過し、
休憩に入ったところでした。当日はもちろん後半は中止となりましたが、
それどころか、帰宅難民となられ、近くの小学校で一夜を過ごされた
方もありました。私も帰宅できたのは、日付が変わる頃でした。

被災地では今も38,000人もの方が避難先で暮らしておられるとのこと。
Yahoo!とLINEで「3.11」と検索すると、それぞれ10円の寄付になると
知り、早速しました。既に1千万回を超えています。

本日録音した箇所でキーポイントとなるのは、宇治への紅葉狩の際、
匂宮が中の君の許を訪れることなく帰京してしまったことで、妹は匂宮
に捨てられた、と思い悩む大君が、匂宮と夕霧の娘・六の君の縁談の
話を耳にして更に落ち込んでしまう、という場面でしょうか。その結果、
大君は死に至る病の床に臥すことになるのですから。

このことについては、オンラインクラスで読んだ時に取り上げております
ので、今日は3.11関連の話で長くなっておりますし、そちらでお読み
いただければ、と思います(⇒こちらから)。


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コメント

No title

私もささやかながら3.11をポチしました。
当時、まだベルリン在住でしたが、
あの日のショックは未だに消えません。

No title

3.11私も検索しました。
3.11大変な体験をされたのですね
帰宅大変だったのですね
こちら大阪でも揺れましたが どうもありませんでしたが
母親の状態が悪くて大変な時どもありました。
いまだにたくさんの方が行方不明で つらいですね
都市がなくなってしまったんですから忘れられませんね。

No title

太巻きおばばさま

コメントを有難うございます。

ドイツでも、東日本大震災の津波や原発事故は大きく報道されたのでしょうね。

津波は天災ですが、原発事故は半ば人災だと思います。そして今も故郷へ帰ることのできない方の多くは原発近くにお住まいがあるためなのですよね。戦争は言うまでもなく人災です。避けようがない天災と違い、人災は避けられるもの。平和であることを祈ります。

No title

いとこいさま

コメントを有難うございます。

東日本大震災の日、私が帰宅した頃には、電気も点き、エレベーターも動くようになっていました。それまで詳しいことは何もわかっていなかったので、急ぎテレビをつけて唖然としました。繰り返し映される津波の様子に、眩暈がしたのを覚えています。

津波がなければ、犠牲者は阪神淡路の時よりもずっと少なかったはずです。でも津波と、その後の原発事故で、東日本大震災は歴史上最悪の地震災害となりましたね。まだまだ復興は途上にあると思います。

いつ、どこで巨大地震が起こってもおかしくない日本です。自分に出来る備えを、と思いながらも、とても万全とは言えません(-_-;)

No title

私もYahooのほうは募金したのですが、LINEのほうは気づかず、残念でした。
関西の家電メーカーのコールセンターで勤務中でしたが、結構揺れたので、東北が震源ということに驚きました。

首都圏の家電修理も期日が案内できない状況でしたが、計画停電もあり、不自由な日々を過ごされた方が多かったと思います。
蓄電機を用意されている方もいらっしゃいますが、お高いようで、まだ買えずにいます。

No title

utokyoさま

コメントを有難うございます。

utokyoさまは11年前は阪神のほうにお住まいだったのですね。私はビルの11Fに居たので揺れが大きかったのかもしれませんが、首都直下型地震かと思いました。

原発事故の後は街中が暗くなり、計画停電もありましたね。我が家は駅近なので、結局計画停電はありませんでしたが、隣町の息子の所は停電時間中、我が家へ来て過ごしていました。計画停電はさすがに不便ですが、必要以上に明るい照明などは止めて良いのではないかと思ってます。

No title

あの日は、夫がイタリア力から帰国した日でした。
羽田から新幹線を経て家に戻った直後に、めまいのような揺れを感じました。
それが、あの大きな地震でした。
僅差で帰宅できた夫ですが、あわや帰宅難民・・・

そして、その晩から私は持病が悪さを始めました。
歩く事は勿論、達子もままならないひがつずきました。今は又元気です。

30歳から、度々いじめられる病です。
はじめは椎間板ヘルニアと言われ、すべり症と言われ、狭窄症と言われ…いったいどれが正式な病名かよくわかりません。
20年以上、大学病院に定期的に通院していますが、
この度の転居で県が変わっても通院することになっています。

何だったのか?と不思議に思います。

No title

こすずめさま

コメントを有難うございます。

3.11には、皆それぞれのあの日があったのですね。ご主人様がご帰宅なさってからで、本当に良かったと思われたことでしょう。

こすずめさまは、脊柱管狭窄症でいらっしゃるのですか?私の周囲にも何人かおられ、その中のお一人は今月二度目の手術をお受けになります。こすずめさまは、今はお元気になられているとのことで、何よりだと思います。

私もあれこれと持病を抱えて、定期的に病院通いをしております。コロナ禍でも「不要」ではないので、これだけはさぼらずに行っています。

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