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気づきの「けり」

2022年3月24日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第20回・通算67回・№2)

須磨下向の二、三日前、先ず致仕大臣(もとの左大臣)邸を訪れ、
一泊した源氏は翌日、まだ夜が明けきらないうちに自邸である
二条院に戻りました。

源氏に仕えている女房たちは、このような事態になったことを、
思い嘆く他なす術もありません。親しい家来たちは須磨へと
源氏のお供をする覚悟をして、家族との別れを惜しむために
帰宅しているらしく、二条院は閑散としています。以前は所狭し
と二条院に押しかけて来ていた人たちも、今は右大臣一派の
顔色を窺い、寄り付こうとしないので、源氏は改めて「世は憂き
ものなりけり」(世間は情けないものだなぁ)と思い知るのでした。

「けり」は、「過去」と「詠嘆」の助動詞ですが、「詠嘆」をもう少し
細かく分けると「気づき」の「けり」というのがあります。「気づき」
ですから、今まで認識はしていたけれど、改めて気づかされた、
という時に使われます。

失脚した者に対して、世間は手の平を返したような冷たさを
見せる、ということを、源氏も理解はしていたつもりだったが、
今自分がそうした立場に立たされて、改めて「ああ、世間とは
こんなにも薄情なものだったのだなぁ」と気づいた、それが
「けり」という助動詞によって表されているのです。

あまり文法に拘る読み方はしていないつもりですが、ここは
まさに源氏の心情を的確に示した助動詞「けり」の用法「と
いうことで、ちょっと触れておきました。

本日読みましたところ、詳しくは先に書きました全文訳にて
ご覧いただければ、と思います(⇒こちらから


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コメント

No title

こんにちは。
浅学のこすずめの迷い言。独り言ですが。

昭和は遠くなりにけり、
は、「過去」?「詠嘆」?「きづき」のどれかなぁ~
もしかして、全部?

No title

こすずめさま

コメントを有難うございます。

「昭和は遠くなりにけり」の「けり」ですか。

この「けり」は実感でしょうから、「過去」ではないと思います。「過去」の助動詞は「き」と「けり」で、直接体験は「き」で表し、「けり」は間接体験(伝聞的なもの)となりますので。昭和を生きて来た人が「昭和は遠くなってしまった」と過去形で言う場合は、「昭和は遠くなりにき」となるでしょうね。

「気づきのけり」も詠嘆の一種ですが、日頃から「ああ、昭和の時代は遠い昔となってしまった」と思っている人が、実際にそうした事実を前にして、「古き良き昭和は遠くなってしまったなぁ」と実感した場合なら、そこで改めて気づかされた「気づきのけり」と考えてよいのではないでしょうか。

すみません、感覚的な独断の返信となってしまいまして…🙇

No title

「なりけり」とくると、気づきの意味が多いみたいですが、そのあたりも味わえると良いのですね。
人間関係は本当に難しく、一生悩み続けるものだなと常々感じております(^_^;)

No title

utokyoさま

コメントを有難うございます。

『源氏物語』も原文で読んでいると、現代語訳ではわからない細かい部分も見えてくることがありますが、あまり拘らずに、先ずは物語の流れを味わうのが大切かと思います。今回は典型的な「気づき」表現だったので、つい取り上げてしまいました。

千年前も今も、そして千年後も、人が人間関係の悩みから解放されることは、きっとないのでしょうね。

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