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保身に走る人々

2022年6月20日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第23回・通算70回・№2)

只今、オンライン「紫の会」で講読中の第12帖「須磨」は、前半と後半、
大きく二つに分けることが出来ます。

前半は、須磨退去を決意した源氏が、京に残る人たちそれぞれとの
別離を惜しむ内容となっています。後半は、いよいよ須磨での生活が
始まり、そこでの源氏の暮らしぶりと心情が中心に語られています。

今月のオンライン「紫の会」は、ちょうど前半の終わりから後半の初め
にかけて読みましたので、ここでは前半の最後にあたる世間の動静に
ついて記しておきたいと思います。

源氏は、父・桐壺帝から格別の寵愛を受けて、7歳の時からずっとお傍
に侍り、源氏が奏上すれば、聞き届けられないことはなかった、とあり
ます。

公卿はもとより、もっと身分の低い者も、みんな源氏に口添えをして貰い、
恩恵をこうむって来たことは重々承知しているのです。でも差し当たって
の問題として、今源氏に味方すれば、反体制派の烙印を押され、右大臣
一派から酷い仕打ちを受けることになります。ですから、明日は源氏が
須磨へと出発する日となっても、「参り寄るもなし」(訪ねて来る者もいない)
という有様でした。

皆、陰では朝廷を批判し、源氏に同情しているのですが、「身を捨てて
とぶらひ参らむにも、何のかひかは」(我が身を投げ打ってまでして源氏
の許に参上しても、何の甲斐があろう)、と思っているせいか、源氏に
対しては冷たい態度を取り続けたのです。

こうした人が保身に走る姿というのは、千年後の今も変わっていないと
思われますが、源氏には、この試練によって政界の厳しさが分かり、
世間は甘くないと知ることにもなり、それがのちの糧となった、と言えま
しょう。

あの人の心の機微など理解することなく(その必要もなく)、桐壺帝の力を
背景に、驕り高ぶっていた20歳の頃のままの源氏では、その後の生き様
も異なっていたはずです。

今は特にコロナ禍で、挫折感を味わっている若い人も多いのではないか
と思われます。でもそれを乗り越えた時、苦労が成長の糧となっていると
実感出来る日が来る、と信じて生きていって欲しいですね。

本日の講読箇所の前半部分につきましては、詳しくは「須磨」の全文訳(9)
をご覧下さいませ(⇒こちらから)。


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コメント

No title

 最近の日本は特に、反体制的な発言をしようものなら、「この国から出ていけ」的な物言いにさらされたりしますし、なんだかみんなおとなしくしてる気がします・・・。
 中央から身を引いていくときの悲哀というのは時代が変わっても、ひとが替わってもそこだけは同じ痛みです。ちょっと道真の漢詩を思い出しました。

No title

まっちゃんさま

コメントを有難うございます。

体制から弾き出されてしまう悲哀、いつの時代も変わらないのでしょうね。

ちょうど先日の講座で、「韻塞」の説明をするのに、解り易い漢詩として、道真の「九月十日」を使いました。右大臣の座を追われ、大宰府に左遷された時の道真の心中は如何ばかりであったか、と思いますね。

No title

コロナ禍が長引き、弊害もかなりのものになっていますね・・・・
保身も大切ではありますが、人を陥れることは絶対にしてはいけないと思います。
人生さまざまな試練がありますが、できる限り、心穏やかに過ごしたいですね。

No title

utokyoさま

コメントを有難うございます。

やっと収まりかけていたコロナが、ここへ来てまた増加に転じているのが嫌ですね。いつになったら以前のような毎日を送れるようになるのでしょうか。もうこれ以上、コロナで疲弊する人を増やさないで欲しいものです。

保身に走る人を責めることはできないと思いますが、人を陥れる人は責められるべきだと思います。人間関係を巡るトラブルで、心の平和を脅かされたくはありませんね。


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