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第12帖「須磨」の全文訳(10)

2022年6月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第23回・通算70回・№1)

今月のオンライン「紫の会」は、221頁・3行目~227頁・1行目迄を読みましたが、
本日の全文訳はその後半部分(223頁・13行目~227頁・1行目)となります。
前半部分は、6/20(月)の全文訳をご覧下さい⇒こちらから
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


出発当日は、紫の上にお話を静かに申し上げてお過ごしになり、例に従って、
早朝まだ暗いうちに出立なさいます。狩衣など、旅のご装束はひどく粗末に
なさって、「月が出ているなぁ。やはり少し端近に出てせめて見送りくらいは
してくださいな。須磨で暮らせば、どんなにはあなたにお話したいことが沢山
積もってしまった、と思うことになるでしょうよ。一日、二日、たまに夜を隔てる
折でさえ、不思議に心の晴れぬ心地がしますのに」と言って、源氏の君が
御簾を巻き上げて、端にお誘い申し上げなさると、紫の上は泣き沈んで
おられたのですが、気分を取り直してにじり出て来られたお姿は、月の光に
映えて、実に美しくていらっしゃいました。自分がこのようにして、無常な世
なのに別れて行ってそれきりになってしまったら、この人はその後どんなふう
に、さまようことになられるのであろうか、と気掛かりで、悲しく思われるけれど、
紫の上が思い詰めておられるのを、いっそう悲しませることになりそうなので、
 「生ける世の別れを知らで契りつつ命を人に限りけるかな(生きて別れると
 いうことがあるとは思わず、繰り返し『生きている限りあなたと共に』と
 お約束して来たことですよ)頼りないお約束でした」
などと、わざと大したことではないかのようにおっしゃると、
 「惜しからぬ命にかへて目の前の別れをしばしとどめてしがな」(あなたと
 お別れするくらいなら少しも惜しくはないこの命と引き換えに、この目の前
 の別れを今しばらく引き留めたいものでございます)
いかにもそのようにお思いになるであろう、と源氏の君は、とてもこのまま
見捨てて出発し難いけれど、夜が明けてしまったならば、体裁の悪いことに
なるであろうと思って、急ぎお発ちになりました。

道中も紫の上の面影が瞼から離れず、胸もいっぱいになりながら、船に
乗られました。日の長い頃なので、追い風も手伝って、まだ午後四時頃に、
須磨の浦にお着きになりました。お近くへのお出ましでも、こうした船旅の
ご経験はなかったので、心細さも面白さも、通り一遍のものではありません
でした。

昔、「大江殿」と呼んでいたという場所は、ひどく荒れて、松だけがその名残
となっていました。
 「唐国に名を残しける人よりもゆくへ知られぬ家居をやせむ」(唐の国に、
 後世まで言い伝えられている人よりも、私は行方も知れぬわび住まいを
 するのであろうか)
と、歌を詠まれて、渚に波が寄せては返すのをご覧になっては、「うらやましくも」
(恋しい過ぎし方へと返す波が羨ましくもあるよ)と、源氏の君が口ずさみなさる
ご様子は、そうした世間で言い古された歌ではありますが、珍しく聞くような気が
してきて、悲しいとばかり、お供の人たちは思っておりました。

源氏の君が振り返ってご覧になると、通って来た山は霞んで遠ざかり、本当に
三千里の先に旅するような侘しい心地がするので、溢れる涙も堪え難いの
でした。
 「故里を峰の霞は隔つれどながむる空はおなじ雲居か」(住み慣れた都を
 峰の霞が隔てているので見えないけれど、ここから眺めている空は、都から
 も見えている同じ空なのであろうか)
と、源氏の君にとっては、何もかもが辛く感じられました。

お住まいになるところは、行平の中納言が、涙にくれながら侘び住まいをした
という住居に近い辺りでした。海岸からは少し入り込んでいて、しみじみと寂しさ
が身に沁みる山中でありました。垣根の様子より始め、珍しい感じだと、源氏の
君はご覧になります。茅葺の建物とか、葦を葺いた廊下風の建物など、趣深く
造ってあります。場所柄に相応しいお住まいは、風変わりで、このような折で
なければ、面白くも思われることであろうよ、と、昔の気儘な遊び心でのお忍び
歩きを思い出されます。
 
この近くの荘園の管理者を呼び出して、必要なことのあれこれを、良清の朝臣
が、側近の家司として、源氏の君の指図通りに事を運ぶのも健気でありました。
少しの間に、たいそう見所があるように手入れをさせなさいました。庭の遣水を
もっと深くし、植木なども植えて、いよいよここに、と落ち着きなさるお気持ちは、
夢のようでした。

摂津の国の守も、源氏の君のお邸に親しく出入りしていた家来筋の者なので、
こっそりと心を寄せてお世話申し上げております。このような旅先に似つかわしく
なく、人が大勢出入りしてはおりますが、まともに話し相手に出来る人もいない
ので、見知らぬ国にいるような気がして、ひどく気が滅入り、どうやってこれから
の年月を過ごそうか、と、先々をご案じになっておられるのでした。


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