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第12帖「須磨」の全文訳(13)

2022年8月15日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第25回・通算72回・№1)

台風8号はたいした被害ももたらさず通り過ぎて行きましたが、厳しい残暑が
戻ってまいりました。明日はこの辺りもまた猛暑日の予報となっています。

今月のオンライン「紫の会」の講読箇所は、232頁・1行目~237頁・11行目迄
ですが、今日の全文訳はその前半部分(232頁1行目~235頁・2行目)となり
ます。後半部分は、第4木曜日(8/25)のほうで書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)


そうそう、そう言えば、須磨にお移り以来の何かと騒がしいのに取り紛れて、
お話するのを忘れておりました。あの伊勢の斎宮にも、源氏の君からの
お便りがありました。伊勢にいらっしゃる六条御息所からも、わざわざ使者が
訪ねてまいりました。ひとかたならぬ深いお気持ちが書かれております。
言葉や筆使いなどは、他の人よりも格別に優美で、教養のほどが窺えました。
 
 「とても現実のこととは思えませぬお住まいのご様子を承るにつけても、
 明けない夜の中で悪夢を見続けているようです。とは言っても、さほど長く
 須磨にご逗留はなさるまいと、ご拝察いたしますにつけても、仏の道からも
 離れている罪深い身の私だけは、再びお目に掛かるのも遠い先のことで
 ございましょう。
 うきめかる伊勢をの海士を思ひやれ藻塩垂るてふ須磨の浦にて(辛い日々
 を送っている伊勢の私を思い遣ってくださいませ。涙にくれておられるという
 須磨の浦で)何事につけても思い乱れますこの頃の世情も、やはりどの
 ようなことになってしまうのでしょうか」
と、あれこれと書いてありました。
 「伊勢島や潮干の潟にあさりてもいふかひなきはわが身なりけり」(遠い
 伊勢に居て、何の甲斐もないのはこの私でございます)

しみじみと悲しくお思いになるまま、筆を置いては書き、置いては書きしながら、
したためなさったお手紙は、白い唐の紙を四、五枚ほど重ねて巻いてあり、墨
の濃淡が見事でありました。しみじみと思い申し上げた方だったのに、一つだけ
嫌だと思われた自分の判断の誤りで、あの御息所も情けなく辛いと思い、私と
別れて行かれたのだ、とお思いになると、今になって、お気の毒で、申し訳ない
ことをしたと思われるのでした。

こういう折のお便りは、しみじみと心に沁みるので、御息所が差し向けられた
お使いの者までが懐かしく感じられて、二、三日留め置かれて、伊勢の話など
をさせてお聞きになります。若々しいたしなみある斎宮の侍所の人でした。
このようなおいたわしいお住まいなので、こうした身分の者も、自然とお側近く
からちらりと拝見することになるので、源氏の君のお姿やお顔をとても素晴らしい
と、その使者は涙をこぼしておりました。源氏の君がお返事にお書きになる言葉
はご想像くださいまし。
 「このように都を離れなければならない身の上だとわかっていましたなら、
 いっそあなたの後をお慕い申せばよかったのに、などと存じます。所在無く
 心細いままに、伊勢人の波の上漕ぐ小舟にもうきめは刈らで乗らましものを
 (こんな憂き目を見るくらいなら、伊勢にお供すれば良かった)
 海士がつむなげきのなかに塩垂れていつまで須磨の浦にながめむ(私とて
 あなたと同じ嘆きを重ねております。いつまで須磨の浦で物思いをし続ける
 ことでしょう)お目に掛かれるのがいつともわかりませぬのが限りなく悲しい
 心地がすることです」
などと書かれておりました。このようにどなたとも、こまごまとしたお手紙の
遣り取りをなさっておりました。

花散る里のお邸でも、悲しいとお思いになるままに、姉妹それぞれがお書きに
なったお手紙の趣を源氏の君はご覧になると、その風情も珍しい感じがして、
どちらのお手紙もご覧になっては心を慰めていらっしゃいますが、また同時に、
物思いを誘う種でもあるようでした。
 「荒れまさる軒のしのぶをながめつつしげくも露のかかる袖かな」(荒まさる軒
 の忍ぶ草をぼんやりと眺めながら、しきりに流れ落ちる涙に袖を濡らしている
 ことでございますよ)
とあるのを、本当に茂った葎より他にお守りする者もおいでにはならないことで
あろう、と推察なさって、長雨で土塀が所々崩れている、などとお聞きになるので、
京の二条院の家司に命じて、京に近い所の荘園の者などを集めて、修理の御用
を勤めるように仰せになりました。


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