今月の光琳かるた
2023年1月28日(土)
厳しい寒さが続いていますが、今夕は、ちらちらと雪が舞い散って
おりました。
残り3枚となった「光琳かるた」ですが、以前は月初めにしていた
更新がどんどん遅れるようになり、1月もあと数日となっての更新
です(;^_^A
今月は久々に女流歌人の恋の歌となります。
「恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」
六十五番・相模

(恨み嘆き、流す涙の乾く間とてない袖が朽ちてしまうだけ
でも口惜しいのに、その上私の名までもが、実らぬ恋の
ために朽ちてしまうのが残念でならない)
作者・相模は、『後拾遺和歌集』に和泉式部の67首に次いで40首
入集している優れた王朝女流歌人ですが、彼女もまた和泉式部
同様に、恋多き女性として知られています。
まだ10代の頃、橘則長(清少納言が最初の夫である橘則光との
間に設けた子)の妻となりましたが離別し、後に相模守大江公資
の妻となって、夫の任地相模国に随行したものの、結婚生活は
万寿2年(1025年)頃に破綻しました。この頃、藤原定頼(64番の
歌)との恋愛も知られています。また、『更級日記』の中で、作者
の菅原孝標女が淡い恋心を抱いた源資通も相模の恋人でした。
和泉式部も相模も、恋によって名を朽ちさせるどころか、数々の
恋の歌で歌人としての名声を上げましたが、またその陰では幾度
となく涙に袖を濡らすこともあったに違いありません。
この歌が詠まれたのは、『後拾遺和歌集』の詞書に「永承六年
内裏歌合に」とありますので、後冷泉天皇の永承6年(1051年)
5月5日に行われた「内裏根合」の場で開催された「歌合」に於いて
だったことがわかります。「根合」とは、「物合」の一つで、5月5日の
端午の節句に、左右に分かれて菖蒲の根の長さを競い合うという
ものでした。
王朝文化が隆盛期を迎えようとしている時に開かれたのが「天徳
四年内裏歌合」(960年)なら、こちらは王朝文化が衰退期に向かう
最後の輝きとも言える歌合でした。
「恨みわび~」の歌は、「恋」という題で、左方から出され「勝」となり
ました。右方は源経俊という人の歌で、「下もゆる歎きをだにも知らせ
ばや焼火神のしるしばかりに」(人知れぬあなたへの辛い恋心を知ら
せたいものだ。焼く火の神に祈る効験として)でした。これはもう相模の
楽勝といったところでしょう。相模の歌が女としての経験に裏打ちされた
ドキリとするほどの艶めかしさを漂わせているのに対し、「下もゆる~」
のほうは、表現も単純で面白味に欠けています。永承6年には、当時と
しては立派な老人の50代半ば過ぎだったと考えられる相模ですが、
そんな年齢を少しも感じさせない妖艶な恋の歌に脱帽です。
厳しい寒さが続いていますが、今夕は、ちらちらと雪が舞い散って
おりました。
残り3枚となった「光琳かるた」ですが、以前は月初めにしていた
更新がどんどん遅れるようになり、1月もあと数日となっての更新
です(;^_^A
今月は久々に女流歌人の恋の歌となります。
「恨みわび干さぬ袖だにあるものを恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ」
六十五番・相模

(恨み嘆き、流す涙の乾く間とてない袖が朽ちてしまうだけ
でも口惜しいのに、その上私の名までもが、実らぬ恋の
ために朽ちてしまうのが残念でならない)
作者・相模は、『後拾遺和歌集』に和泉式部の67首に次いで40首
入集している優れた王朝女流歌人ですが、彼女もまた和泉式部
同様に、恋多き女性として知られています。
まだ10代の頃、橘則長(清少納言が最初の夫である橘則光との
間に設けた子)の妻となりましたが離別し、後に相模守大江公資
の妻となって、夫の任地相模国に随行したものの、結婚生活は
万寿2年(1025年)頃に破綻しました。この頃、藤原定頼(64番の
歌)との恋愛も知られています。また、『更級日記』の中で、作者
の菅原孝標女が淡い恋心を抱いた源資通も相模の恋人でした。
和泉式部も相模も、恋によって名を朽ちさせるどころか、数々の
恋の歌で歌人としての名声を上げましたが、またその陰では幾度
となく涙に袖を濡らすこともあったに違いありません。
この歌が詠まれたのは、『後拾遺和歌集』の詞書に「永承六年
内裏歌合に」とありますので、後冷泉天皇の永承6年(1051年)
5月5日に行われた「内裏根合」の場で開催された「歌合」に於いて
だったことがわかります。「根合」とは、「物合」の一つで、5月5日の
端午の節句に、左右に分かれて菖蒲の根の長さを競い合うという
ものでした。
王朝文化が隆盛期を迎えようとしている時に開かれたのが「天徳
四年内裏歌合」(960年)なら、こちらは王朝文化が衰退期に向かう
最後の輝きとも言える歌合でした。
「恨みわび~」の歌は、「恋」という題で、左方から出され「勝」となり
ました。右方は源経俊という人の歌で、「下もゆる歎きをだにも知らせ
ばや焼火神のしるしばかりに」(人知れぬあなたへの辛い恋心を知ら
せたいものだ。焼く火の神に祈る効験として)でした。これはもう相模の
楽勝といったところでしょう。相模の歌が女としての経験に裏打ちされた
ドキリとするほどの艶めかしさを漂わせているのに対し、「下もゆる~」
のほうは、表現も単純で面白味に欠けています。永承6年には、当時と
しては立派な老人の50代半ば過ぎだったと考えられる相模ですが、
そんな年齢を少しも感じさせない妖艶な恋の歌に脱帽です。
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コメント
No title
No title
ばーばむらさき様
調べ良くさらりと歌っても情緒ありますね。
恋多き女が皆歌がうまいとは言い切れませんが、
心深くとも客観的視点を持っていることが上手の秘訣なのかしら?
とも思います。
50代になっても経験の引き出しから心をさっと取り出せる。
うらやましいです(笑)
調べ良くさらりと歌っても情緒ありますね。
恋多き女が皆歌がうまいとは言い切れませんが、
心深くとも客観的視点を持っていることが上手の秘訣なのかしら?
とも思います。
50代になっても経験の引き出しから心をさっと取り出せる。
うらやましいです(笑)
No title
utokyoさま
コメントを有難うございます。
恋の歌で名を上げた歌人であればこそ、恋によって名が廃ることを惜しむ、そんな気持ちが伝わって来る歌ですよね。
立春まであと1週間、本当に春はもうすぐそこに。この寒さで縮こまっている心身を伸ばしていかなくては、と思いますね。
コメントを有難うございます。
恋の歌で名を上げた歌人であればこそ、恋によって名が廃ることを惜しむ、そんな気持ちが伝わって来る歌ですよね。
立春まであと1週間、本当に春はもうすぐそこに。この寒さで縮こまっている心身を伸ばしていかなくては、と思いますね。
No title
soubokuさま
コメントを有難うございます。
日本列島をすっぽりと覆う寒波の到来で、高知でも最低気温がマイナスだと、天気予報で言っていましたね。春が待ち遠しい今日この頃です。
和泉式部や相模は、恋多き女、という烙印が押されていますが、それだけ感性も豊かで、溢れる情感が歌となったのでしょうね。
当時の50代は今の70代位の感覚かと思いますが、「ん?恋の歌?無理無理!」です(笑)
コメントを有難うございます。
日本列島をすっぽりと覆う寒波の到来で、高知でも最低気温がマイナスだと、天気予報で言っていましたね。春が待ち遠しい今日この頃です。
和泉式部や相模は、恋多き女、という烙印が押されていますが、それだけ感性も豊かで、溢れる情感が歌となったのでしょうね。
当時の50代は今の70代位の感覚かと思いますが、「ん?恋の歌?無理無理!」です(笑)
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まだまだ寒さが厳しいですが、もうすぐ節分なので、春に向かって気持ちを高めていきたいです。