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「いささかなるものの報い」とは?

2023年3月13日(月) 溝の口「紫の会」(第65回)

今日は久々の雨となりました。講読会が終わる頃には
すっかり止んでいましたが、それでも飛散している花粉
を雨が落としてくれたのか、帰宅後の花粉症が、さほど
酷くはありません。

この会場クラスは、6月迄でオンラインクラスと足並みが
揃うように、時間も30分延長し、最後に現代語訳を読み
上げて、皆さまにその日の講読箇所を確認していただく
作業も、今年に入ってからは、カットする状態が続いて
いますが、あと3回、何とか目標達成の目途も立ってきた
ところです。

今回は第12帖「須磨」を読み終え、第13帖「明石」に入り
ましたが、話としてはちょうど一まとまりの、源氏が須磨
に謫居してまもなく一年になろうとする3月1日、海辺で
「上巳の祓(じょうしのはらえ)」を行っている最中に、
突然暴風雨に襲われ、雷まで加わり、それが3月13日
まで続いた、という箇所に当たります。

「明石」の巻の冒頭文は、「なほ雨風やまず、雷しづまら
で日ごろになりぬ」(依然として風雨は止まず、雷も鳴り
静まらず、幾日も経った)で、「須磨」の巻末をそのまま
受けています。

源氏も、もうこのまま自分の人生も終わるのであろうか、
と弱気になっていますが、3月13日の夜、亡き父・桐壺院
が夢枕に立ったことから、新たな道が開け始めます。
それについては、12月にオンラインクラスで読んだ際に
書きましたので(⇒こちらから)、今日はちょっと細かい
その中の父院の発言に触れておきたいと思います。

夢の中で、もうこの地で命を終わろうかと思う、と弱気な
事を言う源氏に、父院は、「いとあるまじきこと。これは
ただいささかなるものの報いなり」(それはあってはならない
事である。このような目に遭うのは、ただちょっとした罪の
報いにすぎないのだ」とおっしゃいました。「ちょっとした罪」
とは、桐壺院は何を思って言われたのか。

源氏が犯した罪、となれば、読者も一番に思い浮かべる
のは、藤壺との密事です。勿論それを意味しているという
説もあるのですが、いくら何でも桐壺院が「いささかなる」と
口になさるほど軽い問題とは考え難いのですが、如何で
しょう?

真意のほどはわかりませんが、作者もおそらくここは言葉
の流れのような感覚で、「人が誰も無意識の内に犯している
罪」程度の意味で書いたのではないか、と思われます。

ただ、この父・桐壺院が源氏と朱雀帝の夢枕に立たれた
こと自体の持つ意味は大きく、桐壺院がどこまでも源氏を
慈しみ、護ろうなさっていたかがよくわかります。


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