第13帖「明石」の全文訳(8)
2023年3月23日(木) オンライン「紫の会・木曜クラス」(第32回・通算79回・№1)
オンライン「紫の会」は第3月曜日(3/20)に続き、第4木曜日の
今日、同じ個所を講読しました(278頁・13行目~285頁・8行目)。
前半部分の全文訳は3/20に書きましたので(⇒こちらから)、
本日の全文訳は後半部分(282頁・3行目~285頁・8行目)と
なります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
入道は、自分の願いがどうやら叶ったという気がして、さっぱりした気分
でいたところ、翌日の昼頃、源氏の君は岡辺に住む入道の娘にお手紙
を遣わされました。娘がこちらが気恥ずかしくなるほどの様子らしい、と
思われるにつけても、却ってこのような人知れぬ所に、意外にも素晴ら
しい女性が住んでいることもありそうだ、と、気をお遣いになって、高麗
の胡桃色の紙に、並々ではなく念を入れて、
「をちこちも知らぬ雲居にながめわびかすめし宿の梢をぞとふ(どこを
目指して良いかもわからず、遥かに噂を聞くばかりなのに思い悩み、
道が少しだけ見えている家の梢を頼りにお手紙を差し上げるのです)
あなたを恋しく思う気持ちに堪えかねまして」
とだけ書いてありましたでしょうか。
入道も、人知れず源氏の君からのお手紙を待ち申し上げて、岡辺の家
に来ていたところ、期待通りだったので、お使いの者がとてもきまり悪く
思う程、歓待して酔わせたのでした。
娘のお返事はとても遅く、入道が娘の部屋に入って急き立てるけれど、
娘は全く聞き入れようとしません。とても素晴らしい源氏の君のお手紙に
お返事を書くのも気が引けて、臆してしまい、源氏の君と自分の身分の
違いを思うと、比較にもならないという気がして、気分が悪い、と言って
横になってしまいました。
説得に困り果てて、入道が返事を書きました。
「まことに恐れ多いことでございますが、田舎者の娘には嬉しさが身に
余るのでございましょう。まだ一度も経験したことの無い恐れ多い
お手紙を頂戴いたしまして。とは言え、
ながむらむ同じ雲居をながむるは思ひもおなじ思ひなるらむ(物思い
に耽って眺めておられるというその同じ空を、娘も同じ思いで眺めて
いるのでありましょう)
と、私には思われます。まことに色めいた申しようで」
と、申し上げました。陸奥紙に、たいそう古風であるけれども、書きぶり
は洒落ていました。本当に色めかしいことだ、と、呆れてご覧になります。
入道は、御使いに格別の美しい裳などを禄として与えたのでした。
翌日、源氏の君は、「代筆の手紙は貰ったことがありません」と言って、
「いぶせくも心にものをなやむかなやよやいかにと問ふ人もなみ(胸も
塞がる思いで悩んでいることよ。いかがですか、と問うてくれる人も
いませんので)まだ見たこともないあなたには、恋しいとも言いかねる
ので」
と、この度は、たいそうひどく優美な薄様に、とても美しくお書きになりました。
この手紙を若い女が素晴らしいと思わないとしたら、それは余りにも内気
過ぎるというものでありましょう。
娘は素晴らしいとは思うものの、比べようもないわが身の程を思うと、全て
が無駄な気がして、却って、こんな娘がいると源氏の君が自分の存在を
お知りになったことを思うにつけて、涙がこみ上げて来て、前日同様に、
全く筆を取ろうとしないのを、入道に無理にせっつかれて、十分に香を
焚きしめた紫の紙に墨付きを濃くしたり薄くしたりしながら書き紛らわせて、
「思ふらむ心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きかなやまむ(私を
恋しく思ってくださるというあなた様の御心の深さは、さてどの程度なの
でございましょう。まだ逢ったこともない人が、噂だけで、悩むということ
があるのでしょうか)」
筆跡の具合や、歌の出来ばえなどは、高貴な女性にもさほど引けを取り
そうになく、貴婦人風の書きざまです。京でこうした恋文の遣り取りをして
いたことが思い出されて、楽しくお思いになりましたが、続け様に恋文を
お遣わしになるのも、人目が憚られるので、二、三日間を空けて、所在
無い夕暮れとか、或いはしみじみとした夜明け方に、それとなく紛らわせ、
その折々、相手も同じように情趣を感じるであろう頃合いを見計らって、
お手紙の遣り取りをなさると、娘はその相手として相応しいのでした。
思慮深く、気位の高い様子を知るにつけても、逢わずに終わりたくない、
とお思いになるものの、良清が嘗てまるで自分のものであるかのように
話していたのも心外であるし、長年心にかけていたであろうに、と思うと、
良清を目の前で落胆させるのも可哀想だとあれこれ思案をなさって、
女のほうから進んで仕える形を取ってくれれば、召人にして、うやむや
のうちに事を運んでしまおう、とお思いになりますが、女は女で、却って
高貴な身分の女性よりも酷く気位が高くて、いまいましく思われるような
態度なので、お互いに意地の張り合いで日が過ぎてゆきました。
京に残した紫の上のことを、こうして須磨の関を隔てて一段と遠くなって
みると、いっそう気掛かりにお思いになって、どうしたものであろうか、
冗談ではなく、心底恋しくてたまらない、こっそりとここにお呼び寄せ
しようか、と、気弱になられる折々もありますが、いくら何でも、このまま
こうして年月を重ねることにはなるまい、今更そのような人聞きの悪い
ことをするなんて、と、じっと我慢をなさっているのでした。
オンライン「紫の会」は第3月曜日(3/20)に続き、第4木曜日の
今日、同じ個所を講読しました(278頁・13行目~285頁・8行目)。
前半部分の全文訳は3/20に書きましたので(⇒こちらから)、
本日の全文訳は後半部分(282頁・3行目~285頁・8行目)と
なります。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
入道は、自分の願いがどうやら叶ったという気がして、さっぱりした気分
でいたところ、翌日の昼頃、源氏の君は岡辺に住む入道の娘にお手紙
を遣わされました。娘がこちらが気恥ずかしくなるほどの様子らしい、と
思われるにつけても、却ってこのような人知れぬ所に、意外にも素晴ら
しい女性が住んでいることもありそうだ、と、気をお遣いになって、高麗
の胡桃色の紙に、並々ではなく念を入れて、
「をちこちも知らぬ雲居にながめわびかすめし宿の梢をぞとふ(どこを
目指して良いかもわからず、遥かに噂を聞くばかりなのに思い悩み、
道が少しだけ見えている家の梢を頼りにお手紙を差し上げるのです)
あなたを恋しく思う気持ちに堪えかねまして」
とだけ書いてありましたでしょうか。
入道も、人知れず源氏の君からのお手紙を待ち申し上げて、岡辺の家
に来ていたところ、期待通りだったので、お使いの者がとてもきまり悪く
思う程、歓待して酔わせたのでした。
娘のお返事はとても遅く、入道が娘の部屋に入って急き立てるけれど、
娘は全く聞き入れようとしません。とても素晴らしい源氏の君のお手紙に
お返事を書くのも気が引けて、臆してしまい、源氏の君と自分の身分の
違いを思うと、比較にもならないという気がして、気分が悪い、と言って
横になってしまいました。
説得に困り果てて、入道が返事を書きました。
「まことに恐れ多いことでございますが、田舎者の娘には嬉しさが身に
余るのでございましょう。まだ一度も経験したことの無い恐れ多い
お手紙を頂戴いたしまして。とは言え、
ながむらむ同じ雲居をながむるは思ひもおなじ思ひなるらむ(物思い
に耽って眺めておられるというその同じ空を、娘も同じ思いで眺めて
いるのでありましょう)
と、私には思われます。まことに色めいた申しようで」
と、申し上げました。陸奥紙に、たいそう古風であるけれども、書きぶり
は洒落ていました。本当に色めかしいことだ、と、呆れてご覧になります。
入道は、御使いに格別の美しい裳などを禄として与えたのでした。
翌日、源氏の君は、「代筆の手紙は貰ったことがありません」と言って、
「いぶせくも心にものをなやむかなやよやいかにと問ふ人もなみ(胸も
塞がる思いで悩んでいることよ。いかがですか、と問うてくれる人も
いませんので)まだ見たこともないあなたには、恋しいとも言いかねる
ので」
と、この度は、たいそうひどく優美な薄様に、とても美しくお書きになりました。
この手紙を若い女が素晴らしいと思わないとしたら、それは余りにも内気
過ぎるというものでありましょう。
娘は素晴らしいとは思うものの、比べようもないわが身の程を思うと、全て
が無駄な気がして、却って、こんな娘がいると源氏の君が自分の存在を
お知りになったことを思うにつけて、涙がこみ上げて来て、前日同様に、
全く筆を取ろうとしないのを、入道に無理にせっつかれて、十分に香を
焚きしめた紫の紙に墨付きを濃くしたり薄くしたりしながら書き紛らわせて、
「思ふらむ心のほどややよいかにまだ見ぬ人の聞きかなやまむ(私を
恋しく思ってくださるというあなた様の御心の深さは、さてどの程度なの
でございましょう。まだ逢ったこともない人が、噂だけで、悩むということ
があるのでしょうか)」
筆跡の具合や、歌の出来ばえなどは、高貴な女性にもさほど引けを取り
そうになく、貴婦人風の書きざまです。京でこうした恋文の遣り取りをして
いたことが思い出されて、楽しくお思いになりましたが、続け様に恋文を
お遣わしになるのも、人目が憚られるので、二、三日間を空けて、所在
無い夕暮れとか、或いはしみじみとした夜明け方に、それとなく紛らわせ、
その折々、相手も同じように情趣を感じるであろう頃合いを見計らって、
お手紙の遣り取りをなさると、娘はその相手として相応しいのでした。
思慮深く、気位の高い様子を知るにつけても、逢わずに終わりたくない、
とお思いになるものの、良清が嘗てまるで自分のものであるかのように
話していたのも心外であるし、長年心にかけていたであろうに、と思うと、
良清を目の前で落胆させるのも可哀想だとあれこれ思案をなさって、
女のほうから進んで仕える形を取ってくれれば、召人にして、うやむや
のうちに事を運んでしまおう、とお思いになりますが、女は女で、却って
高貴な身分の女性よりも酷く気位が高くて、いまいましく思われるような
態度なので、お互いに意地の張り合いで日が過ぎてゆきました。
京に残した紫の上のことを、こうして須磨の関を隔てて一段と遠くなって
みると、いっそう気掛かりにお思いになって、どうしたものであろうか、
冗談ではなく、心底恋しくてたまらない、こっそりとここにお呼び寄せ
しようか、と、気弱になられる折々もありますが、いくら何でも、このまま
こうして年月を重ねることにはなるまい、今更そのような人聞きの悪い
ことをするなんて、と、じっと我慢をなさっているのでした。
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