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薫、浮舟の素性を知る

2023年5月22日(月) 溝の口「湖月会」(第168回)

この辺りは雨にはなりませんでしたが、外に出るとムッとする、
まるで梅雨の頃を思わせる一日となりました。

このクラスは第2金曜日のクラスと同じ箇所を講読しますので、
今日は、宇治を訪ねた薫が、八の宮邸の寝殿を解体して、
山寺に御堂として移築する計画を阿闍梨と打ち合わせ、夜、
弁の尼と思い出話をして、ついでに浮舟の素性を聞き出す、
というところを中心に読みました。

中の君の話から、八の宮の隠し子がいることを察した薫でした
が、ここで初めて弁から詳しく素性を聞くことになります。読者
も同じです。でも、私が散々浮舟の話をしてしまっているので、
ご参加の皆さまには少しも新鮮な情報としては伝わらなかった
と思います。ネタバレを慎むべきだと改めて思いましたが、つい
喋ってしまうんですよね(^_^;)

で、今更になりますが、弁が薫に語った内容を要約して記して
おきます。

「八の宮が北の方を亡くして間もない頃、中将の君という女房
と密かに情けを交わし、その結果、女の子が生まれました。
八の宮は召人が子を産んだことを煩わしくお思いになって、
その子を認知することなく、仏道に傾倒なさるようになったので、
中将の君は八の宮邸に居辛くなり、お暇を頂いて、その後、
陸奥守の妻となりました。先年、陸奥守の任期が果てて上京
した際、姫君が成長していることを、こちらの女房に知らせて
来たようでしたが、八の宮が「決して相手にしてはならぬ」と、
厳しく禁じられたので、中将の君はがっかりしたとのことでした。
再び夫が常陸介に任命され、共に下向したので、それからは
音沙汰もなかったのですが、この春に上京して、二条院に
中の君をお訪ねした、という話はちらりと耳にしました。姫君は
今、二十歳位におなりでしょう」、というものでした。

他のクラスの記事にも書いていますが、この父親に認知して
もらえなかった、というのが、浮舟の不幸の始まりで、八の宮に
娘として認められていれば、大君や中の君と同じ立場であり、
受領の継娘などと軽く見られることはなかったはずなのです。

この場面の出だしも、「さてもののついでに、かの形代のことを
言ひ出でたまへり」(さて話のついでに、あの大君の身代わりの
ことを薫が言い出しなさいました)、とあって、薫にとって浮舟は、
所詮大君の「形代」(身代わり)でしかないことを、読者に印象
付ける書き方になっています。


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コメント

No title

認知してもらえなかったというのは、自分の存在を否定されたかのように感じられて、大変辛いでしょうね・・・・
現在ではDNA鑑定もありますが,昔は、証拠を提示するわけにもいかず,一層トラブルになりやすかったことと思います。

No title

utokyoさま

コメントを有難うございます。

認知しない、ということは、父親が我が子の人権を完全に無視していることになりますよね。生まれて来た子には何の罪もないのに可哀想過ぎます。

今なら裁判で認めてもらえると思いますが、当時は、この八の宮の取った態度を非難する人もおらず、それだけ身分差別の甚だしい時代だった、ということでしょうね。

No title

ばーばむらさき 様

八宮とはプライド高く、情の薄い人物として描かれているのでしょうか。例え召し人とはいえ、我が子を懐妊した女性をただ憎み追放するとは、信じられませんね。

やはり身分の低い女性であったことが問題だったのでしょうね。鎌倉時代中後期になると大分変ってくるようですが。

No title

keikoさま

コメントを有難うございます。

八の宮は、娘たちにも「宮家の名を汚すようなことは絶対にあってはならない」と遺言していますから、プライドは人一倍高かったと思いますが、懐妊した召人を情け容赦なく捨てても、それが問題視されることのなかった身分社会自体に、現代人は違和感を覚えますね。

物語の世界だけではなく、『枕草子』などでも、差別意識は歴然としています。火事で焼け出されて助けを求めている者が文盲であるのをいいことに、寄ってたかってからかい、笑っていますよね。

浮舟の母は、女房としてのランクは上級だったのですが、実家が落ち目になっていたのでしょう。八の宮家に出仕したのですから、所詮女房としての扱いしか受けられなかったということですね。こうした例は、現実にもあったのかもしれません。

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その名はバーバベル

 はじめまして。

 うぞうむぞうさんのブログ(百人一首の記事)でお名前を拝見し、
「『ばーばむらさき』? バーバパパの、紫色した娘さんのことかな?」
 と考えて検索窓に「ブログ ばーばむらさき」を投入。
 こちらに辿り着きました。

 プロフィールを拝見して「全然ちゃうやん!」となった顛末をお知らせしたく、コメントいたしますw


 源氏物語といえば、一番印象に残っているのが、古文の授業で浮舟の段を習っていたときに、友達と寄り道したスーパーマーケットの店先にて「霧の浮舟」と「源氏パイ」が隣り合わせに置かれているのを見つけて馬鹿笑いしたことです。

No title

あらいなかむらさま

初コメントを有難うございます。

「バーバパパ」の紫色の娘、これいいですね(´∀`*)ウフフ
ホントは「わかむらさき」って名乗りたかったのですが、さすがに「それはムリじゃろが」という声が聞こえて来て、ハイ、「ばーばむらさき」となりました。

「源氏パイ」はよく知っていますが、「霧の浮舟」ってお菓子があるのは知りませんでした。そのスーパーのお菓子売り場に『源氏物語』ファンの店員さんがいらしたとか?だと、嬉しくなりますけどね。

今、貴ブログを拝見しました。驚くほどの読書家でいらっしゃるのですね。『私本・源氏物語』や『あさきゆめみし』などもお読みになっておられるようで、これからゆっくりと読ませていただきますね。

息子さんが12歳ですか。孫と同じくらいですから、やはり私は「ばーばむらさき」です(笑)

No title

頭中将は、どんなに身分の低い女性が生んだ子供でも探してきました。近江の君の件は物語のよいスパイスになっています。玉鬘を先に発見していたら、また物語は大きく変わっていたことでしょう。頭中将なら、認知して引き取るかと。夕顔存命当時、母娘を手厚く遇さなかったのは、若さ故の思慮の足りなさでしょうか。一方、八の宮は、宮家の体面を重視したのでしょう。権力闘争に巻き込まれ、不本意な人生を送る羽目になったやるせなさもあったかと。もう、権力に執着することもないから子供なんて要らない。人から後ろ指さされるなんて真っ平という心境だったのでしょうか。頭中将だったら、喉から手が出るほど欲しかったであろう女の子に目もくれないとは。でもそれが、浮舟と、その母の不幸の端緒となってしまいました。紫上が藤壺の形代、とされるのに私は違和感を覚えます。引き取ってからすぐに、自身の魅力で源氏を惹きつけていますから。浮舟に対する「形代」の響きに哀れがつきまとうのは、実際、彼女がなかなか自身の魅了を発揮できなかったこと、つまり、大君を凌駕する「個」の輝きを有してはいなかったことにも起因しているように思います。

No title

吹木 文音さま

コメントを有難うございます。

『源氏物語』はフィクションですが、あれこれと「たら・れば」を考えてしまいますよね。玉鬘が源氏ではなく、頭中将時代の実父に引き取られていれば、どうなっていたのでしょうね。内大臣となってからでは、冷泉帝には既に正妻との間の娘、弘徽殿の女御が入内しているので、、異母姉にあたる玉鬘の処遇となると難しく、時すでに遅し、の感がありますが、秋好中宮と冷泉帝の年の差を考えれば、玉鬘よりも12歳年下の東宮への入内もありだったかしら?

つまらないことを書いてしまって、すみません。

浮舟は、大君を凌駕することは出来ない、あくまで薫にとって「形代」なのですよね。八の宮の娘として認めてもらえてさえいれば・・・また「れば」ですね(*ノωノ)

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