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第13帖「明石」の全文訳(15)

2023年7月10日(月) 溝の口「紫の会」(第69回・№1)

予定通り、今月からこの会場クラスと、オンライン2クラスは同じ箇所を
講読することになりましたので、全文訳も3回に分けて書いて行きたい
と思います。内容紹介もそれぞれの全文訳に即した箇所を取り上げる
ようにするつもりですが、これは多少のズレを生じることもあろうかと
存じます。

今日は第13帖「明石」の最後(300頁・8行目~309頁・1行目)を読み
ましたので、その前半部分(300頁・8行目~304頁・10行目)の全文訳
です。残りはオンラインクラス(7/17と7/27)の時に書きます。話の
区切れに合わせますので、長短が生じ、今回は長くなります🙇


源氏の君がご出発になる夜明けは、暗い内に浜の館をお出になって、
京からのお迎えの人々も騒がしいので、気持ちも落ち着けないけれど、
人目の無い時を見計らって、
「うち捨てて立つも悲しき浦波のなごりいかにと思ひやるかな(あなたを
この明石の浦に残して出立する私の心も悲しくてなりませんが、その後
あなたがどんなに嘆かれるかと思い遣られることですよ)」
と、源氏の君が歌を贈られると、入道の娘からのお返事は、
「年経つる苫屋も荒れて憂き波の帰るかたにや身をたぐへまし(あなた
がいらっしゃらなくなったら、長年住み慣れたこの浦の苫屋も荒れて辛い
ことでしょう。あなたのお帰りになる海に身を投げて追って行きとうござい
ます)」
と、心のうちをそのまま吐露しているのをご覧になると、源氏の君は我慢
なさいますが、ほろほろと涙がこぼれ落ちたのでした。

事情を知らない人たちは、やはりこのような田舎のお住まいではあっても、
何年と言っていい程、住み慣れなさったのだから、これが最後とお思いの
時は、悲しくもおなりになることであろうよ、などと見申し上げておりました。

良清などは、源氏の君が入道の娘を並々ならず愛しくお思いになっている
に違いなかろう、と、いまいましく思っているのでした。供人たちも、嬉しい
につけても、ほんに今日を限りにこの海辺を離れることになるのだ、など
としみじみと興を催し、それぞれに涙を流しながら詠み合った歌などもある
ようです。でもそれは書き留める必要もないことでありましょう。

入道は、今日の旅立ちのお支度を、とてもいかめしく整えて差し上げました。
家来たちの、下々の者まで、旅の装束は素晴らしいものでした。いつの間に
こんなに準備しおおせたのか、と思えました。源氏の君のご装束の見事さ
は言うまでもありません。御衣櫃を多数担がせてお供させたのでした。
きちんとした都へのお土産にすべき贈り物などは、立派に整えて、何から
何まで行き届いた入道の配慮ぶりでございました。

源氏の君が出立時にお召しになるはずの狩衣に、
「寄る波に立ちかさねたる旅衣しほどけしとや人のいとはむ(私がご用意
した旅衣は、涙に濡れているからと、あなたはお厭いでしょうか)」
と、入道の娘の歌の添えられているのが、源氏の君の目に留まり、慌ただ
しいけれど、
「かたみにぞ換ふべかりける逢ふことの日数隔てむ中の衣を(形見として
お互いに着物を取り換えておくことにしましょう。また逢う日まで多くの
日数を隔てる仲なのですから)」
と返歌を認め、源氏の君は、「心を込めて作ってくれたものだから」と言って、
お着換えになります。今まで着ておられたものを入道の娘の許にお遣わし
になりました。本当に一際娘が悲しい思慕の念を添える形見の品となった
ことでありましょう。素晴らしいお召し物に源氏の君の移り香が染みており、
どうしてこれが娘の心に深く沁みないことがありましょうか。

入道が「きっぱりと俗世を捨てた出家の身ではあるけれど、今日のお見送り
のお供が出来ないのはとても悲しい」などと申して、口をへの字に曲げて
いるのも気の毒ではありますが、若い連中は笑うに違いない様でした。
「世をうみにここらしほじむ身となりてなほこの岸をえこそ離れね(俗世が嫌
になり、長年この海辺に暮らす身となっても、やはりこの世への執着は捨て
きることが出来ません)子を思う心の闇にいっそう惑うことでしょうから、国境
までさえもお見送り出来ません」
と申し上げて、「出家の身で色めいた申しようでございますが、娘を思い出し
てくださる折がございますなら」などと、源氏の君のご意向を窺うのでした。

源氏の君はたいそうしみじみとお思いになって、所々うっすらと赤くなって
おられるお目の辺りなどが、言いようもなくお美しくお見えになります。
「見捨て難い筋合いのこともあるようですから、そのうちすぐに私のことは
見直していただけましょう。ただこの住み慣れた明石を去るのが辛くてなり
ません。どうすればよいのだろうか」と言って、源氏の君は、
「都出でし春の嘆きに劣らめや年経る浦を別れぬる秋(都を出た時のあの
春の嘆きに劣らないことだ。何年も住み慣れたこの明石の浦と別れてしまう
秋の悲しみは)」
と歌を詠み、涙をお拭いになるので、入道はいっそう正体も無く、ますます
涙にくれておりました。立ち居の動作も、あきれるほどよろよろとしているの
でした。

娘自身の気持ちは例えようもなく悲しくて、こんな様子を人には見せまいと
我慢しているけれど、自分の運の拙さが原因なので、仕方のないことでは
あるけれど、源氏が打ち捨てなさった恨みのやり場が無い上に、面影が
離れず忘れられそうにもないので、出来ることと言ったら、ただ涙に沈む
ことだけでした。

母君もそんな娘を慰めあぐねて、「あの人(夫・入道)は、どうしてこんなに
心配をし尽くさなければならないようなことを思いついたのかしら。全て、
奇人変人のあの人の言いなりになっていた私の間違いでした」と言います。
すると入道は、「お黙りなさい。源氏の君がお見捨てになろうはずもない
こともあるようだから、そうは言ってもきっとお考え下さっていることがある
はずだ。気持ちを楽にして、せめて薬湯だけでも召し上がれ。ああ縁起
でもないことを言うな」と言って、部屋の片隅に寄り掛かって座っていました。

娘の乳母や母君などは、入道の変わり者ぶりを非難し合いながら、「一日
も早く、何とか思い通の身の上にしてお世話申し上げようと、長の年月、
そればかりを期待して過ごし、今ようやく思いが叶うと、頼もしく思い申して
おりましたのに、お気の毒なご様子を、結婚早々に見ることですよ」と嘆く
のを見るにつけても、入道は娘が不憫で、いっそうぼんやりとしてしまい、
昼間は一日中寝て暮らし、夜になるとすっくと起きて、数珠もどこに行ったか
わからなくなってしまった、と言って、素手を押し合わせてこすり、ぼおーっと
空を眺めて座っておりました。家来衆にも馬鹿にされて、月夜に庭に出て
行道したものの、遣水に転げ落ちてしまいました。風流な岩の突き出た角に
腰をぶつけて怪我をし、寝込んでしまうほどになって、やっと少しその痛み
で悲しみもまぎれるのでした。


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コメント

No title

出家の身でありながら、この動揺。滑稽にすら描かれますが、何とも深い娘への愛情を思うとしみじみ致します。親のいない紫上の境遇に比して、確かに幸せな明石の娘。ましてや、源氏の唯一の娘の母となるわけですから、別離の悲しみを乗り越えた先には破格の幸せが待っている。京の都で一人寂しく留守を守っていた紫上に、ひたすら同情してしまいます。ゆきずりの女ではない源氏の扱いも、物語の構成上仕方がないとはいえ、何とも引っかかります。本気で他の女性を愛するのは、よくないです。

No title

吹雪 文音さま

コメントを有難うございます。

滑稽なまで「心の闇」に惑う入道。でもこれが、娘に限りない愛を注ぐ父親の姿として、心温まるものを感じさせますよね。何よりも娘の幸せを望む両親がいてくれる明石の上は、10歳で祖母を喪ってからは肉親の愛に恵まれなかった紫の上より幸せだったと思います。

京へ帰還して、この先は出世街道まっしぐらとなる源氏ですが、女君たちは様々な思いを抱きつつ、源氏と係わっていくことになります。特に紫の上は今20歳で、43歳で亡くなるまで、ずっと源氏と共に人生を歩むのですから、喜びも悲しみも人一倍大きかったはずです。

引き続き、よろしくお願いいたします。

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