fc2ブログ

紫の上の嫉妬の物語の始まり

2023年7月17日(月) オンライン「紫の会・月曜クラス」(第36回・通算83回・№2)

先週の月曜日に、「この夏一番の暑さ」と書きましたが、
今週はそれをさらに超えた体温以上の暑さとなりました。
明日迄この猛暑は続くようです。今日がオンラインの日で
本当に助かりました。

源氏28歳の秋、ついに京へと戻ってまいりました。紫の上
と別れてから、2年4ヶ月余り。一人京で待ち続けていた
紫の上にとっては、どんなに辛い日々だったことでしょう。
うるさいほど多かった髪が、少し落ちて細くなっているのが、
物思いに耐えてきた証でありました。

20歳になった紫の上は、大人の女性として理想的な容姿に
成長しています。源氏は、もうこれからはずっと一緒に暮ら
せる、と安心なさると、あの明石で、別れの悲しさに沈んで
いた入道の娘のことが、痛々しく心に浮かぶのでした。

「なほ世とともに、かかるかたにて御心の暇ぞなきや」
(やはりいつになっても、こうした恋の道で、お心の休まる
時はないのでしょうか)と、作者も草子地で、源氏を批判
しています。

「おぼし出でたる御けしき浅からず見ゆるを」(源氏が入道
の娘を思い出されているご様子が並々ではなく見えるのを)、
紫の上は「ただならずや見たてまつりたまふらむ」(穏やか
ならぬ思いでご覧になるのであろうか)、「身をば思はず」と、
ちらりと嫌味を言われるのでした。

「身をば思はず」は、「百人一首」にも採られている右近の
「忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな」
(あなたに忘れられた私はどうなっても構わないけど、「君の
ことは生涯愛し続けるよ」と、神仏にかけて誓ったあなたの
命が心配でならないわ)を引き歌としており、紫の上に愛を
誓った(この気持ちに嘘偽りはありませんが)源氏への皮肉、
入道の娘への嫉妬が見え隠れしている一言です。

紫の上は嫉妬もします。ここでも源氏が「をかしうらうたく」
(面白く可愛い)と感じているように、とても程よい嫉妬なの
です。嫉妬は愛情の裏返しでもあります。「雨夜の品定め」
で左馬頭の語った「指食いの女」(嫉妬のあまり男の指に
嚙みついた女)のような激しい嫉妬は論外ですが、全く嫉妬
しないというのも、男にとっては張り合いが無くなるのでしょう。

ここから始まる紫の上の嫉妬の物語も、今後注目してまいり
ましょう。

この場面を含む、京に帰還した当座の源氏の詳しい様子は、
先に書きました「明石の全文訳(16)」をご覧いただければ、
と存じます(⇒こちらから)。


スポンサーサイト



コメント

No title

ばーばむらさき 様

理想的な女性像として描かれている紫の上が、今後どのように自身の心(嫉妬心)を治めていくのか、正しく読み取っていければと思います。

「身をば思はず」とは右近の和歌そ引いているのですね。納得です。(笑)

No title

keikoさま

コメントを有難うございます。

嫉妬の塊のようでは困りますが、全く嫉妬しないというのも、味気なく、作者は紫の上を嫉妬する女性として描くことで、人間性に幅を持たせるのに成功していると思います。

26例も引かれている兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」をはじめとして、当時の人々には共通の和歌の認識があって、「心の闇」、「身をば思はず」などと言うことで、それが何を意味するかすぐに理解できていたのですよね。日常的に和歌と接していた時代ですから、咄嗟に引き歌の意味を解することも、特別なことではなかったのしょうね。

今日も猛暑日、どうぞご自愛下さいませ。

No title

いよいよ紫上の嫉妬の物語の始まりですね。玉の疵、理想の女性がきらりとした個性を発揮する重要なモチーフです。主人公光源氏に対する、ヒロイン・紫上の人間性を「嫉妬」を鍵として描いた作者の真意は興味深いです。当時の結婚生活の形態からしても、嫉妬という感情は重いものだったのでしょう。多くの種を残すことが求められた、帝や貴族の子弟を囲む女性たちには逃れられない宿世の苦しみだったに違いありません。だからこそ、その、ごく自然な感情をどう処したかに、人間性が溢れ出るのかも知れません。単なるやきもちではなく、紫上の立ち位置や、抱え続けた存在不安までもあぶり出す彼女の嫉妬には真剣に向き合いたいと思います。それにしても、自分の感情を的確に表す古歌をすっと引くあたりに紫上の成長が感じられて眩しいです。北山で印象深く登場した美少女も、いよいよ女になったのですね。行く末を知る者には哀しくもあります。哀しみを超えた存在意義を見出したくもあります。

No title

吹木 文音さま

コメントを有難うございます。

嫉妬は人間としてごく自然な感情であり、おっしゃるように、高貴な男性には妻や愛人が大勢いて当たり前だった時代において、その感情をどのように表出するかは、女性たちにとっての課題の一つだったかと思われます。

紫の上という理想の女性の唯一の欠点として「嫉妬」を描くことにより、作者は嫉妬という感情の表出の仕方を、読者たちに伝えようとしたのかもしれませんね。

また、紫の上でも嫉妬はする、ということで、「嫉妬」そのものが、けっして否定的な感情なのではなく、恥じるものでもない、「指食いの女」のようになってはいけないけれど、適度な嫉妬は許される(むしろしたほうがよい)という作者からのメッセージなのかもしれません。

末摘花の見舞いだと言って、朧月夜に逢いに行こうとする源氏に、紫の上が見え透いた嘘だとわかっても、以前のような嫉妬心が湧いてこないというところなど、紫の上の気持ちの変化と嫉妬の感情の在り方に、注目すべきだとも思います。

猛暑日の復活ですね。どうぞ熱中症に気を付けてお過ごしくださいませ。

コメントの投稿

訪問者カウンター