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文面と口上に分けた薫の意図

2023年9月20日(水) 湘南台「源氏物語を読む会」(第246回)

昨日の新聞に、9月18日迄で、最高気温が30℃以上になった
日数は86日と記されていました。昨日も今日も30℃を超えた
ので、これで88日。明日もまだ思ったほど気温は下がらず、
30℃を超えそうです。1年のうちの約1/4を、30℃以上の暑さ
の中で過ごしたことなど、これまでには無かったはずです。
もし、来夏以降もこの状況が続くとしたら、耐えられるかな?
今年だけの異常な暑さ、と思いたいですね。

このクラスが講読中の第52帖「蜻蛉」、今日で前半を読み終え
ました。

浮舟の死の真相を知った薫は、京に戻ると、浮舟の母君に
弔問の使者を遣わします。使者に持たせた手紙には、真っ先
にお見舞いを申さねば、と思いながらも、浮舟の死に動揺して
遅くなってしまった事を詫び、このような無常な世ながら、生き
永らえていたら、「過ぎにし名残」(亡き浮舟の形見)と思って、
何かの折には、きっと私にお便りを下さい、と認めてありました。

さらに薫は、使者に口上で、「浮舟を宇治に置いたままだった
ことに、私の誠意が感じられなかったかもしれないが、今後も
浮舟を忘れることはないし、あなたも私を内々に忘れず頼って
くだされば、お子様方が朝廷に出仕なさるような時にも、必ず
力になりましょう」、と伝えさせたのでした。

薫が、後半部分を文面にしなかったのは、おそらく、後々、
手紙を証拠として突きつけ、見当違いな要求などをされては
困る、という思いがあったのでしょうが、その判断が誤って
いなかったことは、このあとの母君の行動からわかります。

母君は、薫からの使者を、「たいした穢れには触れていないの
だから」と、強引に家の中に入れ、帰り際には禄として、派手な
斑犀の帯(犀の角を加工して飾りにした石帯)などを与えました。
今なら、ブランド品のベルトを贈るようなもので、薫が「忍びて」
遣わしていることへの配慮に欠け、薫も「余計なことを」と思って
います。

薫は、浮舟を早くに京へ引き取っていれば死なせずに済んだ、
という自責の念から、こうした一族支援の申し出までしているの
ですが、母君は単純に喜び、夫の常陸介にも、初めて浮舟の
これまでのことを語り、浮舟が生きていれば、いっそう恩恵に
与ったであろう、と残念に思い、泣いているのです。

作者も、「実際に浮舟が生きていたら、薫がこの一族に関わる
ことも無いでしょうにね」と、草子地で、自分たちの立場の理解
できていないことを批判しています。

薫の慎重さに納得しながらも、同時に、物事をどうしても自分の
価値観で判断してしまう人間の一面を、浮舟の母君の言動が
映し出している気もいたしますね。


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コメント

No title

ばーばむらさき 様

いつまでも暑い日が続いて不安を覚えますね。こちらは、昨夜の大雨で気温が下がり、久しぶりに空調をオンにしないで居られる朝を迎えました。
でも、今日も最高気温は31度予報です。明日からの30度切りを期待したいところです。

本日の場面から浮舟の母がどのような女性であったかが分かりますね。
源氏の異母弟「八宮」がこの女性に対して随分な扱いだと思ったのですが、
宮にはそれなりの思いがあったからなのか、少し納得できる気がいたしました。

それとも生活環境で人も変わっていくのでしょうかね。

No title

雅忠女さま

コメントを有難うございます。

この辺りは、昨日は結局雨が降らず、暑いまま夜を迎えましたが、今日は雨となって、急に涼しさが感じられるようになりました。本当にこのまま落ち着いて欲しいですね。

浮舟の母の中将の君が、どことなくせっかちで、自分勝手のところのあるのは、もちろん生来の性格もあるでしょうが、プライドの高い八の宮に、召人である自分の産んだ娘を認知してもらえず、陸奥や常陸といった都から遠く離れた地で受領の妻として暮らすうちに、京の上流貴族たちとは、生活感覚上のずれが生じたことも十分に考えられましょう。

このような母親でも、浮舟にとっては最愛の母で、浮舟が死を前にして、誰よりも会いたいと思ったのは母でしたし、中将の君が浮舟に注ぐ愛にも、空回りをしている部分もありますが、並々ならぬものが感じられます。

中将の君も、浮舟を産んで、八の宮家に居られなくなった時のことを思うと、気の毒な気がしますね。

No title

「自分の常識は他人の非常識」の可能性もあることは、頭では理解していても、なかなかうまくいかないですね(^_^;)
親子でも性格は違いますが、血のつながりというのは、やはり大きいですね。

No title

utokyoさま

いつもコメントを有難うございます。

「自分の常識は他人の非常識」、この場面は本当にそれを教えてくれていますね。当時は格差社会でしたから、上流貴族と中流貴族、それも京と地方となると、生活感覚なども、随分違っていたことが考えられます。

それでも母娘の絆、情愛の深さというものには、変わらぬものがあるのを伝えてもいますね。


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