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偶然の重なり

2024年4月1日(月) 溝の口「湖月会」(第178回)

元日の大地震からちょうど3ヶ月。被災地の能登でも
桜が開花した、と、テレビのニュースで報じていました。
まだ8,000人余りの方々が、避難所生活を送っておられ
るとのこと。一日も早く、落ち着いた暮らしを取り戻して
いただきたいと願っております。

このクラスは第4月曜日が例会日ですが、私の都合で
1週後ろへずらしていただき、本日が3月分の講読会と
なりました。

第50帖「東屋」の後半に入りましたが、ここで、浮舟の
運命に関わってくる出来事が起こります。

浮舟が二条院に滞在していることは、ごく一部の中の君
付きの女房が知っているだけで、勿論匂宮は知る由も
ありませんでしたが、偶然の重なりで、二人は出会うこと
になってしまいました。

どんな偶然の重なりだったかというと、

①浮舟の母・中将の君が、浮舟を一人二条院に残して
常陸介の邸に帰ってしまった。

②匂宮の許に大勢の上達部が訪れて、寝殿で遊びに
興じておられたので、こうした時は、匂宮は日が暮れて
から西の対にお出でになるのが常となっており、女房たち
も安心して各自の局で休んでいた。

③匂宮が西の対にいらした時に、中の君は洗髪中で、
御座所におられなかった。

④中の君が不在でも、若君が起きていれば、匂宮はその
相手をしながら、中の君が戻って来るのを待っておられた
はずなのに、あいにく若君はお昼寝中だった。

⑤手持無沙汰の匂宮が、その辺りをうろついておられると、
西廂のほうに、見慣れぬ女童(浮舟付き)が見えたので、
匂宮が西廂の中を覗かれた。

⑥襖が少し空いており、屏風が1枚畳まれているところから、
几帳も1枚帷が横木に掛かっていて、女性の装束の襲の
色目が見えた。

それで好色癖のある匂宮は、この女(浮舟)に近づくことに
なったのです。

この偶然の重なりが一つでも欠けていたら、匂宮が浮舟を
見つけ出すことなどなかったはず。現実においても、こうした
偶然の重なりで、想定外の出来事が生じるのはよくあること
だと思います。ここでの設定があまりにも巧妙なので、所詮
フィクションだと分かっていても、つい「たら・れば」の世界に
のめり込んでしまうのですよね。


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コメント

No title

ばーばむさきさま、こんにちは。

今日は曇天、例年なら花曇りなどと称されるのでしょうが、そんな気分ではないのは何故でしょう。今朝、沖縄方面で地震もありましたし。

浮舟の運命の偶然の重なり、「たら・れば」、大変面白かったです。そこまで覚えていませんでしたので、改めてなるほどなぁと思いました。

「源氏」と離れて、ぐっと下世話になりますが、先の骨折の折、私の頭の中にも「たら・れば」が渦巻きました。あの時階段脇の花の乱れに目をとめなければ、自転車の生協の荷物をさっさとかたずけていれば、もう少し立ち話でもしていれば、足が滑って体が浮いたときあの木につかまって(そんな運動神経ないのに)いれば、などもうどうしようもない「たら・れば」が次々頭に浮かんできてとても苦しかった。でも、手術の朝、コロナの院内感染が判明、6日間はこのまま待機、と言われたとき「えーっ!」と思うとともに、自分ではどうしようもないことが起きるのだ、起きてしまったことは変えようがないのだ、と気付いたのでした。それからは前ばかり向いて現在に至っております。

浮舟の知らないところで回り出す、運命の歯車。起きてしまったことは変えられないけれど、これからのことは自分で変えられると気付くまで、苦しいことが続きますね。

地震は台湾が大変のようですね。こちら、雨が降り始めました。気温も下がってきたようです。ご自愛くださいませ。

No title

萩原さま

コメントを有難うございます。

今年の桜の開花はもっと早い予想でしたが、3月の後半寒い日が多くて、遅れましたね。しかも、以前のように、ゆっくりと桜前線が北上することなく、北も南も一斉に咲く感じなのですよね。

思いも寄らない骨折などなさって、「たら・れば」が頭を渦巻いた、とおっしゃるのは、至極当然だと思います。でも、そこから切り替えて前向きになられ、全快なさったのは素晴らしいことですね、リハビリにも頑張られた結果だと思います👏

運命に翻弄される浮舟、これからが「宇治十帖」一番の読みどころとなってまいります。

頻発する地震、乱高下する気温。体調管理も大変ですが、前を向いて頑張らねば、ですね。

どうぞご自愛下さいませ。

No title

「源氏物語」最後に登場するヒロイン・浮舟と匂宮との出会いのシーンには、巧妙な仕掛けがいっぱいです。大君の形代を求めて、自らさまざま画策した薫とは対照的とも言えます。
「たら・れば」・・・思わずにはいられない、偶然に満ちた毎日を、何とか乗り越え生きてゆかなければいけない反面、意思で以て切り拓いて進まねばならない局面も同時に存在する、という人生の真理を、作者は静かに彫り上げていると思います。
流れに翻弄されつつ、時には流れを見定めなければならない難しさ。
「浮舟」という名は、後の愛読者がこの女君につけたものですが、ここにも、「源氏物語」に千年あまりの命を与えてきた人々の思いの尊さを感じます。
物語は、作者だけが生み出すものではない。作者を認め、一緒になって読み、考え、伝承してきた人々の存在意義についても深く考えました。
今後の展開が、ますます楽しみです。

No title

吹木 文音 さま

コメントを有難うございます。

「偶然に満ちた毎日を、何とか乗り越え生きてゆかなければいけない反面、意思で以て切り拓いて進まねばならない局面も同時に存在する、という人生の真理を、作者は静かに彫り上げていると思います」←ホント、そうですよね。昨日の講読会の折にも「近代小説みたい」とおっしゃった方がありましたが、「宇治十帖」(特に「東屋」の後半から「浮舟」にかけて)は「近代小説」に近いものを感じますね。

登場人物の通称の多くは、後世の読者が名付けたものですが、「浮舟」ほど相応しい呼び名は無い気がしますね。寄る辺なく水面を漂う小舟、浮舟そのものですよね。

「宇治十帖」も佳境に入ってまいりました。引き続きよろしくお願いいたします。

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