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清少納言の執筆姿勢

2017年1月20日(金) 溝の口「枕草子」(第4回)

今日は大寒。その暦通りの極寒の一日となりましたが、
心配していた雨にも雪にも降られることなく、携帯していた
傘の出番もないまま帰宅しました。

「枕草子」も4回目となり、皆さまもだんだん「清少納言ワールド」
に慣れてこられたのではないでしょうか。

今回は第5段「大進生昌が家に」の途中から、第6段「上にさぶらふ
御猫は」、第7段「正月一日、三月三日は」までを読みました。

第5段は、中宮定子が出産に備え、大進(中宮職の次官)である
生昌の邸にお移りになった時の話です。

生昌は、清少納言に「門」のことでやり込められ、夜、彼女の
寝所にやって来て、また、散々笑い者にされました。その後も
言葉の訛りを笑われ、兄の自慢をしては笑われ、ぶざまな事
この上ない生昌ですが、それをおおらかに優しく取りなす中宮さま
の姿を「いとめでたし」(たいそうご立派でいらっしゃいました)と
称賛して、作者はこの段を閉じています。

実はこの話の三年前、長徳2年(996年)10月に、中宮らの母・貴子が
危篤に陥り、兄の伊周にしきりに会いたがったため、伊周は仮の配所
であった播磨を抜け出し、中宮御所に潜伏していたのを、道長に密告
したのが生昌でした。それによって、伊周は母の死に目にも会えず、
大宰府に護送されました。ですから、清少納言たちにとって、生昌は
許し難い人物だったのでしょう。、むろん中宮さまとて同じ気持ちだった
でしょうが、父を失い、実家も焼失、兄弟も罪人となったこの時の定子には、
生昌を頼るしかなかったのです。

しかし、清少納言は「枕草子」で、そうした中宮さまの不幸な境遇には
一切触れていません。それが彼女の一貫した執筆姿勢であり、
「中の関白家」、とりわけ中宮定子を敬愛して止まなかった清少納言の
意地の見せ所だった気がいたします。

第5段も、田舎者の無粋な生昌を、清少納言が、からかい、いたぶって
面白がっているかのように見えますが、こうした歴史的背景を踏まえて
読むと、印象はまた違ったものになるのではないかと思います。


「枕草子」の講読会の後、有志の方々とご一緒に只今「出光美術館」
で開催中の「岩佐又兵衛と源氏絵」を見に行きました。

混雑もなく、ゆっくりと一つ一つの絵を鑑賞して、ちょうど良い時間(18時)
から始まった学芸員の方による作品解説を聴くことが出来ました。

岩佐又兵衛の絵は数ある「源氏絵」の中でも、独特の画風で目が引かれる
のですが、学芸員の方の「又兵衛は、源氏物語を700年前の世界の作品と
して捉えず、その時代に引きずり降ろして描いたことによって、それまでの
源氏絵とは一線を画したものを生み出した」という説明を伺い、とても納得
できました。

源氏物語ファンなら必見のこの展覧会、会期は2月5日迄です。


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