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ずうーっとこのままであってほしかったけど・・・

2017年2月17日(金) 溝の口「枕草子」(第5回)

朝から気温はグングン上がり、風はビュンビュン吹きまくり・・・。
はい、それで「春一番」となりました。判断を誤ってダウンのコートを
着て出かけてしまった私は、帰りの電車ではコートを脱いで抱えて
いました。でも、明日はまた寒さが戻って来るようで、4月中旬の
気温から冬至の頃の気温に、たった一日で変化するとのこと。
体調を崩さないよう、皆さまもお気をつけください。

今回の「枕草子」は、第8段から第20段の前半までを読みました。

第20段は、清少納言が中宮定子のもとに出仕してまだ数ヶ月しか
経っていない正暦5年(994年)のうららかな春の一日を、後に回想
して書いた、かなり長い段です。

中宮さまのお部屋は登花殿ですが、清涼殿に上られた時の控室と
して「弘徽殿の上御局」が与えられておりました。折から花盛りの
桜を挿した大きな青磁の瓶が、高欄の外にまで花が咲きこぼれる
ようにして置かれている、そんなのどかなお昼頃に、格好良く、
直衣の下から衵をシャツアウトした中宮さまの兄・大納言伊周が
訪ねて来られます。一条天皇もこちらにお出でになっていたので、
大納言は遠慮して、簀子(縁側)で控えています。

天皇さまがお食事のために立たれた後、「月も日もかはりゆけども
ひさにふる三室の山の」(たとえ月や日が変わることがあったとしても、
いつまでも変わらない三室の山の)という古歌を、大納言がゆったりと
口ずさみなさった時は、本当に「千年もあらまほしき御ありさまなるや」
(今日のタイトルです・・・ずうーっとこのまま変わらないでほしいこの場の
ご様子でしたよ)、と作者は回想しています。

一条天皇も、御膳を下げるための配膳係が呼ばれるか呼ばれないかの
うちに、もうこちらに戻って来られます。そこで、中宮さまは、女房たちに
覚えている古歌を一首ずつ書くようにお命じになります。皆が四苦八苦
している中で、清少納言は「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし
見れば物思ひもなし」(年が経ち、私も年老いました。でも、桜の花さえ
見れば何の物思いもありません)の、「花をし見れば」を「君をし見れば」
(中宮さまさえ見れば何の物思いもありません)と書き換えてご覧に入れた
のでした。中宮さまから「こんな気の利いたのが見たかったのよ」と褒められ、
「いえいえ、これは若い人では無理な、亀の甲より年の劫でして」と照れながら
も、早くも中宮さまとの呼吸がピタリと合った嬉しさを隠し切れない作者でした。
今なら「ヤッター」とVサインを出したところでしょう。

時に、清少納言29歳位。中宮定子18歳、大納言伊周21歳、一条天皇15歳。

この僅か1年余りの後、定子らの父・関白道隆が亡くなり、中の関白家が
没落の一途を辿る運命にあろうとは、この幸せを絵に描いたような場に
居合わせた誰もが想像だにしなかったに違いありません。

続きは次回となります。


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