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今月の光琳かるた

2017年8月5日(土)

六月の小野篁の歌と同じ「わたの原」で始まるのが、この歌です。
孫が「わたの原」続きで覚えたというので、下の句に描かれた絵も
海の青が季節にマッチしていますし、今月の歌に選びました。

「わたの原漕ぎ出でてみればひさかたの雲居にまがふ沖つ白波」
              七十六番 法性寺入道前関白太政大臣
    DSCF3047.jpg
(大海原に船を漕ぎ出してみると、空の雲と見間違えるかのような
沖の白波であることよ)

この歌は、もちろん篁の歌を意識して詠まれていると思われますが、
篁のような歴史的背景を持つわけでもなく、大海原の雄大な眺望を
叙景歌として詠み上げたものです。

作者は、「法性寺入道前関白太政大臣」と、「百人一首」中、最も長い
名称ですが、本名は「藤原忠通」といい、世が貴族社会から武家社会
へと向かおうとしている時代の転換期に「関白太政大臣」の位にあった
人で、晩年、法性寺で出家したので、このように呼ばれています。

因みに、「忠通」という名の名付け親は、2015年3月30日の記事で
ご紹介した、大江匡房(七十三番の歌の作者)です。

「詞花和歌集」の詞書には、「新院位におはしましし時、海上ノ眺望と
いふことをよませ給ひけるによめる」とあります。新院とは崇徳院の
ことで、この歌が詠まれた時はまだ天皇の位でいらして、のちに
「保元の乱」で敵味方となり、勝者(忠通)と敗者(崇徳院)となろうとは、
互いに思ってもいなかったであろう頃の作品です。

「保元の乱」は、天皇家と藤原氏が、共に骨肉の争いをしたことで
知られていますが、忠通は弟・頼長に勝って、氏長者の地位を
奪還しました。その際に、前の氏長者である頼長が罪人で、かつ
死亡していることを理由として、天皇の名において任命が行われ、
これまで続いてきた藤原氏による自律性は消失してしまいました。

やがて政治の中心は武家へと移り、藤原氏は嘗ての輝きを失った
ものの、忠通の直系子孫だけは、五摂家として、明治維新まで、
ほぼ摂政・関白職を独占し続けたのです。
   

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コメント

No title

ば~ばむらさきさま。お久しぶりでございます。古典の講義はもちろんのこと、気象報告やバレエについてまでのお話、楽しく拝見しました。私もプリセツカヤの「瀕死の白鳥」をみたことがあります。そのころはあまり分からなかったのですが、友人がバレエを習い始めて、何度も発表会をみるうちに、ポーズをとっただけで人によってこうも違うのかと感じるようになりました。それにしてもバレエで足首が見えないのは残念! でも、その後が素晴らしくて良かったです。伊勢・竹取を終えて、今「大和物語」。昔、手に取ったら絶対何ページかでポイっだったと思うのですが、へぇとかふ~んと思いながら読み進んでいます。

Re: No title

萩原さま

台風の後は猛暑となりましたが、お障りなくお過ごしのご様子、嬉しくコメントを拝見いたしました。

今日はバレエ映画を見て参りましたので、先程ブログを更新しました。

「伊勢物語」「竹取物語」から、「大和物語」へと読み進められたとのこと。本当にすごいスピードと読解力に感服です。「大和物語」は、同じ歌物語と言っても、「伊勢物語」とは趣の異なる「歌説話」のようなものですから、私など、興味のある所を拾い読みして、今は必要になった時(参考資料としてご紹介したい時など)、その話だけをまた取り出して読んでいるというような「ズボラ読み」で、お恥ずかしいです。

また新たな作品にチャレンジなさって、感想などをお聞かせくださいませ。楽しみに待っております。

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