fc2ブログ

第四帖「夕顔」の全文訳(6)

2017年8月24日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第17回・№1)

本日講読しました第四帖「夕顔」(140頁・6行目~149頁・14行目)の
後半部分(145頁・2行目~149頁・14行目まで)の全文訳です。
前半は8/14(月)の全文訳をご覧ください。 
(頁・行数は、「新潮日本古典集成本」による)

牛車を邸内に引き入れさせて、西の対に御座所が用意されるまで、
高欄に轅を引きかけて停車しておられます。右近は、華やいだ
気分になって、これまでのことなどを一人で思い出しておりました。
管理人が懸命にお世話に走り回っている様子から、この君が
源氏の君であることをはっきりと理解したのでした。

物が薄ぼんやりと見える頃に、牛車からお降りになったようで
ございました。間に合わせですが、こざっぱりと室内は整えて
あります。「お供に誰もお仕えしていないのですね。不都合な
ことでございますなぁ」と言う管理人は、親しい下家司として、
二条院にもお仕えしている者でしたから、近くに寄って来て、
「しかるべき人をお呼びいたしましょうか」など、右近を介して
申し上げさせますが、「わざと人が来るはずもない隠れ家を
求めてやって来たのだ。絶対に口外するのではないよ」と、
口止めをさせなさいます。御粥などを差し上げましたが、
お運びする給仕も人数が揃いません。源氏の君もまだ経験を
したことのないご外泊なので、「息長川」の歌のように、ただもう
変わらぬ愛を誓い続けていらっしゃるばかりでした。

日が高くなる頃にお起きになって、格子も源氏の君ご自身で
お上げになります。お庭はたいそう荒れ果てていて、人影もなく
遥々と見渡されて、木立がひどく気味悪げに古びております。
植え込みの草木などは、特に見所もなく、一面秋の野原と
なっていて、池も水草で埋もれているので、とても恐ろしそうな
感じになってしまっているところでございましたよ。別棟のほうに
部屋などを作って、人が住んでいるようですが、こちらとは離れて
おりました。「恐ろしくもなってしまったところだなぁ。とは言っても
鬼なども、私のことなら見逃してくれるだろう」とおっしゃいます。

源氏の君はまだ覆面で顔をお隠しになっていましたが、夕顔が
たいそう薄情だと思っているので、確かにこんなに親しい仲に
なってまだ隠し立てしているのも、今の二人にはそぐわない
ことだな、と、お思いになって、

「夕露に紐とく花は玉鉾のたよりに見えしえにこそありけれ
(夕べの露によって開く花のように、紐を解いて顔をお見せする
のは、通りすがりに道で出会ったご縁があったからなのですね)
露の光はいかがですか」

とおっしゃると、夕顔は流し目でこちらを見て、

「光ありと見し夕顔のうは露はたそかれどきのそら目なりけり」
(光輝いていると見えた夕顔の花の上に置いた露は、黄昏時の
見間違いでございました)

と、かすかな声で言います。源氏の君は、このような歌でも面白いと、
殊更にお思いになります。如何にも打ち解けておられる源氏の君の
ご様子は、世にまたとなく、場所が場所だけに、ますます不吉な程に
お見えになります。「いつまでも隠し立てをなさっているのが恨めしくて、
顔はお見せすまいと思っておりましたのに。今からでも名乗ってください。
このままではとても気味悪いよ」と源氏の君はおっしゃいますが、夕顔は
「海人の子ですから」と答えて、やはり明かそうとしないところは、とても
甘えております。「よかろう、これも自分のせいなのだろう」と、恨んだり、
また仲睦まじく話し合ったりして一日をお過ごしになるのでした。

惟光がここを探し当てて、おやつなどを差し入れいたしました。右近が
「やっぱり手引きしたのはあなただったのね」と言って責めるのが、
さすがに辛いので、源氏の君のお側にも近寄れません。こんな道行
までなさるご執心ぶりが面白くもあり、源氏の君をここまで夢中に
させるからにはいい女に違いない、と推測されるにつけても、
自分のものにしようと思えば出来たのに、主君に譲り申し上げて、
我ながら心の広いことだなぁ、などと、不届きなことを考えておりました。

たとえようもない程静かな夕方の空を眺めなさって、奥のほうは暗くて
気味が悪いと夕顔が思っているので、簀子との境の御簾を上げて
添い臥しておられます。夕映えの中でお互いの顔を見交わして、
夕顔も、このようなことになったのが思い掛けなく妙な気分では
ありながら、すべての嘆きを忘れて、少し打ち解けて行く様子が、
大層可愛らしいのでした。夕顔はずっと源氏の君のお側に寄り添って
過ごし、何かをとても怖がっている様子が、あどけなくていじらしく
感じられました。

格子をすぐに下ろされて、灯りを点けさせて、「すっかり深い仲に
なりながら、相変わらず心の中に隠し隔てをするお気持ちを残して
おられるのが情けない」と、源氏の君は夕顔をお恨みになります。

宮中では帝が自分をどんなにお捜しになっていることだろうに、
お使いはどこを捜しているのだろう、と源氏の君は想像なさり、
一方では、こんな女にここまで心を奪われるとは、我ながら、
おかしなことだ、六条のお方も、どんなにか思い乱れていらっしゃる
であろう、あのお方に恨まれるとなると、辛くもあり、無理もないことだ
と、お気の毒だと思われる点では、まず思い出しておられました。

無邪気におっとりと目の前に座っている女を、ああいいなぁ、と
お思いになるにつけ、余りにも思慮深く、見ているこちらまで
息苦しくなってしまうような六条の女君のご様子を、少し取り去って
しまいたいものだ、と、ついつい心の中で夕顔とお比べになって
しまわれるのでした。

宵を過ぎた頃、源氏の君が少しウトウトとなさると、枕元にたいそう
美しい女が座っていて、「私がとてもあなたのことを素晴らしいお方と
お慕いしておりますのに、訪ねて下さろうともなさらず、こんなたいした
こともない女を、連れ出されてご寵愛なさっておいでなのが、たまらなく
心外で辛うございます」と言って、この源氏の君の横に寝ている女を
引き起こそうとしている、とご覧になりました。何かに襲われるような
気がして、ハッとお目ざめになりますと、灯りも消えておりました。

ぞっとなさって太刀を抜いて枕元にお置きになり、右近を起こされ
ました。右近もまた恐ろしいと思っている様子で、傍へ寄って参り
ました。「渡殿で寝ている男を起こして、紙燭を点けて来るように、
と言ってこい」とおっしゃると、右近が「そんな、とても無理ですわ。
暗くって」と言うので、「あーあ、子供っぽい!」と、源氏の君は
お笑いになって、手を叩いて呼ぼうとなさると、その音のこだま
するのが、たいそう気味が悪うございました。誰も聞きつけず、
参上しない上に、夕顔はひどく震えおびえて、どうしようもない
様子です。汗もびっしょりになって、正気を失っているかのようです。
「とっても怖がりなご性分でいらっしゃるので、どんなに恐ろしいと
お思いのことか」と、右近も申し上げます。とてもか弱くて、昼間も
空ばかりを見ていたものだ、可哀想に、と、源氏の君はお思いに
なって、「私が人を起こしてこよう。手を叩くと、こだまするのが、
すごくうるさい。おまえはここで、しばらくご主人様の傍にいなさい」
と言って、右近を引き寄せなさって、西の妻戸の所へ出て、戸を
押し開けなさいますと、渡殿の明かりも消えてしまっておりました。


スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

訪問者カウンター