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いはで思ふぞ

2019年2月15日(金) 溝の口「枕草子」(第29回)

今回で、テキスト(新潮日本古典集成本)の上巻を読み終えました。
次回からは、いよいよ溝の口の「枕草子」も後半(下巻)に入ります。

上巻の最後の135段と136段、どちらもご紹介しておきたい段なのです
が、やはり「いはで思ふぞ」を外すわけにはまいりませんので、136段
のほうを書くことにいたします。

長徳元年(995年)の4月に中宮定子の父・関白道隆が亡くなって、定子
を取り巻く状況は一変しました。兄・伊周は道長との政争に敗れ、挙句に
翌長徳2年の1月に、弟の隆家と花山院奉射事件を起こし、罪人となって
しまったのです。5月に定子は自らの手で落飾。追い打ちをかけるかの
ように、6月には滞在していた実家の二条宮が焼失し、定子は叔父の
高階明順の邸に身を寄せました。その頃(長徳2年の初秋)の出来事を
書いたのがこの136段です。

伊周と隆家が二条宮に潜伏中に追捕されたことで、道長方に通じている
者が居る、という噂が立ち始め、清少納言に猜疑の目が向けられるように
なりました。

女房仲間が集まって話をしているところに清少納言が顔を出すと、途端に
話すのを止めてしまったり、自分がシカトされているのがたまらなくなって、
清少納言は実家に引きこもってしまったのでした。

中宮さまから再三再四帰って来るように、との仰せ言があっても、いじけて
いた清少納言でしたが、引きこもりも3ヶ月を過ぎた頃、中宮さまからの
お手紙を下女が届けて来ました。

紙には何も書かれておらず、ただ山吹の花びら一枚だけが包まれていて、
それに「いはで思ふぞ」と書かれていたのです。

「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされる」(心の中には
水が湧くばかりあなたへの思いに溢れております。口に出さない思いの方が、
口に出して言うよりもずっと強いものなのですよ)を引いておられることは
一目瞭然で、さすが清少納言も意地を張っていることが出来ず、間もなく
中宮さまのもとに参上しました。

面白いのは、この歌は誰もが知っている古歌なのに、清少納言は上の句が
その場で思い出せず、向かいに座っていた女の子に教えられた、という
エピソードです。近年、私はこの時の清少納言のようなことばっかりで(*ノωノ)、
危ない領域に入っているんじゃないか、と思うことがしばしばなのですが、
清少納言でもそんなことがあるんなら仕方ないな、と、ここを読むと妙に安心
してしまいます。

中宮さまを褒め称えるのはいつものことだから、と思いがちですが、最初に
書いたように、この頃の中宮定子の置かれた立場を考えると、ご自身が
不遇であろうと、女房清少納言への思いやりを常に持ち続けておられた姿が
浮き彫りになって来ます。悲嘆の中にあっても変らない中宮さまと清少納言の
信頼の絆が感じられ、「枕草子」は敬愛する中宮定子へのオマージュ、との
印象を強くする段だと、私は思っております。


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