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今月の光琳かるた

2019年7月15日(月) 

もう7月も半ばとなりましたが、まだ梅雨寒が続いているので、
何かそういうのに関連した歌があればいいのに、と思いながら
探してみても、「百人一首」には「五月雨」(今の梅雨)を詠んだ
歌もないし、仕方なく、水に濡れているものならそれらしい感じ
がするかな、と、選んだのがこの歌です。

「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の人こそ知らねかわく間もなし」
                     九十二番・二条院讃岐
   DSCF4057.jpg
  (私の袖は引き潮になっても見えない沖の石のようなもので、
  あの人は知らないけれど、涙に濡れて乾く間もありません)

作者の二条院讃岐は、二条天皇に仕えた宮廷女房で、父は武将と
しても歌人としても有名な源頼政です。頼政は、保元の乱、平治の乱
では勝者の側に属し、平清盛から信頼され、晩年には武士としては
破格の従三位に昇り、公卿に列した人です。しかし、平氏の専横に
不満が高まる中で、後白河天皇の皇子である以仁王と結んで平氏
打倒の挙兵を計画して失敗、息子・仲綱(讃岐の同母兄)と共に、
敗死しました。讃岐はそうした身内の不幸も、平家の栄華と滅亡も、
つぶさに見聞しつつ、この激動の時代を歌人として生き抜きました。

この歌は、詠まれた当初より、歌の巧みさと着想の斬新さが評判を
取り、彼女は「沖の石の讃岐」と呼ばれていた、と言われています。
「石に寄する恋といへる心をよめる」と詞書にありますが、「寄石恋」
とは風変わりな歌題です。「石」と「恋」をどのように結びつけるのか、
凡人にはなかなか難しいことで、「あなたを思う気持ちは石のように
固く変わらない」とか、「石が苔むすまであなたと共に生きたい」とか、
ありきたりな発想になりがちなところに、「沖の石」を持って来たのは
さすが、と言うしかありません。

ただし、これが二条院讃岐のオリジナルとかいうと、さにあらず、で、
実は「我が袖は水の下なる石なれや人に知られで乾く間もなし」(私
の袖は水の下にある石なのであろうか。あの人は知らないけれど、
涙で乾く間もありません)という和泉式部の歌を本歌取りしているの
です。

初句と五句が一致するのみならず、全体的に「盗作」に近い本歌取り
の匂いもしますが、和泉式部の歌が、潮の満ち干には無縁の「水の下
にある石」なのに対し、讃岐は海中深くに石を沈めて決して見えない物、
とすることで、秘めた恋のイメージが深化し、一首としても鮮烈な印象を
与えることに成功したと考えられます。


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コメント

No title

ばーばむらさきさま。こんにちは。昨日送信したつもりでしたが、送られていたかったようです。もし重複しましたらお許しください。

やっとこさ読み終えた「源氏物語」から離れ難く、田辺聖子の「霧ふかき宇治の恋」上下、昔どなたかの書いた続編「山路の露」を読みました。田辺節の「霧ふかき…」で宇治十帖の内容がよく理解できました。楽しみにしていた「山路…」ですが、さすがに劇的な展開とはならず、浮舟の「男はもういや…」という気持ちは覆りませんでした。

その後、近藤富恵「服装から見た源氏物語」、駒尺喜美「紫式部のメッセージ」にも出合いました。

あの時代の服装は、絵巻物などを見てもどれが何なのか良く分からなかったのですが、「服装…」を読んで少しイメージできるようになりました。あんなに何枚を重ねていて、いざというときは大変なのでは、と思っていましたが1枚1枚紐で絞めていないのでするりと脱げる、一番重要なのは裸身である、絵巻物などでは一番ゆるい格好をしているのが一番身分の高い人、男性はむき出しの頭をひどく嫌いリラックスしているときも烏帽子着用などなど、へぇーと思うことがいろいろありました。

“紫式部は一千年前のフェミニスト”。駒尺さんの「紫式部…」は、「紫式部日記」「紫式部集」も読み込んだ上で、自身のフェミニストの立場から「源氏物語」を論じています。28年も前に書かれたとは思えないほど新鮮で面白かったです。世に出た当時は眉をひそめる向きもあったかもしれませんが、私は共感。同感することも多く、そうなのよと膝を打つような思いもいたしました。

さて、これから私は「源氏物語」とどういう仲になったらいいのでしょうか。迷っております。

昨日までは梅雨寒、今日は蒸し暑い1日でした。太陽が恋しいと思っていたのに現れれば暑い。全く勝手なものです。くれぐれもご自愛くださいませ。

No title

萩原さま

こんばんは~。

今日は午後から久々に青空が広がりましたが、蒸し暑かったですね。さすがに日付が替わろうとしているこの時間になると、窓を閉めたくなるくらい、風がひんやりとしています。

公開コメントは表示されるので、昨日は送信されておりません。ご安心くださいませ。

「山路の露」は、世尊時伊行(「源氏釈」という最古の注釈書を書いた人)か、その娘の建礼門院右京大夫が書いたと言われていますが、あの「夢浮橋」の終わり方が納得できなくて、薫と浮舟をどうしても逢わせるところまでは書きたかったのではないか、という気がします。

もう一つ補作として「雲隠六帖」というのがあります。こちらは「何でもあり」で、「やり過ぎ」「あほらしい」印象を受けますが、もしご興味があれば、こんなのも書かれているんだ、ということでお読みになってください(けっしてお薦め本ではありませんが)。

萩原さまほどの方なら、何かご自分が興味をお持ちになったテーマで、「源氏物語」についてお書きになってもいいのでは、と思いますが、如何でしょうか。

「服装から見た源氏物語」は読みましたが、「紫式部のメッセージ」は未読ですので、早速図書館に予約を入れました。

萩原さまとも直接お目に掛かれるチャンスがあれば、と願っております。

来週には梅雨も明けそうですが、そうなると暑い夏が待っていますね。ご自愛下さいませ。

No title

萩原さま

追伸です。

先のコメントで「世尊時」と書いてしまいましたが、「世尊寺」の間違いです。
「せそんじ」と入力して変換すると、「世尊時」と出て、そのまま気づかず送信してしまいました。お恥ずかしい初歩的なミスです。

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