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浮舟の物語が再始動

2019年8月31日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第165回)

8月も今日で終わりです。もう1年の2/3が過ぎてしまったことに
なります。は、はやすぎるぅ~。

今年の8月ほど一心不乱に一ヶ月を送ったのは、おそらく70年の
人生の中で初めてのことだったかと・・・(ん?ちと大袈裟かな)。
ですから、ブログの更新も、最低限の講読会の記録だけになって
しまいました。なぜこんなことになったのかは、近いうちにご報告
させていただくつもりですが、まだもう少しだけ、この生活が続き
ます。

回を追う毎にゴールが近づいて来るこのクラスは、第53帖「手習」
を講読中ですが、今回のところで、第51帖「浮舟」のラストシーンに
話が繋がり、浮舟の物語が再始動します。(「浮舟」の巻のラストは
こちら

横川の僧都の加持祈祷のお蔭で物の怪が退散し、意識がはっきりと
した浮舟が、宇治川への入水を決行しようと部屋を抜け出したところ
から、失踪当夜を回想します。

一旦は強く決心した入水も、風や川音の荒々しさに怖気づき、簀子
の端に腰かけて「鬼でも何でも私を食べ殺して欲しい」と他力本願に
なってしまっていました。すると美しい男が現れて、「さあ、私の所へ
いらっしゃい」と言って、自分を抱くような気がしたので、「あっ、宮さま」
と思ったあたりから何が何だか分からなくなり、見知らぬ場所に置き
去りにされ泣いていた、というところで、記憶も途切れてしまっており
ました。

でもこれで読者にも、失踪後から、宇治の院の大木の根元で僧都ら
によって発見されるまでの浮舟の足取りが、朧げながら分かります。

浮舟が匂宮だと錯覚した男は、憑りついた物の怪だったのですが、
浮舟にとっては、抱かれて宇治川を渡ったことが忘れられない思い出
となっており、匂宮だと幻視したのでありましょう。現実的に考えるなら、
浮舟は匂宮に抱かれたと錯覚したまま、夢遊病者のように宇治橋を
渡り、宇治の院まで辿り着いて倒れていたのではないか、と思われる
のですが、いかがでしょうか。


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