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ちょっとだけ古典文法(39)

2019年10月1日(火) 高座渋谷「源氏物語に親しむ会」(通算143回 統合93回)

今日から10月。衣更えの時期なのに、まだ夏日も夏日、29度まで気温が
上がりました。9月の始まりのような気がしてなりません。

先月お休みしてしまった「ちょっとだけ古典文法」も復活です。今回の「副詞・
連体詞」で、品詞別の文法は終り、残りは「敬語法」だけとなります。

★副詞…用言を修飾する「連用修飾語」。中でも「呼応の副詞」と呼ばれる
決まった語と呼応するものについては、きちんと覚えておきましょう。
 
①打消語と呼応して全部否定となる副詞…「つゆ」・「さらに」・「かけて」・
 「たえて」・「ゆめ」・「よに」→(けっして・全く・少しも)~「打消語」(ず・じ・
  まじ・で・なし)
◎知らぬ人の中にうち臥して、つゆまどろまれず。(見知らぬ人の中で横に
 なり、少しも眠れない。)

②打消語と呼応して部分否定となる副詞…「をさをさ」・「いと」・「いたく(う)」
 →(たいして・そんなには)~「打消語」(ず・じ・まじ・で・なし)
◎ここにはかしこまりて、自らもをさをさ参らず。(ここでは遠慮されて、
 自分からそんなには参上しない。)

③不確実ではあるが、「まさか(万が一にも)~なことはあるまい」の意を表す 
 場合には、副詞の「よも」に「じ」(打消推量の助動詞)が呼応します。
◎うち絶え聞こゆることはよもはべらじ。(途絶え申し上げることはまさか 
 ございますまい。)

④打消語と呼応して「不可能」を表す副詞…「え」~「打消語」(ず・じ・まじ・で・
 なし)→(~できない)→もっとも頻度の高い呼応の副詞です。
◎さのみも、え隠させたまはじ。(そういちがいに、お隠しになることはできない
 だろう。)

★連体詞…連体詞とは文字通り「体言に連なる詞」で、「ありつる」(先程の)・
 「な(ん)でふ」(どういう)、などがありますが、連用修飾語となる場合が多い
 「例の」には気をつけてください。
◎上童一人、例の随身ばかりぞありける。(殿上童が一人と、いつもの随身
 だけがそこにいた。)→「連体詞」
◎例の狩りしにおはします供に、馬の頭なる翁つかうまつれり。(いつものように、
 狩りにいらっしゃる共として、馬の頭である翁がお仕え申しあげた。)
 →「連用修飾語」

★この他に、これまで「ちょっとだけ古典文法」で取り上げなかった品詞として、
「名詞」、「接続詞」、「感動詞」がありますが、これらは、読解上、品詞として知って
おかなくても困ることは無いと思いますので、省略します。

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「源氏物語」は、第36帖「柏木」の3回目。「国宝源氏物語絵巻・柏木・第一段」に
描かれている場面を中心に読みました。

不義の子を出産した女三の宮は、夫・源氏のよそよそしい態度に絶望感を抱き、
世を捨てた出家の身でありながら、娘・女三の宮のことが案じられて、密かに
六条院を訪れた父・朱雀院に願い出て、その夜の内に出家を遂げてしまいます。

唐突な娘の願いをこんなにも簡単に受け入れてしまった朱雀院の「心の闇」
(子のことを思う親心)が、丹念に描かれているのも読みどころの一つでしょう。

朱雀院が自らの出家に際し、最も気掛かりだったのが、女三の宮のことでした。
安心して託すことの出来る婿選びに腐心した挙句に、弟の源氏に白羽の矢を
お立てになったのは、これまで読んで来たとおりです。

そうした朱雀院の気持ちを理解した上で、女三の宮を正妻として迎えたはず
なのに、源氏の愛情は紫の上第一に注がれていることが、始終朱雀院の耳に
入って来て、心の内に不満がくすぶり続けておられました。でもその不満を、
面と向かってぶつけるわけにもいかなかった朱雀院にとっては、今、産後の
身体が弱り切っている時なら、女三宮が出家したところで、周囲に不自然とも
思われずに済むだろう、との思いが働くのでした。

慌てふためき取り乱している源氏に対する朱雀院の冷ややかな目が感じられ、
やはり作者の筆の運びの上手さに舌を巻く一場面となっています。


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コメント

No title

ばーばむらさき様、こんばんは。

古文文法は受験勉強の時に覚えたことはある程度頭に残っていますが、

やはり、何年も古文から離れていると忘れて行きますね。

私の場合、文法や特殊語法や古語は暗記し、練習問題を解いたりすればある程度は頭の中に定着させることは出来るのですが、

私が源氏物語を読んでいて一番、「にくし!」「ねたし!」と、しゃくにさわることがあります。

それは、読んでいて、「主語を見失う」「主語を間違える」「地の文とセリフの箇所の区別で間違える」ことです。これは受験問題でも狙われることですけど。

先日、「藤裏葉」の中で内大臣が夕霧を藤の宴に招いたシーンを読んでいると、

…遊びなどし給ひて、暮ゆくほどのいとど色まされるに…

の箇所があり、私はこれを「暮れるにつれて、夕焼けの色がまされるに」

のことかなあ、なんておバカな解釈が頭に浮かびました。

正解は…暮れるにつれて、(藤の花の)の色がまさっているころに…

でした。もちろん。この箇所の前に藤の花の色についての文章があるのですから、

それを考えれば分かるハズなのですが、現実はこんな類のミスがいくらもあり、

自身が情けなく、しゃくにさわります。

こういうのも、古文をたくさん読むことで「慣れる」しかないのでしょうね(^-^;

No title

片割月さま

このような古い記事にまでご訪問頂いてのコメントを有難うございます。

『源氏物語』は古文の中でも読み難い文章だと思います。

主語が書かれてないことも多いですし、心内語だと思って読んでいるといつの間にか地の文になっていたりもしますよね。今テキストとして使っている「新潮日本古典集成」は、主語や、解釈が難しそうなところは現代語訳が記してあり、更に頭注もあるので、読むのは楽になっています(時折、主語は別のほうがよいのでは?とか、解釈もちょっと変えたい、と思うこともありますが)。

それにしても、お一人で『源氏物語』を原文で(しかも僅か半年で)読み通された片割月さまの読解力は素晴らしいと感嘆しております。

明日(もう今日ですが)はまた「光る君へ」ですね。「それはないでしょう?」という場面が出来るだけありませんように、と願っております( ´艸`)

No title

ばーばむらさき様、こんばんは。

>「新潮日本古典集成」

はい、私も同じです(^^)/

ただ、今は高校生や受験生用の参考書を使って練習をしています。

御存知と思いますが、「中道館の古典新釈シリーズ:源氏物語;全五巻」や「有朋堂の重点古典シリーズ」です。

つまり、上段に原文と品詞分解を下段に現代語訳を、横に語釈や文法等の解説になっているものです。で、原文には会話カッコをつけてあるのですが、有朋堂のは主語が全く補足されていないので、読解に苦労するように出来ています。

しばらく古文から離れていたので、語彙や文法を復習しないと原文を味わうことが出来ませんから。

「新潮日本古典集成」は横に赤字で現代語訳が適時書かれ、上にも注釈や解説があるので、比較的楽に読めますが、「なぜ、そのような訳になるのかしら?」と立ち止まり出すと、しゃくにさわり、どうにも我慢が出来なくなります。

それで、精神衛生上も今は参考書で読み、読解力を少し高めてから「「新潮日本古典集成」で読もうと思っています。

ちなみに、今は源氏物語をいったん中断し、枕草子の方を読んでいます。

例の有朋堂のと、昔から愛読して来た「枕冊子:解釈と文法」(田中重太郎著・旺文社)を併用しています。両方合わせると100段分くらいになりますので、原作の三分の一くらいは復習が出来ますので。

久し振りに読むとまた、新鮮な発見がありますね。

ばーばむらさき様の古文力は凄いですね。
ここまでになるのには、相当の努力を重ねられたのでしょう。

古文はなまじ同じ日本語だけに、英語よりもむしろ難しい、あるいはややこしいと思う面が多々あり、なかなか大変と思います。古語には今よりも広い意味合いを持つ例が多いですしね。

私なんか、「もどかし」の意味に、「非難すべき」というもう一つの意味があったと知り、びっくりしている所です。で、「もどく」という動詞もはじめて知ると(^-^;

ところで、人に教えることもまた、ご自身の勉強になるのでしょうね。

私も経験上、教えるって、自分にとって最も勉強になると思っているので。

No title

片割月さま

コメントを有難うございます。

「新潮日本古典集成」は横に赤字で現代語訳が適時書かれ、上にも注釈や解説があるので、比較的楽に読めますが、「なぜ、そのような訳になるのかしら?」と立ち止まり出すと、しゃくにさわり、どうにも我慢が出来なくなります。←そのお気持ち、よくわかります。私も口語訳をつける時は、自分の解釈優先でやっております(^_^;)

『枕草子』も別の面白さで楽しめますね。私の恩師が、「田中重太郎先生は、『枕草子』と共に生きた方」とおっしゃっていたのを思い出しました。

そうですね、今の私は教えるというよりも、皆さまと一緒に『源氏物語』を楽しむというのに近いと思いますが、やはり半世紀に渡って『源氏物語』と付き合って来た積み重ねが、自分を支えてくれている気がします。

片割月さまも、どちらかで教えていらっしゃるのですか?

No title

ばーばむらさき様、こんばんは。

>片割月さまも、どちらかで教えていらっしゃるのですか?

私は学生時代にバイトで学習塾で高校生に古典や英語を教えたり、
また、社会人になってからも学習塾で古典を教えていたことがあります。

相手は古典が苦手な生徒ですから、私でも何とかなりました(^-^;
それでも、こちらは予習をしっかりして置かないといけませんので必死。

時々、生徒から難しい質問をされ困ると、さっそく、

「なんだよ、先生も分からないのかよ」と笑われ、冷や汗ものでした。

>『枕草子』も別の面白さで楽しめますね。私の恩師が、「田中重太郎先生は、『枕草子』と共に生きた方」とおっしゃっていたのを思い出しました。

そうだったのですか。

確かに田中重太郎氏の「枕草子」への思い入れが半端ではないと、私の持つ参考書からも伺えます。中宮定子への「敬愛?」も相当なもの。


「枕草子」の中には、中宮が「笑う」場面がたくさんありますが、

「そのどれ一つとして、不健全な笑いは無い!」

と断言されているのが印象的です。

確かに、その通りかもしれませんね。



No title

片割月さま

重ねてのコメントを頂戴し、有難うございます。

学習塾で古典を教えておられたのですね。とてもよく勉強して来られた方だとは思っておりました。

『枕草子』の世界は『源氏物語』とは異なり、現実にあったことですから(多少は清少納言が脚色しているでしょうが)、こちらも大河ドラマにも取り入れて欲しいですね。定子の笑う場面なども。清少納言は既に登場していますし、定子役も決まっていますから、多少はあるでしょうね。

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