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第9帖「葵」の全文訳(9)

2019年12月9日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第45回・№1)

今月の「紫の会」の講読箇所は、92頁・3行目~99頁・13行目迄で、
葵の上の死と、後の様子を描いた部分にあたります。その前半(92頁・
3行目~96頁・2行目)の全文訳です。後半は12/26(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)

左大臣家の邸内が人少なくてひっそりとしている時に、葵の上が急に
いつものようにお胸を詰まらせて、たいそうひどくお苦しみになります。
宮中にお知らせする間もなく、葵の上は亡くなってしまわれました。
足も地につかず、誰も誰もが宮中から退出してしまわれたので、除目
の夜でしたが、こうしたよんどころないご支障なので、全てがご破算に
なってしまった次第です。

大騒ぎになったのが夜中だったので、天台座主や誰それと言った
僧都たちも招くことがお出来になりませんでした。いくら何でも今はもう
大丈夫と安心していらしたのに、あまりのことなので、邸内の人々は、
物にぶつかるほど慌てふためいておりました。

あちらこちらからのご弔問の使いなどが詰めかけましたが、とても
お取次ぎできず、誰もが動揺していて、中でもお身内の方々の大変な
ご当惑ぶりは、ひどく鬼気迫るまでに見えました。物の怪が度々葵の上
を仮死状態にさせたことをお思いになって、枕などもそのままにして、
二、三日、様子をご覧になっていましたが、次第に死相がはっきりして
来られたので、もうこれまで、とお諦めになる時は、誰も皆とてもたまらなく
辛いのでした。

源氏の君は、葵の上の死という悲しいことに御息所の生霊という厭わしい
ことが加わって、男女の仲というものがとても辛いものだと身にしみて
思われたので、深い仲の方々からのご弔問も、疎ましいとばかり、みな
お思いでありました。桐壺院におかれても、お嘆きあそばして、ご弔問を
お遣わしくださるのが、このような不幸にあっても却って光栄なことに
思われるので、左大臣にとってはそんな嬉しさも絡んで、涙の乾く間も
なくておられました。

人が申し上げるのに従って、大掛かりな秘術のあれこれを、もしや生き返り
なさるのではないかと、様々に全部お試しになって、一方ではご遺体が
損なわれて行く様子を目の前に見ながらも、いつまでも困惑なさっておられ
ましたが、甲斐も無いまま幾日も経ったので、もうどうしようもないと、鳥部野
へとご遺骸をお運び申し上げる時は筆舌に
尽くし難いことが多うございました。
 
あちらこちらからのご葬送の方々、寺々の念仏僧たちなどで、たいそう広い
野原に立錐の余地もありません。桐壺院は今更申し上げるまでもなく、中宮、
東宮などのお使いや、その他いろいろな所からのお使いも次々に参上して、
尽きることなく悲しいというご弔問の言葉を申し上げなさいます。左大臣は
立ち上がることがお出来にならず、「このような歳になって、若い盛りの娘に
先立たれてしまって、もうよろよろでありますことよ」と、恥じてお泣きになる
のを、大勢の会葬者は悲しく見申し上げておりました。

一晩中たいそうな騒ぎのご葬儀でしたが、ほんのはかないご遺骨だけしか
後に残らず、まだ夜が明けない暗いうちにお帰りになりました。人の死は
世の常ではありますが、源氏の君はこれまでまだ一人位しか人の死に目
には遭っておられないからでしょうか、この上なく葵の上を思い焦がれて
いらっしゃいました。

八月二十日過ぎの有明の月の頃なので、空の様子もしみじみとした風情が
漂う上に、左大臣が子を思う心の闇にくれておられる様子をご覧になるに
つけても、ごもっともだとおいたわしく思われて、源氏の君は空ばかりが
悲しく眺められなさって、
 
「のぼりぬる煙はそれとわかねどもなべて雲居のあはれなるかな」(大空に
立ち昇った火葬の煙はどれがその煙だとは分からないけれど、空一面が
しみじみと悲しく感じられることですよ)

左大臣邸にお着きになっても、源氏の君はちっともお眠りになれません。
長年の葵の上のご様子を思い出されながら、どうして、行く行くは自然と
見直して下さるだろう、とのんびり構えて、遊び半分の浮気につけても、
葵の上に「ひどい」と思われ申すようなことをしたのであろう、生涯を通して、
私のことを親しみにくい気詰まりな相手だと思ったまま一生を終えてしまわ
れたことだ、などと、残念なことがあれこれと思い続けられなさるけれど、
甲斐のないことでありました。鈍色のお着物をお召しになっているのも、
夢のような気がして、私が先立っていたならば、葵の上はもっと深い鈍色の
喪服をお染になったことだろう、とまでお思いになって、

「限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖をふちとなしける」(きまりがあるので、
喪服は薄墨色であるけれど、涙が溜まって袖を淵にしてしまったことよ)

と歌を詠まれて念誦なさっておられるお姿は、いっそう艶やかさが加わられて、
お経をこっそりと誦みながら、「法界三昧普賢大士」とお唱えになるご様子は、
勤行に馴れている法師よりもすぐれていらっしゃいました。

若君(夕霧)をご覧になるにつけても「何にしのぶの」(この子がいなかったら、
何によって故人を偲ぶことが出来ようか)と、より涙の露にくれながらも、
「ほんにこの形見までがなかったなら、どんなに寂しいことだっただろう」と、
思い慰めておられるのでした。
 
大宮は悲嘆にくれて、そのまま起き上がることもお出来にならず、お命も
危なげに見えなさるので、日ごとの法要の準備などをおさせになるにつけても、
葵の上の死は大宮にとって、思いも寄らない出来事だったので、どこまでも
悲しいことでした。普通のつまらない子どもでさえ、先立たれた親はどんなに
切ないでありましょう。ましてや大宮の場合は無理もございません。他に姫君が
いらっしゃらないのでさえ、物足りなくお思いだったのに、大切に袖の上に捧げ
持っていた玉が砕けたといった場合よりも、もっと茫然自失のご様子でした。


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