fc2ブログ

葵の上の死

2019年12月9日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第45回・№2)

「紫の会」は、第9帖「葵」の後半に入っています。本日読んだところの
最初で、葵の上が亡くなります。男性陣が皆宮中に出掛けてしまい、
祈祷の僧侶たちを呼び寄せる間もありませんでした。力ある者不在に
乗じて憑りついた物の怪にあっけなく命を奪われてしまったのです。

葵の上の生涯を振り返ってみましょう。

桐壺帝の信任が厚い左大臣を父に、その桐壺帝の妹を母に、左大臣家
の長女として誕生しました。大切に育てられ、16歳で4歳年下の源氏と、
父親同士の政略によって結婚しました。藤壺を慕う源氏は、お嬢さま育ち
で取り澄ました葵の上に馴染めず、葵の上も気位が高いだけに、そうした
源氏に寄り添おうとせず、ずっと夫婦関係は冷え切っていました。

結婚から10年経って、葵の上は懐妊しました。折から生じた六条御息所
との車争い。葵の上の従者たちの働いた狼藉によってひどくプライドを
傷つけられた御息所は、やがて生霊となって葵の上に憑りつき、ついに
死に至らしめてしまいました。葵の上、享年26。

権勢家左大臣が、后腹の内親王との間に儲けた姫君で、天下の光源氏
の正妻、となれば、誰もが羨む境遇です。でも幸せとはそうしたものでは
ない、と葵の上が教えてくれています。

源氏との間に一度の歌の贈答もなく(「源氏物語」の中で、葵の上は一首
の歌も詠んでいません)、若い命を終えてしまいました。六条御息所が
「葵」「賢木」の両巻で、源氏と6回の歌の贈答をしているのとは対照的です。

葵の上の唯一の救いは、夕霧という忘れ形見を残すことができたことと、
死の直前に源氏とわずかながらも心をかよわすことができたことだと思い
ます。因みに夕霧は、「宇治十帖」では50代に入り、時の権力者として君臨
しています。子沢山でもあり、葵の上は産んだ子どもは1人ですが、孫は
12人にもなっています。

我々はこの女君を「葵の上」と呼んでいますが、彼女の名前が「葵」だった
わけではありません(いかにも名前らしいですけどね)。この「葵」の巻で
クローズアップされ、そして亡くなってしまうので、巻名の「葵」が呼称と
なっているのです。

葵の上の死から葬送、残された人たちの思い、詳しくは「葵の全文訳(9)」
お読みいただければと思います。


スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

訪問者カウンター