fc2ブログ

どうしてのこのこ出掛けて来たのだろう

2019年12月20日(金) 溝の口「枕草子」(第39回)

今週は、暖(月)‐寒(火)‐暖(水)‐寒(木)‐暖(金)と、見事に
暖かな日と寒い日が交互になっていますが、明日からは寒‐寒
となるようです。今日のような青空の広がる暖かな日が、年の瀬
には嬉しいのですけどね。

本年最後の「枕草子」は、第220段~第224段までを読みました。
今日のところは、どの段も全部ご紹介しておきたい要素があって、
どこにしよう、としばらくテキストとにらめっこしていましたが、結局、
最初に読んだ第220段にしました。

でも、ちょっとだけ他の段のことも先に書かせていただきますね。

第221段は、清少納言が出仕してまだ1年にも満たない、中宮定子
が一番幸せだった頃の、二人の間で交わされた打てば響く機知の
応酬を記した段ですが、ここでの面白さは、絵文字を使ったメール
を思わせる手紙の遣り取りでしょう。

第222段~第224段までの3段は、中宮定子の晩年(この頃には
道長の娘・彰子が中宮になっていたので、定子は皇后に押し上げ
られていた)の悲哀が切なく胸を打つ段です。作者は定子の不幸を、
直接的には一切『枕草子』に書かない姿勢を貫いているだけに、
この3段は、その背景にあるものを汲み取って読んでいただきたい
と思います。

さて話を戻して第220段です。清少納言は、賀茂の祭の行列見物に
行く時には、牛車の下簾なども新調して、ビシッと決めて出かける
ことに意義を見出しています。ところが、用意周到に準備したつもり
が、自分よりもさらに立派な下簾を付けている牛車を見かけると、
「何しに」(どうしてのこのこ出掛けて来たのだろう)と後悔し、敗北感
を味わうことになるのです。

これは『源氏物語』の「葵」の巻で、斎院御禊の行列の見物に出掛け
た際、車争いとなって、六条御息所が、葵の上の従者から、牛車を
毀された上、侮辱の言葉を浴びせられて、「何に来つらむ」(どうして
のこのこ出掛けて来たのだろう)と、思う場面と似ています。訳せば
同じになるのですが、基因するところは全く異なっています。御息所
の場合はプライドですが、清少納言の場合は単なる見栄、ですよね。

このあたりを比較しながら読むと、面白さが倍増しようかと思われる
段なのですが、いかがでしょうか。


スポンサーサイト



コメント

No title

枕草子だけが唯一興味を持った古典です。
たぶん、清少納言のちゃきちゃきしたところに惹かれたのだと思います。
今回読ませてもらって、こんな読み方もできるんだと、興味が湧きました。
人の気持ちは意外と変わらず、現代と相通じる部分があるんですね。

No title

スミレさま

こんばんは~。コメントを戴き有難うございます。

多分、同世代だと思われる(違っていたらごめんなさい!)スミレさんは、すごく行動力があって、知的好奇心も旺盛で、私もこんなふうになれたらいいなぁ、と思いながらいつもブログを拝見しております。

古典を読んで一番共鳴できる点は、どんなに科学技術が進歩しようと、人の心は今も昔も変わらない、というところだと思います。

『源氏物語』は登場人物の人間関係が複雑ですし、何しろ長~いので、途中で嫌になっちゃう人も多いのですよね。それに比べると、『枕草子』は、おっしゃる通り、ちゃきちゃきした清少納言が、歯切れの良い文章で小気味よく綴っていますので、現代人にも受け入れられ易いかも知れません。

私も昨日、かぼちゃのいとこ煮を作って食べました。

コメントの投稿

訪問者カウンター