第9帖「葵」の全文訳(11)
2020年1月13日(月) 溝の口「紫の会・月曜クラス」(第46回・№1)
年明け初の「紫の会」は、第9帖「葵」の99頁・14行目~106頁・8行目迄
を読みました。葵の上の四十九日も近づいた頃の、源氏や左大臣家の
人々の様子が描かれている場面です。その前半部分(99頁・14行目~
103頁・2行目)の全文訳です。後半は1/30(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
葵の上のご法要も終わってしまいましたが、源氏の君は四十九日までは
そのまま左大臣邸に籠っておいででした。これまでに経験の無いご退屈な
お暮しを気の毒がりなさって、三位の中将(もとの頭中将)は、いつも源氏
の君のもとに参上しては、世間話などをなさるのでした。真面目な話も、
またいつものような好色めいた話も、お聞かせ申し上げてはお慰めになる
折には、あの源典侍こそが、笑い話の種になるようでございました。
源氏の君は、「ああ、お気の毒なこと、お祖母さまのことをそんなに馬鹿に
なさいますな」と、お諫めになるものの、いつも面白いとお思いになって
おられました。あの十六夜の月が、あまり明るくはなかった秋のことや、
その他にも、様々な色事の数々を、互いに残らず言い立ててしまわれる
その挙句の果てには、無常な人の世のことをあれこれと話し合って、泣き
出しなどもなさるのでした。
時雨が降って、物思わしい夕暮れ時、中将の君は、鈍色の直衣、指貫を、
薄い鈍色に衣更えして、たいそう男らしくすっきりとして、立派なご様子で
源氏の君のもとに参上なさいました。源氏の君は、西の角の高欄に寄り
掛かって、霜枯れの庭の植え込みをご覧になっている時でした。
風が荒々しく吹いて、時雨がさっと降り注いだ時、涙も時雨と争うような気が
して、「葵の上は雨となり雲となってしまったのであろうか、今はわからない」
と、そっと独り言を言って頬杖をついておられるご様子は、女だったら、この
源氏の君を見捨てて死んでしまう身の魂が、必ずお側に留まってしまうこと
であろうよと、三位の中将は色好みらしい気持ちで、じっとそちらに目を注がれ、
近くにお座りになると、源氏の君は無造作にくつろがれたお姿ながら、直衣の
入れ紐だけをさし直されました。源氏の君は三位中将よりも今少し色の濃い
鈍色の夏の直衣に、紅の光沢のある下襲をお召しになって、地味なお姿で
あるのが、却ってずっと見ていたい気がいたします。中将もしみじみとした
眼差しで、時雨の空をご覧になっておりました。
「雨となりしぐるる空の浮雲をいづれのかたとわきてながめむ(時雨の雨と
なって降る空の浮雲のどれを亡き妹のものと見分けてながめることができ
ようか)行方もわからずになってしまったことだ」と、中将が独り言のように
言うのに対し、
「見し人の雨となりにし雲居さへいとど時雨にかきくらすころ(亡き妻が雨と
なってしまった空までもが、いっそう時雨降る季節となって、悲しみにかき
暮れる頃となったことだよ)
とおっしゃる源氏の君のご様子にも、葵の上を思う気持ちがよくわかるので、
「わからないものだなぁ、長年さほどではないご愛情だったのに。桐壺院が
いたたまれずご教訓なさる程、父・左大臣の懸命なお世話ぶりもお気の毒な
上に、母・大宮方からの血筋から言っても、切っても切れないご縁があるので、
葵の上をお見捨てになれず、気の進まぬご様子ながら、お過ごしなのであろう
と、おいたわしく見える折々があったのに、本当に大切な正妻としては、格別に
思っておいでだったのだろう、とわかると、三位の中将はいよいよ葵の上の死
が残念に思われるのでした。あらゆることの光が消え失せてしまった気がして、
皆がすっかり塞ぎ込んでいるのでした。
庭の植え込みの枯れた下草の中に、竜胆や撫子などが咲いているのを折ら
せなさって、三位の中将が立ち去られた後で、源氏の君は、若君の乳母の
宰相の君を通して、大宮に
「草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋のかたみとぞ見る(下草の枯れた
垣根に残る撫子の花(若君)を、過ぎ去った秋〈今は亡き妻〉の形見と思って
見ています)でもあなたはやはり、我が子よりは美しさは劣る、と思ってご覧に
なるのではないでしょうか」
と、申し上げなさったのでした。本当に若君の無心な笑顔はとてもお可愛らしい
のでした。大宮は吹く風にさえあえなく散ってしまう木の葉よりも、もっと涙もろく
なっていらっしゃるのに、ましてやこのお手紙を見てはこらえきれずにお泣きに
なるのでした。
「今も見てなかなか袖を朽すかな垣ほ荒れにしやまとなでしこ(お手紙を頂いた
今も、若君を見て却って涙に袖も朽ちるばかりでございます。垣根も荒れ果てて
しまった〈母親を失った〉撫子〈若君〉なのですから)」
年明け初の「紫の会」は、第9帖「葵」の99頁・14行目~106頁・8行目迄
を読みました。葵の上の四十九日も近づいた頃の、源氏や左大臣家の
人々の様子が描かれている場面です。その前半部分(99頁・14行目~
103頁・2行目)の全文訳です。後半は1/30(木)に書きます。
(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
葵の上のご法要も終わってしまいましたが、源氏の君は四十九日までは
そのまま左大臣邸に籠っておいででした。これまでに経験の無いご退屈な
お暮しを気の毒がりなさって、三位の中将(もとの頭中将)は、いつも源氏
の君のもとに参上しては、世間話などをなさるのでした。真面目な話も、
またいつものような好色めいた話も、お聞かせ申し上げてはお慰めになる
折には、あの源典侍こそが、笑い話の種になるようでございました。
源氏の君は、「ああ、お気の毒なこと、お祖母さまのことをそんなに馬鹿に
なさいますな」と、お諫めになるものの、いつも面白いとお思いになって
おられました。あの十六夜の月が、あまり明るくはなかった秋のことや、
その他にも、様々な色事の数々を、互いに残らず言い立ててしまわれる
その挙句の果てには、無常な人の世のことをあれこれと話し合って、泣き
出しなどもなさるのでした。
時雨が降って、物思わしい夕暮れ時、中将の君は、鈍色の直衣、指貫を、
薄い鈍色に衣更えして、たいそう男らしくすっきりとして、立派なご様子で
源氏の君のもとに参上なさいました。源氏の君は、西の角の高欄に寄り
掛かって、霜枯れの庭の植え込みをご覧になっている時でした。
風が荒々しく吹いて、時雨がさっと降り注いだ時、涙も時雨と争うような気が
して、「葵の上は雨となり雲となってしまったのであろうか、今はわからない」
と、そっと独り言を言って頬杖をついておられるご様子は、女だったら、この
源氏の君を見捨てて死んでしまう身の魂が、必ずお側に留まってしまうこと
であろうよと、三位の中将は色好みらしい気持ちで、じっとそちらに目を注がれ、
近くにお座りになると、源氏の君は無造作にくつろがれたお姿ながら、直衣の
入れ紐だけをさし直されました。源氏の君は三位中将よりも今少し色の濃い
鈍色の夏の直衣に、紅の光沢のある下襲をお召しになって、地味なお姿で
あるのが、却ってずっと見ていたい気がいたします。中将もしみじみとした
眼差しで、時雨の空をご覧になっておりました。
「雨となりしぐるる空の浮雲をいづれのかたとわきてながめむ(時雨の雨と
なって降る空の浮雲のどれを亡き妹のものと見分けてながめることができ
ようか)行方もわからずになってしまったことだ」と、中将が独り言のように
言うのに対し、
「見し人の雨となりにし雲居さへいとど時雨にかきくらすころ(亡き妻が雨と
なってしまった空までもが、いっそう時雨降る季節となって、悲しみにかき
暮れる頃となったことだよ)
とおっしゃる源氏の君のご様子にも、葵の上を思う気持ちがよくわかるので、
「わからないものだなぁ、長年さほどではないご愛情だったのに。桐壺院が
いたたまれずご教訓なさる程、父・左大臣の懸命なお世話ぶりもお気の毒な
上に、母・大宮方からの血筋から言っても、切っても切れないご縁があるので、
葵の上をお見捨てになれず、気の進まぬご様子ながら、お過ごしなのであろう
と、おいたわしく見える折々があったのに、本当に大切な正妻としては、格別に
思っておいでだったのだろう、とわかると、三位の中将はいよいよ葵の上の死
が残念に思われるのでした。あらゆることの光が消え失せてしまった気がして、
皆がすっかり塞ぎ込んでいるのでした。
庭の植え込みの枯れた下草の中に、竜胆や撫子などが咲いているのを折ら
せなさって、三位の中将が立ち去られた後で、源氏の君は、若君の乳母の
宰相の君を通して、大宮に
「草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋のかたみとぞ見る(下草の枯れた
垣根に残る撫子の花(若君)を、過ぎ去った秋〈今は亡き妻〉の形見と思って
見ています)でもあなたはやはり、我が子よりは美しさは劣る、と思ってご覧に
なるのではないでしょうか」
と、申し上げなさったのでした。本当に若君の無心な笑顔はとてもお可愛らしい
のでした。大宮は吹く風にさえあえなく散ってしまう木の葉よりも、もっと涙もろく
なっていらっしゃるのに、ましてやこのお手紙を見てはこらえきれずにお泣きに
なるのでした。
「今も見てなかなか袖を朽すかな垣ほ荒れにしやまとなでしこ(お手紙を頂いた
今も、若君を見て却って涙に袖も朽ちるばかりでございます。垣根も荒れ果てて
しまった〈母親を失った〉撫子〈若君〉なのですから)」
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