第9帖「葵」の全文訳(12)
2020年1月30日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第46回・№1)
今月の「紫の会」は、間もなく葵の上の正日(四十九日)も近づいた
頃の、残された人々の様子を描いた場面(第9帖「葵」の99頁・14行目
~106頁・8行目迄)を読みました。前半部分は1/13(月)に書きました
ので、今日はその続きの後半部分(103頁・3行目~106頁・8行目)の
全文訳です。(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
やはりとても所在ないので、源氏の君は、朝顔の姫君に、今日のこの
風情は、そうはいってもお分かりいただけるであろう、と推測される姫君
のお人柄なので、すっかり日も暮れているけれど、お便りをなさいました。
文通も間遠でありますが、それが普通となってしまったお手紙なので、
女房たちも気にも留めず、姫君にお見せします。時雨の空の色をした
舶来の紙に、
「わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまたへぬれど(とりわけ
今日の夕暮れは涙に袖が濡れております。物思いにふける秋は何度も
経験してまいりましたが)毎年時雨は降っておりますが」
と、書いてありました。ご筆跡などの入念にお書きになっておられるのが、
いつもよりも見所があって、「このままでは済まされぬご様子です」と、
女房たちも申し上げ、姫君ご自身もそう思われるので、「喪に服して
おられるご様子をお察し申し上げながら、こちらからはお便り出来ずに
おりました」と書いて、
「秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ」(北の方
に先立たれあそばしたと伺いましてからは、このしぐれの空をどのように
ご覧になっているかと、心中お察し申し上げます)
とだけ、うっすらとした墨の色で、気のせいか奥ゆかしく見えます。何事に
つけてもあとになる程、見まさりする女性は滅多にいない世の中なのに、
冷淡な人こそ却って心惹かれるものと、しみじみとした感じのする姫君の
お人柄なのでした。いつもすげないお扱いではありますが、しかるべき
折々の情趣を逃すことはなさらない、こういう間柄こそお互いにいつまで
も思いやりを持ち続けることができるのであろう、やはり教養があって
風流に過ぎて、人目に立つほどなのは、度が過ぎて欠点も出てきて
しまうものなのだ、若紫をそのようには育てまい、と源氏の君はお思い
になっておりました。
若紫が退屈して恋しく思っていることだろうよと、忘れる時はないけれど、
ただ女親を失くした子を家に残しているような心地がして、会わないで
いる間は気掛りで、でもどのように思っているだろうか、などと気にせず
に済むのが、気楽なことでした。
すっかり日が暮れたので、源氏の君が灯りを近くに点させなさって、
しかるべき女房だけを傍らにはべらせて、お話などをなさっています。
中納言の君という女房は、長年、源氏の君がこっそりと情けをかけて
来られた召人ですが、この服喪期間は却ってそのような色めいたお相手
にはお考えにはなりません。中納言の君はそうした源氏の君のお気持ち
を、お優しいことと拝見していました。
普通の話相手として、うちとけてあれこれとお話になり、「こうして幾日もの
間、以前よりもずっと、どの人とも一緒に過ごして来て、この服喪期間が
終わったら、このようにいつも会うことが出来なくなって、どうして恋しく
思わないことがあろうか。葵の上の死の哀しみは言うまでもないが、
これから先を思い巡らすと、堪らないことが沢山あることだよ」とおっしゃる
と、いっそうみんな泣いて、「ただ闇に閉ざされた気持ちがいたしますのは
仕方ないこととして、あなたさまがふっつりとお見限りになってしまわれる
ことを考えますと、辛うございます」と、最後まで申し上げることも出来ません。
可哀想に、と源氏の君は見渡しなさって、「見限るだなんてことがあるものか。
よほど私を薄情な人間だと思っておいでのようですね。気長に見届けよう、
という人さえいてくれたら、最後には私がどんな人間かご理解いただけま
しょうものを」と言って、灯りをご覧になっている目元の涙に濡れておられる
様子が、とてもお美しうございました。
葵の上が特別可愛がっておられた小さな女童で、両親もすでになく、たいそう
心細そうに思っているのを、もっともなことだと源氏の君はご覧になり、「あてき
は、今は私を頼らねばならないようだね」とおっしゃると、その女童はひどく泣く
のでした。小さい衵を、他の人よりも濃い鈍色に染めて、黒い汗衫を着て、
萱草色の袴を穿いているのも可愛らしい姿です。
源氏の君は、「亡き葵の上を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、若君を
見捨てず、お仕えして下さい。かつての面影もなく、あなた方まで出て行って
しまったら、私もここを訪れるよすががいっそう無くなってしまうだろうからね」
などと、皆がいつまでもここにお仕えするように、というようなことをおっしゃい
ますが、さて、どうしたものか、葵の上が生きておられた頃だって、そうそう
頻繁という訳でもなかったのに、これからは、もっと待ち遠しいご来訪になって
しまわれよう、と思うと、女房たちはいっそう心細くなっておりました。
左大臣は、女房たちの身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な物から、
本当に形見というに相応しい物まで、改まった形にならないように心遣いを
して、皆に分け与えなさったのでした。
今月の「紫の会」は、間もなく葵の上の正日(四十九日)も近づいた
頃の、残された人々の様子を描いた場面(第9帖「葵」の99頁・14行目
~106頁・8行目迄)を読みました。前半部分は1/13(月)に書きました
ので、今日はその続きの後半部分(103頁・3行目~106頁・8行目)の
全文訳です。(頁・行数は、「新潮日本古典集成 源氏物語二」による)
やはりとても所在ないので、源氏の君は、朝顔の姫君に、今日のこの
風情は、そうはいってもお分かりいただけるであろう、と推測される姫君
のお人柄なので、すっかり日も暮れているけれど、お便りをなさいました。
文通も間遠でありますが、それが普通となってしまったお手紙なので、
女房たちも気にも留めず、姫君にお見せします。時雨の空の色をした
舶来の紙に、
「わきてこの暮こそ袖は露けけれもの思ふ秋はあまたへぬれど(とりわけ
今日の夕暮れは涙に袖が濡れております。物思いにふける秋は何度も
経験してまいりましたが)毎年時雨は降っておりますが」
と、書いてありました。ご筆跡などの入念にお書きになっておられるのが、
いつもよりも見所があって、「このままでは済まされぬご様子です」と、
女房たちも申し上げ、姫君ご自身もそう思われるので、「喪に服して
おられるご様子をお察し申し上げながら、こちらからはお便り出来ずに
おりました」と書いて、
「秋霧に立ちおくれぬと聞きしよりしぐるる空もいかがとぞ思ふ」(北の方
に先立たれあそばしたと伺いましてからは、このしぐれの空をどのように
ご覧になっているかと、心中お察し申し上げます)
とだけ、うっすらとした墨の色で、気のせいか奥ゆかしく見えます。何事に
つけてもあとになる程、見まさりする女性は滅多にいない世の中なのに、
冷淡な人こそ却って心惹かれるものと、しみじみとした感じのする姫君の
お人柄なのでした。いつもすげないお扱いではありますが、しかるべき
折々の情趣を逃すことはなさらない、こういう間柄こそお互いにいつまで
も思いやりを持ち続けることができるのであろう、やはり教養があって
風流に過ぎて、人目に立つほどなのは、度が過ぎて欠点も出てきて
しまうものなのだ、若紫をそのようには育てまい、と源氏の君はお思い
になっておりました。
若紫が退屈して恋しく思っていることだろうよと、忘れる時はないけれど、
ただ女親を失くした子を家に残しているような心地がして、会わないで
いる間は気掛りで、でもどのように思っているだろうか、などと気にせず
に済むのが、気楽なことでした。
すっかり日が暮れたので、源氏の君が灯りを近くに点させなさって、
しかるべき女房だけを傍らにはべらせて、お話などをなさっています。
中納言の君という女房は、長年、源氏の君がこっそりと情けをかけて
来られた召人ですが、この服喪期間は却ってそのような色めいたお相手
にはお考えにはなりません。中納言の君はそうした源氏の君のお気持ち
を、お優しいことと拝見していました。
普通の話相手として、うちとけてあれこれとお話になり、「こうして幾日もの
間、以前よりもずっと、どの人とも一緒に過ごして来て、この服喪期間が
終わったら、このようにいつも会うことが出来なくなって、どうして恋しく
思わないことがあろうか。葵の上の死の哀しみは言うまでもないが、
これから先を思い巡らすと、堪らないことが沢山あることだよ」とおっしゃる
と、いっそうみんな泣いて、「ただ闇に閉ざされた気持ちがいたしますのは
仕方ないこととして、あなたさまがふっつりとお見限りになってしまわれる
ことを考えますと、辛うございます」と、最後まで申し上げることも出来ません。
可哀想に、と源氏の君は見渡しなさって、「見限るだなんてことがあるものか。
よほど私を薄情な人間だと思っておいでのようですね。気長に見届けよう、
という人さえいてくれたら、最後には私がどんな人間かご理解いただけま
しょうものを」と言って、灯りをご覧になっている目元の涙に濡れておられる
様子が、とてもお美しうございました。
葵の上が特別可愛がっておられた小さな女童で、両親もすでになく、たいそう
心細そうに思っているのを、もっともなことだと源氏の君はご覧になり、「あてき
は、今は私を頼らねばならないようだね」とおっしゃると、その女童はひどく泣く
のでした。小さい衵を、他の人よりも濃い鈍色に染めて、黒い汗衫を着て、
萱草色の袴を穿いているのも可愛らしい姿です。
源氏の君は、「亡き葵の上を忘れない人は、寂しさを我慢してでも、若君を
見捨てず、お仕えして下さい。かつての面影もなく、あなた方まで出て行って
しまったら、私もここを訪れるよすががいっそう無くなってしまうだろうからね」
などと、皆がいつまでもここにお仕えするように、というようなことをおっしゃい
ますが、さて、どうしたものか、葵の上が生きておられた頃だって、そうそう
頻繁という訳でもなかったのに、これからは、もっと待ち遠しいご来訪になって
しまわれよう、と思うと、女房たちはいっそう心細くなっておりました。
左大臣は、女房たちの身分身分に応じて、ちょっとした趣味的な物から、
本当に形見というに相応しい物まで、改まった形にならないように心遣いを
して、皆に分け与えなさったのでした。
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