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作者が意識していたのは?

2020年1月30日(木) 溝の口「紫の会・木曜クラス」(第46回・№2)

一昨日の凍えるような寒さから、昨日、今日は解放されて、
春のような暖かさとなりました。考えてみれば、もう立春まで
一週間もないのですね。日もすっかり長くなりました。

本来、第4木曜日が例会のこのクラスですが、今月は会場の
都合で第5木曜日となりました。第2月曜日のクラスに合わせ、
同じ第9帖「葵」の終盤にかかるところを読みました。残り2回で
「葵」の巻を読み終える予定です。

葵の上の亡き後、四十九日までは、と、源氏は左大臣家に籠り、
所在ない日々を送っておりました。既に季節は冬となっています。

時雨の空を眺めながら、源氏が、この風情を分かり合えそうな
朝顔にお手紙を遣わされると、思った通り、薄墨で書かれた
奥ゆかしいお返事が届きました。日頃から親密、と言える間柄
でもなく、むしろ、源氏には朝顔は冷淡にも感じられる相手ですが
(むろん男女の関係はありません)、しかるべき折々には情趣に
満ちた便りを交わすに相応しい女性でした。そこで源氏は思い
ます。

「なほゆゑづきよし過ぎて、人目に見ゆばかりなるは、あまりの
難も出で来けり」(やはり教養があって風流に過ぎて、人目に立つ
ほどなのは、度が過ぎて欠点も出て来てしまうものなのだ)と。

おそらく、これは直接的には六条御息所のことを言わんとして
書かれたものと考えられますが、「ん?こんな作者の批判、どこか
でも見たような」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そう、『紫式部日記』の中での清少納言について記した文です。

「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかし
だち、真名書き散らしてはべるほども、よく見れば、まだいと足らぬ
こと多かり」(清少納言こそ、偉そうな顔をして得意然としている人。
利口ぶって漢字なんか書き散らしているけど、よく見れば、まだ
不足している点が沢山)に始まり、目立ちたがり屋さんで、何でも
ない時でも風流がって見せるのが癖になってしまっている、と、
こきおろしています。

作者・紫式部の脳裏に、清少納言の存在がよぎり、この一文を
書かせた、なんて深読みし過ぎでしょうか?

本日の講読箇所のストーリーは、1/13の「第9帖「葵」の全文訳(11)
と、先に書きました「第9帖「葵」の全文訳(12)」をお読みいただければ、
と存じます。


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