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紫の上追慕の一年

2015年11月7日(土) 淵野辺「五十四帖の会」(第119回)

120回目(満10年)を来月に控え、そこで第二部終了の区切りとするため、
無理をすれば一回で読めるところを、道草をしながら緩やかに進めました。
紫の上が亡くなった翌年の一年間を語る「幻」の巻ですが、七月のところ
までを読んで、八月以降を残しました。

「幻」の巻は、最愛の妻・紫の上を失った源氏が、ひたすら追慕の日々を
送り、やがて出家の決意が固まるまでを、まるで「月次絵」(つきなみえ)
のように綴った、光源氏を主人公とする物語の最終章です。

その「月次絵」に貼られる色紙に書かれた和歌のように、源氏は歌を詠んで
います。ここに七月までの歌をご紹介しますので、源氏の紫の上への思いを
共に追体験していただければ、と存じます。

《一月》 わが宿は花もてはやす人もなしなににか春のたづね来つらむ
    (我が家にはもう梅の花が咲くのを喜ぶ人もいないのに、どうして
     春が訪れて来たのでしょう)

《二月》 植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らずがほにて来たる鶯
    (この紅梅を植えて楽しんだ主もいない家に、それも知らぬ気に
     やって来て鳴いている鶯であることよ)

《三月》 今はとてあらしや果てむなき人のこころとどめし春の垣根を
    (私がいよいよ出家するとなれば、荒れ果てさせてしまうので
     あろうか、亡くなった紫の上が、心を込めて作ったこの春の庭を)

《四月》 羽衣のうすきにかはる今日よりは空蝉の世ぞいとど悲しき
    (衣更えで薄い夏の衣に替わる今日からは、空しい現世がいっそう
     悲しく思われることでしょう)

《五月》 なき人をしのぶる宵の村雨に濡れてや来つる山ほととぎす
    (亡き人を偲ぶ今宵の村雨に濡れて、黄泉の国からやってきたので
     あろうか、山ほととぎすよ)

《六月》 つれづれとわが泣き暮らす夏の日をかことがましき虫の声かな
    (所在なく夏の日を泣き暮らしていると、それに促されたかのように
     鳴くひぐらしの声であることよ)

《七月》 たなばたの逢ふ瀬は雲のよそに見て別れのにはに露ぞおきそふ
    (牽牛と織女の逢瀬を雲の上の別世界のことと見て、今この二つの
     星が別れて行く夜明けの庭に、私は悲しみの涙を添えることだ)


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